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第三章
《第17話》2回目の春
しおりを挟む「チッ」
更衣月は鋭い舌打ちを落とし、更衣室を後にした。
その日の部活中も、頭の中は姫宮の事でいっぱいだった。
姫宮は人気者だが、必要以上に群れることを嫌う男だった。
例えば支度の時や、自主練の時。
しかし庵野が来てから、更衣月なりに理解していた姫宮の、他人に対する対応の"例外"を見かけるようになった。
プライドの高い姫宮が、出会ったばかりの後輩に、下の名前で呼ばれることを許した。しかも、隣のロッカーを使ったというのに、嫌がる気配も無い。
もしも自分が彼を下の名前で呼ぼうものなら、手加減なしの蹴りが飛んできそうだ。
気が付けば、自然と拳を握りしめていた。
更衣月は誤魔化すようにボールを弾ませた。
元々目つきの悪い更衣月の表情が厳しくなると、周りの部員は逃げるように離れてゆく。
何だか分からないが、こんなに苛立つのは、全て姫宮のせいだ。
更衣月は怒りの矛先を定め、姫宮の方を睨みつける。
彼は、丁度ユニフォームの袖で額の汗を拭っているところだった。
腹部が覗く。
更衣月は慌てて視線を外した。
不覚にも、腹の筋を流れる汗まで目に焼き付けてしまった。
心臓が痛むほど動悸が激しい。
ボールをゴールへ投げる。近距離からのゴールは、久方ぶりに外れた。
「くそ」
低く唸る。
つまりなぜ、姫宮は入ったばかりの庵野にあそこまでテリトリーを許すのか、それが気になって、我慢出来ない。
「なんなんだよ····」
姫宮を他のやつに取られたくない。
自分のものでもない。
けれど、自分に世話を焼き、説教し、褒め、おやすみと言った彼は、全て自分のものだ。
もっと欲しい。
そして自分だけのものにしたい。
生暖かい風が舞い込んできた。
更衣月は立ち止まった。
部活後、静かな部室で日誌を書くのが楽しみだったりする。
姫宮は執拗い庵野を追い返し、やっと椅子に腰掛けた。
空気を入れ替えておこう。
窓を開けると、生暖かい風が入り込んできた。
時刻は、19時を回ろうとしている。
生暖かい、春の夕闇の向こうで、校庭の桜が泣くように花弁を散らせていた。
この部室へ通うのも、あと4ヶ月ほど。
それまで、この日誌は大切に書こう。姫宮は机に日誌を置き、めくり慣れて柔らかくなったページを開く。
突如、扉が勢いよく開いた。
せっかく開いたページが数枚追い越される。
「姫宮さん、一昨日は、すんませんした」
開口一番そう言って、ガバッと勢いよく頭を下げたのは、更衣月だった。
黒い髪がさわさわと揺れる。オオカミの毛並みみたいだ。
「お前、この時間まで待ってたの」
「え」
無頓着なこの男も、気を回すなんてことがあるんだなあ。
成長したものだ。
姫宮は窓ガラスを閉めた。
「もう気は済んだのか?」
彼は自分を嫌っているのだろう。
思い当たる節もあった。彼のためとはいえ、過干渉になりすぎたのかもしれない。
なんだか放っておけなかったのだ。
一昨日のやり方はいただけないが、彼なりに気持ちをぶつけようとしたのかもしれない。
そしてその結果、更衣月は自分が悪いと謝ってきた。
「顔上げろよ」
深深と下がっていた黒髪がゆっくり起き上がる。
長い前髪のせいで、表情がよく見えない。
姫宮は勢いよく椅子から立ち上がると、大股で彼へ近づいた。
「邪魔くせえ前髪だな」
後ろへなで付けてやる。
少し固くて、意外と指通りの良い髪だ。
切れ長の目元が、やはりちょっと人相悪い。
しかし、よく見ると刃の先のように鋭く、筆を流したような目だ。
そして整った顔立ちをしている。優しく笑ったら、庵野と良い勝負かもしれない。
いや、それはさすがに言い過ぎか。
「お前いい加減前髪切れよ、んなんだから新入部員に易々負けんだよ·····」
真っ黒な瞳孔が、すいとこちらを見る。
姫宮は一歩下がった。
「あーっと·····」
手持ち無沙汰に、腰に手を置く。
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