偽物の恋人~男性令嬢ソフィーの初恋

あおき華

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9話

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 季節は秋に変わった。

 アトリエにはたくさんの張りキャンバスがある。
 描きかけの肖像画も立てかけてあった。
 以前ライアンをモデルに描いたものだ。

 今日もよどんだ表情でソファーに横たわりながら肖像画を見つめた。

 扉がノックされた。

「マーガレット。⋯⋯医者には見てもらいたくないと言っているでしょう」

「ソフィー。ヴィクトリアよ。開けてちょうだい」

 ソフィーは体を起こして、重い足取りでドアに進み、鍵を開けた。
 ヴィクトリアが入ってきた。

「ソフィー、いったいどうしたの。マーガレットが心配してるわ。様子がおかしいって知らせてくれたのよ」

「⋯⋯ヴィクトリア」

「エミリアの結婚式にも来なかったし、どうしてしまったの?」


『エミリアの結婚式』は今一番聞きたくない言葉だった。

 ソフィーは唇を噛んで、涙を拭いもせずにぼたぼたと落とした。

「ソ、ソフィー!? 一体何があったの?」
 ヴィクトリアがソフィーをのぞき込み、手を握った。

「ヴィクトリア⋯⋯。私」

「なぁに?」
 ヴィクトリアが優しく答えた。

 ソフィーは激しく首を横に振った。
「やっぱり、言えない」

 ヴィクトリアが背筋をまっすぐに伸ばして、真顔になった。
「誰にも言わないわ」

 ソフィーはヴィクトリアを見ながら、彼女の手を強く握りかえした。


 ソファーに二人で座った。しばらく沈黙したあと、ソフィーはうつむきながら口を開いた。

「ライアン・カッセルと付き合っていたの……。彼にエミリアがいるなんて知らなかったのよ」

 ヴィクトリアは目を見開いた。

「ライアンと?ほ、本当に?」

「エミリアには言わないで!お願い!彼女まで傷つけたくないの……」

 ソフィーは声を詰まらせながら、ライアンとのいきさつをとりとめなく説明した。
 ヴィクトリアはソフィーの話を遮らず、ただ聞いてくれた。ソフィーは話すほどに、闇に囚われていた心が解放されていくのを感じて、再び涙を流した。


「そう、……そうだったのね。ソフィー。つらい思いをしたのね。でも大丈夫、あなたは素敵な人だから。これからもっと素敵な出会いがあるわ。くそ男、じゃなかった……ライアンのことは忘れましょう」

 ヴィクトリアはソフィーを抱きしめた。

 彼を忘れられるわけがない。
 ヴィクトリアに、一番大事な話をしていなかった。

 ソフィーは体を震わせながら打ち明けた。
「ヴィ、ヴィクトリア。わ、私、妊娠してるみたいなの」

「何ですって!?」
 ヴィクトリアが急に抱擁をといた。

 ソフィーは手を握りしめた。
 ヴィクトリアはソフィーのまだ目立たないお腹を大きく口を開けて見つめた。

「確かなの?」
 ソフィーは頷いた。
 ヴィクトリアがひどい悪態をついた。

「ご両親とお兄さんはご存知なの?」

 首を横に振った。

「言えないわ。ヴィクトリア、私赤ちゃんと二人で生きる」

「でもどうやって?」
 ヴィクトリアが立ち上がった。

 ソフィーは答えられずに腕を抱えた。

 ヴィクトリアは顎に手を当ててソフィーの目の前をうろうろと歩いた。

「ねぇ。私達もうすぐ領地に戻るつもりだったの。ソフィーも一緒にブライベリーに行きましょうよ」

 ソフィーはうろたえた。
「ヴィクトリアに迷惑をかけられないわ」

「これからどんどんお腹が大きくなって隠せなくなるわ。我が家で安心して子供を産めばいいのよ。どうするかはその後ゆっくり考えたらいいわ。なんならずっと居てくれても構わない。うちは広いから」
「だめよ」

「ソフィー、あなたを助けたいの。ダニエルと私の仲を取り持ってくれたでしょう?あのときのお礼をさせて」

 ソフィーは手を合わせて唇に押しあてた。一人で生きる術を知らない。子供を世話したこともない。

「ヴィクトリア、……本当にいいの?」

 ヴィクトリアは再び隣に座り、力強くうなずいた。

 ソフィーはヴィクトリアの両手を取り、深くこうべを垂れて何度も感謝の言葉を繰り返した。




 出立の日になった。

 両親と兄には手紙で旅行に行くと伝えた。荷造りはとっくに終えている。時間を持て余し、ソフィーはアトリエに向かった。

 ライアンの定位置だったソファーに座ってぼんやりと過ごした。まだ、彼に騙されたことを信じられない自分が胸の奥にいる。
 ソフィーは苦笑した。
 だから騙されてしまうのね。

 ヴィクトリアがアトリエまで迎えに来た。

「準備はいいかしら」

「ええ、もう行けるわ」
 ソフィーは立ち上がり、ヴィクトリアと抱き合った。

 ふと、ヴィクトリアがライアンの絵に視線を向けた。

「ソフィー、これは誰の絵なの?」

「ライアンよ。……あまり似てないかしら」

 自分で思うより、絵が下手なのかもしれない。
 ソフィーは見えない所に片付けようと絵を持ち上げた。

 ヴィクトリアが顔をしかめて唇に手をあてた。

「ライアンはもっとこう、ふくよかで、瞳もブラウンでしょう?」

「ライアンの目は鮮やかな青よ。体だって……」
 ソフィーは肖像画の彼をじっと見つめて目をそらした。

 ヴィクトリアが落ち着かなげに、体をそわそわと動かした。

「ソフィー⋯⋯あなたの会っていた人って、本当にライアンなの?」
 ヴィクトリアがうわずった声で言った。

 ソフィーは時間が止まったような気がした。
 しばらく言葉が出なかった。

「そうよ、だって、彼がそう言っ……」

「彼の目の色はブラウンよ。間違いない。それに樽みたいな体をしてる」
 ヴィクトリアの顔から血の気が引いている。

 ソフィーはひどいめまいがしてその場にしゃがみこんだ。


 ヴィクトリアの夫、ダニエルが呼びに来た。
 ソフィーとヴィクトリアは沈んだ顔でブライベリーに向かう馬車に乗った。

 ソフィーは馬車に揺られながら、ダニエルにもライアンの風貌を尋ねた。ダニエルもヴィクトリアと同じことを答えた。

 ソフィーは、彼がライアンでさえなかった現実を受け入れるしかなかった。
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