赤ずきんは夜明けに笑う

森永らもね

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第一部 二章

13 別れ(挿絵あり)

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 一行は神殿の中腹で足を止めていた。奴がまだ自分たちを探して徘徊している。壁から顔を覗かせ、近くにいないかを確認し、腰を落とした。先程とは一変し、誰もが無言で俯いている。

「ねーねが……ねーね……」

 途端にニナがフラフラと立ち上がった。リーゼロッテを掴み「ねーね……ねーね、助けに行こう」と揺さぶってくる。目を見開いているが光を一切映し出していない。

「ニナ。やめて。貴方も見たでしょ」
「ニナ、何も見てない。見てない……」
「見た」
「見てないもん!! ねーねを助けて!! リーゼは強いんでしょ……だって……」

 昨日聞いた言葉の反復だ。こめかみに青筋が立ち、グッと噛み締め「ルシールさんは死んだの!!」とリーゼロッテは声を張り上げた。

「現実逃避するなよ!! 貴方のお姉さんは、私たちを守ろうとして奴に殺された!!! 助けられた命のくせに助けられた事をなかったことにするなよ!! 第一……!」

 身を乗り出して怒鳴りつけるリーゼロッテの肩を押し「言い過ぎだ」と人に戻ったアレクが止めた。
目の前で声もなく涙を流すニナの顔にハッとし「ごめん」と目を逸らす。ただでさえ生贄が受け入れられなかったのに、あんな最後を見るなんて辛いに決まっていた。

「……これから、どうする」

 入口まで、まだ距離がある。誰一人欠けずに無事に出るのはもはや不可能かもしれないとアレクは思った。

「分からない……この神殿から出ても、あいつは私達を追ってくるかもしれない。生贄がもし、あいつをこの神殿に留まらせるためのものだとすれば、今回のせいで外に出て、目に入った動植物を食い散らかす。村も……」

 蹲っていたニナは肩を跳ね上がらせた。みんな死んじゃうの? と震えた声に「おい」とまたアレクがリーゼロッテに注意する。可能性は高い、とリーゼロッテはただ告げ、アレクも黙り込んだ。

「……さっき。バジリスクって言ってたよな。あいつのこと。知ってるなら、なんか弱点とかないのか?」

 沈んだ空気のまま、アレクは隣にいるリーゼロッテに問いかける。そんなものがあったら苦労しない、と深い嘆息が聞こえた。

「あいつは蛇の王、バジリスク。月狼と並ぶ魔族の一種だ。睨むことであらゆるものを石化させる……さっきみたいに魔法とか生物から放たれるエネルギーの一つもね。前にも言ったけど、魔族は魔物とレベルが全然違う。プロのハンターでも殺されるような化け物だ。本来なら熟練の王国騎士で討伐隊が結成されて、何日もかけて戦う……私たちが敵う相手じゃない」

 魔物と戦う事にはだいぶ慣れて来たとはいえ、それでも大型では逃げることの方が多かった。あの大蜘蛛の時だって命からがら逃げてきたのに。

「……あの、魔族って奴らは魔物とは違って知性があるんだよな? それなら何とか話すとか……」

 可能性を導き出そうとするアレクに「そう」とリーゼロッテはぼうっと地面を見つめて口を開く。

「本来、魔族は高い知性があるから人の言葉に理解がある。そのうえで奴等は私たちを見下して話そうとしないんだよ。人と友好的に話そうとする物好きは月狼ぐらい」
「そうか……」

 アレクの返事を横耳に、目元を抑えて考えた。このままでは一生この遺跡から出られなくなる。睨む……目……様々な単語が脳内に飛び交い「一つだけ、方法が」と口にした。

「あいつの能力は睨むことで石化する。要は目を潰せばその能力は使えない。あとはただの肥大した蛇。その状態なら……」
「それなら! 遠距離から目を潰せばいいんじゃないか!! 弓で……」

 弓、の言葉にリーゼロッテが目を伏せる。まだ両目が揃っているなら見込みはあったかもしれない。それは出来ない、とすぐに返した。

「私。今、片目で距離感が掴めなくて。最近はずっと弓が不調なの。さっきも本当は、バジリスクを狙ったつもりだったけど、祭壇に打ち込んじゃって……それに、もし仮にやつの目を狙ったところで睨みつけられたら私も石になる。片目を潰しても矢は同時に放てるわけじゃないから、もう片方でどのみち石に……」

 言葉を続ける気になれず、アレクが黙り込んだ。どう考えても厄介としか言いようがない能力。本当にこんな化け物から逃げることなんてできるのだろうか。


ドゴォン! 


 大きな音と共にアレクとリーゼロッテの間の壁が唐突に破壊された。地揺れがし、ふらつきながら前を見ると、先程まで寄りかかっていた壁が崩れ、そこから大きな蛇の頭が出てきた。完全に這い出てくる姿に、もう逃げられないと悟る。

「あ……あ……っ」

 先程の光景を思い出し、ニナは声を失って動けなくなった。そんなニナを抱きしめ、リーゼロッテは武器を構える。このままやられるぐらいなら最後は抗うとばかりに睨みつけた。シュー、と先程も聞いた低音が響いた瞬間、分断されて蛇の後ろ頭の方にいたアレクが狼に変身して飛びかかる。

「アレク!!」

 噛みつくが大蛇がうねるようにして振り払い、アレクは壁に吹き飛ばされた。噛み付いた際に振り向かれ、既に睨まれていたのか、四肢がどんどん石化して動かなくなっていく。それでも負けじと最後の力を振り絞り、奴の体に爪を立てた。ギュイ、と小さな悲鳴があがる。

「リーゼ!! ニナを連れて……早く……っ」

 ピキピキと音を立てながら固まっていくアレクにリーゼロッテは叫びたい衝動を抑えた。歯を食いしばり、ニナを抱え、そのままがむしゃらに走り出す。頼んだ、その言葉の後、アレクは狼のまま完全に石となった。

「はあ……っ、はあ……っ」

 嘘だ、うそだ。走りながらもリーゼロッテは頭が混乱していた。自分たちを生かすために、アレクが……視界が涙で霞み、嗚咽のような呼吸音が喉から飛び出る。
 どうすればいいか分からなかった。一気に二人も目の前で失って、考えるよりも先に悲しみが溢れ出して止まらない。背後から這って追ってくる音がして、恐怖で足が挫けそうになった。ナサゴ村で仕入れた火薬筒を弓から外し、壁に叩きつけるように投げて爆発させる。それさえも、やつの足止めにはならない。
 ふと、逃げ惑いながら、先程のアレクの石化を思い出す。そういえばあいつ、石化を使う時は必ず変な鳴き声を出していた。もしそれで一瞬だけでも視界を遮れば隙が出来る? そう考えているうちに見覚えのある入口前にたどり着いた。

「……嘘」

 神殿の入口ではない。先程ルシールが息絶えた祭壇室のものだ。戻ってきたのかといよいよ脱力しそうになったが、背後から迫る影に仕方がないと中へ入る。もう、ここで決めるしかない。
 祭壇室に入り、ニナを背中の方に押し出して、向き合う。奴はゆっくりと中に入り、頭を突進させるようにして襲いかかってきた。横に避けたところであの音が聞こえ、リーゼロッテは「伏せろ!」とニナに言ってから自身の赤外套を素早く脱ぎ、払うようにして自分達の姿を隠した。空中で広がった赤外套は固まり、ごとりと重い音を立てて地に落ちる。と同時に、リーゼロッテは剣鉈を構え、強く握りしめた。
 奴は睨みつけてからいつも少し間が開いている。必ず空きを入れる必要がルールとしてあるのだろう。再びバジリスクが見えた瞬間、奴の目に向かって渾身の力で剣鉈を投げつけた。ぐるぐると回転したそれは、宙を飛んでいくが、ギリギリのところで避けられてしまう。

「そ、んな……」

 こんなに近場でも、外してしまった。最後のチャンスだったのにと、力が抜ける。片目を潰せればまだ希望を抱けたかもしれない。それさえも叶わなかった。嘲笑うかのようにシューと睨みの合図が聞こえる。もうダメだと座り込んだ時、自分の背後から腕を広げる赤髪の少女が飛び出てきた。

「ニナ……!」

 前に立った少女は手足がピキピキと徐々に石化していく。リーゼ、と顔だけを振り向かせたニナは、泣きじゃくったまま「ありがとう」と口角を上げた。大蜘蛛の時に助けられなかった悪魔の少女と重なる。
 直後、完全に石化したニナを薙ぎ払わんばかりの勢いで体を振られ、リーゼロッテは倒れ込むようにして石化したニナを守った。カタン、と自分の懐からルシールに預かったお守りが落ちる。けれど、今は気にしてられなかった。

「ニナ……なんで……」

 石化したニナの頬に涙が落ちる。結局、誰一人救えなかった。父さんも、あの子も、リサも、ルシールも、アレクも、ニナも……みんな目の前で失った。嗚咽で息が乱れるリーゼロッテの後ろから、また死を呼ぶ音が聞こえてくる。
 すぐさま火薬筒の矢を一本抜き取り、涙目になりながら睨みつけると、リーゼロッテは目の前にまで来ていたバジリスクの目に向かって、矢を投げつけた。キラリと何かが反射した直後、その金目は矢が突き刺さり、爆破する。投げ放った自身の手はピキピキと灰色に固まっていく。

「はは……ざまあみろ」


 自身の胸元あたりから溢れる心地のいい光を最後に目にし、リーゼロッテは腕を上げた状態で完全に石化した。





「……い! ……きろ! ゼ……リーゼ!」

 遠くで声が聞こえた。ううん、と寝返りを打つと同時に顔を舐められ、リーゼロッテが眠そうに目を開ける。目の前には心配した様子のクリフ、アレク、ニナの姿。天国だろうかと、もう一度目を瞑ったところで「リーゼ!」と顔を叩かれた。

「いった!! 何すん……」
「うわあああ!! 起きたああ!! 起きたよおお!」

 上半身を起こすと、真っ先に赤髪の少女に抱きつかれた。よかったと泣きつかれるように抱きしめられ、その力に苦しくなる。クリフも甘えるように顔に擦りついてき、密集して暑苦しい。

「はなれ、て! ギブ……し、ぬ……」

 ポンポンと肩を叩き「あっ、ごめんね!」とニナとクリフが離れた。何度か咳き込み、リーゼロッテが周囲を見回す。まだ頭が追いついていない。

「お前ならやってくれるって信じてたぞ! リーゼ!」
「……え?」

 アレクの言葉に、何を言ってるんだと眉を顰める。自分は確かに石化したはずだ。石になっていく感触もまだ体に残っている。アレクもニナも目の前で石化して……と思い出していると、傍に巨大な石が転がっているのを目にした。よく見てみるとその石には鱗があり、どこかで見たことがあるような形をしている。

「バジリスク!?!?」

 何故死んでいるんだと目を見開く。その反応に「こいつ、ここに来た時には石になってたんだよ」とアレクが付け足した。

「外で待機してたクリフが俺を起こしにきてくれて、それでお前らの所へ。多分、やつが死んで俺たちの石化が解けたのかも。てっきりお前が倒してくれたのかと思ってたんだけど、覚えていないのか?」
「私は何も……」

 戸惑い、首を振る。ふと、自分の傍に転がっていたバジリスクの欠片の下に、ルシールから預かっていたお守りが落ちていることに気づく。拾いあげてみれば、欠片のせいで少しヒビが入って割れているものの、渡された時と変わらず自分を映してキラキラと輝いていた。
 自分を映す? そうか、とお守りを天に向けて掲げる。あの時、自分の傍に落ちて睨みつけたから、同時にこのお守りも奴の視界に入っていたのだろう。視線を反射して自滅……だから奴は石化しているのか。

「そうか。ルシールさんが……」

 結局、助けられてしまったとリーゼロッテは力なく微笑み、胸の前で優しく握りしめた。ニナ、と声をかけ、お守りを差し出す。受け取りながらニナは「なあに、これ? 綺麗~」と目を輝かせた。

「ずっとこれ、渡したかったの。ルシールさんから預かっていたお守り。もう泣かなくてもいいように。例え姿は見えなくても、貴方の傍にいるって……最後バジリスクを倒したのもきっと……」

 ひっくり返して見つめながら、その言葉に「そっか」とニナが呟いた。ボロボロと涙を零しながら「ねーねが守ってくれたんだね」と眉を下げて笑う。ありがとう、ありがとう。ひくつき掠れた声は神殿に静かに響いた。





 一方、ナサゴ村に取り残されたハンナは川の前で絶望していた。愛する子供たちを失い、虚ろな目でただ川を見て、立ち尽くしていた。そんなハンナの背後から聞き覚えのある声が聞こえてくる。

「ままー! ただいまー! 」

 振り返り、駆けてくる自分とよく似た赤髪の少女に、目を見開いた。その人物を認識し、そこからコマ送りのようにゆっくりと、途切れ途切れになりながら目に光を宿していくと、口を塞ぐようにして涙する。家族の再会を離れたところから見ていたアレクとリーゼロッテは互いに顔を見合せ、脱力して笑った。

 少し前、血相を変えた村長の言葉によって、儀式は無事成功したものだと村には伝えられていた。その時に姉のルシールを追ってきたニナは神聖な儀式を邪魔したものとして神の逆鱗に触れ、二人共生贄になったのだと。その事を聞いたハンナはあれからずっと川の前でぼうっとしていたのだ。

「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます」

 何度目かにもなる言葉にリーゼロッテはただ頷いた。この光景を見るのはもう二度目になる。抱きしめ、涙ながらに顔を擦り付けるニナとハンナの姿になんだか父を思い出して羨ましくなった。ニナが戻ってきたことで同じように生贄について話を聞いていた人達は「奇跡だ」と喜び、その波は忽ち村全体に広がった。

「凄いな。祭りでもないのに」
「うん……ルシールさんがいたらもっと、良かったのにね」

 ふと、放たれた呟きにアレクは一度黙り込んでから「そうだな」と目を細める。そんな騒ぎの中「取り込み中失礼」と背後から声がかけられた。知ってるも何も、ニナ達を救出する前に扉から出てきた村長だ。

「まさか、ニナを連れ戻してくるとは驚きましたよ。本当に心配で」

 嘘を吹き込んでいた癖によくそんなことが言えるなと、リーゼロッテが眉間に皺を寄せ、衝動的に殴りつけようとした時だ。手前で村長の頭が下がる。

「ありがとうございます。私からもお礼を言わせてください」

 深々と下げる様子に、思わず振り上げた手を下ろした。村長、というのにはあまりいい印象がなかったので、神妙な顔をして見つめる。

「ニナを連れ戻せたということは、あの化け物も退治したということなんでしょう。あの恐ろしい……バジリスクを」

 やはり、奴がグランゼルスでないことをこの人は認知していたようだ。それならと、余計に腹が立ってくる。

「……何故、奴がバジリスクだと知って、何もしなかったんです。村の人に嘘までついて」

 その言葉に「そうするしか出来なかったのです」と村長はゆっくり顔を上げた。

「奴らは突然私達の前に現れました。この村はいつでも潰せる。ただ、グランゼルス様の贄をこちらに横流しすれば村には手を出さないと。そのために部下の蛇を送り付け、儀式を執り行う際には彼らに監視をされていました。逆らえば村が危ない。私にはそれしか選択が出来なかったのです」

 村の人達に囲われながら、リーゼロッテはただその話を聞いた。更に村長が贖罪するように続ける。

「村の者には怯えて欲しくないと私の独断で嘘をつき続けていました……神のために死ねるものだと思っていたのに、ルシールには申し訳ないことをした」

 村長はルシールが生贄の候補について家に押しかけてきた時の事を思い出す。泣きじゃくり、妹を連れていかないでとしがみついてくる様子に、村長は罪悪感が湧いて出た。こんな子供たちを泣かせたいわけじゃない。それでも、村の存続の為に生贄の儀は必要不可欠だった。
 結果、ルシールの思いを無下にはできず、彼女を選ぶ事になり、その日の夜は眠れなかったのをよく覚えている。
 心の底から謝罪する様子に、村人たちは誰も村長を責めようとはしなかった。それは勿論、リーゼロッテもだ。この人にもこの人なりの正義があったんだなと、リーゼロッテは眉間の力を抜いた。村を守る人、妹を、家族を守りたい人。人にはそれぞれ何かしら守りたいものがある。どんな事をしても手に入れたいものがある。もちろんそれは自分も……と拳を握った。

「本当に貴女方には感謝しています。リーゼロッテ・ヴェナトルさん」

 久々に聞いた自身のフルネームに、リーゼロッテがその場で固まった。どくん、と心臓が高鳴り、背筋が震える。

「実は以前、私の家に手配書が届いていたのです。貴方が悪魔だという」

 村長の放った一言に、周囲の村人たちはざわついた。呼吸を荒らげるリーゼロッテを庇うようにアレクが前に出る。

「グランゼルス様の予言がある以上、我々は貴女を庇うことはできません。ですが、この村を救っていただいた感謝は本当なのです。ですから、私たちがギルドハンターを呼ぶ前にどうか、この村を出て行って欲しい」

 お願いします、そう言って村長はまた深々とお辞儀した。周囲の村人たちは先程とは違う怯えた様子でこちらを見ている。ハンナに抱き寄せられるニナは「悪魔?」と混乱しているようだった。

「お前……! それが感謝する人間のすることかよ!! こっちは命懸けで……!」

 一歩踏み出し怒鳴りつけるアレクの前にリーゼロッテは腕を伸ばした。アレク、いいから、と真っ直ぐ村長と向き合う。

「分かりました。もう村を出ていきます。お世話になりました」
「お前……それでいいのかよ! お前は悪いことしてないだろ! 寧ろ……」

 自分の代わりに激昂するアレクにクスリと笑いながら「慣れてるから、大丈夫」と呟いた。クリフを引き、ゆっくりと歩き始める。未だに気に入らないのか、アレクは周囲を睨みつけてから、リーゼロッテの後を追った。囲っていた村人たちはじっとこちらを見つめながら道を開けていく。

「いい村だね」
「けっ、どこが」

 広場を抜け、無人に等しいナサゴ村の入口に立った。見送りも誰もいない。無言のリーゼロッテを心配そうにクリフが擦り付き「大丈夫だって」と優しく顔を撫でる。

 本当は少し期待していた。誰かのためにいいことをすれば、きっといつか報われることがあるって。誰かに受け入れられる日が来るって。自分のお人好しはそんな、誰かに必要とされたい欲の現れだ。でも、これが現状。これが今の世界だ。仕方がないだろう、と村を出るために一歩踏み出した。
 ふと大きく、心地よい風が引き止めるかのように自身を突きぬけていく。不思議に思って振り返ると、道の向こうから「リーゼ!!!」と少女の声が聞こえてきた。息を切らして走ってきたニナは「待ってよ」と自分の前で息を整える。

「これ」

 そう言って差し出されたのはルシールのお守りだ。何度か瞬きをし、不思議そうに首を傾げる。

「ニナの代わりに持っていって欲しいの! ねーねは昔……世界中を旅することが夢だったのに、ニナのせいでそれも諦めちゃって……だから、お願い! ねーねと一緒に旅してあげて!」
「えっ。でもこれ……」
「大丈夫! もう、ニナは泣かないよ。それがなくてもねーねがずっと傍にいるって、知ってるから!」

 そう言ってニナがリーゼロッテの手に無理やり持たせ、手を握る。子供体温のせいか、握られた箇所がとても温かく感じた。

「ニナの大切なものだから、リーゼに持ってて欲しいの!! みんな悪魔だって怖がってるけど……でも、リーゼはそんな人じゃない! わがままばっかり言っちゃったのに、それでもニナ達の事助けに来てくれた!! だから……みんな悪いって言ってても、ニナはリーゼを信じるよ! 絶対、忘れないから……!」

 顎に皺を寄せ、ニナは片目だけ細くした表情でボロボロと涙を溢れさせた。もう泣かないって言ってたのに。手で何とか拭おうとする様子に「泣いてんじゃん、バカ」とリーゼロッテが頭を撫でた。そのまま、ニナに抱きしめられる。

「だがら……リーゼも、ニナのごど、わずれないで!」

 抱きしめられたまま放たれた言葉に、リーゼロッテは少し視界が霞んだ。どこまでも我儘で、初めは苦手意識さえあったのに。ニナが見えないことをいいことに、鼻をすすり、指先で涙を拭ってから抱き返す。

「忘れない……忘れないよ」

 ニナの体に顔を埋める。心がポカポカしてもう離れたくないとまで思えた。ずっとこの温かさが欲しかった。

「ありがとう、リーゼ! また……また会おうね! 絶対だよ!」

 ニナの見送りに手を振りながら一行はナサゴ村を去る。次に向けて真っ直ぐと向き直り、歩くリーゼロッテの矢筒についたお守りがキラリと反射して光った。
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