赤ずきんは夜明けに笑う

森永らもね

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第一部 二章

12炎の祭壇(挿絵あり)

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「ねえ、アレクはどう思う?」

 小屋から出てしばらく無言続きだったリーゼロッテがぽつりと呟いた。頭の後ろで腕を組み、隣を歩いていたアレクは「あー、綺麗な姉ちゃんだった」と答える。

「お前とは全く正反対の……うぐっ」
「そうじゃなくて、生贄のこと」

 肘で強く腹を突かれ、背中を丸めて抑える。一向に目を合わせようとしないリーゼロッテに拗ねてるのかと不思議に思いながら「ああ、そっちか」と上を向いた。

「生贄なんて文化、まだある事に驚いたよ。太古の慣わしかと思ってた」
「そうでもないよ。奴隷文化と同じく、生贄もひっそりと時代に残り続けてきた。まさかそれに鉢合わせするなんて」

 やっぱりこの村にはくるべきじゃなかったかもしれないとリーゼロッテは後悔する。神竜グランゼルス……知ってるも何も、この世界の神として崇められている竜の事だ。
 太古の昔。この世界には天災と呼ばれる黒き竜が存在していた。竜はその絶望的とも呼べる強大な力によって名も無き大地を支配し、崩壊させ、この世を地獄にした。それを見兼ねた神竜グランゼルスが自分の分身として賢者を生み出し、賢者フォルティアナの力によって黒き竜を水晶に封じ込め、この地には再び平和が訪れた。
 だが、黒き竜の力は世界を作りかえ、適応するべくこの大地には魔力を持った多様な種族が共存するようになった。不安定な世界の歪みから生み出された「魔族」とその魔力に当てられ突然変異した「魔物」も同様である。これが今のドラグシアだ。
 神は世界を完璧には構築しない。だが、一度死んだ大地にグランゼルスが齎したものを人々は「奇跡」と呼んだ。こうして、グランゼルスの奇跡に感謝を示す為、神は美しい女性を好むなんて誰が考えたのかも分からないデマを信じ、生贄という文化が生み出されたのだ。それが今も尚続いている。なんだか、あまり気分のいい話じゃなかった。

「……酷い話だよ。人のため村のためだと綺麗事を言って命を犠牲にするなんざ……意味なんてないかもしれないのに。まあ、部外者の俺たちが言える立場ではないとは思うけどな」

 ニナが不憫だ、と呟くアレクに、リーゼロッテは黙り込む。泣けばいいと思っているわがまま娘に腹立たしい気持ちはあったが、贄となる姉への心境を考えるとそんな怒りも失せてしまった。ヴェトライユを取るために危険な外へ出たのも、今なら分かる。全ては大好きな姉のため。道中の話を聞いてルシールを慕っていたのがよくわかる分、なんだか辛いものを感じた。おもむろにルシールから渡されたお守りを取り出す。

「それ……どう渡すんだ?」
「帰ったら隙を見て渡すよ……明日にはここを立つから……」

 今日が前夜祭ということは恐らく明日には……そう考えて胸が締め付けられた。村の風習ともなれば下手に手出しは出来ない。ここで目立つようなことをするわけにはいかないのだ。そうか、と隣にいたアレクが短く返す。いつの間にかニナの家の前まで来ていた。

「ただいま戻りました」

 ガチャりと木の扉を開ける。そこにはむき出しのキッチンで食器を洗っているニナの母、ハンナの背中があった。

「あら、お帰りなさい。ルシールには会えたかしら?」
「は、はい」

 それは良かったと、ハンナは笑みを浮かべたまま肩を落とした。しばらく間を開けてから「夕方から、広場の方で前夜祭が行われるの。良かったらリーゼさん達も」と洗い続けて返す。

「気が向いたら……あの、ニナは?」
「一度家に戻ってきて、また外に行ったきりよ。帰る時にすれ違わなかった?」
「はい……」

 もう一度息をつき「……そう」と呟く。なんだか元気のない声だとリーゼロッテは思った。それもそうか。自分の娘が明日にでも生贄になってしまうのだから、心境は察する。それでも止めたり悲しんだり出来ないのは生贄の母親という自覚からなのだろう。

「……あの子は悲しい時、よく姉のルシールに泣きついて慰めてもらっていたんです。今はそれが出来ないぶん、もしかしたら一人でどこかにいるのかもしれないですね」

 私に甘えてくれてもいいのに、なんてハンナの呟きに寂しさを感じた。きっと、仲のいい家族だったのだろう。それなのに今は一人が欠けているだけで心がバラバラになっている。

「……まだ時間はありますし、部屋でゆっくり休んでくださいね。あとで、紅茶を持っていきます」

 一瞬の空気の暗さを切り替えるように、ハンナは皿を洗い終え、振り向いて笑みを向けた。扉前に突っ立っていた二人は「ありがとうございます」と軽くお辞儀する。

「……あ。それなら先、部屋に戻ってて。私、クリフの様子見に行くから」

 思い出したようにリーゼロッテが再び扉に手をかける。おう、そう言ったアレクと一度目を合わせてから、それぞれ分かれるように歩き出した。


 外に出て、クリフの待つ納屋の方へと向かい、ゆっくりと木造の戸を押した。真っ先に目に映った赤髪の先客に足を止める。

「ニナ……?」

 少し小さく見えるその背中に声をかけると、クリフを撫でていた少女がこちらを振り返った。泣き腫らしていたのかその目は真っ赤だ。

「クリフに、ご飯あげてくれたの?」
「うん。勝手にごめんなさい……クリフ、りんご好きなんだね」

 そう言って頭を撫でる。先程は嫌がっていたが、今では撫でられる手に身を委ねていた。ニナの様子にクリフも怒る気にはなれなかったのだろう。そうだよ、とリーゼロッテは目を細めて返した。気まずい空気に自然と会話が途絶える。

「ニナ、ねーねに怒られちゃった……」

 あんなに怖いねーね初めてだったと、力なく俯いて呟かれる。来る途中に怒ると怖いと聞いていたのだが、きっと叩かれたことも重なって衝撃だったのだろう。

「あのね、ニナ。ルシールさんがあんなことしたのはきっと……」

 説明しようと口を開いた時「知ってるよ」とニナが遮った。語尾が掠れてひくつく。地面に落ちる黒い染みにリーゼロッテは気がついた。

「ニナのためなんでしょ……? 全部。心配だったからって……ねーねが怒る時はいつもそうだもん」

 ニナは怒られた時の記憶を呼び覚ます。いつだったか、入っては行けないと言われていた川に入って、流されそうになった時。その時にルシールに救い出され「めっ!」と強く凄まれたことがあった。その後、優しく抱きしめてくれて「無事でよかった」と掠れた声で呟かれたのを今もよく覚えている。
 他にも一人でどこかに行こうとした時、針を持った生き物に近づこうとした時、ルシールは決まって「めっ! めっだよ!」と怒ったのだった。そのおかげで特に大きな怪我もなく、ニナは過ごせたのである。
 ニナの言葉にリーゼロッテは肩の力を抜いた。誤解されていないならいい。その方が彼女も報われるだろう。今ならお守りを渡せるかもしれないと、取り出そうとするが「ねえ、リーゼ」との声に手を止める。

「明日、ねーねは本当にグランゼルス様のところに行くの……? 行ったら帰ってこないって、嘘だよね……? 本当にもう、会えないの……?」

 思わずたじろいだ。正直に話すか、綺麗事を並べて誤魔化すか。どのみちニナには辛い現実となる。

「村の人達が言ってた。生贄はとってもこうえいな事なんだって。村の誇りのために死ぬんだって。死ぬってパパみたいになるってことなんでしょ? 動かなくなって……土に埋められることなんでしょ!? もうお話したり、一緒に魚釣りしたり出来ないことなんでしょ!」

 リーゼロッテは何も言い返さなかった。大切な人の死を受け入れたくない。信じたくない。少し前の自分もそうだった。

「ねーねがそうなるなんてやだよ! もう会えないなんて絶対に嫌! 別にこうえいじゃなくたっていい! 村の誇りになんてならなくていい……! ニナはねーねと一緒にいたいよ……! なんで……」

 ねーねじゃないとダメなの! 幼き少女の悲痛な疑問だった。大人になるにつれてそういう理不尽も受け入れなくてはいけない。それがこの世界を生きていく術だから。これがこの村のルールだから。そう言ってもこの子にはきっとまだ理解できないだろう。フラフラとこちらに向かって歩き、ニナがしがみつくようにリーゼロッテの服を掴んだ。

「ニナ、もう絶対我儘言わないから!! ちゃんとお手伝い頑張るし、もう誰にも迷惑かけないから!! だからお願いだよリーゼ……ねーねを助けて!!」

 そのキラキラした涙を目に映し、リーゼロッテはすぐに返せなかった。大切な人を悲しむ気持ちは自分にも分かる。もし阻止できるのなら、自分だってそうしただろう。何度か瞬きをし、ニナの肩に手を置く。

「ごめんニナ。それはできない」

 肩に手を置かれた時に少し期待していたニナが徐々に目を見開く。先程アレクと会話したように、生贄や村の風習は部外者が首を突っ込んでいいものじゃなかった。それはリーゼロッテにも理解出来ている。アレクの時は間違いがあったからそれが許せなくて助け出せたけれど、今回ばかりはどうにも出来なかった。
 なにより、ここで騒ぎを起こすようなことをしたくない。リーゼロッテは掴んだニナの肩を少し押し出して離れた。なんで、と目の前から聞き取りにくい嗚咽混じりの声が聞こえてくる。

「リーゼは強いでしょ! ニナの事だって助けてくれた!! それならねーねも助けてよ! なんでだめなの!! ねえ! どうして……!!」
「……私は、明日。いなくなるから。無理なの」

 何を説明しても分かってもらえないだろうと、一番わかりやすいように説明した。明日いなくなる、だから出来ないと。卑怯な言い訳だ。潤んだ目でニナがリーゼロッテの服を鷲掴み「やだやだやだやだー!!」と非力に体を叩く。これっぽっちも痛くない。だが、しがみついて来る様子に腹立たしくなる。

「我儘言わない!!! 少しはお姉さんみたいに大人になりなよ!!! 私は……!」

 ニナの方を向いた時、乾いた音が響いた。バチンと、小さな手で叩かれた頬は非力でも充分赤くなる。

「ばか! リーゼのばか!!!!」

 両手で押し出され、ニナが泣きながら納屋を出ていった。静まり返った納屋に残されたリーゼロッテは頬を抑えながら奥歯をかみ締めて耐える。ぶるり、と一連の流れを見ていたクリフが心配そうに鳴いた。

「っ……分かってる! 別に怒ってなんかない! ただちょっと、イラついただけ……これぐらい、全然痛くも痒くもない」

 あれぐらいの年頃はこんなに聞き分けのないものなのか。イライラしつつ、大好きな姉を助けたいニナの気持ちも分かってしまうため、本気で怒るに怒れない。結局、直接渡すのは無理そうだとポケットに入ったお守りに手を当てた。クリフの方へ歩き、その顔を優しく撫でる。擦り付き、額を合わせて一息ついた。

「……明日、この村を出ていく。私達には関係ない」

 リーゼロッテは地面を見つめながら、そう言い聞かせるように独りごちた。





 翌日の朝。まだほんのりと山岸に紫の薄い雲が残り、焼けるような金色が空の境目を中心に広がっていた。村の入口ではルシールの見送りがされている。全ナサゴ村の住人たちが集まり、顔を覆って泣きじゃくる姿が転々とある中、最後まで泣きそうになりながら笑顔でいようとする母にルシールは胸がうたれる。人集りの最後の列にはアレクとリーゼロッテの姿もあった。けれど、どんなに探しても愛した妹の赤髪が見えない。

「準備は終わったか」
「……はい。大丈夫です」

 儀式を執り行う覆面の責任者に促され、ルシールは村人達に背中を向けた。色んな声が背後から聞こえてくる。堂々としながら歩き、手に握られているヴェトライユを見つめた。硝子のような花弁に映る自分の顔に「これでいいんだ」と言い聞かせる。


『ニナ!』


 何故、今になってあのことを思い出してしまうのだろう。真っ直ぐ歩いていくと、幼かった自分が自分を追い越して駆けていく幻が見える。そういえば昔は大人しかったニナの腕を引っ張り、自分がよく外に連れ出していたっけ。父に村の周辺に連れて行ってもらい、魚などを釣って、夕方には家に帰る。それが日課だった。色んなことを教えてくれる父の影響で、外の世界に対する憧れが人一倍強く、いつか世界を旅するんだと、姉妹で約束を立てるほどだった。
 けれどある日。好奇心で父の目から離れ、無理に上流まで登ろうとした私についてきた幼いニナは誤って急流に落ちてしまった。

『ニナ! どうしよう……だれか……!』

 渦巻く水に恐れを為して、何も出来ずにただ青ざめる。そんな私の声に駆けつけてきた父は「危ないから下がって」と肩に手を置き、躊躇いもなく急流に飛び込んだ。私は何も出来ずにただ、祈るしかできなくて。結果―――父はニナを岸まで連れてきたところで、力尽きた。父が死んだのは、自分のせいだった。母は事故だったと言ってくれたけど、それでも私は自分が許せなかった。

『ニナ……ごめんね……っ、ごめんね……』

 ニナは無事だったが頭を強く打ち、高熱を出して寝込んだ。目が覚めた時、ニナは前後の記憶を無くし、特に何事もなかったかのようにいつも通り接してくれた。

『ねーねはね! とっても優しくて、ニナの自慢のねーねだよ!』

 母の説明で父は事故死だと認識して、私を良い姉として慕ってくれる。自分を憎しみ、怒り、あの時死んだのが父じゃなく私だったら良かったのにと呪っていた私は、その言葉にどれだけ救われたのだろう。だから言葉通り、私は自慢の姉になろうと決意した。
 好奇心に突き動かされる性格は大人しくなり、夢を捨て、ニナには「村の外は危険だから」と言い聞かせ続けた。父の代わりに、ニナを守る。それだけが、私の存在意義だった。それが、父を殺してしまった自分にできる、贖罪だと。
 そうして真実を話せず時間が経過していく中で、私はだんだん本当のことを言い出せなくなってきた。嘘をつき続けるのは辛い。でも、それも今日で終わりだ。これで―――

『えっ、生贄に立候補するって? だがもう……』
『はい。なので、ニナを生贄候補から外してください。何でもしますので……』
 村長の体にしがみつき、項垂れる。この世界に本当の神なんていない。決めるのはいつだって人なのだから。



 これで、私はいい「ねーね」になれただろうか。







「行っちまったな……」

 ルシールを見送り、なんとも言えない表情でアレクが呟いた。うん、とリーゼロッテは短く返す。

「私達もそろそろ行こう」

 短い間だったが久しぶりにゆっくりできた気がする。ちゃんとした生活環境で休み、アレクもだいぶ調子を戻したようだ。やはり、人間的な場所で過ごすのが一番である。服を洗い、食べ物や武器の調達も済み、準備は万全だ。
 もう、この村に思い残すことは……ふと、お守りのことを思い出してリーゼロッテがため息をつく。これはハンナさんにでも渡すかとニナの家に入ろうとした。

「はあ……っ、あ、リーゼさん……」

 自分が開けるより先に中から出てきたのは焦った様子のハンナの姿だ。

「あ、ハンナさん……えっと。私達、そろそろ行こうかと思います」

 最後に挨拶をと、笑みを向けるリーゼロッテに「そうですか。また寂しくなりますね」と眉を下げる。この人は最後までいい人だったなと、少し名残惜しくなった。

「……はい。あの、何かあったんですか?」

 出てきた様子に小首を傾げるとハンナは思い出したかのようにハッとした様子で「実は」と切り出した。

「ニナが昨日からずっと部屋に入ったきりで……それで今、様子を見に行ったんですが部屋に……いなかったんです。先程見送りで見かけませんでしたか?」
「……え?」

 声に緊張が生まれた。背筋に嫌な汗が伝う。どこにいったのかしら、なんて頬に手を当てて考えるハンナに、リーゼロッテは昨夜のことが過ぎった。

『だからお願いだよリーゼ……ねーねを助けて!!』

 必死にしがみつくニナの泣きじゃくる顔。姉の為なら何でもするあの行動力を思い出し、息を飲む。

「あのバカ……まさか……!」

 険しい顔つきでリーゼロッテがボソボソと呟く。まさかとは思いつつも、あの子ならやりかねないとほぼ確信的に思った。だが、自分達には全く関係ない。お守りをハンナに渡せばもう、この村に未練はないのだ。それでも―――

『ばか! リーゼのばか!!!!』

 ぐっ、と拳を握りしめ、奥歯を噛むのに力を入れた。ニナの家からフラフラと離れて歩く。唐突の行動に「あっ、おい!」とアレクが戸惑いながら追いかけた。その二人の背中をハンナは不思議そうに眺める。

「急にどうしたんだよ……」
「多分、ニナはルシールさんを連れ戻しにいった。あのバカならやりかねない」

 歩きながら答えるリーゼロッテに「はあ!? まじかよ」とアレクは眉を顰める。その険しい顔に無言になりながらついていき「連れ戻しにいくのか?」と恐る恐る問いかけた。

「昨夜ニナと喧嘩して不機嫌だったのに」
「……っ、別に。ハンナさんが困ってるから。それに約束もまだ、果たせてない」

 恐らくルシールから託されたお守りのことだろう。ハンナに渡してもらうという選択肢もあったはずなのに。やっぱり、なんだかんだと心配してんだなと、アレクは思い「素直じゃねえの」と頭の後ろで手を組んだ。







 グランゼルスの神殿は洞窟の中にある。ルシールは儀式を執り行う数名と共に洞窟の奥へと進んだ。しばらく歩いていくと神殿前に青白く光る池が見えてくる。そこで身を清めるように言われ、ルシールは促されるままゆっくりと池に身を沈めた。背中に視線を感じ、ちらりと盗み見る。長い帽子に、口まで覆う不思議な格好をしている人間数名と、村長の姿。じっと見られ、なんだか落ち着かない。
 確か、数年前から儀式は守り人の血を引く覆面の彼らに委託するようになったらしい。数年前? いや、もっと前だっただろうか。そもそも何故部外者である彼らに村長が頼んだのかもよく分からない。

「もう、上がっていい」

 色々気になることはあったが、背中から声が聞こえ、素直に池からあがる。布が肌に張り付いて寒くなり、肩を抱いて身震いした。くしゅん、とくしゃみが出る。

「あ、あの……何か拭くもの……」

 そんなものはないと覆面の一人にキッパリ言われ、ルシールは黙り込んだ。地面に立ち、覆面に取り囲まれながら神殿の中へと入る。 入り組んだ中をしばらく歩いていくと、奥に頑丈な扉が見えてきた。いよいよかと震えながらも覚悟を決める。扉が開かれれば、そこはこれまでとは雰囲気が違っていて、まるで屋外にいるかのような開放感があった。中央にある階段を上っていくと、ようやく祭壇が姿を現す。

「では、始めよう」

 覆面の一人が静かに口にした時だ。ドンッと背中に突進され、覆面が勢いよく倒れた。そこにいた赤髪の少女にルシールは目を見開く。

「ニナ!!!」
「ねーね!!!」

 なんでこんなところにと言う間もなく駆け寄られ、その小さな体に抱きしめられる。まさか自分を追ってきたのかと驚いていると、下から「ごめんなさい」と涙を流すニナの声が聞こえてきた。

「ニナ、やっぱりやだよ……叩かれたって……怒られたって……それでも、ねーねとずっと一緒にいだいよぉ……! いいねーねにならなくてもいい! 村のために、ニナのために死のうとしないで……! ニナとママを置いてかないで……!」

 その言葉にルシールは昨日のことを思い出す。あんなことをして、嫌われる覚悟までしたのに。視界がぼやけ、涙がこぼれ落ち、そのまま抱き締め返した。

「ごめん……ごめんね……! 私……っ」

 謝るべきは自分の方だ。本当は分かっていた。ニナのためになんて言って自分は、嘘をつき続けるのに疲れて、逃げようとしていたのだ。早く楽になるために。こんなことニナが望んでいるはずがないのに。
 ふと、視界に入った倒れた覆面に違和感があった。体全体を覆っていた服は中身が消え、真っ平らになって床に落ちている。そこからうねうねと一匹の蛇が這い出てきた。

「全く。余計なことをしなければ見逃してやったノニ……」

 しゅるる、と舌を鳴らせる様子にルシールはたじろいだ。まるでニナの存在に気がついていたかのような物言いだ。ニナを抱きしめたまま涙を拭い、囲っている覆面達を見回す。

「誰……貴方達……人じゃない」

 疑いの言葉に隠す気もなくしたのか「我々は、王の使い」と覆面達が揃って二人に一歩踏み出した。

「我々、求む。ツヨイ魔力……イノチ、アツメル。ニクキ、フォルティアナ、タオス」

 ふっ、と先程のように覆面の中身が消え、服がヒラヒラと地面に落ちた。しゅうしゅう言いながら蛇たちが神殿の隅々に解散していく。

「……どういうことですか。村長」

 こっそり扉から出ていこうとしていた村長にルシールが問いかける。すまない、掠れた声と共に扉が開き、振り向いた。

「どうしようも出来なかったんだ。このままでは村にも被害が及ぶと……仕方がなかったんだ」
「意味が、分かりません……」

 ルシールの背後に、光る二つの金目が浮かび上がる。ねーね後ろ、とニナが怯えたように服を引っ張り、ルシールが振り返った。舌をちろちろと出す縦に長い巨影。開いた大口から見える鋸のような尖歯にさあっ、と血の気が引いていく。


「グラン、ゼルス様……?」

 その呟きを皮切りに、巨影は勢いよくルシール達に襲いかかってきた。まずい、と素早く倒れるようにして避け、改めて見上げる。
 巨影の頭には王冠のような肉質の冠状突起があり、長い体よりも面積が広かった。一見すると蛇のような見た目だが、巨大な口下には長い顎髭を蓄え、背骨はゴツゴツした鱗が針のように飛び出している。その姿には翼がなく、竜とはまた別の種類のようだ。
 グランゼルスでないのならこの化け物は一体何なのだろう。大蛇はぐるぐると回るように二人を囲い、その隙に村長は扉の外に出ていってしまった。

「そんな……っ」

 自分ならともかくこのままではニナまでが巻き込まれてしまう。大口を開く大蛇にもうダメだと、ルシールはニナを抱きしめて目を瞑った。
 ひゅん。放たれる矢が祭壇に突き刺さると同時に爆破し、大蛇は煙が吹くような声を出して驚いた。その地震に何が起こったか分からず、ニナを抱きしめたまま周囲を見回す。

「ルシールさん!! ニナ!!」

 入口付近に見えた赤ずきんに目を見張る。その人物は弓の構えを解き、こちらに向かって声を上げた。

「おい。なんであの化け物に当てないんだよ」
「仕方ないでしょ! 思った場所に行かないの!」

 背後から小声で話しかけてくる黒狼にリーゼロッテは切迫した様子で返した。祭壇なら面積が広い分、まだ当てやすい。それに今回はこちらに気を逸らせるためだったので、近くに当たればいい方だった。

「リーゼさん!」
「リーゼ!! 大きなわんちゃんもいる~!」

 ほぼ同時に口を開き、姉妹の表情に光が宿る。が、その瞬間爆破に驚き、暴れた大蛇の尾によって、姉妹がバラバラに吹き飛ばされた。一瞬呼吸が止まったが地面に転がり、落ち着いたところで再開する。

「……っ! ニナ!!」

 少し離れた場所で倒れるニナの体に大蛇の尻尾が巻きつき、引き上げた。ぎゅうぎゅうと締め付けられ、ニナから小さな悲鳴が溢れる。

「おい! 今の矢! もう一回!」
「分かってる……!」

 構えてはみるがやはり距離感が掴めず、リーゼロッテは歯を食いしばる。先程のような威嚇作戦でも、逆鱗に触れて暴れられたらニナに危害が及ぶ為、下手に打ち込めなかった。

「う゛っ……!」
「ニナ!!!」

 どうしよう。どうすればいいと必死に考えるが、苦しむニナの姿にルシールは思考が停止した。結局私はまた、自分のせいで大切な人をなくしてしまうのだろうか。背中を逸らし、苦しそうにするニナにどくん、と体の底が熱くなる。それだけは絶対に嫌だった。



「ニナを……離して!!!」



 怒号が神殿内に響き渡った。ルシールを中心に真っ赤な炎が波のように広がる。熱風が足元から吹き荒れ、ぐるぐると天井に上っていった。それを見たアレクとリーゼロッテは「魔法……!?」と目を見開く。
 この世界の住人には誰しも「魔力」が備わっている。それを魔法として力に変換できるのは、極わずかな、センスのある人間達だけ。だが稀に、感情によって突然発現する時があるという。まさにルシールは今、ニナの危機に力が呼び起こされたようだ。
 大蛇は悶え苦しみ、ニナを空中に放り投げた。アレクが慌てて駆け、体で受け止める。

「おい! 大丈夫か?」
「ん……わんちゃんが話した!?」

 ふわふわの毛に顔を埋めながら、ニナは嬉しそうに「すごーい!」と呑気に感動した。そんな場合じゃないだろと呆れながらも、アレクはリーゼロッテの方へ戻る。それを見たルシールは、リーゼロッテたちの前に立ち、腕を振り払うようにして炎の境界を作った。

「私が足止めします。その間に外へ」
「でも……」

 ゆらゆらと揺れる赤髪に思わず足が止まる。先程発現したばかりでまだ力だって使いこなせていないはずだと、リーゼロッテは不安がった。そんな心境を読むかのように「大丈夫です」とルシールは片手を前に押し出す。波のような炎は大蛇を焼き、悶えさせた。

「凄い……」

 自分には使えない力だからこそ、リーゼロッテはその圧倒的な魔法の威力に感動した。これなら本当に行けるんじゃねえか!? と隣でアレクが興奮して同意を求める。
 今の私はあの時とは違う、今度はちゃんと守れると気が大きくなり、ルシールは強気に炎の攻撃を繰り出し続けた。

「ニナを頼みます!!」

 ルシールの声にアレクも賛成して「ここは任せようぜ!」とニナを乗せながら出入口に立った。炎の魔法を操る勇ましい姉の姿に「ねーね頑張れ!」と既に勝てた気になるニナの応援も混じる。確かに自分が戦うより、彼女の魔法の力の方があの大蛇を倒せる可能性があると、リーゼロッテは思った。
 けれど、その足は動かない。もう一つの不安があった為だ。あの王冠、どこかで―――しばらく考えているうちにとある一つの想定が思い浮かぶ。

「まさか……! 待って……!」

 ルシールが両手で炎を放った時だ。今まで攻撃をただ受けるだけだった大蛇は目の前の食糧を完全に敵と見なした。シュー、と息漏れのような低い声を出し、その金目で睨みつければ、大蛇の手前で炎はピタリと動きを止めた。灰色が侵食し完全に染まると、粉々に砕けて落ちていく。間違いない―――

「バジリスク……!!!」

 知ってるも何も、有名な蛇たちの王。闇から生まれた「魔族」の一種だ。もう一度炎を繰り出そうとするルシールに「ダメだ!!」と声を荒らげるが、放たれた炎は奴の睨みでどんどん石化していき、続けてルシールの手から体までを侵食していく。

「あっ……」

 動かなくなっていく体にルシールは己の死を感じた。首だけで何とか振り返り「逃げて」と顔面半分が石化した状態で涙目になって訴える。それを見たリーゼロッテは咄嗟に踵を返し、驚き戸惑っているアレクの背中を押した。

「走って!! アレク!」

 石になるルシールにニナは思わず飛び出そうとしたがアレクに乗り込む際にリーゼロッテが無理やり押し出し、抱き抱えた。ニナは涙目になって姉の最後の姿を目に映す。それはやがてバジリスクの巨体によって潰され、粉々に砕け散った。
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