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第一部 一章 舞踏会編
09 それぞれの正義
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そう決断してからは早かった。シアンの言葉に意志を固めたツグナは、自棄になりながらも振りかざされるアンデッド達の攻撃を避ける。自分の動きが速いせいか、その攻撃が異様に遅く感じ、避けるのは容易かった。
「ふっ……!」
使う攻撃手段は足をかけたり、体を押し込むだけの、とても攻撃とは言えないものだ。というよりは、戦い方をまるで分かっていないようなのである。が、足止めには十分だった。二人を中心に集まったかと思いきや、一斉にアンデッド達がその場に崩れ落ちる。一部は弾き出され、吹き飛ばされていった。
「……はっ」
目の前で見ていた筈のラヴァル卿は何が起こったのか分からず、言葉も出ないのに口を開けた。何が、今私の目の前で何が起こっているのかと、何度も瞬きを繰り返す。そしてそれを理解した瞬間、徐々に青ざめていった。妖美に赤い瞳を光らせて舞うその少年は、まるで―――
「ば、バケモノだ……!!」
目の前で繰り広げられる光景に、ラヴァル卿はその場で腰を抜かした。情けなくも膝をつき、奥の扉へ逃げようとする。
彼女達がいることで勝算には絶対的な自信があった。そうやって今まで完璧にやり過ごしていたのに、まさか彼女達でも止められないなんて勝てるはずがない。こいつらのせいで全て台無しだ。とにかく今のうちに避難しなければと、ラヴァル卿は地を這った。
カチャリ。喧騒の中、銃の撃鉄を起こす音が鮮明に、ハッキリと聞こえてくる。それが誰なのかは振り返らなくても、容易に想像できた。
「……っ!」
振り返ると同時に銀に光るナイフをシアンの目の前に投げつける。しかし、想定していたのかナイフはシアンの顔に突き刺さるギリギリの所で避けられてしまい、正面の石壁にぶつかると虚しい音をたてて落ちた。
「―――情けない。悪足掻きは美しくないんじゃないんですか? ねえ、伯爵?」
先程飛ばしたナイフが最後の抵抗だったのか、ラヴァル卿は「ひぃ!」と情けなく小さな悲鳴をあげる。腰を抜かしたまま、反転するように座り込むと「来るな!」と声を張り上げた。その姿は無様なもので、さっきまでの自信は何処へ行ったのやらとシアンは馬鹿にしたように嘲笑った。
「さて、多くの女性の誘拐及び殺人。それに加えて黒魔術ときたら―――これはもう、二度と空は拝めそうにありませんね、伯爵」
ラヴァル卿と同じ目線になるよう踵に座り、更に追い詰める。
「先程の貴方の演説、聞かせていただきましたよ。愛を口実に殺人を繰り返していたとは、救いようがありませんね。愛する人から離れられたくない。随分と必死だ。満たされることがない虚しい自分を、認めたくないばかりに、人から理解されない事を逃げ道にするとは……滑稽です」
薄く目を開けて、からからと笑ってみせる。たまに見せるシアンの悪い顔だ。しかし、ラヴァル卿はまだ引く気がないのか、諦め悪く睨み返した。
「ふっ! 私を捕まえるか……だがしかし、私が生きてる限り彼女達は永遠に動き続ける。私が牢に入ったところで彼女達が探し出し、いずれまた再び同じ事を繰り返えすまでだ。彼女たちにとって私は唯一無二の存在……決して離れることなどない、相思相愛なのだからな! だからと言って貴様が私をこの場で殺せば、それこそ貴様も私と同じ人殺しだという事だ。ここまで追い込んだのに残念だったなあ! シアン・ブラッディ! 貴様は私に勝てないんだよ!」
誰が聞いても負け惜しみにしかならないような言葉だ。本当にプライドだけが一丁前に高くて、救いようがない男である。落胆させた肩でシアンは「そうか……」と呟くとそのままラヴァル卿の額に銃口を突きつけた。
「私が生きている限り、か。なら安心しました。つまり貴方をこの場で殺せば、彼女達はただの死体に戻るわけですね」
先程のラヴァル卿の脅しに怯むことなく、シアンは不敵な笑みを浮かべる。その笑みはこれからする行いに対し、なんの恐怖も抱かないような目だった。見つめられるだけで背筋から血の気が引いていくのを感じる。
「俺が人を殺そうが罪を犯そうが、今に始まったことじゃない。何よりもこれは、俺の仕事を全うしたまでの話だ。伯爵だって今まで数え切れない程やってきただろう? 邪魔者の始末をさ……まあ、そんなに絶望しないでください。先に逝った彼女達に負い目を感じる必要はない。何故って、そりゃあ―――貴方が落ちるのは地獄だからだ」
ラヴァル卿から体を離し、見下しながら銃のトリガーを引く。瞬時にラヴァル卿は、脳裏にライ麦のような金髪を靡かせ、自分に笑いかけてくる女性を思い浮かべた。
『アルフォンス様』
ずっと、憎かった。彼女を奪ったあの男も、自分を選んでくれなかった彼女も。そしてあの二人の子も。その金髪が、その青い瞳が、ずっと大嫌いだった。
『それでこそラヴァル家の人間だ』
救国の英雄となったラヴァル家に生まれたことを自分は不運だと思っていた。どんなに努力を積み重ねても、ラヴァル家の者だから当然だと評価されるばかり。両親も、金にうるさい貴族の女どもさえ、自分を「ラヴァル家の子息」としてしか見ようとはしなかった。その中で、唯一名前を呼んでくれた人。君だけが一人の人間として自分を見てくれた―――我が最愛の人、アリシアよ。
(私はまた……ブラッディ家の男に負けるのか)
シアンの背後に浮かぶ黒髪碧眼男を見て、ラヴァル卿の頬に涙が伝った。
「はあっ……はあ……」
一方、ツグナは違和感に思うことがあった。大抵は再度起き上がって向かってくるが、離れたところに転がったアンデッド達の中には動こうとしない者が何人かいた。この差は一体何なのだろう。彼らの動きを止める何かがあるのだろうか。
「なんで……?」
単純な脳みそながら不思議に思っていると、拳銃をラヴァル卿に向けているシアンの姿が目に入った。その雰囲気に嫌な予感がする。
「っ! シアン!!」
ドォン!
冷たい銃声がして、本能的に身を縮こませる。薬莢の落ちる音が聞こえると同時に、火薬と鉄の匂いが混ざって鼻を掠めた。ツグナの声も届かず、目の前で額を貫かれたラヴァル卿は、なにやら口を動かして倒れていく。鈍い音が、静かな室内に吸い込まれていった。ツグナを囲っていたアンデッド達は、まるで操り糸が切れたかのようにパタリ、パタリと倒れていく。
「あっけないな……まあ、いい。後に此処は憲兵が調べるだろう。此処に居たら後々面倒だ。その前に引き上げるぞ」
次々と地面に倒れていくアンデッド達の中で、シアンは冷徹に、気にする様子もなく呟いた。言葉が終わる頃には、アンデッド達全員が地面に倒れてピクリとも動かなくなる。
「……な…………た」
死体の中で動かなくなっていたツグナは俯き、目を見開きながら呟く。所々小さ過ぎて、何を言っているかよく分からない。不思議に思い、シアンはその場で首を傾げた。
「なんだ? 言いたいことがあるなら」
「なんで、その人を殺したんだ……! ラヴァル卿は捕まえて憲兵に引き渡すって……お前……!」
シアンの言葉を遮って、ツグナは膨らんだものを破裂させたかのように声を張りあげる。その握り締めた拳は堅く、ギリギリと小刻みに震えていた。怒ってるのか? と表情を変えずにシアンがツグナを見つめる。
「話を聞いていなかったのかもしれないが、あいつが生きている以上、その死体達は永遠に動き続ける。だから……」
「そんなことをしなくたってこいつらは動きを止めていた!殺す必要なんてなかったのに!」
「……それは分からないだろ? 本人が言っていたんだ。私が生きている限り永遠に動き続けるとね……事実、ラヴァル卿が死んでから彼女達は倒れていったじゃないか」
「そ、それは……でも……!」
確かに倒れる数が多かったのはラヴァル卿が死んだ後かもしれない。それでもその前から動かなくなった者達は少数いた。つまり倒れる原因はラヴァル卿の死ではないはずなのだ。シアンを何とか説得しようとするが「もう終わった事だ」と冷徹に切り捨てられる。
「確証を得るためにも、この場で殺すのが一番手っ取り早い。また同じ事を繰り返されるのは御免だからな」
その言葉に、説得しようと開いていたツグナの口が固まった。手っ取り早い? とオウム返しする。
「そんな簡単な理由でお前は人を殺したのか?」
声は、酷く震えて掠れた。シアンはツグナの様子に違和感を抱き「おい、様子がおかしいぞ?」と歩み寄ろうとする。その瞬間に、ツグナはとある光景を思い出した。思い出したくもない、実験施設での事を──────
◆
浅い眠りから覚めるとそこは解剖台の上だった。口には猿轡をさせられ、手足は台に括りつけられている。怖気た瞳を揺らがせて台の上で暴れていると、首筋の血管に注射を刺された。
『っ、んんん! うぐ』
途端に全身は緊張したように強張り、痺れた感覚がつきまとって動けなくなる。この状態にしてしまえば、どんな囚人も抵抗することができない。何年もここで過ごすうちに思い知らされた事実だ。
『R-207号に鎮静薬を投入しました』
『始めろ』
冷徹に言い放った研究員の手には両手からはみ出るほどの大きな鉈が握られていた。これから自分の身に何が起こるかを、ツグナは青ざめた表情で理解する。猿轡を噛ませられた口端からはダラダラと唾液を流し「んー! んん!」と言葉にできない悲痛な叫びをあげた。
その鉈を宙へ振り上げると、研究員は固定されたツグナの太腿に真っ直ぐと振り下ろした。涙を流し、ツグナはその光景を強制的に目の当たりにする。麻酔をかけられているわけではないので、失神寸前のその痛みに背中をくの字に逸らし、ガクガクと全身を痙攣させた。股の間からはアンモニアを含んだ体液を垂れ流し、猿轡の間からは強烈な酸性の黄ばんだ胃液が溢れ出す。
窒息を避けるために研究員が慌てて猿轡を取ると、待っていたかのように胃液を吐き出した。その口からはもはや悲鳴なんて出てきやしない。虚ろな瞳からは涙が溢れ、半開きの口からはヒュウヒュウと息が漏れ出している。右足の太腿から下が完全に切り落とされ、真っ赤な鮮血が解剖台を彩っていた。
痛みと自分に起こった悲劇的な現実にツグナは意識を飛ばそうとしたが、それをさせないと言わんばかりに研究員に乱れた長髪を鷲掴まれる。
『おっと。気絶させるなよ。脳が活発になっている際のデータを取らなくてはならないからな』
『血液を採取。切断面に包帯を巻きました』
冷酷に、淡々と研究員が言った。同じ人間の筈なのに、その瞳には自分が人間であると映っていないのだ。家畜だとでも思っているのだろう。
『よし、明日また再監査を行う。次、持ってこい』
もう用済みだと手を払うと、ツグナは物を運ばれるように研究員に抱えられた。ふと、ぼやけた視界の先で同じように手足を切断された少女を目にする。
『あー、駄目だな。なあ、こいつどうする』
『殺しておけ。その方が手っ取り早いだろ』
『そうだな』
研究員の一人が答えると、先ほどの鉈を動けなくなった少女に振り下ろした。ツグナはそれを最後に気を失う。
目の前で沢山の人達が殺されていくのを目の当たりにし、ツグナは人間の卑劣さと残酷さを知った。冷たい風が通る牢の中で、いつか自分が殺されるのではないかという恐怖に支配されながら、早くこの生活から解放されたいと何度も願っていた。けれどそれは、今のツグナを形作る一つのキッカケだったのかもしれない。
実験施設から逃亡して以来、自分の体は兵器としての力を覚醒してしまったようなのである。それは神が与えた奴らへの復讐の為のようにも思えた。
でも、そんな事をしてしまったら、それでこそ本当の「兵器」と成り果ててしまう。散々目にしてきた人の死を自ら与える勇気など、ツグナには持ち合わせていなかった。なにより、自分が人間じゃないと認めてしまうようで怖かったのだ。
人間の命なんて誰かの手によってすぐに奪われてしまうほど脆く、儚いものだということを知ったからこそ、自分以外の誰かにそんな思いをさせたくない。他人を傷つけることもしたくないし、自分も傷つきたくないから。
だから、傷つける前に人から距離を置こうとした。けれど、その必要はないと言ってくれた人間が現れたのだ。今、自分の目の前に立っている男、シアン・ブラッディである。
『他者を守ろうとする行為は兵器にはできない。情がないからな。だから、君が他者を守ろうとする限り、君は人でいられるんだ』
シアンの言っていた生きる意味はまだよく分からない。けれど、死んでしまった人達の分も生きることが、あの場で一人生き残ってしまった自分に唯一出来る事だとツグナは思った。兵器としてではなく、人を守る為の存在として。それが今の自分の確かな支えとなっている。
人間は嫌いだ。だけど、命の尊さを知らない奴はもっと嫌いだ。だからこの力は誰かを傷つけるんじゃない。誰かを守る為に使うと、ツグナは決意していた。
「なんでだよ……! なんで、お前らはそんな簡単に命を見られるんだ……確かにそいつは沢山の人達の命を奪ってきた! けど、だからと言って、お前にそいつの命を奪う権利はないはずだ! お前さっき言ってただろ! 死んだ者は二度と生き返らないって!」
ツグナの怒号を聞いて、シアンはその場で動きを止めた。驚きと戸惑いが混じった顔。あれだけ、肯定ばかりで従順だったツグナが、分かりやすくハッキリと、自分の意見を言ったのだ。舞踏会前とは明らかに違っている。先程からの違和感はこれだ。
ツグナの言葉に少しずつ腹をたてながらも、シアンは感情が乱れないように平然を装った。
「ああ、確かに言ったな。だったら尚更、これ以上犠牲者を増やさないために奴を止める最善策を考えなくてはならないだろう。それに、相手は妙な妖術を使う。下手したらこっちの命も危険だった。これは不可抗力だろう?」
「それで殺したら、お前もあいつと同じ人殺しだ!」
その言葉に指先が微かに揺れる。ああ、面倒だ。一から説明している程暇じゃないんだがと奥歯をかみ締めた。
「不可抗力だと言っているだろう。君は聖人かなにかなのか? 命の危機に身を守らず、黙って殺されろと?」
「そんなことを言ってるわけじゃない! もっと他に方法があったはずだって……!」
「はあ~……分からないやつだな。あっちは俺たちを殺すつもりだったんだぞ? 君だって殺されそうになっていたじゃないか……そもそも、これはあくまで俺の仕事だ。俺の仕事の方針にとやかく言われる筋合いはない。善悪の間違い探しなんて幼稚な考えが通じるのは、社会に出る前の子供だけだ。幼稚って意味が分かるか? 子供じみてる、未熟な考えってことだ。大人の世界では通じやしないんだよ」
理解されずに会話が反復し、腹立たしくなりながら、ツグナを丸め込む言葉を返した。
世の中には優しさを賞賛する言葉がある。それらは全て自分に都合のいい人間のことを指す皮肉みたいなものだ。人を助けるだのなんだのほざいている輩はただそれらの言葉に陶酔し、自ら掲げる事で快楽を得ている偽善者に過ぎない。
けれど、そんな甘えた考えがこの世界で通じないことをシアンは知っていた。どう足掻いても、結局力を持っているものだけがこの世界を生き残る。弱者は否定され、やがて死ぬ。それは今までこの世で生きて得たシアンの持論だった。
生きていくには、何かを守るには、時には捨てなくてはいけないものだってある。人に優しさを与えて隙を見せてはいけない。弱みに付け込まれてはいけない。自分の正義をねじ曲げようとも、きっとこれが正しい答えなのだと、シアンはそう確信し、生きてきた。それなら、とツグナが口を開く。
「死で解決できると思っているお前の方が幼稚だろう?」
「……なんだと?」
その言葉に冷静でいたシアンは口端を引き攣らせた。
「勘違いしているのはお前の方だ。人の命は人の命で償える代物じゃない。何かを守るために人の命を奪ったって、守られているそいつらが悲しむだけだ! お前の両親は少なくとも、お前にそんな事を望んじゃいない!」
その訴えにシアンの顔色が明らかに変わった。青ざめたような、驚愕して目を見開いている。動揺が、シアンの瞳の奥にあった。
「お前は何演じているんだよ! 自分の本心を隠すほど、何がそんなに怖いんだよ!」
「……何を言っているか、理解できないな」
ツグナをしかと見つめたままシアンは答える。その声はどこか弱々しく、腕は脱力しきっていた。確かに、舞踏会に行く前「受動的すぎる」と話はした。自分がしたいという気持ちを表に出すことが足りていないと。けれどもこんなに生意気になるのは、自分の求めていた理想じゃない。
この時、シアンは核心のようなものを突かれて焦燥感に心が掻き乱されていた。動揺を悟られないように依然視線は外さないでいるが、その指先は心を映して細かく動いている。両親がいないことは、この少年が邸に来た時に伝えなくてはならなかった。しかし、守るなどなんだの、伝えてはいない事まで知っているかのような口ぶりだ。何を知っている? こいつはどこまで知っている? そんな不安ばかりが脳内を駆け巡った。
「お前はさっき僕を臆病者だとか言ったけど、お前だってただ自分を偽って逃げているだけの臆病者だろ! 自分の本心さえ見て見ぬ振りする事が大人だって言うなら、僕は一生子供のままでいい! 悔しかったらちゃんと本心で僕と向き合えよ! 本当のお前はちゃんと自分の気持ちを表に出せているのか!?」
先程のシアンの言葉を引用してツグナは挑発的に声を張り上げる。こんな事を自信満々に言えるのはアデラさんの話を聞いたからだ。本当は秘密にするって約束だったけれど、これ以上黙って見ているのは自分が許せなかった。
そんな清々しいほど真っ直ぐな瞳で訴えてくるツグナの言葉に、シアンは更に混乱していた。自分の本心とは? 自分が臆病者だとは? こいつに何が分かるというのだろう。まだ出会って三ヶ月ほどしか経っていない少年につかれた言葉は、シアンの心を恐怖に震わせた。
『明日からよろしく頼むよ、ブラッディ君』
酷い頭痛に襲われ、脳内にはとある記憶が過ぎった。皮肉に釣り上げた口角と嗄れた声の記憶に憎悪が体内を蝕み、シアンの顔を歪めさせる。ああ、最悪だ。嫌な事を思い出した。 感情が乱れないようにと平然を保っていたその表情が崩れた瞬間である。
「くだらない。今後こんな事で張り合っていたら面倒だ。これを機に、上下関係をハッキリとさせるのも悪くないかもな。もし俺のやり方が気に食わないなら、その力で証明しろ。生憎、自分より下の人間の話を聞くほど暇じゃないんでね」
先程化け物相手に戦うとなった時、ツグナが渋っていたことを思い出す。それなら自分に本気は出せまい。ここで痛めつけて、恐怖心を植え付けてやろうとシアンは思ったのだ。
「……力の証明って、お前と戦えってことか?」
「ああ、そうだ。それとも、臆病者は臆病者に勝てる自信がないのかな?」
シアンの扇情的な言葉にツグナは黙り込んだ。シアンのことを傷つけたくはない。それでも今はやるしかないようだ。「……分かった。やってやる」と向き合う。
挑発したのが自分とはいえ、まさかこんな事になるとは。そんな後悔もツグナの心の隅にはあったかもしれない。しかし、それでしか話を聞いてくれないとなると、避けて通る気にはなれなかった。
確かにラヴァル卿は大量に女性を殺していた殺人鬼だ。けれど、そんな奴でも誰かが簡単に奪っていい命なんかじゃない。自分にも、シアンにも。
けれど、こいつがそれを正しいと言い張るなら、こいつに間違いだと言うことを分からせないといけない。今この場で。これが今の、自分のやるべき事なんだ。何故だかはもうハッキリとしている。こいつを止めなければきっと、また同じことが繰り返されるからだ。
「まあ、君なら簡単だろう。君の力なら、俺を殺せる」
「……っ!」
戦う前から力が抜けるようなことを言ってくる。自分がどんな人間か分かっているのだろう。決意を固めた拳が震えた。
「どうした? 青ざめているが。もう降参するか?」
「っ……や、やる」
怖気づきながらもツグナは動きやすいように膝下までドレスを破り捨てる。二人は互いを見つめ合い、一切目を逸らそうとしなかった。
「ふっ……!」
使う攻撃手段は足をかけたり、体を押し込むだけの、とても攻撃とは言えないものだ。というよりは、戦い方をまるで分かっていないようなのである。が、足止めには十分だった。二人を中心に集まったかと思いきや、一斉にアンデッド達がその場に崩れ落ちる。一部は弾き出され、吹き飛ばされていった。
「……はっ」
目の前で見ていた筈のラヴァル卿は何が起こったのか分からず、言葉も出ないのに口を開けた。何が、今私の目の前で何が起こっているのかと、何度も瞬きを繰り返す。そしてそれを理解した瞬間、徐々に青ざめていった。妖美に赤い瞳を光らせて舞うその少年は、まるで―――
「ば、バケモノだ……!!」
目の前で繰り広げられる光景に、ラヴァル卿はその場で腰を抜かした。情けなくも膝をつき、奥の扉へ逃げようとする。
彼女達がいることで勝算には絶対的な自信があった。そうやって今まで完璧にやり過ごしていたのに、まさか彼女達でも止められないなんて勝てるはずがない。こいつらのせいで全て台無しだ。とにかく今のうちに避難しなければと、ラヴァル卿は地を這った。
カチャリ。喧騒の中、銃の撃鉄を起こす音が鮮明に、ハッキリと聞こえてくる。それが誰なのかは振り返らなくても、容易に想像できた。
「……っ!」
振り返ると同時に銀に光るナイフをシアンの目の前に投げつける。しかし、想定していたのかナイフはシアンの顔に突き刺さるギリギリの所で避けられてしまい、正面の石壁にぶつかると虚しい音をたてて落ちた。
「―――情けない。悪足掻きは美しくないんじゃないんですか? ねえ、伯爵?」
先程飛ばしたナイフが最後の抵抗だったのか、ラヴァル卿は「ひぃ!」と情けなく小さな悲鳴をあげる。腰を抜かしたまま、反転するように座り込むと「来るな!」と声を張り上げた。その姿は無様なもので、さっきまでの自信は何処へ行ったのやらとシアンは馬鹿にしたように嘲笑った。
「さて、多くの女性の誘拐及び殺人。それに加えて黒魔術ときたら―――これはもう、二度と空は拝めそうにありませんね、伯爵」
ラヴァル卿と同じ目線になるよう踵に座り、更に追い詰める。
「先程の貴方の演説、聞かせていただきましたよ。愛を口実に殺人を繰り返していたとは、救いようがありませんね。愛する人から離れられたくない。随分と必死だ。満たされることがない虚しい自分を、認めたくないばかりに、人から理解されない事を逃げ道にするとは……滑稽です」
薄く目を開けて、からからと笑ってみせる。たまに見せるシアンの悪い顔だ。しかし、ラヴァル卿はまだ引く気がないのか、諦め悪く睨み返した。
「ふっ! 私を捕まえるか……だがしかし、私が生きてる限り彼女達は永遠に動き続ける。私が牢に入ったところで彼女達が探し出し、いずれまた再び同じ事を繰り返えすまでだ。彼女たちにとって私は唯一無二の存在……決して離れることなどない、相思相愛なのだからな! だからと言って貴様が私をこの場で殺せば、それこそ貴様も私と同じ人殺しだという事だ。ここまで追い込んだのに残念だったなあ! シアン・ブラッディ! 貴様は私に勝てないんだよ!」
誰が聞いても負け惜しみにしかならないような言葉だ。本当にプライドだけが一丁前に高くて、救いようがない男である。落胆させた肩でシアンは「そうか……」と呟くとそのままラヴァル卿の額に銃口を突きつけた。
「私が生きている限り、か。なら安心しました。つまり貴方をこの場で殺せば、彼女達はただの死体に戻るわけですね」
先程のラヴァル卿の脅しに怯むことなく、シアンは不敵な笑みを浮かべる。その笑みはこれからする行いに対し、なんの恐怖も抱かないような目だった。見つめられるだけで背筋から血の気が引いていくのを感じる。
「俺が人を殺そうが罪を犯そうが、今に始まったことじゃない。何よりもこれは、俺の仕事を全うしたまでの話だ。伯爵だって今まで数え切れない程やってきただろう? 邪魔者の始末をさ……まあ、そんなに絶望しないでください。先に逝った彼女達に負い目を感じる必要はない。何故って、そりゃあ―――貴方が落ちるのは地獄だからだ」
ラヴァル卿から体を離し、見下しながら銃のトリガーを引く。瞬時にラヴァル卿は、脳裏にライ麦のような金髪を靡かせ、自分に笑いかけてくる女性を思い浮かべた。
『アルフォンス様』
ずっと、憎かった。彼女を奪ったあの男も、自分を選んでくれなかった彼女も。そしてあの二人の子も。その金髪が、その青い瞳が、ずっと大嫌いだった。
『それでこそラヴァル家の人間だ』
救国の英雄となったラヴァル家に生まれたことを自分は不運だと思っていた。どんなに努力を積み重ねても、ラヴァル家の者だから当然だと評価されるばかり。両親も、金にうるさい貴族の女どもさえ、自分を「ラヴァル家の子息」としてしか見ようとはしなかった。その中で、唯一名前を呼んでくれた人。君だけが一人の人間として自分を見てくれた―――我が最愛の人、アリシアよ。
(私はまた……ブラッディ家の男に負けるのか)
シアンの背後に浮かぶ黒髪碧眼男を見て、ラヴァル卿の頬に涙が伝った。
「はあっ……はあ……」
一方、ツグナは違和感に思うことがあった。大抵は再度起き上がって向かってくるが、離れたところに転がったアンデッド達の中には動こうとしない者が何人かいた。この差は一体何なのだろう。彼らの動きを止める何かがあるのだろうか。
「なんで……?」
単純な脳みそながら不思議に思っていると、拳銃をラヴァル卿に向けているシアンの姿が目に入った。その雰囲気に嫌な予感がする。
「っ! シアン!!」
ドォン!
冷たい銃声がして、本能的に身を縮こませる。薬莢の落ちる音が聞こえると同時に、火薬と鉄の匂いが混ざって鼻を掠めた。ツグナの声も届かず、目の前で額を貫かれたラヴァル卿は、なにやら口を動かして倒れていく。鈍い音が、静かな室内に吸い込まれていった。ツグナを囲っていたアンデッド達は、まるで操り糸が切れたかのようにパタリ、パタリと倒れていく。
「あっけないな……まあ、いい。後に此処は憲兵が調べるだろう。此処に居たら後々面倒だ。その前に引き上げるぞ」
次々と地面に倒れていくアンデッド達の中で、シアンは冷徹に、気にする様子もなく呟いた。言葉が終わる頃には、アンデッド達全員が地面に倒れてピクリとも動かなくなる。
「……な…………た」
死体の中で動かなくなっていたツグナは俯き、目を見開きながら呟く。所々小さ過ぎて、何を言っているかよく分からない。不思議に思い、シアンはその場で首を傾げた。
「なんだ? 言いたいことがあるなら」
「なんで、その人を殺したんだ……! ラヴァル卿は捕まえて憲兵に引き渡すって……お前……!」
シアンの言葉を遮って、ツグナは膨らんだものを破裂させたかのように声を張りあげる。その握り締めた拳は堅く、ギリギリと小刻みに震えていた。怒ってるのか? と表情を変えずにシアンがツグナを見つめる。
「話を聞いていなかったのかもしれないが、あいつが生きている以上、その死体達は永遠に動き続ける。だから……」
「そんなことをしなくたってこいつらは動きを止めていた!殺す必要なんてなかったのに!」
「……それは分からないだろ? 本人が言っていたんだ。私が生きている限り永遠に動き続けるとね……事実、ラヴァル卿が死んでから彼女達は倒れていったじゃないか」
「そ、それは……でも……!」
確かに倒れる数が多かったのはラヴァル卿が死んだ後かもしれない。それでもその前から動かなくなった者達は少数いた。つまり倒れる原因はラヴァル卿の死ではないはずなのだ。シアンを何とか説得しようとするが「もう終わった事だ」と冷徹に切り捨てられる。
「確証を得るためにも、この場で殺すのが一番手っ取り早い。また同じ事を繰り返されるのは御免だからな」
その言葉に、説得しようと開いていたツグナの口が固まった。手っ取り早い? とオウム返しする。
「そんな簡単な理由でお前は人を殺したのか?」
声は、酷く震えて掠れた。シアンはツグナの様子に違和感を抱き「おい、様子がおかしいぞ?」と歩み寄ろうとする。その瞬間に、ツグナはとある光景を思い出した。思い出したくもない、実験施設での事を──────
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浅い眠りから覚めるとそこは解剖台の上だった。口には猿轡をさせられ、手足は台に括りつけられている。怖気た瞳を揺らがせて台の上で暴れていると、首筋の血管に注射を刺された。
『っ、んんん! うぐ』
途端に全身は緊張したように強張り、痺れた感覚がつきまとって動けなくなる。この状態にしてしまえば、どんな囚人も抵抗することができない。何年もここで過ごすうちに思い知らされた事実だ。
『R-207号に鎮静薬を投入しました』
『始めろ』
冷徹に言い放った研究員の手には両手からはみ出るほどの大きな鉈が握られていた。これから自分の身に何が起こるかを、ツグナは青ざめた表情で理解する。猿轡を噛ませられた口端からはダラダラと唾液を流し「んー! んん!」と言葉にできない悲痛な叫びをあげた。
その鉈を宙へ振り上げると、研究員は固定されたツグナの太腿に真っ直ぐと振り下ろした。涙を流し、ツグナはその光景を強制的に目の当たりにする。麻酔をかけられているわけではないので、失神寸前のその痛みに背中をくの字に逸らし、ガクガクと全身を痙攣させた。股の間からはアンモニアを含んだ体液を垂れ流し、猿轡の間からは強烈な酸性の黄ばんだ胃液が溢れ出す。
窒息を避けるために研究員が慌てて猿轡を取ると、待っていたかのように胃液を吐き出した。その口からはもはや悲鳴なんて出てきやしない。虚ろな瞳からは涙が溢れ、半開きの口からはヒュウヒュウと息が漏れ出している。右足の太腿から下が完全に切り落とされ、真っ赤な鮮血が解剖台を彩っていた。
痛みと自分に起こった悲劇的な現実にツグナは意識を飛ばそうとしたが、それをさせないと言わんばかりに研究員に乱れた長髪を鷲掴まれる。
『おっと。気絶させるなよ。脳が活発になっている際のデータを取らなくてはならないからな』
『血液を採取。切断面に包帯を巻きました』
冷酷に、淡々と研究員が言った。同じ人間の筈なのに、その瞳には自分が人間であると映っていないのだ。家畜だとでも思っているのだろう。
『よし、明日また再監査を行う。次、持ってこい』
もう用済みだと手を払うと、ツグナは物を運ばれるように研究員に抱えられた。ふと、ぼやけた視界の先で同じように手足を切断された少女を目にする。
『あー、駄目だな。なあ、こいつどうする』
『殺しておけ。その方が手っ取り早いだろ』
『そうだな』
研究員の一人が答えると、先ほどの鉈を動けなくなった少女に振り下ろした。ツグナはそれを最後に気を失う。
目の前で沢山の人達が殺されていくのを目の当たりにし、ツグナは人間の卑劣さと残酷さを知った。冷たい風が通る牢の中で、いつか自分が殺されるのではないかという恐怖に支配されながら、早くこの生活から解放されたいと何度も願っていた。けれどそれは、今のツグナを形作る一つのキッカケだったのかもしれない。
実験施設から逃亡して以来、自分の体は兵器としての力を覚醒してしまったようなのである。それは神が与えた奴らへの復讐の為のようにも思えた。
でも、そんな事をしてしまったら、それでこそ本当の「兵器」と成り果ててしまう。散々目にしてきた人の死を自ら与える勇気など、ツグナには持ち合わせていなかった。なにより、自分が人間じゃないと認めてしまうようで怖かったのだ。
人間の命なんて誰かの手によってすぐに奪われてしまうほど脆く、儚いものだということを知ったからこそ、自分以外の誰かにそんな思いをさせたくない。他人を傷つけることもしたくないし、自分も傷つきたくないから。
だから、傷つける前に人から距離を置こうとした。けれど、その必要はないと言ってくれた人間が現れたのだ。今、自分の目の前に立っている男、シアン・ブラッディである。
『他者を守ろうとする行為は兵器にはできない。情がないからな。だから、君が他者を守ろうとする限り、君は人でいられるんだ』
シアンの言っていた生きる意味はまだよく分からない。けれど、死んでしまった人達の分も生きることが、あの場で一人生き残ってしまった自分に唯一出来る事だとツグナは思った。兵器としてではなく、人を守る為の存在として。それが今の自分の確かな支えとなっている。
人間は嫌いだ。だけど、命の尊さを知らない奴はもっと嫌いだ。だからこの力は誰かを傷つけるんじゃない。誰かを守る為に使うと、ツグナは決意していた。
「なんでだよ……! なんで、お前らはそんな簡単に命を見られるんだ……確かにそいつは沢山の人達の命を奪ってきた! けど、だからと言って、お前にそいつの命を奪う権利はないはずだ! お前さっき言ってただろ! 死んだ者は二度と生き返らないって!」
ツグナの怒号を聞いて、シアンはその場で動きを止めた。驚きと戸惑いが混じった顔。あれだけ、肯定ばかりで従順だったツグナが、分かりやすくハッキリと、自分の意見を言ったのだ。舞踏会前とは明らかに違っている。先程からの違和感はこれだ。
ツグナの言葉に少しずつ腹をたてながらも、シアンは感情が乱れないように平然を装った。
「ああ、確かに言ったな。だったら尚更、これ以上犠牲者を増やさないために奴を止める最善策を考えなくてはならないだろう。それに、相手は妙な妖術を使う。下手したらこっちの命も危険だった。これは不可抗力だろう?」
「それで殺したら、お前もあいつと同じ人殺しだ!」
その言葉に指先が微かに揺れる。ああ、面倒だ。一から説明している程暇じゃないんだがと奥歯をかみ締めた。
「不可抗力だと言っているだろう。君は聖人かなにかなのか? 命の危機に身を守らず、黙って殺されろと?」
「そんなことを言ってるわけじゃない! もっと他に方法があったはずだって……!」
「はあ~……分からないやつだな。あっちは俺たちを殺すつもりだったんだぞ? 君だって殺されそうになっていたじゃないか……そもそも、これはあくまで俺の仕事だ。俺の仕事の方針にとやかく言われる筋合いはない。善悪の間違い探しなんて幼稚な考えが通じるのは、社会に出る前の子供だけだ。幼稚って意味が分かるか? 子供じみてる、未熟な考えってことだ。大人の世界では通じやしないんだよ」
理解されずに会話が反復し、腹立たしくなりながら、ツグナを丸め込む言葉を返した。
世の中には優しさを賞賛する言葉がある。それらは全て自分に都合のいい人間のことを指す皮肉みたいなものだ。人を助けるだのなんだのほざいている輩はただそれらの言葉に陶酔し、自ら掲げる事で快楽を得ている偽善者に過ぎない。
けれど、そんな甘えた考えがこの世界で通じないことをシアンは知っていた。どう足掻いても、結局力を持っているものだけがこの世界を生き残る。弱者は否定され、やがて死ぬ。それは今までこの世で生きて得たシアンの持論だった。
生きていくには、何かを守るには、時には捨てなくてはいけないものだってある。人に優しさを与えて隙を見せてはいけない。弱みに付け込まれてはいけない。自分の正義をねじ曲げようとも、きっとこれが正しい答えなのだと、シアンはそう確信し、生きてきた。それなら、とツグナが口を開く。
「死で解決できると思っているお前の方が幼稚だろう?」
「……なんだと?」
その言葉に冷静でいたシアンは口端を引き攣らせた。
「勘違いしているのはお前の方だ。人の命は人の命で償える代物じゃない。何かを守るために人の命を奪ったって、守られているそいつらが悲しむだけだ! お前の両親は少なくとも、お前にそんな事を望んじゃいない!」
その訴えにシアンの顔色が明らかに変わった。青ざめたような、驚愕して目を見開いている。動揺が、シアンの瞳の奥にあった。
「お前は何演じているんだよ! 自分の本心を隠すほど、何がそんなに怖いんだよ!」
「……何を言っているか、理解できないな」
ツグナをしかと見つめたままシアンは答える。その声はどこか弱々しく、腕は脱力しきっていた。確かに、舞踏会に行く前「受動的すぎる」と話はした。自分がしたいという気持ちを表に出すことが足りていないと。けれどもこんなに生意気になるのは、自分の求めていた理想じゃない。
この時、シアンは核心のようなものを突かれて焦燥感に心が掻き乱されていた。動揺を悟られないように依然視線は外さないでいるが、その指先は心を映して細かく動いている。両親がいないことは、この少年が邸に来た時に伝えなくてはならなかった。しかし、守るなどなんだの、伝えてはいない事まで知っているかのような口ぶりだ。何を知っている? こいつはどこまで知っている? そんな不安ばかりが脳内を駆け巡った。
「お前はさっき僕を臆病者だとか言ったけど、お前だってただ自分を偽って逃げているだけの臆病者だろ! 自分の本心さえ見て見ぬ振りする事が大人だって言うなら、僕は一生子供のままでいい! 悔しかったらちゃんと本心で僕と向き合えよ! 本当のお前はちゃんと自分の気持ちを表に出せているのか!?」
先程のシアンの言葉を引用してツグナは挑発的に声を張り上げる。こんな事を自信満々に言えるのはアデラさんの話を聞いたからだ。本当は秘密にするって約束だったけれど、これ以上黙って見ているのは自分が許せなかった。
そんな清々しいほど真っ直ぐな瞳で訴えてくるツグナの言葉に、シアンは更に混乱していた。自分の本心とは? 自分が臆病者だとは? こいつに何が分かるというのだろう。まだ出会って三ヶ月ほどしか経っていない少年につかれた言葉は、シアンの心を恐怖に震わせた。
『明日からよろしく頼むよ、ブラッディ君』
酷い頭痛に襲われ、脳内にはとある記憶が過ぎった。皮肉に釣り上げた口角と嗄れた声の記憶に憎悪が体内を蝕み、シアンの顔を歪めさせる。ああ、最悪だ。嫌な事を思い出した。 感情が乱れないようにと平然を保っていたその表情が崩れた瞬間である。
「くだらない。今後こんな事で張り合っていたら面倒だ。これを機に、上下関係をハッキリとさせるのも悪くないかもな。もし俺のやり方が気に食わないなら、その力で証明しろ。生憎、自分より下の人間の話を聞くほど暇じゃないんでね」
先程化け物相手に戦うとなった時、ツグナが渋っていたことを思い出す。それなら自分に本気は出せまい。ここで痛めつけて、恐怖心を植え付けてやろうとシアンは思ったのだ。
「……力の証明って、お前と戦えってことか?」
「ああ、そうだ。それとも、臆病者は臆病者に勝てる自信がないのかな?」
シアンの扇情的な言葉にツグナは黙り込んだ。シアンのことを傷つけたくはない。それでも今はやるしかないようだ。「……分かった。やってやる」と向き合う。
挑発したのが自分とはいえ、まさかこんな事になるとは。そんな後悔もツグナの心の隅にはあったかもしれない。しかし、それでしか話を聞いてくれないとなると、避けて通る気にはなれなかった。
確かにラヴァル卿は大量に女性を殺していた殺人鬼だ。けれど、そんな奴でも誰かが簡単に奪っていい命なんかじゃない。自分にも、シアンにも。
けれど、こいつがそれを正しいと言い張るなら、こいつに間違いだと言うことを分からせないといけない。今この場で。これが今の、自分のやるべき事なんだ。何故だかはもうハッキリとしている。こいつを止めなければきっと、また同じことが繰り返されるからだ。
「まあ、君なら簡単だろう。君の力なら、俺を殺せる」
「……っ!」
戦う前から力が抜けるようなことを言ってくる。自分がどんな人間か分かっているのだろう。決意を固めた拳が震えた。
「どうした? 青ざめているが。もう降参するか?」
「っ……や、やる」
怖気づきながらもツグナは動きやすいように膝下までドレスを破り捨てる。二人は互いを見つめ合い、一切目を逸らそうとしなかった。
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