城下町にて

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王族の褒賞

最終話 罪人

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コツコツという足音を聞きながら、頭はどこか遠い日を思い浮かべていた。透き通る青空の下で咲き乱れる金色の花。やわらかい香りに誘われて舞う蝶々が白や赤の差し色を添え、その合間を草花の妖精が忙しなく飛び回っては虫の妖精と口喧嘩をする。風の妖精は聞き耳をたて、吹く先々で噂をばら蒔くのだ。遠くには青い山々が連なり、小鳥のさえずりが聞こえる。その美しい風景の中で少女が花冠を編んでいた。そして、その皺のひとつもない手で私に冠を乗せて頬を染める。可愛らしく、幼い、身の程知らずで愚かな程に妖精を愛した彼女。

花といえば、今夜は花園の騎士団が王女の護衛にあたっているらしい。城の裏庭が花畑になっていることから名付けられ、いくつかある騎士団のうち護りを専門とする伝統的な騎士団だった。私の記憶が正しければ城の裏庭は数百年前からずっと花が咲いたまま。城が傾くことのないよう、守り続けてきた。

エマ・エメリヒが言うにはその花園の騎士団の精鋭部隊が来ているらしい。それでも私のような妖精が奇襲すれば取るに足らない存在だそうだ。裏を返せば真っ向からの戦闘では分からない。

そして、騎士団と同等に注意したい人物がいるとも聞いた。サーカス団が魔術師クラウスと、狙撃手のエナ、ナイフ投げのレオン。この三人は遠中距離からの攻撃が可能な為、少々厄介に思う。

一体どうしてエマがそこまで知っているのかといえば、得意の姿を借りる術で城に忍び込んでいたのだそう。ただの変身や操作系の魔術と違って術は完了しているので、魔力を継続的に消費せずに済む。さらには城の結界に引っかかる事も無く、すんなり通れるらしい。私や寝たきりの彼女のことを恐ろしいほど知っていたのも、虫の姿を借りて数日間ずっと私たちの家に居たからだ。後から聞いても良い気はしない。そう告げるとエマは楽しそうに笑っていた。

通路の角を曲がる。いくら大きくとも移動サーカス。通路の壁は厚手の布で、ぼんやりと舞台の明かりが透けて見える。観客席から舞台裏へと続く通路の終わりが、やっと見えてきた。と、いっても、そこにあるのは闇。ぽっかりと口を開けた黒に足を踏み込む。

その先は記憶を頼りに進んだ。エマから聞いた通り、左手の梯子を登って柱を渡り、それからロープで下に降り。自分でもどこをどう進んでいるのか分からない。しかし、王女の座る席は本来存在するものではなく、今夜の為にこしらえた文字通りの特等席。大抵の道では警備の目に抜かりはない。それと同時に急ごしらえである分、その構造には抜け道がある。



周りが明かりの透ける布ばかりになった。随分と高い所まで来たと思う。トンと木の板に足を下ろして、軋む音にその薄さを知ったその時だ。

「何してる!」

響いたよく通る声。驚いて振り向くと数歩先の暗闇の中にぼんやり人の姿が見える。一方、私は布と布の間で姿が顕になっていた。ちょうど天井近くに垂れる飾りカーテンの隙間にいるようで、狭い足場の隙間から舞台が見える。獅子が火の輪を潜った。

また声を掛けられ顔を上げると、声の主は足場のしっかりとした裏方から私を睨みつけていた。向こうは暗くてはっきりとはわからないが、男というのは分かる。こくりと唾を飲み込んだ。

「……貴方は?」

「俺なんてどうでもいい、お前が誰だ!どうしてそんな所にいる!?」

チラリと光る何かを見た。男は私にナイフを向けているらしく、そこで見当がついた。男はおそらくナイフ投げのレオン・ローレンツ。これだけ近く、動きの制限される空間では敵ではない。

「私はこのテントの妖精なの。今宵のショーはいかがな具合かしら、と様子を見に来たところよ」

「そんなわけがあるか!様子を見に"来る"のが、このテントの妖精なわけないだろう!」

意外に鋭い。もしかしたら彼自身、妖精を見たことがあるのだろうか。歌姫も妖精を見たことがあるのだから不思議な事ではないのかもしれない。どうにか言い包められれば良かったのだけれど、仕方ない。エマとの約束の時間もある。これは、仕方の無いことだ。

私が胸のあたりで手を組むと、レオンは警戒してナイフをぴくりと震わせた。しかし、それも一瞬。まるで命乞いをするかのような私の格好に気を緩め、ほんの少し、ナイフが下がったその瞬間。彼は小さく悲鳴を上げて腹を抱え、膝をついた。それを見下ろしながら、

「それは裂かれる痛みよ。気をつけて。死にはしないけれど、ほんとうに裂かれれば……きっと、死んでしまうかしら」

手を解いて、また組み直す。和らいだ痛みに顔を緩めたレオンがまた呻き藻掻く。さっきよりも強い痛みに、恐ろしく感じるのではなかろうか。

「私を追って来ないで頂戴。これ以上、痛い目を見たくないのなら……ね」

そう言って背を向けた。後ろで呻き声に紛れて聞こえた、何故、と言う声には答えない。神に祈るように、助けを乞うように組んだ手は自分の気持ちを欺く為。一段と賑やかになる魔術師の演奏を聞きながら、カーテンに触れないよう気をつけて進んだ。

私の痛みを操る魔法は、残念ながら呪いでもなければ魔術でもない。発動していられるのは対象を五感で認識できている間だけ。派手な音楽のせいでレオンの声が聞こえなくなった今、痛みも引いているだろう。もしかすると飛び回る小鳥のように騒ぎ立てて、団員たちが私の存在に気付き始めているかもしれない。後でエマに叱られるだろうなぁ、エマならレオンを始末しただろうなぁ、むしろエマなら、もっと上手く……。そんなことは考えても仕方がない。

やがてカーテンの森を抜け、剥き出しの柱の上に出た。舞台より少し客席寄りで魔術師よりも上。ライトのさらに上にいる為、客席からでは暗くて見えないだろう。そして、この場所から王女の姿ははっきりと見えた。

昼間とは違う豪奢なドレスを着て、髪も綺麗に結い上げられている。おそらくは正装なのだろう。ショーを純粋に楽しんでいるようだが、拍手をする時だけはやたらと装飾の付いた袖に煩わしそうな顔をした。その育ちや昼間の言動からすると、あまり華美なものは好まないのかもしれない。

王女の周りには騎士が四人立っている。剣士が三人に魔術師が一人。観客席にも弓兵と剣士が二人一組で三箇所、王女の席からはよく見える位置に配置されている。

およそエマの情報通りだが、弓兵は聞いていない。王女が狙われる可能性を考えて急遽配置したのだろう。銃ではなく弓を持っているという事は矢じりに毒を塗り、殺すのではなく無力化するつもりなのか。しかし不幸中の幸いと言うべきか、急ごしらえの特別席は観客席からほんのわずか見える程度。ましてや座る王女の姿は確認出来ないのだ。気をつけさえすれば弓兵に気づかれる事もなく終えることができそうだ。伏兵がいなければ、の話だが。

私は覚悟を決めて、手を組んだ。王女を護衛している騎士が膝をつく。腹を裂かれる痛みはなかなか辛いものだと思う。ただ、そのうち一人の剣士が倒れずに耐えていた。私は柱から柱へ伝って歩いていき、弓兵の死角から特別席へと飛び降りた。天井のないボックス席とでも言えば良いのか、出口に扉のついた広い席だ。倒れ込んだ騎士たちに驚いて席を立っていた王女がハッと振り返り、私の顔を見て目を丸くした。

「エラ!?どうしてここに?いえ、そんな場合じゃないわ。騎士が突然倒れたの、助けて!何ともなかったのに急に苦しみだして……」

そこまで言って気づいたのか、王女は目を見開いた。まさか、と呟く薔薇色の唇。私が一歩近づくと、倒れなかった唯一の騎士が王女を庇って前に出た。剣を抜いて「無礼者」と吠える。

「ごめんなさい。それでも私は、やらなくては」

手を組んでそう言い、また力を使った。さすがの騎士も今度は殴られる痛みに頭を抱えて倒れてしまった。王女を守る者はもう、いない。

「エラ、変よ。こんな事はやめて!」

「いいえ、ビビ様。私にはこうするしか無いのです。どうか、何があっても許さず私を憎んでください」

王女は護身用の短剣を構えた。あと数歩の距離。私の仕事は護衛と王女を痛みで行動不能にする事で、そのあとはエマが始末する手筈になっていた。しかし肝心のエマは魔力が感じられない。まだここに来ていないなら、私には待ち続けるしか無い。

きゅっと短剣を握りしめる少女は、きっと女王には向いていない。とても頭の良い方だと思っていたが違うらしく、ただひたすらに優しいのだ。賢く情のある子。彼女が賢く非情な者なら……エマなら、間違いなく弓兵に助けを求めるだろう。護衛の騎士など放って。

「どうして泣いているの。祈るように手を組んで、そうまでして何を望むというの」

動揺と敵意を剥き出しに問う王女に、私は手を組んだまま微笑んだ。細めた目から頬を伝って流れる雫が温かい。彼女を生かす為とはいえ、本当には傷つけられないとはいえ、こんな力の使い方はしたくなかった。誰かを苦しめるのはつらい。考えないようにしようとするほど涙が溢れてくる。ビビ様は敵に情けをかけるのか。

ああ、王女様はとても良い人だ。到底その地位に似合うとは思えない優しい方だ。私はきっと間違ってはいない。

何も言わない私に威嚇のつもりか、短剣を振り上げた王女。注意が逸れれば、騎士の魔法も解けると踏んだのだろう。避けやすい 大振りの動き。昼間の王女はそんな振り方をする人ではなかったから、無意識にでも手加減をしているのだ。

私は体を前に傾けた。ちょうど、短剣に差し出すように。もちろん王女は勢いのまま退くこともできず、鋭い切っ先が羽虫のようなブンという音で空を切り裂き、私に深々と突き刺さる。妖精のくせに人間と同じ赤い血がどろりと溢れる。それでも騎士は苦しみ続ける。その様に慌てる王女の、困惑を浮かべる翡翠の瞳。私はとびっきりの笑みを見せた。

「痛くないのです、ビビ様。殴られても、刺されても、腐っても、その程度の痛みは知っているのです。私は……長く生き過ぎたから」

そうだ。私は知っている。もう、本当の望みは叶わない事を。だから、どうか、せめて憎んで欲しい。そんな歪んだ希望が私に勇気を与えていた。人を傷つける勇気を。混乱する王女は少し後ずさる。その目を見て本当のことを言った。頬を伝っていく。

「一度でいい。ほんの少しの間でもいい。人として生きたかったのです」

王女は真剣な顔をして、ゆっくり口を開いた。敵意を孕んだ声。

「……どんな理由があっても誰かを苦しめるなんていけないことよ」

「仰る通りです。分かっているんです……誤った力の使い方であることも、みんな死んでしまうことも。誰もが私を置いて逝きます。ずっと、そうでした」

未だエマの気配は感じられない。時間はある。彼女を生かす覚悟を改めて確認し、王女に頭を垂れた。私の行動にも、ドクドクと流れる血にも、王女は戸惑いを隠せずにいた。それと同時に火のついた目をしている。私を敵と認識し、王女として何とかせねばならないという責任の火。

「妖精に罪も罰もありませんが、人にはあります。だからどうか、貴女を殺す私を一生、憎み続けて欲しいのです。それはきっと……私の罪になりますから」

突然に放たれた殺すという言葉に王女は動揺するだろう。当然だ。顔を上げた私は呆気にとられた。不意に響いた乾いた音。頬を打たれたのだと認識するまで、やけに時間がかかった。王女の目は怒りに燃えていた。

「わけのわからない事を言わないで。妖精に罪がない?これだけの騎士を苦しめて、辛い目に遭わせて、それが罪にならない筈が無いわ!エラ、貴女は償うべきものがありすぎるのよ!」

鋭い怒声に思わずぽかん、とマヌケな顔をしてしまった。弱い方とは思ってはいなかったが、こうも強いとも思ってはいなかった。罪を負えば理屈の上だけでも人になれるという希望を粉々に壊される。人間の価値観でいえば、私が希望を見出したそれは希望でも何でもないという事か。

痛みを止めた頬を擦りながら、怒れる王女をまじまじと見た。くるくる回るサーカスの照明が美しい金髪を煌めかせる。テントの青色が遠く、白い羽虫が飛んで……まるで、花畑の風景と同じ……。


ぼんやりしていた私の頭上に黒い影が降ってきた。それは突然の事で、私は床に叩きつけられる。頭を上から押さえつけられ、片腕もひねって背に回された。降ってきた人物は私に馬乗りになっているらしい。

「ビビ様、大丈夫!?ねぇ、何もされてないよね!?」

掠れた丸い少女の声。確認するような口癖。押さえつけているのは狙撃手のエナだった。赤い絨毯しか見ることの出来なくなった私は、苦しむ呻き声で騎士の位置を確認しつつ痛みを断続的に与え続ける。少し、埃の臭いがした。

「どうしてここが?」

「うちの団員が倒れていたので、口を割らせました。話そうとしないから手こずっちゃって、遅くなりましたけど、ビビ様に怪我がないみたいで良かったです!……あれ?ほんとに良かった?」

「ええ。ありがとう、助かったわ」

あのナイフ投げのレオンが話したがらなかったというのは、きっと、エナを思っての事だったのだろう。同じ団員が痛い目を見て喜ぶ者はそう居ない筈だ。しかし、王女が来ている事を考慮すれば、自ずと優先順位は分かったはずだが……。レオンはエナに何か特別な気持ちでも抱いているのかもしれない。

足音で王女がこちらに近づいたのが分かった。私は違和感を覚える。やわらかい絨毯で足音?

「エラ。術を解いて。妖精だろうと罪は罪。許されるものではないわ」

「……痛みを与えなければ邪魔をしてくるでしょう?」

「もう十分よ。とにかく早く解いて」

王女はあくまで、私が罪の欲しさに事を起こしたと思っているらしい。それならば私がエナと王女に痛みを与えて自由を奪い、喉を掻き切るかもしれない、という可能性を考えないのも納得がいく。ただその声からして何か思うところはあるらしい。

私は足音の違和感に気づいていた。喧しいほどのサーカスの音楽が消えていたのだ。私に外の者が気づいたのか。エマも現れない事から最悪のシナリオが思い浮かぶ。エマの他には誰も、首謀者の名も知らない私はさぞ利用しやすく捨てやすいだろう。もしそうなら。エマに聞かれないように、と言えずにいた事もすべて話してしまった方がいいのだろうか。

まだ確信は持てない。しかし、私は騎士の痛みを取り除き、よろよろと立ち上がった彼らが近づいてくる音を聞いていた。どこかでブン、と羽虫の飛ぶ音がする。とても静かだった。

「ビビ様……私はこれから独白を致しますが、どうか聞いてください」

「聞いてと乞う独り言はもう、独り言じゃないわ」

王女のいうことは最もである。エナが立ち上がると同時に私は腕を引かれ、騎士二人に羽交い締めされる格好になった。ぽつりぽつりと呟く。

「……私の力は誰を生かすことも叶わず、誰かを殺すしかなかった。誰を救うにも時間はなく、誰を捨てると決めるにも足りないような時間があって……ビビ様には生きていて頂きたかったけれど。いつか息絶えるその日まで、殺した私を憎み続けて頂ければと願い、せめてもの償いに安らかな日々を贈りたかった」

彼女は生かす。家で待つあの子には二年も無いうちに死んでもらうことを代償として。

「それは、一体」

どういう事かしら。そうビビ様が言いかけた時、私は突然の眩暈に襲われた。ぐるりと視界が回って体の力が抜ける。視界は暗くやがて黒く。遠く、ずっと遠くでブン、と羽音がした。

騎士の腕にぶら下がるように膝をついたアタシは、顔を上げて微笑んだ。エマはもういない。何も怖くなどない。

「王女様、私は罪を償います。そしてすべてを話しましょう。王女様の暗殺を企てた、首謀者の名も」

騎士の間に動揺が走る。エナも口をあんぐりと開け、特別席の扉から大勢の騎士がなだれ込んできた。異変に気づいてから乗り込むまでやけに時間がかかったな。

騎士たちに縛られ、扉をくぐる直前に王女を振り返った。幼いながらに凛とした目付き。殺されるには若すぎる。そして、その事実は彼女にとって辛い、トラウマになるのではなかろうか。

騎士に縄を引かれる。無意識に三日月を描いていた唇を、きゅっと一文字に結んだ。




あの夜から数日が経った。王女を襲った妖精エラ・エレルトは投獄され、その事は既に前代未聞の大事件としてあちこちの情報誌が取り上げている。そしてその後、妖精エラの告発により王女暗殺を企てた公爵からその賛同者である各地方貴族、さらには雇われた傭兵までもが芋ずる式に捕まった。

妖精エラはなんと、王女を救う為にわざと暗殺の誘いに乗り、当日知ったばかりの計画の中で助けるべく動いていた、とまで情報誌は語る。それが嘘かどうか、街の人間にはわからない。ただ、街中がその噂で持ちきりで、やがて王女を救った大妖精として有名人になってしまった。その尾ひれはひれの付いた話を事実と認めるかのように、国はエラを釈放し、逆に勲章を与えた。妖精の加護を受けた王女と、忠誠なる妖精。戯曲が作れてしまいそうだ。

当の私はというと、ほとんど他人事のようだった。王女を生かして逃がそうとした事、エマを捕まえる為に騎士を抑えて時間稼ぎをしていた事は間違いないが、情報誌や噂の言う程には上手くいかなかったのが事実だ。何より、捕まった者の中にエマはいない。

鍋の中でぐるぐる回るスープを眺めながら、玉杓子でまたくるりと混ぜる。浮かんでは沈む芋を見ていると考え事をしてしまう。くるり、また混ぜた。

「まだ出来ないの?」

ベッドで半身を起こした彼女が眉を寄せている。まだよ、と告げると愛らしく拗ねた。いつまでも少女のような彼女。あと二年も生きてはいられない彼女。

「ああ、だけど、あと少しで出来上がるかしら」

そう教えると少し嬉しそうに頬を緩めた。私は玉杓子を置いて、戸棚から食器を取り出すべく椅子を引っ張ってくる。ただでさえ重たい椅子が床に擦れて悲鳴のような音をたてた。

「エラ、ノックの音がしたわよ。お客さんかしらね?それにしてもひどい音」

「本当、ひどい音だと思うわ。そのせいで聞こえなかったのかしら」

椅子をその場に置いて玄関へ向かった。前までは背伸びせず棚の一番上まで届いたが、今はそうもいかない。背伸びしても届かないほどに小さい体になってしまった。

古い扉を開く。ギィ、と軋んだ音の先に、ローブを着込んだ背の高い女が立っていた。深く被ったフードの中で瑪瑙色の瞳がらんらんと光り、長いシルバーブロンドの髪が一筋垂れている。そして、彼女は私にニヤリと笑いかけると遠慮なく家に入ってきた。

「ヤだなぁ、良い匂いじゃないっすか。アタシも御馳走になっていいっすよね?」

澄んだ透明な声。ローブを脱いだ女の肌は白く、華奢な体は傷だらけ。髪の間から尖った耳の覗くその妖精は、忘れようもなく馴染んだ姿だ。

「何をしに来たのと問うべきかしら?私としてはもっと早くに来てもらいたかったものだけれど」

「そんなに会いたかったんすかァ?さすがに照れるっすよー」

相変わらず腹の立つ事しか言えないようだ。私はこめかみを抑えて頭を傾けた。癖のある赤髪が視界の端で揺れる。

あの夜、気がつくと私はこの家にいた。暗い室内で見慣れない高そうなランプが煌々と光り、頬を照らされた彼女が私に「おかえりなさい、エラ」と声を掛けたのだ。しかし私の姿はエマのそれ。ベッドの上から彼女はおっとりと、エマが彼女に頼んだ伝言を告げた。体をしばらく借りること、なるべく外出は控えろとのこと。その為に食料や衣類などの必需品は既に買い込んであること。その伝言通り、出ていく前には無かった紙袋が部屋の隅に積み上げられていた。

エマが上着を貸したのは、優しさや気遣いでは無かった。遠く離れた私に自分の魔力を浴びたものを着せ、いつでも体を奪えるようにしていたのだ。そして恐らく、あの場エマはいた。家に体を置いて羽虫の体を借り、サーカスで私を見ていた。エマの魔力に気づかなかったのも上着のせいだ。そんな推測をしたところで、私になす術はなかった。

そして、ほとんど外出することも無く今に至る。

「まあ、落ち着くといいっすよ。今やエラ・エレルトは人気者。片や無名のエマ・エメリヒは疑惑を持たれることも無く、平穏な日々を過ごすただの国民。今日はそんな冴えない女のエマに良い取引を持ってきたんすよ」

そう言って私の体でエマは戸棚から食器を簡単に取り出して見せ、それから勝手にスープを注いで食べ始めた。止めたところで聞いてはくれないだろう。

ベッドから動けない彼女はエマの無遠慮な様子に動揺しつつも笑っていた。

「取引もいいけれど、私の体を返して頂戴。あの夜、王女の前で私の体を奪い、仲間を売り、名声を手に入れたのは他でもないエマ。貴女なのでしょう?」

「今はエラ。仲間を売るなんて言ったって、それで王女を"その場しのぎ"じゃなく完全にその手の輩から守れたんすよ?アンタよりは上手くやれたんじゃないっすか?」

「……まさか、最初からそのつもりで?」

「あくまでプランBっすけど。何よりアレは仲間じゃない。もっと大きい物を釣る為の餌っすよ」

きちんと呑み込んでから物を言う。そのくせ足を組みながら食事をする様は、行儀が良いのか悪いのか。またごくりと呑み込んでニヒルに笑う。その表情も行儀の悪い食べ方も私の体でやって欲しくない。

「本当に、アタシが手に入れたのは名声だけだとお思いで?そもそも、一度でも不敬を働いて、圧倒的な力を持つ上に弱みのない妖精っすよ?殺しても死なないのに、どうして向こうが勲章なんて目に見えてしまうものまで与えたか」

「……何をしたの」

「ああ、ヤだなぁ。そんな目で見ないで欲しいっす。ちょーっと口が上手いだけじゃないっすかぁ。アタシはこの口先で、かの国王に何でも褒賞をやろうと言わせた。が、しかし、謙虚にもアタシが望んだのは一つだけ。国宝庫への立ち入り権っす」

へらっと笑って掌をひらひらと振る。ふざけた仕草ではあるが、街の様子からして嘘ではないのだろう。何よりそんな嘘をついて何になる。ぴらぴら振れていた手が突然、ぱちんと合わさった。胡散臭いとびっきりの笑顔を浮かべる悪魔。

「さて!ここで取引。今や妖精エラは国宝庫に立ち入る事が出来、さらには国営にその知識や力を貸す事と引換に、ある国宝を譲ってもらったっす。謙虚で博識で忠誠なる妖精、それが今のエラ・エレルト。で、アタシはこの体をアンタから買いたい」

そう言って私の体をしたエマは、青緑に輝く美しい石を机の上にごろんと転がした。ハッキリと強い魔力を感じる。国宝庫にあると言っていた治癒の輝石だ。私はベッドを振り返る。彼女は不安げな顔をしていた。

「アタシは約束を守る女とは言ったっすけど、"王女暗殺が成功した暁には"この石をやる、という契約だったっすよね。だから今のところコレはアタシの物。この体を売るなら対価としてくれてやるっす。とはいえ、アンタもその体で損ばかりじゃあない筈っすよね。初めて触れたんじゃないっすか?彼女に。ま、今更この体を取り返したところで国に仕える事が決まってしまってるんすけど!」

たははと笑って言う。まるで優しいように思われるが、これは取引ではない。本当にこの女は悪魔。体を交換して過ごすデメリットを挙げて言うには、不死の妖精の魂が果たして人間エマの体が老いて死んだ後にどうなるか。幾千年と生きられるはずがあと60年になってしまう可能性もゼロではない。

選択の余地はない。手を伸ばした。


私は、欲しがる罪人だ。




《王族の褒賞  Fin.》
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