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015 篠崎の男気

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 帰宅途中、篠崎からメッセージが届いた。




 週明けの職場。
 早希と会った時、一瞬戸惑ってしまった。
 しかし早希が「副長、おはようございます。今日は遅刻せずに来れましたね」そう言ってくれたおかげで、信也も職場モードに切り替えることが出来た。
 いつもの様に信也の髪をとき、仕事の流れを共有する。
 その自然な振る舞いに、信也は「早希恐るべし」と感心した。
 今日は木曜日。今週も水曜以外は定時上がりだった。

 夜、必ず早希からメッセージが届くようになった。
 そのメッセージを見ている時、気持ちが高ぶっているのが自分でも分かった。
 早希の行動に振りまわされている。そんな自分に動揺した。
 おかげで私生活も、かなり乱されていた。
 風呂に入っていても、早希が探索していたことが思い出された。
 窓を開けると、「気持ちいい」と笑う早希の横顔が脳裏に浮かんだ。
(マーキングかよ……)
 家のどこにいても、早希の存在が残っていた。

 そしてもう一つ、信也には考えなければいけない案件があった。
 篠崎のことだ。
 早希のことが好きだと相談してきた後輩。
 あの日以来相談に来ることはなかったが、どうしたらいいものかと悩んでいた。
 そしてふと、俺が人のことで悩むなんて何年ぶりだ? そう思い、その感覚に新鮮さを覚えていた。
 そんな矢先のメッセージだった。

「副長、今どこっすか?」
「今から会えませんか?」

 信也はJR茨木駅にいることを告げ、駅前の喫茶店で落ち合う約束をした。




 店に入ってきた篠崎は信也を見つけると、おぼつかない足取りでやってきた。

「お疲れ。いきなりどうしたんだ? 何か俺に」

「副長!」

 篠崎が信也の言葉を遮った。

「お、おいおい篠崎、ここは店ん中だから。もう少し声を下げて」

「あ……は、はい、すんませんっす」

「で? どうしたんだ?」

「さっき俺、三島さんに告ってきたっす」

「何っ!」

 今度は信也が大声を上げた。
 そして周りの視線を感じ、「すいません」と頭を下げると、座り直してコーヒーを一口飲んだ。

「……告白したのか、三島さんに」

「はいっす……副長と前に話した、あの喫煙所で告ったっす」

「また急だな……」

「三島さん、ありがとうございますって、笑顔で言ってくれたっす。それでいけるかもって思ったんっすが……
 他に好きな人がいるんです、だからごめんなさいって……断られたっす……」

「そうか……」

「それでも俺、かなり食い下がったんす。その人と付き合ってる訳じゃないんすよね。だったら俺にも、チャンスほしいすって。
 そしたら三島さん、確かにまだ付き合ってないけど、私は今、その人のことしか考えられないんです。だから篠崎さんの気持ちに応えることは出来ません、ごめんなさいって……駄目出しされたんす」

「お……おう……」

 どこから見ても男前な篠崎が、撃沈して落ち込んでる。
 しかしその姿は無様ではなく、それどころか、男として惚れ惚れするものだった。

「そこまではっきり言われたんで、それ以上食い下がるつもりはなかったっす。でも気になって仕方なかったので、聞いたんす」

 ん……?
 待て。ちょっと待て。
 おい篠崎。お前、何が気になった。
 何を聞いた?
 そして早希、お前まさか……
 信也の首筋に、ひんやりとした汗が流れた。

「三島さんの好きな人って、どんな人っすか? 俺の知ってる人っすかって」

「ほ、ほう……」

 冷静さを取り繕い、信也がカップを持った。

「そしたら三島さん、言ったんす……私、副長のことが好きなんですって!」

 コーヒーを吹いてしまった。

「告白もしたって言ってたっすよ! 副長、ひょっとしてこの前、俺が相談した時には告られてたんすか? 応援する、そう言いながら笑ってたんっすか?」

「ま、待て待て待て待て。篠崎、ちょっと聞いてくれ。俺の話を聞いてくれ。とにかく少し、落ち着いてくれ」

 篠崎をなだめ、煙草に火をつける。

「……確かに俺は、三島さんに告白された。でもそれは先週の金曜日、ちょうど今ぐらいの時間なんだ。お前に相談されたのは、確か水曜だったよな。その時は何もなかったんだ。
 てっきり仕事の相談だと思って、丁度いい、お前のアピールをしようと思ってた。なのになぜか、いきなり告白されちまって」

「先週の金曜って……マジっすか、それって俺、完全に告るタイミング、ミスってるじゃないっすか」

「タイミングなのか」

「そうっすよ! こんなんなら、もっと早く告っておいたらよかったっす!」

「まああれだ。確かに俺は三島さんに告白された。でもな篠崎、俺は」

「副長! まさか返事してないってことはないっすよね!」

「え」

「俺今日、こんなの初めてだってぐらい緊張してたんす! 昨日からずっと、過呼吸になりそうなぐらい緊張してたんす!」

「確かに今日のお前、ミスが多かったよな」

「三島さんは女っすよ? 俺よりもっと、緊張してたに違いないっす! だから告られた者には、誠意をもって応える義務があるっす!」

「そ、そうなのか」

「そうっすよ! 副長、考えてみてくださいっす! ずっとずっと想ってて、告ろうって思って。この日にするって決意して、声をかけて約束して、そしてやっと告白なんすよ? どれだけ緊張するか、分かるっすか?」

「お前それ、実体験だよな」

「俺のことはいいんす。それよりどうなんすか? 三島さんの告白、ちゃんと返事したんすか?」

「お前は三島さんと付き合いたい、そう思いずっと悩んでた。なのに今、お前は三島さんの恋を応援してる、そう言いたいのか?」

「当然っすよ。惚れた女の幸せを願わないで、男って言えるっすか」

「お前ほんと、いい男だな。三島さんより俺が惚れるわ」

「いや、そういうのはいいっす。俺、副長と付き合う気はないっすから」

「手厳しい」

「で、どうなんすか」

「断ったよ」

「え……」

「断った。はっきりとな。でも、三島さんは諦めませんって言ってた」

「なんで断ったんすか? それってまさか、俺のことで」

「勿論それもあった。応援するって言ったしな。でもそれ以前に、俺は女と付き合う気がないから」

「なんでっすか。俺のことを考えてくれたのは嬉しいっす。でも俺のことはいいっす。今の俺は、三島さんに幸せになってもらうことが望みなんす。その相手が副長なら、俺になんの未練も残らないっす」

「……俺は幸せ者だな。三島さんに篠崎、後輩二人から慕われて」

「当然っす。副長は俺にとって、ヒーローなんすから」

「ヒーローって……なんだよそれ」

「それで、なんでなんすか」

「それは……いやすまん、この問答、三島さんとも散々したんだ。またここでするのは勘弁してくれ。あまり楽しい話じゃないし」

「そうっすか……じゃあこれ以上聞かないっす。でも副長、三島さんの告白、本当に受けるつもりはないんすか」

「ないよ」

「本当っすか」

 そう言って信也の顔を覗き込む。

「あ、ああ……」

 篠崎の圧に戸惑い、信也が視線を外した。

「副長」

 篠崎がニッコリと笑う。

「今の副長を見て感じたっす。副長、迷ってるっすね」

「……」

 否定しようとしたが、言葉が出てこなかった。
 代わりにカップを持つと、冷えたコーヒーを一気に飲み干した。




「今日はありがとうございましたっす」

 店を出てすぐ、篠崎が大袈裟に頭を下げた。

「こっちこそありがとな。それで……大丈夫か?」

「大丈夫っす! 今から連れに声かけて、飲みにいくっす!」

「そうなのか」

「はいっす! 今日は意識飛ぶまで飲むっす!」

「あんまり無茶飲みするなよ。なんなら俺が付き合っても」

「大丈夫っす。それに副長は恋敵、今日は遠慮させてもらうっす」

「だよな。すまん、気が利かなくて」

「明日からはいつも通りに戻りますんで、よろしくお願いしますっす。じゃあこれで」

「ああ、また明日」

 篠崎の後姿を見つめながら、こいつなら絶対早希を幸せに出来るのに、そう信也は思った。




 100人の女に自分と篠崎の評価をつけさせたら、間違いなく篠崎はSランクになるはずだ。
 高身長でスポーツも得意な男前。周囲の信頼も厚く、いつも輪の中心にいるような男だ。しかもそれを鼻にかけず、どんなやつに対しても謙虚に接してくれる。
 対して自分は、低身長で外見も中の下。これといった特技もなく、人との付き合いも最小限に抑えている。どう甘く見積もってもCランクだ。
 なのに早希は、俺の何を見て好きになったんだ? 篠崎に何が足りないんだ?

 そんなことを考えながら、信也は駅に向かって歩いていった。


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