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016 この想いは私のもの

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 土曜の昼過ぎ。
 またしても現れた来訪者を前に、信也がため息をついた。

「あの……三島さん?」

「早希でいいですよ。信也くんってば本当、オンオフ下手だよね」

 早希は荷物をいくつも持っていた。

「いや、そうじゃなくてだな」

「あーすいません、重いんですけどー」

「あ、ああ、悪い悪い」

 慌てて通すと、早希はさっさと奥へと入っていった。
 あまりに自然だったので、信也も違和感を感じなかった。
 しかししばらくしてそれに気付くと、思わず突っ込みを入れた。

「いやいやいやいや、早希、何で当たり前に入ってるんだよ」

「だって入らないと、模様替え出来ないじゃない」

「え?」

「今日は部屋の模様替えに来ました」

「いやいやおかしいだろ。なんで休日にいきなり来て、なんで俺の部屋をなんで早希がなんでなんで」

「信也くん、なんでばっかり」

「そうじゃなくて」

「でもこの部屋、別にこだわりがある訳じゃないんだよね」

「それはそうだけど」

「断捨離してるって訳でもなかったよね」

「ああ」

「じゃあ私にまかせて。色々買ってきたから」

「……」

「信也くん、そんな難しく考えないで。これは先週のお礼だから」

「いや、だからだな」

「じゃあ副長、私はこの重い荷物を持って帰らないといけないんですか」

「そこで会社口調に戻すなよ。誰もそんなことは」

「よかった。じゃあいいよね」

 早希の勢いに観念した信也は、「全く……」と苦笑し、荷物の前に座った。

「分かったよ。早希にまかせる」

「大丈夫だよ。信也くんがぎりぎり許せる範囲だから」

「早希、領収書」

「領収書?」

「ああ。金、払うから」

「代金は体で払ってもらいます」

「よし殴ろう」

「冗談だって。でもお金はいいから。だってこれは、私がしたくてしてることなんだから。それに言ったでしょ、先週のお礼だって」

「いや、おかしいから。それに先週って言っても俺、ほとんど金出してないじゃないか」

「プライスレスなもの、いっぱいもらいましたから」

「……今のセリフ、自分で言って恥ずかしくないか」

「少し……」

「だろうな。でもお金はきっちりしよう。じゃなきゃこの話はなしだ」

「じゃあ、先週のお礼のお礼をしてください。これは貸しってことで」

「なんかややこしいな……分かったよ、じゃあ次は俺が出すから。約束な」

「はい、これで次のデート、言質とれました!」

「だな」

「あれ? 今日はずいぶん素直ですね」

「この手の話を早希としても、勝てる気がしないからな。だから次のデート、約束するよ。
 でも早希、もう一度言っとくけど、俺は早希の気持ちに応えられないからな」

「分かってます分かってます。今はね」

 意味ありげに笑いながら、早希が信也の頭を撫でた。




 袋を開けると、調味料やら包丁などの台所用品、日用品が次々と出てきた。

「調味料、こんなに……」

「色々買ってきたからね」

「おい」

「何?」

「何、じゃなくて。なんだこれは」

「かわいいでしょ。全部お揃いにしてみました」

「一人暮らしの俺の家に、お揃いの茶碗やカップはいらないだろ」

「またまた信也くん、私のに決まってるじゃない」

「だからなんで、俺の家に早希の食器が」

「来た時になかったら困るでしょ」

「お前……まさかとは思うけど、ここに入り浸るつもりじゃないだろうな」

「それからこっちは」

「人の話を」

「シャンプー、リンス。ドライヤーもあるよ」

 早希の怒涛のような攻撃。

 まるで押し掛け女房だ。そう思った信也だったが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。それが自分でも不思議だった。




 無色だった我が家に、早希が色をつけていく。
 信也にとってそれは、受け入れられるものではないはずだった。
 なのに今、早希によって彩られていく光景に、高揚している自分がいる。
 思えば、こういったことに憧れていた自分が過去にいた。
 でもそれは、過去に置いてきたはずだった。
 それがどうして今、こんなに楽しく思えるのか。
 自分でも分からなくなっていた。

「ところで早希」

「何?」

「篠崎に告白されたよな」

 信也の言葉に、早希が手を止めた。

「……知ってたんだ」

「篠崎から聞いた。と言うか、実は先週、早希と会う前に相談されてたんだ」

「そうだったんだ」

「それで篠崎の援護をって思ってた時に、俺が告白されて」

「篠崎さん、何か言ってた?」

「まあ、振られて辛そうだったけど、でも早希の幸せ、願ってるって」

「そっか……篠崎さん、いい人だよね」

「男の俺が惚れそうなぐらいにな」

「本当、いい人だと思う。それに純粋で。本当に私のことを好きになってくれたんだなって思った」

「あいつじゃ駄目だったのか?」

「それを信也くんが言うかな」

「いや、素朴な疑問なんだ。どう考えても、あいつの方がスペックは上だ。あいつとなら、早希もきっと幸せになれると思ったんだ」

「そうだね……もし信也くんと出会ってなかったら、篠崎さんのこと、好きになってたかもしれない」

「だから俺とあいつじゃ」

「信也くんの馬鹿」

「え? 馬鹿?」

「私の想いまで否定しないで。私は信也くんのことを好きになった。どれだけ信也くんが篠崎さんより劣るって言っても、それは信也くんの考えで私の想いじゃない。
 私は信也くんをずっと見て、そして好きになった。先週信也くんと一緒にいて、もっと好きになった。
 この想いは私のもの。信也くんにも否定されたくない」

 早希が初めて、哀し気な眼差しを信也に向けた。
 その少し濡れた瞳に信也は、とんでもないことを口走ってしまったと猛烈に後悔した。


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