上 下
3 / 44
第1章 絶望に飽きた男

003 残酷な契約

しおりを挟む


「……さあ、何でもいいから願い、言いなさいよ」

 もはや素の自分を隠そうともせず、女が投げやりに聞いてくる。

「だから別にないって。そんなのいいから、勝手に持っていけよ。最後にここまで楽しませてくれたんだ、それで十分だ」

「そんなんじゃ契約にならないの! 私にだって、プライドがあるんだから! お情けで譲ってもらうだなんて、認めないんだから!」

「あはははははははっ」

 ついに男が、声を上げて笑った。

「そ……そんなに笑わなくてもいいじゃない……」

「悪い悪い。こんな愉快な気持ち、久しぶりなんでね」

「もう……最悪だよ」

 女が涙目でつぶやく。

「そうだな。差し当たって今、あんたとの長話で喉が渇いた。缶コーヒー、奢ってくれないか? 喉を潤したら契約完了。どうだ?」

「……からかって楽しいのかしら」

「いやいや、真面目に言ったつもりなんだが。駄目なのか?」

「駄目に決まってるでしょ! どこの世界に、缶コーヒーで悪魔と契約する馬鹿がいるのよ!」

「ここに」

「馬鹿っ!」

 女の叫びが、屋上に響き渡る。

「缶コーヒーじゃ駄目なのか。しかし……困ったな、他に思い付かないんだ」

「考えなさい。真面目にね」

「分かった分かった。ここまで来たら俺としても、あんたにくれてやりたいからな。でもな、本当にないんだよ。それがないからこそ、こうして死のうとしてる訳で」

「……本当、変わってるわね、あなた」

「悪いって思ってるよ」

他人事ひとごとみたいに言わないで」

「だな」

「……ひとつ聞きたいんだけど」

「何だ?」

「最初の頃より間違いなく、今のあなたは楽しそうにしてる。もし私が今、この場からいなくなっても、やっぱりあなたは死ぬの?」

 その言葉に、男は真顔で女を見据えた。

「ああ、間違いなく俺は死ぬ。何の躊躇もなくね」

 その目に女はぞっとした。

 男の言葉に嘘はない。
 この男は本当に、何も望んでいない。人生を好転させようという気概も持ってない。
 絶望と諦め。
 男の瞳には、それしか宿っていなかった。
 先程までの軽口は、全て幻なんじゃないか。そう思い、身を震わせた。



 この男は一体、何を見てきたのだろう。



「……それで? 何か思いついた?」

 男への畏怖、恐怖、好奇心。
 それらを胸の奥に封じ込み、女が口を開いた。
 再び砕けた様子で考えていた男だったが、しばらくして何かを思いついたように目を開けた。

「ひとつ……あったかもしれない」

「本当! 何かな、言って頂戴!」

「何でも叶えてくれるんだよな」

「勿論よ。私にはその力がある。どんな願いだって叶えてあげる。あなたがそれを望むなら」

「俺の願いは」

「ええ」

「あんたが俺を愛してくれることだ」

「……」

「あんたが俺に惚れる。それが俺の願いだ」

「……」




 頭が真っ白になった。
 何を言われたのか、理解出来なかった。

「おーい、聞こえてるかー」

 その言葉に我に帰る。

「……き、聞こえたわよ、ちゃんとね……間違いのないようにしたいから、確認させて頂戴。もう一度言ってもらえるかしら」

「あんたが俺に惚れる。心からね」

「私があなたに……」

「勿論、その気持ちに嘘はなしだ。契約の為じゃなく、心から俺のことを愛してくれる。そうすれば契約完了だ」

「……」

「俺はこれまで、誰からも愛されたことがない。愛されるってのがどんなものなのか、ずっと興味があったんだ」

「……親には」

「愛された記憶はないな。実感もない」

「……」

「女と付き合ったことはある。でも多分、愛してくれてはいなかった」

「愛してないのに付き合うなんてこと、あるんだ」

「今考えたら、俺も愛してなかったと思う。まあでも、仕方ないか。愛するってどういうことなのか、分かってないんだからな」

「それで私に、愛してくれと」

「ああ。折角生まれてきたんだ。誰かに愛されてから死ぬのも、悪くないと思ってな」

「……」

「嫌なら別にいいぞ。缶コーヒーで構わない」

 その言葉に嘘はない。女は確信していた。
 恐らく今の願いも、軽い思い付き程度のものなんだろう。
 でも。それでも。
 男の口から唯一出た願いだ。
 それはきっと、魂の叫びに違いない。そう思った。




「……分かったわ」

「いいのか? 俺は別にどっちでも」

「見くびらないでもらえるかな。これでも私、それなりに名前の通った悪魔なの。契約者の願い、これまで全部叶えて来たんだから」

「そうか。でもまあ、無理しないようにな」

「何よそれ、自分で言っておいて」

「いや、でもな……ははっ。俺のことを愛してみろだなんて、自分で言っておいて難易度高すぎだからな」

「もう一度言うわよ、見くびらないで。どんな願いだって叶えてみせる、それが私、ノゾミなんだから」

「ノゾミ……それがあんたの名前か。いいな」

「ありがとう。あなたは?」

「俺は雅司だ、雪城雅司ゆきしろ・まさし

「雅司ね、よろしく」

 そう言うと、ノゾミが手を差し出した。
 雅司がその手を握る。
 すると二人を中心に、地面に青白い魔法陣が現れた。

「これで契約は成立。あなたの魂は、一時的に私の預かりとなった」

「ああ」

「契約完了までよろしくね、雅司」

「ああ、こちらこそよろしく。ノゾミ」




 雑居ビルの屋上に、青白い光の粒が舞っていた。
 契約を交わした二人。
 しかし二人はまだ、待ち受ける未来を理解していなかった。




 ノゾミに愛されると死ぬ雅司。
 雅司を愛した瞬間、魂を奪わなければいけないノゾミ。

 二人の未来には、残酷な結末しか待っていないということを。


しおりを挟む
1 / 2

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】高塚くんの愛はとっても重いらしい

恋愛 / 完結 24h.ポイント:42pt お気に入り:604

男子校生は全人類のママになりたい

BL / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:4

地味なブチャかわ女で失礼します

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:18

処理中です...