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第3章 絶望の正体
016 根源
しおりを挟む「夜勤の仕事は、利用者に安心して眠ってもらうことだ。その為なら、どんな嘘でもつく。言い方は悪いけど、朝になれば全部リセットされてるしな」
「あなたは一晩、彼らを騙し続ける。それが仕事だって言うのね」
「ああ。真剣に考えたらやりきれないよ。笑顔で嘘をつき続けるんだからな。彼らの人生が終わるまで」
「ごめんなさい、私……雅司みたいに受け入れられない。頭の中がぐちゃぐちゃで」
「気にしなくていいよ。これは俺の仕事だ」
「あの拘束だって……私、雅司なら一人になったら外すと思ってた。いくら事故を起こさない為とは言え、従うとは思わなかった」
「失望したか?」
ノゾミが大きく首を振る。
分かってる。仕方のないことなんだと。
それでも昨日の雅司を見ていると、真剣に彼らと向き合っていた。そんな雅司が受け入れるとは思えなかったのだ。
「自分の信念を貫き、拘束を解いたやつがいた。でもそのせいで利用者が転倒、それから死ぬまで寝たきりになった。この話はしたよな」
「ええ」
「それ、俺なんだ」
「え……」
「俺はその人の人生を滅茶苦茶にした。あの怪我がなければ、今でも元気だったかもしれない」
「雅司……」
「だから俺は、会社に従うことにした。逆らう資格もないからな」
「……」
「とにかくまあ、無事朝を迎えられた。それだけで今は満足だ」
「無事……ね」
「なんだなんだ、まだ何か言いたそうだな」
「だってそうじゃない。私からしたら、何が無事なのよって感じよ。利用者に罵倒されて、引っかかれて首を絞められて。それに便の処理だって」
「ああ、伊藤さんね。あんなの普通だよ」
「だからそれがおかしいんだって。オムツの中に手を入れて、便をつかんで食べてたのよ? 布団に擦りつけてたのよ? あの後雅司、彼女を洗って、シーツも交換して」
「ノゾミノゾミ、ちょっと声下げて。みんな飯食ってるんだから」
「あ……ごめんなさい」
どこにいるのかを思い出し、顔を赤らめうつむく。
「まあ、あれぐらい何てことないよ。ある程度回数をこなせば、対応するのも早いもんだ」
「人間って」
ストローに口をつけ、ノゾミがつぶやく。
「もっと自由なんだと思ってた。我が物顔で資源を浪費して、気ままに生きてる存在だって」
「まあ、そうだよな」
「でも……彼らを見てると、とても世界の覇者には見えない」
雅司が自嘲気味に笑う。
「どうしてメイが今日、ノゾミに施設を見せたのか。今なら分かるんじゃないか?」
「え……」
「確かに俺たち人類は、この地上で最も繁栄した種族だと思う。他の生物の居場所を奪い、自然を破壊し、文明を築いてきた。
おかげで今、それなりに満ち足りた生活をしている。でも」
「……」
「最後に行きつく場所は、みんなあそこなんだ」
そう言った雅司の顔を、見ることが出来なかった。
「科学の発展、医学の進歩。おかげで人間は、寿命すら伸ばすことが出来た。でもその代償として、新たな苦痛を生むことになった。認知症なんてのも、例外はさておき、高齢化の反動だ」
「……そうね」
「俺には昔、尊敬する先輩がいた。その人が口癖の様に言ってた。『努力すれば、人は幸せになれる』って」
「そうね。それも真理だと思う」
「でもな、努力……頑張ることが幸せの条件だって言うんなら、どうして彼らは今、あんなことになってるんだ?」
「それは……」
「彼らは俺より、ずっと長い時間生きてきた。辛いこともあった筈だ。俺なんかには想像も出来ないぐらい、悩み、苦しんだ筈だ。でも頑張ってきた。
なのに今の彼らはどうだ? 頑張った結果があれなのか? 子供に捨てられ、自由を奪われ。好きな物も食べられず、外に出ることも出来ない。しかも、どうしてこうなっているのかも理解出来ていない。
これが人生の終着点なのか? 俺たち人間は、こんな未来の為に生きているのか?」
雅司の言葉が胸に突き刺さる。何も言えなかった。
「そんなことを考えていたら、生きるのが馬鹿らしくなってきた。どれだけ努力しても、幸せな未来はこない。みんないつか、壊れていくのだから」
「……」
「なあノゾミ。お前は魔界、メイは冥界の住人だ。悪魔や死神がいるのなら、きっと神もいるんだろう」
「……否定はしないわ」
「なら教えてくれないか。どうして神は、人間にこんな結末を用意したんだ? それともこれは罰なのか? 神を捨て文明を選択した、人間に対する罰なのか?」
「だからあなたは……死を望むのね」
ノゾミは思った。
でもね、雅司。それでもあなたは、目の前の不幸から逃げていない。
どれだけ絶望に苛まれても、あなたはそこに留まっている。
死を選択し、そこから逃げることが出来ない存在。
それなのにあなたは、あの地獄に行くことをやめない。
自分の命が尽きるまで。
任務のおかげで出会えた、不思議な人。
私はあなたのことを愛さなければいけない。
でも……
契約の為に愛する、その考えを捨てよう。
それはきっと、あなたの魂に対する冒とくだから。
あなたが彼らに向き合う様に。
私もあなたと向き合おう。
昨日より、もっと正直な心で。
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