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第4章 泡沫の愉悦

024 カノン

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「俺にとってこの葉書は、他人から愛された唯一の思い出なんだ。辛い時や寂しい時も、これを見ると元気になれた。だから多分、これが俺の宝物だ」

 うつむく二人を見つめ、雅司がそう言って微笑んだ。




 エアーホッケーをしていた時の、雅司を思い出す。
 誰もが一度はしたことのある、ありふれたゲーム。
 しかし雅司は、今日が初めてだと言った。
 相手がいなかったから。
 両親も、そして妹も。しようとは言ってくれなかった。
 どれだけこの人は、孤独な日々を送って来たんだろう。

 たった一枚の葉書。それだけが宝物だと言った雅司。
 その言葉に、どれだけの想いが詰まっているんだろう。
 彼が何をしたと言うの?
 何も悪いことはしてないじゃない。
 誰よりも他人を思い、寄り添う人。
 誰よりも幸せになるべき人。
 そう思うと、笑顔が辛かった。
 二人は自然と雅司の隣に座り、抱き締めていた。

 手が震える。

 雅司は微笑み、二人の手を優しく握った。




 その時、インターホンがなった。
 モニターを見ると、白のスーツ姿の女性が映っていた。

「え……嘘……」

「な……なんであいつが……」

 ノゾミとメイ、二人が同時に声を漏らす。

「何だ、知り合いか?」

 雅司が尋ねる。しかし二人は視線をそらし、首を振った。

「どちら様ですか」

「雪城雅司さん、夜分に申し訳ありません。少しよろしいでしょうか」

「ああ、はいはい。お待ちください」

 玄関に向かい、後に続く二人に視線を移す。
 これは驚き……いや違う、畏怖だ。二人はこの来訪者に怯えている、そう思った。

「何のご用でしょう」

 そう言って扉を開けた雅司を、来訪者がいきなり抱き締めた。

「やっとお会い出来ました、雅司さん」

 耳元で囁く。

「な……き、貴様!」

「ちょ、ちょっと、不躾ぶしつけにも程があるでしょ!」

 ノゾミとメイが叫ぶ。
 女は動じる様子も見せず、微笑んだ。




 ソファーに招くと、来訪者は躊躇なく雅司の隣に座った。

「で……この人は誰なんだ。知り合いだよな」

 不満気に正面に座った二人に、雅司が尋ねる。

「知ってると言えば……知ってるかもね」

「……認めたくないがな」

 そう言って来訪者を威嚇する。
 そんな二人に微笑みながら、来訪者が答えた。

「私、カノンと申します」

「カノンさん、ね。それで? あなたはどういう存在なんですか」

 前置きを一切出さず、単刀直入に聞く。

「流石ですね。この状況に動じないだけでなく、冷静に把握しようとなさってる」

「まあ、既に色々起こってますからね」

「ふふっ」

 口元に手をやり、小さく笑う。

「私、天使というものをさせていただいてます」

「天使、ね……」

 悪魔、死神に続き、ついに天使様のご登場か。
 本当、どこのファンタジーだよ。そう思った。

「その天使さんが、俺に何の用でしょう」

「ふふっ。あなた、本当に面白い」

 そう言って、人差し指を雅司の太腿に這わす。

「ぎっ!」

 なまめかしい動きで太腿を撫でられ、雅司が思わず声を漏らした。
 ノゾミとメイの視線も気になる。

「あ、あの……カノンさん? これは一体」

「ふふっ、照れてるお顔も可愛いです」

 体を摺り寄せ、耳元で囁く。額に嫌な汗がにじんできた。

「あ、いや、その……カノンさん?」

「何でしょう、雅司さん」

「少し距離が近いと言うか……落ち着かないので、少し離れてもらえますか」

「ふふっ、女体を知らない訳でもないのにその反応、面白いです」

「いや……だから! すいません、一旦離れてください」

 そう言って両肩をつかみ、無理矢理距離を取った。

「あらあら本当、初心うぶなんですね」

 そう言って、再び笑う。

 いやいやあんた、本当に天使なのか? 
 あんたから漏れてるオーラ、誘惑してくるその態度。
 どっちかって言ったら、あんたこそ悪魔じゃないのか?
 そんな言葉が脳内に湧いてきた。

「……」

 ノゾミとメイに視線を移す。
 いつもなら俺たちの間に割り込み、無理矢理にでも引き離そうとするはずだ。
 しかし二人は拳を握り締め、じっと見つめていた。
 カノンが隣に陣取った時もそうだ。何も言わず、耐えているようだった。
 そこに違和感を感じた。

「ノゾミ、メイ。大丈夫なのか」

 思わず発した言葉。
 しかし二人は唇を噛み、何も言わない。

「カノンさん。あなたはその……彼女たちより上位の存在、と言うやつなんですか」

「私の行動、意図よりも、まずそこに疑問を感じるのですね。本当、面白い」

「いやいや、誰だってそうだと思いますよ。今のあいつら、明らかに変ですから」

「そうですね。確かに私は、彼女たちより上位の存在と言えるでしょう。何と言っても、神に近いのですから」

「あなたに逆らうことは出来ない、そう言うことですか」

「そんなことはないと思いますよ。現に私は今、彼女たちに何もいていません。ただ、そうですね……魂の奥深くに、ことわりとして刻まれてるのかもしれません」

「なるほどね」

 雅司は立ち上がり、キッチンに向かった。

「雅司さん?」

「どうやら俺には……と言うか人間には、そういう本能はないようです。あんたが天使だろうが神だろうが、そういうことに関係なく自分を保ててますから。
 ですので言いますが、今のようなスキンシップ、遠慮してもらえると助かります。こうすれば男は皆喜ぶ、そう思われてるようで不快です」

 自分の行動をばっさり切り捨てた雅司に、カノンが初めて表情を崩した。
 先程までの淫靡いんびな笑みも、相手を手玉に取るような視線も消えていた。

「コーヒーはお好きですか?」

「え、ええ……いただきます」

「ノゾミ、メイ。お前らも飲むよな」

「あ……う、うん……」

「ああ……」

 いつもと変わらぬ様子で準備する人間を、天使と悪魔と死神、3人が呆然と見つめた。


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