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第5章 動き出す運命

029 月下

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 ベンチに座ったノゾミは、月を見つめていた。
 あの日。雅司の最後を見届ける筈だった月を。




 少し肌寒い。
 ジャケット、着て来ればよかったな。そう思い、身を震わせた。

 カノンが口にした、雅司の想い。

 ――雅司が自分を愛している。

 天使の言葉。それは真実であることの証明だ。
 だから動揺した。自分でも驚くぐらいに。

 自分には成すべきことがある。だからそんな感情、不要だと思っていた。
 それが契約によって、彼を愛さなくてはならなくなって。
 愛について深く考えるようになった。
 そもそも、愛って何なんだろう。

 確かに私は、雅司に好意を持っている。でもそれは、メイやカノンに対する感情と同じだと思っていた。
 一緒にいて心地いい関係。それだけだと思っていた。

 だが、時折触れる彼の優しさに。
 胸が熱くなる時があった。
 何もかも忘れて、彼の温もりの中でまどろみたい。
 そう望む自分が、確かにそこにいた。

 私は今の生活を気に入っている。もう少し続いてほしい、そう願う時もある。
 しかしそれは出来ない。彼を愛した時点で、この生活は終わるのだから。
 全く、何て契約だ。
 今回の契約者は、どれだけ意地が悪いんだ。そう思った。
 でも不思議と、嫌な気はしない。
 その屈折こそが彼なんだ。
 そんな彼だから、好意を持つようになったんだ。

 どちらにしても、私たちに未来はない。
 私たちを待つのは、永遠の別離。
 それしかないんだ。
 でもそれが、自身のブレーキになっているとしたら?
 自分の中に、契約を果たしたくない気持ちがあるとしたら?
 もしそうなら、私は悪魔失格だ。

 悪魔にとって、最も大切なのは契約だ。契約の遵守こそが、悪魔の存在意義なのだ。
 それを違えることなど、絶対にあってはならない。
 どんな契約であろうと、達成しなければいけないのだ。

 それなのにカノンは、パンドラの箱を開けてきた。
 契約を反故にする方法、それを雅司に提示した。
 自分にとって、それが受け入れられないことだと知っている癖に。
 ひどい子だ。
 おかげで今、頭の中がぐちゃぐちゃなんだぞ。責任取れ。
 そう思い、身を震わせた。




 肩にジャケットがかけられる。
 雅司だった。

 無意識に笑顔になる。そしてそれに気付き、唇を噛む。
 今、一番会いたい人。
 そして一番、会いたくない人。

「上着ぐらい着て出ろよな」

 そう言って微笑み、隣に座る。

「ほら。これ飲んで暖まれよ」

 缶コーヒーを差し出し、再び笑う。
 口をつけると、全身に温もりが染みわたってきた。でもそれが、コーヒーのおかげでないことに気付き、赤面した。
 雅司も缶コーヒーを口にし、白い息を何度も吐いた。




「……何も聞かないのね」

「まあ……何て言うか、カノンに言っておきながら、自分が空気を読まなかったら馬鹿だからな」

「天使に説教だなんてね、ふふっ」

「ちょっと熱くなっちまったからな、言葉が過ぎたのは事実だ。後で謝っておいたよ」

「天使にあそこまで言う人間、初めて見たわ」

「何と言っても相手は天使、怒らせたら天罰が下るからな」

「優しい天使で助かったわね」

「まあでも、天使なんてあんなもんじゃないのか? 人間ごときの暴言、軽くいなすぐらいの度量はあるだろう」

「まあ、そうなんだけどね。ところで雅司、カノンに抱き着かれて随分ご満悦だったみたいね」

「何言ってるんだよ。俺、ちゃんと言ったよな、不快だって」

「言葉とは、感情を悟らせない為に吐く手段なのよ」

「なんだそれ、どこの哲学者様の言葉だよ。まさかお前、俺の魂に触れたんじゃないだろうな」

「ほら、やっぱりそうなんじゃない。赤くなってるし」

「んなことねえよ。確かにまあ、あいつに抱き締められた時、理性が吹っ飛びそうになったのは事実だけどな。あんな強烈な感覚、初めてだったよ」

「……馬鹿」

 そう言って、顔を見合わせ笑う。

「あいつはああ言ってたけど、言いたくないことは言わなくていいからな」

「私が言いたいとしたら?」

「勿論聞くさ。でも、無理してほしくない」

「……」

「俺にだって、お前らに知られたくないことはある。まあ、メイやカノンには知られてるみたいだが」

「不公平って思わない?」

「別に。知られたもんは仕方ない。済んだことで悩むのは非効率だ」

「本当、あなたって変わってる」

「そうかもな」

「でも……あなたはそれでいいんだと思う」

「俺の魅力に、ようやく気付いたようだな」

「何よそれ、ふふっ」

「ははっ」


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