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第3話 お隣さん・弥生 その1

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 悠人と川嶋弥生かわしまやよいの出会いは、二年ほど前になる。

 弥生は大学入学を機に悠人の隣室、702号室に越してきた。
 入居の挨拶で悠人の家に来た時、滋賀県の焼き物で有名な信楽町しがらきちょうから越してきたことを弥生は話していた。
 メガネの似合うかわいいポニーテールの女の子。どこか垢抜けていない、素朴で純粋そうな子、と言うのが悠人の印象だった。

 隣同士なので顔を合わせることも少なくなかったが、互いに挨拶をする程度で、それ以上の関係になるとはお互いに思ってもいなかった。



 それから一年近くたった冬のある日。

 悠人が仕事から帰ってくると、隣の玄関前でしゃがみ込み、カバンの中を全てひっくり返している弥生を発見した。

「……」

 こんな鉄板イベント、実際に目の前で見ることになるとは……

 鼻の頭を真っ赤にし、弥生が溜息をもらす。相当長い時間、ここでそうしているように見受けられた。
 白いコートタイプのダウンジャケットの前を開け、紫のハイネックが見え隠れするそこから、大きな胸であることはすぐ見て取れた。

 こんな時間にこんな姿を見たら、世の男共はほっとかないだろうな……そう思いながら悠人が声を掛けた。

「あの……こんばんは、えーっと……お隣さん?」

 悠人は弥生の名前を覚えていなかった。人付き合いに無頓着な悠人にとって、他人の名前を覚えるという行為は特に必要ではなかった。会話をすることもなく「お隣さん」で十分だったのだ。

 悠人の声に顔をあげた弥生。その瞳はうるうるしていた。

「お隣さんってひどいじゃないですか工藤さん。もう一年もここに住んでいるのに、私の名前、覚えてくれてないんですか。私は弥生、川嶋弥生です」

(ええっ?そっち?ひっかかるとこ、そっち?)

 そう思いつつ、悠人が頭をかきながら言った。

「あ、いやすいません、川嶋さん……じゃなしに、そんな事よりこんな寒い中、こんな所で何してるんですか」

「あ、そうでしたそうでした……実は鍵をどこかに落としてしまったみたいで、家に入れなくて困ってたんです、ぐすん……」

(ぐすんって擬音を口にするやつが、リアルの世界で本当に生息していたとは……)

「スペアの鍵は?」

「家の中でお休み中です」

「それはそれは意味のないスペアで」

「ううっ……ひどいお言葉」

「いつからこうしてるんですか」

「一時間ほど……」

「凍死しますよこんな日に。しかしよくこんな所で一時間も探してますね……お友達の家とか、どこか助けてもらえる所とかないんですか?」

「はい……友達の家も結構遠くて……というかもう無理、動けないです。携帯の充電もきれてるし、足も痺れちゃってるし、何より体中の細胞が暖を求めていまして……
 と言う訳で工藤さん、今こうして出会えたのも運命の巡り合わせ。どうでしょう、凍えて今にも死にそうなこのメガネっ娘を、しばらくお部屋に保護して頂けないでしょうか」

「俺の家って、男の家に若い女性がこんな時間に?いや流石にそれはまずいでしょう」

「いえいえご迷惑なのは百も承知。でも私、このままだと本当に凍死してしまいますです。手足も冷え切って動かなくなってきたみたいですし、このままだと動くのは口だけになっちゃいます」

(なぜに口?まぁ確かによく動く口だ。その口なら北極にいても凍らないかもな……)

「わがままが許されるなら、体の中と外に暖をとらせてください。それと携帯の充電を。充電が出来れば私、鍵のレスキュー隊に電話して来てもらいますから。後生です、工藤さん」

 年頃の女子を家に入れることに躊躇する気持ちはあったが、確かにこのままだと体を壊しかねない。まぁいいか、たまにはこうして人並みのご近所付き合いをするのも悪くない。そう思い、悠人がうなずきドアを開けた。

「ありがとうございます!」

 弥生がにっこりと笑い、店開きしていたものをカバンに詰め込むと、勢いよく立ち上がった。

「え……」

 立ち上がった瞬間、弥生は足のしびれでよろめき倒れそうになった。

 咄嗟に悠人が体を支えた時、弥生の大きな胸が悠人の腕にあたった。

「な……なんて重量感だ……」

「……工藤さんって、そういうキャラなんですか?」

「え……な、何がですか」

「何って今、私の胸のこと」

「……ってまさか俺、口に出してました?」

「はい、思いっきり」

 悠人が赤面した。しかし弥生は怒る様子もなく、にっこり笑いながら悠人の腕の中で体制を整えた。

「す……すいませんつい口に……」

「いえいえお気になさらないでください、この胸は両親からの最高の贈り物ですから。とにかく感謝します、工藤さん」

 そう言って悠人の手に弥生の手が触れた。そのひんやりとした感触に悠人が言った。

「本当に凍死寸前ですよ。とにかく中に入ってください」




 下駄箱の上。悠人手製のフィギュアがいきなり目に入り、弥生の瞳が鈍く光った。

(こ……これは……魔装騎士ゴッドゴーレム……)

 リビングに通され、手渡されたハンガーにダウンジャケットをかける。あらわになった紫のハイネックは、体のラインを忠実に表していて、何とも言えないなまめかしい雰囲気を醸し出していた。

(無防備な子だな……)

 ヒーターを弥生の足元に置き、電源を入れる。しばらくすると暖かい風が弥生の足元を包み込んだ。
 その間に悠人はやかんに火をかけ、紅茶の用意をする。

「砂糖は入れますか?」

「あ、はーい、二つお願いします」

 茶葉を入れたティーポットにお湯をゆっくりと注ぎこんでいく。紅茶の香りに悠人が満足そうに笑みを浮かべた。

「はい、熱いから気をつけてくださいね」

「ありがとうございます」

 弥生がカップを両手で持ち、紅茶に視線を注ぎながら「いただきます」と口をつける。体の芯まで暖まっていく感じに満足しながら、

「ふうぅっ……和みますぅ……」

 そう言って笑った。暖を取りほっとすると、弥生の脳裏に先ほど玄関先で見たフィギュアのことが蘇った。

(……一般人は当然知る由もなし、ヲタにさえ忘れ去られた作品。2期を作る前提で作られたため投げっぱなしで終了したにも関わらず、スタッフの予想を裏切り円盤も全く売れずに終わってしまった大爆死アニメ。そんなフィギュアを自作で持っている人はどう考えても一般人ではない……私にはこの大いなる謎を解明する権利と義務がある……)

 弥生がカップをテーブルにそっと置く。対する悠人は、女子を目の前に特に話題も浮かばず、落ち着かない様子で何度もカップを口にしていた。



「ゴーレムシャッフル……」



 うつむいた弥生が、低い声でそう言った。その瞬間、悠人が口にしていた紅茶をぶっと吐き出した。

「げほっ、げほっ」

 その場でむせ返り、咳き込む悠人。弥生の口元が緩んでいく。

「ヘブンアウト、ゴーレム」

 その言葉に悠人の薬指と小指が折れ曲がり、三本の指が自然と自らの胸に当てられた。

「しまった!」

 悠人が声をあげた。その仕草ににんまりとした弥生が立ち上がり、悠人の横で跪いた。

「そーだったんですね、工藤悠人さん!」

 悠人の手を両手でしっかと握り締め、顔に息がかかるほど近づいて弥生が言った。

「ちょ、ちょっと川嶋さん、近い、近いですって!」

「あ……」

 悠人の突っ込みに弥生は顔を少し赤らめた。

「ど、どうも……」

 動揺を隠し切れず、悠人は視線を下におろした。すると次に悠人の視界に、弥生の爆乳が入ってきた。

「ぬわっ!」

 悠人が再びうなってのけぞった。その悠人の手を離さず、逆にぐいっと引き寄せ、弥生がたたみ掛けるように話し出した。

「工藤悠人さん、あなたやっぱり、こちら側の人間ですね!」

「こ、こちら側?」

「そうです、我々人類の最終進化系、ヲタ族です」

「ヲ……ヲタって川嶋さん」

「間違いありません、工藤悠人さん、あなたヲタだったんですね!こんな、こんな近くに私が運命を感じれる人がいたなんて」

「いやあの運命って……と言うか川嶋さん」

「弥生です」

「は?」

「弥生とお呼び下さい悠人さん」

「ゆ……悠人って……」

「ヲタ同士、ファーストネームで呼び合うのは当然の礼儀じゃないですか悠人さん。私、実はこういう者なんです」

 財布の中から名刺を取り出し悠人に差し出す。

 そこにはメガネをかけた狸のイラスト付で『BMB絵師 窯本やおい』と書かれていた。


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