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CHAPTER 5
◇思いは巡り、やがて(向き合う/会わなかった理由/最期の痕跡/気づいてしまった基準)
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向き合う
守った、と思っていた
その人は、
もう社内にはいなかった。
退職の手続きは、
静かに終わっていたらしい。
ナコハがそれを知ったのは、
総務から回ってきた
淡々とした事務連絡だった。
> 〇月〇日付で、
◯◯さんは退職となりました
理由は書いていない。
今は、そういう書き方が正しい。
ナコハは、
その名前を見て、
一度だけ瞬きをした。
――あの子だ。
廊下で、
資料を抱えて立ち尽くしていた若手。
泣いたと噂された、
でも誰も正式には触れなかった人。
「大丈夫だったはず」
そう思った瞬間、
その言葉が、空中でほどけた。
大丈夫に“見えた”だけだ。
会わなかった理由
ナコハは、
自分が何をしなかったかを
正確に思い出せてしまう。
・仕事は振らなかった
・責める言葉も言わなかった
・制度に沿った対応はした
だから、
「守ったつもり」になれた。
――私は、
――直接切っていない。
――私は、
――悪意を向けていない。
それらは、
すべて事実だった。
だが、
事実だけでは、
人は残らない。
最後の痕跡
その日の帰り。
ナコハは、
給湯室の隅に残された
小さな箱に気づく。
私物入れ。
返却し忘れたもの。
中には、
メモ帳と、
使い古したペンと、
簡単な付箋が一枚。
> ナコハさん
あのとき、
話を聞いてくれて
ありがとうございました
日付は、
廊下で声をかけた、
あの日。
それだけ。
恨みも、
非難も、
書かれていない。
ナコハは、
しばらくその文字を見つめた。
――私は、
――一度は、支えになった。
でも、
それを続けなかった。
気づいてしまった基準
その夜、
輪っぱの弁当箱を洗いながら、
ナコハは考える。
切らなかった。
でも、
支え続けもしなかった。
「切らない構造」は、
“その場”では、
誰も傷つけない。
だが、
支えがなければ、
人は自然に落ちていく。
それは、
制度のせいでも、
個人の弱さでもない。
――空白だ。
守ったつもりで、
放置した空白。
そこに、
人は落ちる。
向き合う、ということ
翌日。
ナコハは、
新社長に報告しなかった。
改善案も、
提案もしない。
ただ、
自分の手帳に一行だけ書いた。
> 「切らない」と
「支える」は、
別の行為
それが、
今の自分にできる、
唯一の向き合い方だった。
フロアには、
相変わらず人が少ない。
だが、
昨日より、
声をかけるまでの距離が、
少しだけ縮まった。
それだけでいい。
救えなかった人がいることを、
なかったことにしない。
それが、
ナコハの基準になった。
――私以外、居なくなってた。
その言葉は、
もう免罪符ではなかった。
責任の、
始まりだった。
「政策の副作用」
外部からの揺り戻し
実家からの電話は、軽かった。
「それって、自分勝手じゃない?」
母は、悪意なくそう言った。
「選ばない」とか「切らない」とか、
そういう話をすると、必ず出てくる言葉だ。
元同僚からのメッセージも似ていた。
「結局、楽な側に回ったんでしょ?」
ナコハは、反論しなかった。
反論できなかったのではない。
反論する必要がないと、初めて思った。
自分の基準で選んだ結果、
誰かが不快になるなら、それは仕方がない。
だが、胸の奥に、薄い罪悪感は残った。
守った、と思っていた
その人は、
もう社内にはいなかった。
退職の手続きは、
静かに終わっていたらしい。
ナコハがそれを知ったのは、
総務から回ってきた
淡々とした事務連絡だった。
> 〇月〇日付で、
◯◯さんは退職となりました
理由は書いていない。
今は、そういう書き方が正しい。
ナコハは、
その名前を見て、
一度だけ瞬きをした。
――あの子だ。
廊下で、
資料を抱えて立ち尽くしていた若手。
泣いたと噂された、
でも誰も正式には触れなかった人。
「大丈夫だったはず」
そう思った瞬間、
その言葉が、空中でほどけた。
大丈夫に“見えた”だけだ。
会わなかった理由
ナコハは、
自分が何をしなかったかを
正確に思い出せてしまう。
・仕事は振らなかった
・責める言葉も言わなかった
・制度に沿った対応はした
だから、
「守ったつもり」になれた。
――私は、
――直接切っていない。
――私は、
――悪意を向けていない。
それらは、
すべて事実だった。
だが、
事実だけでは、
人は残らない。
最後の痕跡
その日の帰り。
ナコハは、
給湯室の隅に残された
小さな箱に気づく。
私物入れ。
返却し忘れたもの。
中には、
メモ帳と、
使い古したペンと、
簡単な付箋が一枚。
> ナコハさん
あのとき、
話を聞いてくれて
ありがとうございました
日付は、
廊下で声をかけた、
あの日。
それだけ。
恨みも、
非難も、
書かれていない。
ナコハは、
しばらくその文字を見つめた。
――私は、
――一度は、支えになった。
でも、
それを続けなかった。
気づいてしまった基準
その夜、
輪っぱの弁当箱を洗いながら、
ナコハは考える。
切らなかった。
でも、
支え続けもしなかった。
「切らない構造」は、
“その場”では、
誰も傷つけない。
だが、
支えがなければ、
人は自然に落ちていく。
それは、
制度のせいでも、
個人の弱さでもない。
――空白だ。
守ったつもりで、
放置した空白。
そこに、
人は落ちる。
向き合う、ということ
翌日。
ナコハは、
新社長に報告しなかった。
改善案も、
提案もしない。
ただ、
自分の手帳に一行だけ書いた。
> 「切らない」と
「支える」は、
別の行為
それが、
今の自分にできる、
唯一の向き合い方だった。
フロアには、
相変わらず人が少ない。
だが、
昨日より、
声をかけるまでの距離が、
少しだけ縮まった。
それだけでいい。
救えなかった人がいることを、
なかったことにしない。
それが、
ナコハの基準になった。
――私以外、居なくなってた。
その言葉は、
もう免罪符ではなかった。
責任の、
始まりだった。
「政策の副作用」
外部からの揺り戻し
実家からの電話は、軽かった。
「それって、自分勝手じゃない?」
母は、悪意なくそう言った。
「選ばない」とか「切らない」とか、
そういう話をすると、必ず出てくる言葉だ。
元同僚からのメッセージも似ていた。
「結局、楽な側に回ったんでしょ?」
ナコハは、反論しなかった。
反論できなかったのではない。
反論する必要がないと、初めて思った。
自分の基準で選んだ結果、
誰かが不快になるなら、それは仕方がない。
だが、胸の奥に、薄い罪悪感は残った。
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