梨とリンゴ

田中葵

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もともと

やわらかな湯気

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<あらすじ>
鄭一家:最近自炊が面倒に感じ、夫婦で外食巡りの日々。そこに帰省した(と言っても同じ都心で)、長女・燐。さてさて、何の話が出るかな?
女性客:ラーメン屋の暖簾をくぐると、そこはわたしのパラダイスラーメンなるとぴかぴか(新しい)ところが、突然あることを思い出し涙が溢れ出す。

<登場人物>
楊美鈴(ヤン ミーリン 63):客の一人。浩傑の妻。物産店経営者
鄭浩傑(テイ コウケツ 62):客の一人。美鈴の夫。物産店経営者
鄭燐(テイ リン 45):客の一人。美鈴と浩傑の実娘。都心にあるバルのオーナー。久々に実家帰り
女性客:年は隠してる謎めいた人。化粧が濃い
店主:爺さん
男店員:おっさん
〈話に出る〉
鄭葉(テイ ヨウ 44):美鈴と浩傑の養女(浩傑兄の元隠し子)。燐と勒の戸籍上の妹。最近事実婚解消した。一女一男あり
鄭翔(テイ ショウ 13):美鈴と浩傑の孫。燐の姪。葉の実娘。中身はほぼ男子笑
楊婉(ヤン エン 享年82):美鈴の母。孫の勒だけ溺愛し、他から顰蹙を買う。2021年、肺炎で死去
鄭勒(テイ ロク 45):燐の双子の弟。実両親と疎遠、姉とは話せる
鄭周(テイ シュウ 40):燐と勒の弟。葉の戸籍上の弟。持ち前の大人しさが災いしてか、2年前にパワハラを受け退職。株式投資で稼ぐ
鄭環(テイ カン 32):美鈴と浩傑の養女。燐と勒と葉と周の戸籍上の妹。神経質で鬱持ちだがオーストラリア長期留学中(科学の博士課程)

<本文>
こちら鄭浩傑&楊美【鈴】一家。
「腹減った~」
「食べ行こ!」
「ファミレスかい?」
「今日はラーメンラーメン」
こういうときの「ラーメン」は、ラーメン屋のものを指す。

あっという間にお目当ての店内へ。
店の間取りは、入り口から見てカウンター7席とそれ越しの厨房を真ん中にした場合、左手に木製の座卓と座面に畳の敷かれた個室席3組。前の業態が和食屋だった名残かもしれない。
そして通路突き当りに洗面所がある。トイレの近めな美鈴にとってはとても助かる配置。
一方、右手にはテーブル席が6席ほど、厨房側の天井に面した壁面に液晶テレビが掛かっている。
店主の爺さんが機嫌良さげに雑誌棚を整え、会釈しながら
「鄭サン、今日は一家で♪」
浩傑、ちょっと照れ混じりに頭をかきながら
「ええ。娘とは久しぶりなもんでスマイル」
隣りにいた燐もはにかみながら爺さんに会釈した。

先に席を陣取った美鈴は、さっさと娘の燐を勢いよく手招きした。
「ほらほら、コッチ!」
呼ばれて向かいの奥の席へ。

―――――

注文した品が来るまでペチャクチャ。
燐から何気なく
「そいやさー」
「なぁに?」
「ミーリン心なしか痩せた?」
「どうして?」
「何てか…最近葉から聞いたんだけど、翔ちゃんそっちにいつも遊び来るって本当なの?大丈夫?」
「大丈夫って、どういうこと?ねぇ私分からないんだけど」
来た。こういう人なんだ母は、と燐は思う。
「えっと、最近葉が内縁夫と別れたじゃない。今はそれより前にワインの試飲会で知り合った他の男とイチャラブじゃん。で、孫娘の翔ちゃん居場所微妙になってからいつも来るようになった。ここまで分かるよね?」
美鈴はおぼろげながら思い出したようで、自信無げだが小さく頷き、
「まぁ…私そんなに苦しくないから。心配ありがとうね」
「そっか。まあ頑張ってウインク何かあればメールして」


燐が美鈴を落ち着かせたところで、飯が来た。
「来たぁハート」
「ここの麺好きー♪」

ウチはいつも普通のラーメン注文して、それぞれトッピングで味を変える。いつもこうして早食いのパターン。
昔、たしか葉だけ豚骨ラーメンやバターラーメンそれぞれ大盛り頼んでガッツリ平らげてたな。あの子の食欲はすごかった。軽く懐い…と少ししみじみした燐。

―――――

先に食べ終えた浩傑の目が雑誌棚へ。まもなくトコトコ歩いて行き、新聞と週刊誌を各一部手にして席につく。
遠くにある液晶テレビから高校野球のハイライト解説が皆の聴こえるも、画面が見られない。代わりにと言ってはなんだが、後から来た建設現場帰りと思われる4人の男たちがそれを肴に談笑している。スポーツの話が好きな燐はそれを羨ましく思った。は、話の輪に入りたい…その感覚でウズウズしちゃう。

だしぬけに浩傑から、
「そいや今月23日、おばあちゃんのお墓行くつもりだけど、燐も来るかい?」
これに燐は、
「まぁ最近は行ってないからなぁ…他に予定無きゃ行くわ」
穏やかに微笑む美鈴。
おばあちゃん=美鈴の亡母・婉の話になり、しばらく持ちきりになる。
さてここ発表の場はmixi。あまりにえげつない言動が多く筆舌に尽くしがたいため詳述は省くが、生前は”関係クラッシャー“の異名を取るほど人の好き嫌いが極めて激しく、特に孫の勒ばかり溺愛するのには閉口した思い出が鮮烈。
一通り話し終え、一息ついた美鈴は、
「何で今さら」と呆れた。
燐も沿うように、
「結局、私たちの中で終わってないってことよ」と、客観的に補う。
とは言え、双子の片方として長い時間を共に暮らした同士でもあり、一旦は自身も本国で暮らすことも考えた身でもあるため、現在は中国本土で暮らす勒に対して羨ましくもあり。それでも今、都心数か所でバルのチェーン店をまとめる自分も捨てたものじゃない、と誇りもある。何だかんだで、私のホームカントリーは日本だ。堂々としてればいい。
燐は、改めて襟を正し、顎を上げた。

また浩傑、
「あとは…豪州行ってる環(カン)は来れんでも、周(シュウ)。アイツも誘うか。皆どうだ?」
誰も異論はなかった。ふと美鈴から、
「たまにはいいでしょ。話せるときに聞いとくわ」
環は、末っ子。ここ数年は夏の休暇をカラッとした気候の留学先で過ごしていて、連絡はウェブでしかしない。帰省して鬱の具合悪くしたら何しに来た?となりかねない。流石にそれは皆困る。おまけに機嫌損ねると「バカ!私の部屋勝手に入んないで!」「用がなければ放っといて……」こんな塩梅。浩傑いわく「手に負えんわ」。
周は、環の手前に生まれた男子。とにかく喋らないしめったに怒らない。時に居ないかのように思えることすらあったほど。店番してたときの電話取り次ぎはやたらうまかった。が、忙しなさすぎる環境に馴染めなかったのか、紆余曲折を経て個人投資家へ鞍替え。美鈴いわく「器用だわ」。

ここから先は、それぞれ好きにくつろいだ。


――――――――――


あちら女性客一人。
性別問わない一人客ウェルカムな深夜営業の飲食店は彼女のパラダイス。とりわけラーメン屋はお気に入り。
愛車のムーヴを広々してるパーキングに停めていざ中へ!と勇み出る。

煌々とした光が、いつになくまばゆい。
店の中は暖かく、他に来ている客はまばら。…と思ったら、個室の席が一組埋まっている。
厨房でおっさんが麺を茹でているところらしい。
「へいらっしゃい」
そんなに強くないが確かに耳に届く厨房からの声。これも好きなんだ。との弁。



カウンター席の右端に座って、店主に
「わかめラーメンひとつ!」
厨房からハリのある声で
「あいよ!」
何だか近年雲行き怪しげないきなりステーキならぬ、いきなりドカン!とマグニチュード7くらいの【悲しみ】。
どうして……今さら来なくていいのに。
彼女のなかで、長年パーキンソン病で苦しんだすぐ下の妹と老衰していた祖母を看取って張り詰めていたものがこのとき一気に崩れ出した。これらしか考えられない…彼女は直感した。そして何故か、店主からその尋常でなさを見られていたが、そんなに悪い気はしなかった。

それから間をおかず、意識しないまま【七味唐辛子】をわかめラーメンの入っている器を橙色に染めあげるほど大量にかけてその勢いに任せて一気に完食し、気づいた彼女は店主に追加でその分を支払いたいと伝えた。店主からは「まあ、いいって。ごゆっくり」となだめられる。彼女はその温情にホロっときた。

―――――

浩傑が読み終わった雑誌と新聞を棚に戻しに、店の真ん中に移動する。そのとき、向かいのブースのカウンター席に座って啜り泣く女性の一人客に、つい持ち前のフランクさで話しかけてしまった。
「どうした?」
彼女はキョトンとしたが、とっさに
「な、何でもありません!すいませんあせあせ(飛び散る汗)」
そのときは浩傑も「ああ、ごめんね…」と声をかけて去った。

―――――

彼女がトイレを出て、浩傑に深く礼をしながら
「先ほどは、ありがとうございました。嬉しかったです」
こんどは浩傑のほうがポカンとして
「そ、そうか。…よかった」
燐も
「父がまたやらかしたみたいですが、お役に立てたようでよかったです…」
彼女はもう一度軽く会釈をして会計に移った。


店を後にする直前、まだまだ来るだろういつもの客たちのために店主が次々と仕込む麺の湯気をまた感じに来たいと、名残惜しみながら出入口のドアを開いた。

〈終〉


―― Materials ――
『想い出食堂』漫画集
ちょっとスガシカオ辛味フリーク話
九月乃梨子さんの漫画
『インフルエンス』近藤史恵新潮社(女性客の妹の懐旧談みたいなものとして)
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