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1.Trouble
2.「……すみ……ません……大丈夫……」「よかった/無理しないでね」
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週明けの月曜、午前十時。
総務の奥にある会議スペースで、小さな騒ぎが起きていた。
「ちょっと、誰か来てくれませんか……!
大西さん、倒れたみたいで……!」
声を上げたのは入社2年目の女性社員で、顔色が完全に青ざめている。
倒れたのは経理担当の大西──普段は穏やかで、決して無理を口にしないタイプの男性だ。
千里は迷わず駆け寄る。
だが、その横で、別の社員がすぐに言った。
「救急……呼んだほうがいいのかな?
でも、本人いやがらないかな……」
「大西さんって、前も具合悪そうだったよね?」
「うん。でも“大丈夫、大丈夫”って言ってたし……」
(え……今それを気にするの?)
大西は目を閉じ、呼吸は浅く、額には汗が浮かんでいる。
明らかに“様子見で済ませる段階”ではない。
千里が声をかける。
「大西さん、聞こえますか? 意識あります?」
反応は弱い。
千里はすぐに判断する。
「救急を呼びます。誰か総務の課長に伝えてください」
そう言った瞬間、周囲に微妙な沈黙が走った。
「あ……でも、課長、機嫌悪そうだったしな……」
「月曜の朝から騒ぎにすると、あとで言われそう……」
「ほら、あの人、表面は優しいけど裏でグチグチ言うから……」
千里は一瞬だけ呼吸を止めた。
(この人たち……“怒られたくない”が優先なんだ)
それは悪意ではない。むしろ“優しさのテンプレ”に従っているだけ。
──決して衝突しない。
──波風を立てない。
──困っている人に“気を遣いすぎて”、必要なときでも踏み込まない。
その優しさは、いざという場面では、責任を回避するための盾に変わる。
ひとりが言う。
「でも、もし本人が『救急なんて』って嫌がってたら……
ね? 気まずくなるし、かわいそうじゃん」
その言い方は、あたかも“思いやりのある選択”のように聞こえる。
しかし千里には、
それが「責任を負いたくないだけの優しさ」にしか見えなかった。
(この会社……“優しいふり”が文化になってるんだ)
千里はすぐにスマホを取り、救急へ連絡を始める。
「すみません、総務の大西という社員が倒れて……意識が不安定で──」
その最中でさえ、周囲からこんな声が漏れる。
「うわ……本当に呼んじゃった」
「課長、絶対あとで言うよ……」
「まあ……中途の人だしね?」
(誰かが責任を取らなくて済むように——
誰かが誰かの“あとで文句を言う人”の機嫌を守るために——
必要な行動すら躊躇う会社)
千里は、救急の指示に従いながら、静かに確信した。
ここは、危ない。
優しさの形をしているだけで、人を守れない。
◆
救急隊が到着し、状況を確認する。
大西は担架に乗せられながら、弱く目を開いた。
「……すみ……ません……大丈夫……」
(大丈夫じゃないから、今こうなってるのよ)
千里が胸の中で呟いた瞬間、
周囲の社員たちが口々に言い始めた。
「よかった……意識戻ったね。
大西さん、無理しないでね?」
「また元気になったら戻ってきてくださいね~」
言葉はやさしい。声のトーンも気遣いに満ちている。
だがその直後、
千里のすぐ後ろで、小声でのやりとりが始まった。
「やっぱりこういう時、面倒よね……」
「救急来ると手続き増えるし」
「課長の機嫌も……」
「でも、まあ……大西さん、ストレス多かったしね。
“自己管理”も仕事のうちって言うし」
(……ああ、そういう会社か)
千里は、悟るように息を吐いた。
大西が倒れた理由は、誰からも深掘りされない。
責任が問われることも、改善が検討されることもない。
──“誰のせいでもない”という形にしておきたい。
──“優しく”しておけば問題は流れていく。
そんな《悪意なき無責任》が会社を覆っていた。
◆
救急隊が去り、フロアには何事もなかったかのように
キーボードの音が戻る。
周囲の誰もが、
数十分前の出来事を“なかったこと”にするテンプレの笑顔を浮かべていた。
千里は席に戻りながら、こう思う。
(この会社では——
本当に人が倒れても、
“優しい声”で表面を整えれば、それで終わりなんだ)
背筋に、冷たいものが走る。
(ここに長くいると……私まで、同じようになる)
千里は椅子に座り、まっすぐ前を見た。
その目は静かで、
しかし、もう後戻りできないほど強い警戒の色を帯びていた。
総務の奥にある会議スペースで、小さな騒ぎが起きていた。
「ちょっと、誰か来てくれませんか……!
大西さん、倒れたみたいで……!」
声を上げたのは入社2年目の女性社員で、顔色が完全に青ざめている。
倒れたのは経理担当の大西──普段は穏やかで、決して無理を口にしないタイプの男性だ。
千里は迷わず駆け寄る。
だが、その横で、別の社員がすぐに言った。
「救急……呼んだほうがいいのかな?
でも、本人いやがらないかな……」
「大西さんって、前も具合悪そうだったよね?」
「うん。でも“大丈夫、大丈夫”って言ってたし……」
(え……今それを気にするの?)
大西は目を閉じ、呼吸は浅く、額には汗が浮かんでいる。
明らかに“様子見で済ませる段階”ではない。
千里が声をかける。
「大西さん、聞こえますか? 意識あります?」
反応は弱い。
千里はすぐに判断する。
「救急を呼びます。誰か総務の課長に伝えてください」
そう言った瞬間、周囲に微妙な沈黙が走った。
「あ……でも、課長、機嫌悪そうだったしな……」
「月曜の朝から騒ぎにすると、あとで言われそう……」
「ほら、あの人、表面は優しいけど裏でグチグチ言うから……」
千里は一瞬だけ呼吸を止めた。
(この人たち……“怒られたくない”が優先なんだ)
それは悪意ではない。むしろ“優しさのテンプレ”に従っているだけ。
──決して衝突しない。
──波風を立てない。
──困っている人に“気を遣いすぎて”、必要なときでも踏み込まない。
その優しさは、いざという場面では、責任を回避するための盾に変わる。
ひとりが言う。
「でも、もし本人が『救急なんて』って嫌がってたら……
ね? 気まずくなるし、かわいそうじゃん」
その言い方は、あたかも“思いやりのある選択”のように聞こえる。
しかし千里には、
それが「責任を負いたくないだけの優しさ」にしか見えなかった。
(この会社……“優しいふり”が文化になってるんだ)
千里はすぐにスマホを取り、救急へ連絡を始める。
「すみません、総務の大西という社員が倒れて……意識が不安定で──」
その最中でさえ、周囲からこんな声が漏れる。
「うわ……本当に呼んじゃった」
「課長、絶対あとで言うよ……」
「まあ……中途の人だしね?」
(誰かが責任を取らなくて済むように——
誰かが誰かの“あとで文句を言う人”の機嫌を守るために——
必要な行動すら躊躇う会社)
千里は、救急の指示に従いながら、静かに確信した。
ここは、危ない。
優しさの形をしているだけで、人を守れない。
◆
救急隊が到着し、状況を確認する。
大西は担架に乗せられながら、弱く目を開いた。
「……すみ……ません……大丈夫……」
(大丈夫じゃないから、今こうなってるのよ)
千里が胸の中で呟いた瞬間、
周囲の社員たちが口々に言い始めた。
「よかった……意識戻ったね。
大西さん、無理しないでね?」
「また元気になったら戻ってきてくださいね~」
言葉はやさしい。声のトーンも気遣いに満ちている。
だがその直後、
千里のすぐ後ろで、小声でのやりとりが始まった。
「やっぱりこういう時、面倒よね……」
「救急来ると手続き増えるし」
「課長の機嫌も……」
「でも、まあ……大西さん、ストレス多かったしね。
“自己管理”も仕事のうちって言うし」
(……ああ、そういう会社か)
千里は、悟るように息を吐いた。
大西が倒れた理由は、誰からも深掘りされない。
責任が問われることも、改善が検討されることもない。
──“誰のせいでもない”という形にしておきたい。
──“優しく”しておけば問題は流れていく。
そんな《悪意なき無責任》が会社を覆っていた。
◆
救急隊が去り、フロアには何事もなかったかのように
キーボードの音が戻る。
周囲の誰もが、
数十分前の出来事を“なかったこと”にするテンプレの笑顔を浮かべていた。
千里は席に戻りながら、こう思う。
(この会社では——
本当に人が倒れても、
“優しい声”で表面を整えれば、それで終わりなんだ)
背筋に、冷たいものが走る。
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