ようよう白くなりゆく

たかせまこと

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母との遭遇

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 細かいことはわからない。
 ただ、小学六年生の秋っていう、受験勉強のスタートにはかなり遅い時期に、シュンは塾に通い始めた。
 春になって、どこの家からどこの学校に通うかは、受験の結果で決めることにしたようだ。

「郁の影響が大きいわな」

 今年の秋に初めて、こたつに布団をかけたら動けなくなったと、寺の居間で笑いながら住職が言う。
 こたつの電源はまだ入れていない。
 もう少し秋が深まって、早生のミカンが店頭に並びだしたら、コードを繋ぐんだって。
 こたつにミカンはマストアイテムだからと住職が笑うけど、「結局そこまで待てなくて、じきに電源入れる」というのがテルさんの意見。

「おれですか」

 一緒にこたつに入っているおれの前には、緑茶とせんべいがある。
 恒例のおやつの時間は、今もまだ続いている。

「お前、シュンに『おれを惚れさせてみろ』って、言ったそうじゃないか」
「はあ……そういえば、言いましたね」

 だって、他に言いようがなかった。
 シュンはしっかりした子だっていったって、まだ小学生だし。
 好きだって――テルさんとひーさんのようになりたい好きだって言われたって、おれにとっては弟みたいなもんで、恋人の対象にはならない。
 嬉しいとは思った。
 だから、断れなかった。
 断りたくなかった。
 だけど、シュンを恋の対象としては見られない。
 おれ、ズルいなって思ったんだ。
 しっかり断ってやった方がいいんだって、なんとなく察してくれなんてズル過ぎて、あとから傷が大きくなるだけだって、知っているのに。
 なのに、シュンが離れていくのは嫌で、その場しのぎっていうか、時間稼ぎなことを言った。
 そんなズルいことをしたって、自覚はある。

「『いい男になれ』って言われたから、なってみせるんだそうだぞ」

 お前は罪な奴だなあと、住職は笑う。

「ええ~」
「まあ、難しく考えんでいい。シュンもお前さんも、時間がたてば色々と身についていって、考えも変わっていくだろうしな」
「変わってくれたらいいんですけどね」
「ん?」
「おれは……そんな、いいように思ってもらえるニンゲンじゃないんで。たくさんの人に会っていっぱい経験積んで、シュンが変わればいいのにって思います」
「そうか」

 住職は静かだった。
 静かな住職の横顔を見ていて、初めて、住職が不思議な人だって思った。
 二人のおじいさん――何かと話題に上がる母親のお父さん、なんだろ?
 娘と孫が仲悪くって、どこまではっきり知っているのか知らないけど孫の一人は男とつきあっていて、もう一人の孫は男が好きだと言い出して。
 孫が好きだと言っている相手のおれと、こたつでせんべいを食ってる。
 なにをどう思ってるのかは口に出さないで、笑ってる。

「けどな、人は変わるんだよ」
「ですかね」
「死ぬまで修行だからな」

 くふふと、笑って住職は茶をふくむ。
 テルさんは『雑な人』だと、住職を評する。
 だけど、絶対そうじゃない。
 遠い未来、こういう人になれたらいいなって、ひっそり思った。




 テルさんの在宅仕事のひとつは、聖さんの助手というかアシスタントみたいなもの、らしい。
 結局史料の撮影に、テルさんの手を借りてサクサクとすすめることになった。
 おれが一人でああだこうだしてるより、ずっとキレイな写りだし、作業が早い。

「これに価値があるとは、やっぱり思えない……」

 写しても楽しくない。
 美しさがない。
 テルさんは口ではそう言いながら、作業する。
 埃っぽくてぼろっちい紙だから、そう見えるのはしょうがないけど、すっげえいいものですからね!
 今日も作業って感じでどんどん撮影していくテルさんの横で、おれはうっかり史料の文字を読んでしまって、感動してる。

「めっちゃいいものです」
「うん、いっくんにとってそうなのは、理解した」

 しょうがないなって笑いながら、テルさんは次の作業を指示してくれる。
 予算がないので格安価格ですいませんって思うけど、ありがたいのも事実。
 ホントお手数おかけします、すいません。
 手伝ってもらうようになって、格段にスピードがアップした。
 期間内に撮影が全部終われるといいなって、楽観的に思えるようになってきた。

 ふたりで時間まで作業をして、家に帰る。
 心地よい時間。
 塾に行っているシュンを待ちながら、家のことをしたりして、のんびりすごす。
 暮れた空も澄んでいて、薄雲をまとった月が浮いている。

「明日も晴れるといいなあ」
「いい気候になったよね」

 夕食の支度も済んで、テレビ見ながらゆったりと過ごしていた時間を変えたのは、バタバタと家に駆けこんできたシュンだった。

「おかえり~?」
「おかえり。シュン? どうした?」

 荒々しく玄関をしめて、中に入ってきたシュンはテルさんに抱きつく。
 珍しく、甘えているのかと思ったら、違った。
 シュンのあとから、女が家に入ってきた。
 パリッとしたスーツの、気の強そうな女。

「こっち来なさいってば。連休中に集中講座があるの。受けといて損はないから」
「やだ。模試の結果は悪くなかった。休むときには休んでいいって言った」
「受験終わってからゆっくり休めばいいじゃない」

 当たり前のように家に入ってきて、当たり前のようにシュンを連れ出そうとする女。
 ああ、この人がって気がついた。
 二人を産んだ人。

「母さん、久しぶり。いったい何事かな?」
「テル。ハルちゃん、連れて行くから」

『ハルちゃん』って、その人はシュンを呼んだ。
 確かに、シュンの名前は『ハルアキ』が正しい読みなんだけど、なんだかその呼び方が違うんじゃない? って、感じた。

「やだ!」
「って言ってるし、何の騒ぎか、わからないんだけど」

 シュンを撫でながら、テルさんが口を開いた。
 おれはできるだけ気配を消して、成り行きを見守る。
 だって、家庭の事情だろうしさ。

「連休の間、講習受けるのに、家からの方がいいから家に帰りましょうって言っているの」
「ああ、そういえば……講習、あったな」
「もう、適当なんだから。ほら、だからハルちゃん、お母さんと一緒に帰りましょう」
「休んじゃダメって言うんなら講習は行くけど、こっからだってちゃんと行けるし! あんたのとこ行く必要ないじゃん」

 シュンはテルさんにしがみついて、絶対に行くもんかという構えでいる。

「たまにはちゃんとお母さんのいうこと聞いて。もう、テルが甘やかすから、全然お母さんの言うこと聞いてくれない。ハルちゃん、わがまま言わないの。講習会時間が長いから、通うだけで疲れちゃうじゃない。さ、お家に帰ろう」
「オレの家ここだから」
「ここはテルの家でしょう」
「おれんちだし」
「ハルちゃんのお家は、お母さんと一緒のところよ」
「違う。オレの家は、ここ」

 あんたのとこじゃない。
 シュンがそう言ったら、その人の雰囲気が急に変わった。

「違うでしょう? 両親がいるところが家でしょう。あなたの家はここじゃないの。お母さんたちのいるところなのよ」


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