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しおりを挟む◇ お飾りの妻の仕事
朝、目覚めると見慣れない天井が視界に映る。
ただ、すぐに昨日の出来事を思いだすことができたが。自分が一度もお会いしたことがない九条 李玲様と結婚をしたことを。
更には白い結婚なのでそれで問題ないことも。
ただし……
私は起き上がるとすぐに一人で身支度を始めたが。白い結婚だけれどやるべきことはあるので。それに自室でのことは全て自分でやると契約書に記入も。
こんな傷、絶対見せられないからと、私は鏡に映る魔獣の歯形と右肩全体を覆う黒い痣を見つめる。
ちなみに現在、私は末期の魔蝕病(ましょくびょう)に侵されているのだ。余命は後二年持てば良いほうの。
まあ、だからこそ今回の白い結婚……私にとって最初で最期の好機になるのだけれど。
財政が苦しい宗方家と一年間だけお飾りの妻を欲した九条家。双方にとって利害が一致した結婚。
ただし、先ほども言ったようにただ座っているだけではないので私は身支度を済ませると早速、九条家から依頼された仕事をこなすために契約書に目を通していくが。
一、縁談を迫ってくる他家に結婚したことを報告する
二、九条様と一緒にパーティーに出席すること
三、九条様と外では仲が良いことを他者に見せること
後、細々しているが簡単な内容にも目を通していく……が、すぐに資料を置くと私は溜め息を吐いてしまう。
何せ契約内容が私自身、今までしたことがない事柄ばかりだったので。
もちろん契約とはいえ仕事内容は妻がやるべき事柄だったので当然といえば当然なのだけれどと、そう思いながらも徐々に不安になっていっていく。本当に自分で良かったのだろうかと。
「たとえ都合が良い相手だったとしても……」
そう呟いた直後、契約書にサインをした後の匙裏さんの言葉を思い出す。格式ばった相手だと駄目なのだという言葉を。
何せ縁談を迫ってくる相手が格式高い家柄なので同等の家柄だと拗れる可能性があると。最悪は和国と溱璽国間での問題に発展も。
ただ、それでも私の家柄ではもっと悪いような気もするのだけれどと、考えれば考えるほどそう思ってしまう。
しばらくしてそれ以上のことを考えるのをやめるが。なぜって今回そのおかげで大役をもらえたのだから。
九条家のお飾りの妻という座を。
そして、父への最後になる恩返しもと、私はもうくよくよせず立派にお飾り妻を勤め上げようと心に決め自室から飛び出す。食堂に向かって。
きっとこの時間なら誰かしらがいるはずだからと考えていると、案の定、昨日挨拶してくれた年配の女性、石 佳子(せき よしこ)さんがテーブルを拭かれていた。
私に気づくと手を止め笑顔を向けてこられたが。
「あら、奥様」
「石さん、おはようございます」
「おはようございます。良く眠れましたか?」
「はい」
「良かった。来たばかりだし慣れない西洋ベッドだから心配していたのですよ。それにあまり昨日は食べられておられないようでしたし……」
石さんは心配そうな表情を向けてこられたので私は笑顔を作る。
「でも体調は大丈夫ですので。だから何でも仰って下さい。食事の用意でも掃除でも何でも致しますから」
すると石さんは驚いた表情をこちらに向けてこられる。
「いえいえ、九条家の奥様になられた貴女様にそんなことさせられませんよ!」
「でも、私はただのお飾りです。だから新しく入ったお手伝いさんと同じ扱いでお願いします」
そう言って近くにあった布巾に手を伸ばすと石さんが慌てて止めに入ってくる。そして私の背中を押しながら仰ってこられたのだ。
「奥様は朝の食事を食べるのが仕事です。さあ、座って下さい」
ただし椅子を引いた直後、石さんは再び驚いた表情をドアの方に向けたが。
「ここに李玲様と勝手に結婚した女がいるのでしょう! 連れてきなさい!」
食堂のドアが勢いよく開き、若い女性が駆け込んきて怒鳴ってきたから。
ちなみに私も驚いていたが。ただし違う意味で。彼女の行動力の速さにである。
何せ結婚したことを周りに知らせる手紙を送ったのは昨日、つまり彼女は届いてすぐに九条家に来たということになるのだから。
まあ、けれども、私はすぐに心を落ち着かせるなり契約書の内容を思い出しながら一歩前へと出るが。お飾り妻の仕事、私が九条家の妻であると伝え諦めてもらわなければいけないので。
そう考えながら口を開こうとした矢先に匙裏さんが勢いよく食堂に入ってこられる。先に声をかけてしまわれたが。
「青川(あおかわ)様、勝手に入ってくるなんて何を考えているのですか!?」
「何言ってるのよ! ここはそのうち李玲様の妻になる私の館にもなるのだから良いでしょう!」
「青川様……。李玲様はもうご結婚されたのですからお帰り下さい」
「いやよ! 李玲様と長く一緒にいたのは私なのよ!」
「いいえ、違います。李玲様は貴女様の兄上に仕事を教えていただけです。貴女は無理を言って側にいただけでしょう。勘違いなさらないで下さい」
匙裏さんは最後の方は強い口調になるが青川様と言われた女性は気にする様子もなく辺りを見回す。
そして私を見るなり「きっとあなたね! 李玲様と別れなさいよ!」と勢いよく向かってきて胸倉を掴んでこられも。
しかも、そのまま私を締め殺しそうにも。
ただ、「何をやっているのですか!」と、匙裏さんと石さんが慌てて止めに入ってこようとされるのを私は手で制すが。余裕ある表情を作りながら「本当に貴女様は旦那様に見合う方なのですか?」と尋ねて。
あることを狙いながらと、案の定、すぐに頬に痛みが走る。私は気にせずに再び口を開くが。
「不法侵入に暴力行為、間違いなく貴女は相応しくありません。お帰り下さい」
続けて笑顔も付け足すと青川様は体を震わせながら睨んでこられる。私が動じないとわかると唇を噛み締めながら食堂を飛び出していかれたが。
「奥様、頬が……」
「石さん、私なら大丈夫ですよ。それよりもまだいらっしゃるのですよね?」
匙裏さんに視線を向けると申し訳なさそうに頷かれる。
「はい、溱璽国の方も含めて五人ほど。格式高い九条家の仲間入りをしたいとご息女を送りつけてこられて。もちろん李玲様も何度も断っているのですよ。けれども……」
「懲りずに来られると?」
「はい。先ほどの青川様を筆頭に……」
匙裏さんは青川様が去った方に視線を向けられる。なぜあのような行動をするのかわかっている様子で。
もちろん私も何となく理解したのでこれ以上は尋ねることはしなかったが。ただし青川様に心の中で謝るとこれからの方針を決め口を開くが。
「問題ありません。私がしっかりと対応しますから」
「奥様……」
「大丈夫です。覚悟はできていますので」
私は頷きながら口元に指を当てる。少し切ったらしく血が滲んでいた。でも、こんなの痛みのうちにもならない。それにいくら傷だらけになろうと私は大丈夫なのだから。
だって、残りの人生はただ宗方家のために使えれば……
私は最近までの父の行動を思い出す。私の治療費や薬を探すために大金を使い続け、更には朝も夜も関係なく必死に働き走り回る姿を。
だから今度は私の番。
それを意識しながら深く深呼吸すると私は今日来るであろうお客様への対応策を考える。そして二人に早速、これからのことを相談するのだった。
・
・
・
「お疲れ様でした……」
応接室で休んでいると石さんが飲み物を置きながら申し訳なさそうな表情を向けてこられる。
私は笑顔で首を横に振ったが。
「大丈夫ですよ」
「しかし傷の手当てだけでも……」
石さんの言葉に改めて髪は乱れ体中傷だらけの自分の姿を見る。
でも、それでも手当は必要ないと首を横に振るが。何せ、きっと今日中に残りの一人も来るはずなので。私を追い出そうとする方が。
「奥様……」
「全て終わらせてからにしましょう」
心配そうに見つめてこられる石さんに髪を手櫛ししながら微笑んでいると玄関の扉が開く音が聞こえてくる。どうやら最後の一人が来たらしい。
なので至急、石さんに出ていってもらうことにしたが。
何事もなかったように飲み物に口をつけ。
そして匙裏さんに連れられ綺麗な着物を着た女性が入ってこられるなり今、気づいたとばかりに顔を上げも。
「あら、そちらの方は?」
「伊集院 セツ子(いじゅういん せつこ)様です。奥様にお会いしたいと」
「そう、私は構いませんが」
そう言って私は余裕ある表情を作る。だめ押しに妻が座る椅子に座りながら再び飲み物に手を伸ばしも。
「今日は急に来てしまい申し訳ございません」と相手は同じる様子も見られず、微笑んでこられだけれど。側にある椅子に勝手に座りながらと、私は飲み物に口をつけた後にゆっくりと首を横に振る。
「いいえ、それでいったい何のご用でしょうか?」
「単刀直入に言いましょう。貴女様から九条 李玲様と離縁の話をして頂けないかと」
「……なぜでしょうか?」
「簡単な答えです。李玲様の妻はこの伊集院 セツ子が相応しいからです」
伊集院様は私を見て口角を上げる。見窄らしい姿の私とご自分を比較して。
私はそんなことは気にせず余裕ある表情で尋ねてみせるが。
「旦那様が望まれた結婚でもでしょうか?」
立ち位置は依然としてこちらに有利なのでと、更に微笑んでみせると伊集院様の表情が強ばり、頬がひくつき始める。
ただし、ここから彼女は他の方達とは違っていたけれど。すぐに心の底から自信ある笑みを浮かべ答えてこられたので。
「だから、貴女が仰って欲しいのです。私は貴方様には相応しくないと」
「相応しくない……ですか」
私は呟きながらも心の中で激しく同意してしまう。
まあ、だからといって九条家の事情を知っている私が首を縦に振ることはなかったけれど。
今、必要とされているのは白い結婚ができる都合が良い相手……つまりは伊集院様ではなく私のような存在なので。
「お断り致します。私がなぜそのような事を旦那様に言わなくてはならないのです?」
すると伊集院様は私をゆっくり上から下へと視線を動かした後、口角を上げる。
「それは先ほども言いましたが私の方が李玲様に相応しいからよ」
私は再び心の底から同意しながら頷く。
「そうかもしれませんね。けれども残念ながらそれを判断するのは旦那様ではないでしょうか?」
「それは……」
伊集院様は言葉に詰まる。
若干、悔しげな表情もと、その様子に内心申し訳なく思いながら私は最後の仕上げの言葉を口にする。
「要は選ばれたのは私なのですよ。伊集院様」
「くっ」
今度は抑えきれなかったのか伊集院様は怒りに震えながら睨んでこられる。要は誘導が成功したのだ。
だから内心、『一、縁談を迫ってくる他家に結婚したことを報告する』が終わったと安堵したのだけれど。
「貴女だけは許せない」と、どうやら怒らせすぎたらしい。伊集院様は飲み物が入ったカップを掴むと私に向かって投げてきから。
もちろんあらゆることを想定していたので私はすぐさま手で壁を作ったが。
ただし、しばらくして手を下ろし、更には首を傾げてしまったけれども。何せカップが私に届く前に何故か途中で止まり真っ二つになって床に落ちてしまったので。
物理の法則を無視してと、私も伊集院様も先ほどのことを忘れ、「な、何がおきたのでしょうか?」「さ、さあ……」と、床に落ち割れたカップを見続けてしまう。
「何をやっている?」
そう離れた場所から知らない声、更にはとても冷たい声が聞こえてくるまでと、すぐさま声がした方に私は顔を向ける。
直後に「えっ……」と、心底驚いてしまうが。
なぜなら、応接室のドア付近に今まで見たことないほどの美丈夫、しかもおいそれと声をかけてはいけない立場だと見ただけでわかる高貴な存在が立っていたので。
私達の方を睨みながら。
いいえ、違うわね。
私は見惚れながら黒い髪を靡かせ私達の方に歩いてくる男性を視線で追う。そして、内心安堵しながら胸を撫でおろしも。
「今、何をしていた?」
なぜなら伊集院様に用があったらしく彼女の方に顔を向けていたので。
「あ、あの、その……」
ただし尋ねられた伊集院様は頬を染めながらも目を泳がせ答えれずにいるたけれど。私と同じように男性に見惚れているのもあるが決して言えないから。
私にしたことを。
そう思っていると男性は私を指差し伊集院様を睨まれる。どうやら逃す気はないらしい。
「この傷は君がやったのか?」
「ち、違います!」
「だが、カップを投げただろう?」
「そ、それはこの方が私に酷いことを……」
「どのような事を?」
伊集院様は答えられずに黙り込んでしまう。
すると男性は顔を顰めドアの方を指差される。
「もう我慢の限界だ。伊集院家とは今後いっさい関わらない。そう君の父親に伝えておいてくれ」
「そ、そんな……」
伊集院様は悲痛な表情を浮かべる。
ただ、これ以上は状況が変わらないどころか悪化すると判断されたのか俯きながら応接室を飛び出して行かれるが。そして館を出て行かれも。
つまりは『一、縁談を迫ってくる他家に結婚したことを報告する』の仕事が終了したと。
ただしであるが。すぐに新しい仕事が生まれてしまいも。先ほどの伊集院様とのやり取りで目の前の人物が誰だかわかってしまったので。この館の主であり、私と契約結婚をした相手であると。
確信しながら私は深く息を吐き、九条様に向き直る。
「九条 李玲様、契約に基づき妻となりました宗方 優月です」
そして深く頭を下げ返事を待ちも。でもいくら待っても九条様からは返事が来なかったが。一言もと、段々と不安がよぎっていく。間違えたのではと。応接室に入ってきた匙裏さんの言葉で安堵することはできたけれど。
「李玲様、貴方様の妻になられた優月様に何か仰ってあげて下さい」
ただ、それでもいつまで経っても言葉は返って来ず、しまいには応接室を出ていく音と匙裏さんの申し訳なさそうな声が代わりに聞こえてきたが。
「すみません」
私は恐る恐る顔を上げる。
「私は何かしてしまったのでしょうか?」
「いいえ。したのは私です。いや、李玲様も悪いですね」
匙裏さんは溜め息を吐くと頭を下げてくる。
「奥様、すみませんでした。まさか、ここまで荒れるとは考えが及ばず……」
匙裏さんは私と床に落ち割れたカップを交互に見るためつい尋ねてしまう。
「あのカップ、宙で止まって割れたのですが……」
「李玲様の力です」
「あれが……」
再び割れたカップを見る。それから先ほどの出来事を思い出し理解も。私を守ってくださったのだと。
ただし九条様が去っていった方に頭を下げようとしてふと疑問がわき変な姿勢のまま固まってしまったのだが。
なぜなら、あの日の出来事も思い出してしまったものだから。私を魔獣から守ってくださったあの方の背中を。私の命の恩人の背中を。
あっ……
ただ、思いだしている途中に今更ながら私の命の恩人は無事だったのだろうかと不安にかられてしまうのではあったが。
何せ目を覚ました時、私は治療室のベッドの上だったので。
しかも、しばらくは傷が原因で動けずと。
まあ、だからといって動けても所詮、私の立場では対魔獣師団には会いに行くことすらできないのだけれど……
そう考えながらも一瞬、対魔獣師団であり第二師団長でもある九条様の姿が浮かぶ。
すぐに気持ちを切り替え右肩をさすると匙裏さんの方に向き直るが。何せ今は目の前の問題に集中しなければいけないから。特に終了したであろう縁談を迫ってくる他家に結婚したことを報告することを。
「……とりあえず全員との話はこれでつきましたでしょうか?」
確認するようにそう尋ねると匙裏さんは頷いてこられる。
「はい、とりあえずは」
「とりあえずは……ですか?」
「この感じでは次はもっと酷いことをしてきそうで……」
「ああ、それなら大丈夫ですよ。誰が何をしたかちゃんと覚えていますし、また来られた場合は正式に抗議文を出せばよろしいですから」
そして、そんなことをしなくてもあの方達はおそらくもう来ないはずだけれどと、内心付け足しも。
何せ叩かれようがどんなに罵倒されても一歩も退かなかったのだからと、私は傷だらけの手を見つめる。匙裏さんの声で顔をすぐに上げるが。
「奥様。傷を診てもらいましょう」
「大丈夫ですよ。全て自分でやりますから」
「しかし……」
匙裏さんが再び心配そうに見つめてくるため、私は首を横に振る。
「契約にも書きましたでしょう。それに、あまりにも酷かったらかかりつけの医師に診てもらいますので」
更には引く気はないという態度で笑顔を作ると匙裏さんは諦めた様子で頷かれる。
「……わかりました。では、その時は私に仰って下さい。車でお連れしますので」
「わかりました」
私は感謝しながら頷く。そして頭を下げた直後に匙裏さんと別れ、足早に自分の部屋に向かいも。傷の治療のために。
ただし部屋に着く直前に「待ってくれ」と道を塞がれてしまうが。あろうことか九条様に。
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