死神憑きの微笑み

戸山紫煙

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始まり

卒業

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3月の終わり。まだ風は冬の残り香を運びながら吹いていく。桜はその中の僅かな暖かさを頼りに目一杯花を咲かせていた。
私立絢篠あやしの学園は全寮制の女子校である。その日は卒業式で高校の長い時間をともに過ごした女子高生たちが旅立つ時であった。
式に向け体育館へ向かう生徒たちは友達を連れてはしゃいでいた。
「早く行かなきゃ怒られちゃうよ!」
「大丈夫だって。ユキは真面目だなあ。」
「キョウコ今日化粧してる?」
「わかった?先生には内緒だよ!」
黄色いざわめきの中、一人俯いて歩く生徒がいた。笠ノ葉沙夜かさのはさよは誰とも喋らず、歩いて体育館へ向かう。他の生徒たちは皆黒い髪を思い思いに整えている中、肩ほどまでの真っ白な髪を下ろしている。
体育館は式が始まるまでざわめいていた。各々の進路の話、これまでの思い出話に花を咲かせ、寒い初春の空気はそこだけ暖かさを放っていた。そこでも沙夜だけは冬のような寒さに包まれ、静かにじっとしていたのだった。

「えー、我が校で学んだ皆さんには、ぜひ世界で羽ばたき……」
式が始まり、静かになった体育館もその静けさはかりそめのもので、生徒たちは再び友人たちと別れを惜しむ会話をするため、そわそわしている。しかし一転して蛍の光を歌えば彼女たちもまた卒業式の雰囲気に呑まれて涙するのであった。学校で過ごした思い出や仲間との交流を思い、体育館の中は皆の思う記憶に包まれていた。
沙夜は一つの仕事を終えたかのように式の後はそそくさと教室へ戻った。生徒たちは涙の跡を残しながら、ゆっくりと教室へ帰っていく。まるで小夜にはその姿が遠く、関係のない国の出来事のように見えていた。
教室でも同じように生徒たちは話を続けていた。
「ナルミは東京行くんだっけ?」
「そうだよ。東京でファッションの勉強するの!」
「えー!じゃあ今度一緒に買い物行こうよ!」
「私も遊びに行きたい!」
他愛もない会話に沙夜は埋もれていった。
『やっと、ここから出られる。』
沙夜にとっては狭く苦しいこの場所から出られることが何よりの喜びだった。干渉を望まない彼女にとって。

沙夜は幼いときから孤独だった。
3歳のときに両親を事故で亡くし、母方の叔母に引き取られたのだ。彼女にとっては幼心に胸の痛い出来事であったのには違いなかった。みんなに当たり前にいる両親が、どちらもいなくなってしまった。幸いにも引き取ることを申し出た叔母は優しい人だった。
叔母は母の姉にあたる人物で、子どもができないことを悩んでいたこともあり、すすんで沙夜を引き取った。叔母もその夫である叔父も実の子のように可愛がってくれた。しかしその幸せも長くは続かなかった。小学生になり、中学校へ上がるかというとき、叔母の家は火事にあった。放火だったというが今となっては沙夜にはどうでも良いことだった。休日のある日、友人と遊んでいた沙夜だけが助かり、叔父も叔母も家にいたことで亡くなってしまった。
その日から、悲しみと同時に強い罪悪感が沙夜を支配した。沙夜は一人残されたまま、仮住まいとして引き取られた母方の祖父母の家で毎晩泣いていた。
『どうして私だけ残されてしまうの?お母さんも、叔母さんも、みんなどうしていなくなってしまうの?』
そんなことを考え、終わりのない問答に明け暮れた。
叔母の葬式の日、親戚は皆哀れみの目を向けていたが誰一人としてもう沙夜に手を差し伸べることはなかった。そんな重い空気の中、母の妹にあたる叔母が沙夜の前へ駆け寄り、怒鳴った。
「どうして!どうしてあなたじゃないの!どうしてあんたが生きているのよ!姉さんたちを返しなさいよ!」
祖父母は必死に彼女をなだめた。沙夜には返す言葉もなかった。そんなことは沙夜自身が一番強く思っていたからだ。
誰にも引き取られることのなかった沙夜は一人で生きていくことを決めた。中学生の間は祖父母の家を間借りし、高校は寮へ進んだ。資金は祖父母や父方の親戚が工面してくれたが、金銭以上の支援は何もしなかった。それでいいと沙夜自身も納得していた。
怖かったのだ。誰かを不幸にしてしまうことが。風の噂で、小学校の頃に仲の良かった友人が重い病気にかかったと知った。それ以上は聞かなかった。
そして今日、寮という狭い社会から解放され、一人立ちする。それが彼女にとっての大きな救いだったのだ。

「笠ノ葉さん。」
声をかけたのはクラス委員の真鍋小緒里まなべさおりだった。
「同窓会とか、あるかもしれないし、連絡先教えてくれる?」
優しい笑顔と長い黒髪。彼女はおっとりしていて誰からも憎まれない、クラス委員にぴったりの人物だった。そんな笑顔に笑顔で返すこともなく、沙夜は渡されたメモ用紙にさらっと連絡先だけ書いて無言で返した。
「ありがとう。またいつか会おうね!」
嫌味のない笑顔と言葉。それすら沙夜には遠い存在に見えた。
最後のクラスルームが終わった後、生徒たちは外で食事に行こうかと囃し立てている。計画しようと声をかけられた中心にいる小緒里は心配そうに沙夜を見つめて微笑んだ。最後くらいだから、一緒に行こうと伝えているのだろうが、その声は沙夜には届かなかった。
沙夜は一人、寮へ戻り荷物をまとめる。外では騒がしい声が響いているが彼女の心には何も響かなかった。
「さようなら。」
一人の部屋で誰にも聞こえないように、彼女は高校のすべてへ別れを告げた。
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