Apricot's Brethren

七種 智弥

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序章:混沌に帰す者

File 01:昼中に墜つ白烏-9-

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「ええいままよっ。第一級接触禁忌種厳重管理区域って何ですか。危険生物って一体何を隔離してんですかここは。窓の外は真っ白で何もない地面が続いてる……けど、誰かの執拗な視線を感じるような気持ち悪さがあるし、意味不明なんですけど!」

 よし言った。若干負けた気もするが言ってやったぞ。
 息巻いて疑問を全て打ち撒けると、彼は少し戯けたように目を瞬かせ、その後諦観したように淡白な瞳でこちらを見返した。その目はどこか、僕越しにカーテンの先を見ていたような気もしたけれど。

「……何だ。窓の外、見たのか?」

「あ、言ってませんでした? 重要事項じゃないと思って説明省きましたけど」

「――ってのに、馬鹿な奴」

 前半は小さな声で上手く聞き取れなかったが、今回の「馬鹿な奴」と言う台詞は、ただの揶揄ではなく憐憫に近いもののように聞こえた。こちらを見越してカーテンの彼方を望むその瞳は、哀れみにも似た色をしている。

「その白い景色が一望監視施設パノプティコンの監視室さ。ハーフミラーとモニターでできてるから通常は気付かないだろうが、普遍的に白い空間が広がっているのは監視官奴らがそう設定しているからだ」

 ソファから立ち上がり、窓際のベッドまで足を運ぶ男。シャッと一挙にカーテンを開け、何も写さない窓にそっと手を当て、真っ白い空間の存在を説き始める彼。その後ろ姿に、何か可哀想なものでも見るような佇まいに、妙な違和感を感じたのは言うまでもない。

「にしても、よく向こう側の視線を感じられたな・・・・・・

 無意識下で監視官の視線を察知していたとは露知らず。何か拙ったか、と思いつつも彼の言葉に耳を傾ける。

 男は小さく言葉を続ける。「ま、それは俺にも見えてるんだけどね」と。
 かつてのニーチェの格言【深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ】を再現しているかのような彼の不気味な嗤笑に、僕は奇怪な引っかかりを覚えた。この発言は、隔離されている側・・・・・・・・の台詞に等しくないか、と。
 そして彼はまだ家主と名乗り出ていないものの、『小説の所有者』である。『扇状の造りをした室内』が彼の住んでいる私室なのだとしたら。そう考えたところで推測は確信に変わる。

「あ、の、もしかして――」

「漸く答えに辿り着いたか。ご明察の通り。ここで隔離されてるのは、だよ」

「何……、そんな……」

 唐突に訪れた衝撃。何故そんなにもやけに簡単に事実を明け透けにした? 物憂げな瞳が何を語るのか、僕には知る由もない。

 しかし、白子アルビノという様相以外極普通の人間だ。だというのに何でまた彼を隔離する必要があるのだろうか。危険性があるとは思えない。
 確かについ先刻蛇のように睨め付けてきた眼光とその内に含有した攻撃性は、彼の危険性の高さを意味しているかもしれない。だからと言って隔離とは、甚だ大言壮語でないかとも思う訳で。

「で、でも! 僕が侵入した割に警報とか鳴らないってことは、本当はそんな厳重な設備じゃないってことですよね? だって一般人の僕ですら、監視官に見つからずにこの部屋ここに潜り込めるって、相当な笊じゃないですか!」

 不穏な空気が漂う場面を取り繕うかの如く、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。喧しくさんざめく胸騒ぎがしたのだ。この場を支配する不快な淀みに。

「笊扱いとは監察官泣かせの言い様だぜ。警報が鳴らないのは、警報が鳴る間もなく俺とお前が鉢合わせたことが原因だろうな。飽くまで監視官は管理区域にいる【管理物直々たる侵入者の排除】を見守ってる・・・・・ってことさ。警報を鳴らす必要がないだけで設備に異常はない。心配するな」

 男はゆったりとした動作でレッグホルスターから拳銃を引き抜き、カウチソファに座った僕へ、照星フロントサイトを合わせる。いつの間にか外してある安全装置セーフティ、いつでも射撃が可能な状態だ。
 銃口マズルの奥部がこんなにも闇深いとは、知らなかった。剣呑とした気配の裏に潜んでいたものは、やはり彼の真性の魔物性だったのだ。

 一望監視施設パノプティコンと言うからには囚人収監所のように極不自由なものと思っていたが、こんなにも生活感に満ち溢れた自由を与えているのを見る限り、何かに縛り付けたり動けなくしたり閉じ込めたりするほどの危険性は彼にないということか――なんて、そんな甘い考えを持っていた。
 実際は違う。途端に豹変した彼の冷徹な瞳と嘲笑う口元は、地獄への門が開かれたことを暗示するかのように惨憺たる様相をしている。「誰だ、これは?」と誤認するほど、先まで会話していた男の面影は全く残っていない。

「俺、お前に要求したよな。ことのあらましを説明して欲しいって。んで、順序逆に再度説明して欲しいって」

「し、ましたね。でも一応僕の話が本当ってことで仮説を立てて、記憶喪失ってことで納得したじゃないですか」

「質問の仕方ってのはな、ただ言葉で聞くだけで完結するもんじゃねえのさ。例えばほら――」

 ――ガッと右頬に衝撃が走る。拳銃の銃床ストックで頬を強く殴られ、カウチソファに深く沈む。勢い良く倒れ込んだ体躯を受け止めようとする反動で、ソファのスプリングが小さく軋んだ。

「な、に……?」

 口の中に広がる鈍痛や蔓延する血の匂いに戸惑う訳でもない。徒に何が起きたのか全く分からず、僕はソファの上にうつ伏せになった視界の中、己の手の甲に付着した赤い水滴を眺めていた。点々と数を増やす斑点は切れた口腔から滴る血液そのもの。殴られただけでここまで出血するのかと半ば予想外の事態に驚愕し、腫脹しているであろう右頬をするりと撫でる。思いの外高熱を帯びる頬に不安感を覚え、口内の頬肉に舌を沿わせると、バックリと裂けた損傷部に辿り着き、ビリビリとした痛みが駆け抜けた。
 数秒してやっと頬の感触が戻り、なるほど銃床ストックで殴打されたのかと状況を把握した頃、今度は背中の上を占拠している重量感の存在を知覚した。恐々と背の上を占める男を振り返って言葉を失くす。そこにあるのは、肉食動物の如く虎視眈々と僕を射る深紅の炯眼。その鋭い一閃は絶句する僕を繁々と見下ろす。瞬ぐことすら忘れた双眸が三日月状に歪むのを見て、否応なく全身が竦むのが分かった。

「――暴力とかな」
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