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第1章ルーキーPartⅠ『天空の未来都市』

プロローグ ―ケルトの降臨―/謁見の儀

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 どこだろうか?
 軋む音、そう、車椅子の車輪の木の軋む音が聞こえてくる。陽の光は差さず辺りは薄暗かった。
 そして、それと同時に妙に鋭い風切り音が鳴り響いている。激しく吹きすさぶ風の中に打ち立てられた居城であるかのようだ。
 無論それは中世の古城のそれではない。風の源となっているのはもっと別な物。より近代的な物だ。

 車椅子が移動していたのは一本の通路だ。金属製の構造材剥き出しの上にコンクリート製の床材がタイル張りの回廊の様に敷き詰められている。
 その上を車椅子とその主が歩みを進める。車椅子の背後に控えるのは一人の西洋近世のメイド風の装いの白人系の容姿を持つ女性だった。彼女の名は〝メリッサ〟と言う。
 その回廊の中に一人の老人の声がかすかに響いていた。

「皆は息災か?」
「はい。すでに控えております」
「そうか」

 メリッサが車椅子を押して行けば、回廊の先に扉がある。そしてその扉は自らの意志を持つかのように開いて、近づいてきた老人とメリッサを迎え入れる。

――ギッキィィィ――

 金属製のその扉は軋むような金属と金属が擦れ合う音を響かせながら開いていく。そして扉の向こうに広がる空間へと二人を誘う。その先にて彼らを待つのは一つの祭壇だった。
 階段状の構造物のいただきに老人とメリッサはたどり着いていた。老人が祭壇上から眼下を見下ろせば、そこは細長い道が続く場所であり、この広い閉鎖空間の中で対岸から祭壇へとつながる幅40m程の一本の通路であった。それは謁見の間へとつながる細長く広がる赤い絨毯のような光景を模して居るかのようだ。
 その謁見の間の道程に佇んでいる者たちが居る。その数6人。
 女性型が4体に、男性型が2体。
 祭壇の頂きに老人が姿を表すまでは各々に好き勝手に佇んでいたのだが、かの老人が現れると速やかに一列横隊に立ち並ぶ。そして、幾度も幾度も繰り返したかのように、片膝を突いてこうべを垂れて彼らの主人たる彼からの言葉をじっと待つのである。
 その忠臣たちに声をかけたのは、まずはメリッサである。

「皆の者、ご苦労です。ディンキー様からのお言葉です。拝聴なさい」

 メリッサの声が響けば、6人の――否、6体の家臣たちの顔が静かに上がる。そして彼らの視線は1人の人物へと注がれたのだ。
 その視線を受けてかの老人が言葉を紡ぎ始めた。

「者共よ。息災である。こたびの長旅、大儀であった。まずはこの地にたどり着けたことを喜ぼうと思う。お主らの尽力、誠に感謝の極みである」

 その光景は今の時間軸が、中世の頃へと逆戻りしたかのような錯覚を覚えさせる。古城の謁見の間のような空間。木製の車椅子。それを押すメイド風情、そしてその車椅子に座する白髪の1人の老人。
 その老人が見下ろすのは黒い衣装に見を包んだ4体の女性と、和風の侍風の衣装をまとった男が1体と、バイカー風のレザーコスチュームに見を包み、全身の至る所にベルトを下げている巨躯の男が1体。壇上のから見おろして左端が侍風の男で、続いて4体の女性、右端にバイカー風の巨躯が控えている。
 彼らは主君に使える忠臣の如くに主人たる老人の声をじっと聞き入っていた。その彼らに老人は告げた。

「――だが、これからが、これからこそが、我が待ち望んだひとときだ。長年において、積年の思いを抱き、待ち焦がれ、追い求め、死力の限りを尽くして狙い続けてきた者たちのもとへとついにたどり着いたのだ! これ以上に無いくらいの好機となってな。我が望むもの――それはすべての英国人の血による贖いである! 今こそこの地に、奴らが! 円卓の者共が集う! 世界に冠たる宴の時をえてこの天空の場へとやってくるのだ! これこそが好機! これこそが悲願! そして、英国人へとつながるすべてのローマの者とすべてのゲルマンの者たちにも、贖いの血を流させるのだ! 全ては――、そう全ては歴史ある〝ケルトの血〟のために!」

 老人は老いて朽ちた体をむち打ちながら気勢をあげて声を発した。時折咳き込みつつも、雄叫びのように声をあげる。その彼がもたらす言葉を聞き逃すものは誰一人として居なかった。
 老人は忠臣たちに向けてさらに言葉を発した。

「だが、我が悲願を達するためには、あの者たちを迎え撃たねばならん。この日の本の国の護り手のひとつである〝造られし者たち〟――奴らこそは間違いなく我らの前に立ちふさがるであろう。あの横浜の夜の時のように!」

 老人の叫びが響く。その言葉を耳にして答えの言葉を口にしたのは、右端のバイカー風の巨躯。

「――特攻装警――」

 低く野太い声は独特の響きを伴って謁見の間へとどこまでも届いていた。彼の言葉に老人は静かに笑みを浮かべて頷きかえす。

「その名、忘れるでないぞ。一目、目の当たりにしたら必ず鏖殺せよ! 必ず! 必ずだ!」

 老人の言葉が狂気を持って鳴り響く。その言葉の一つ一つを拝領するたびに忠臣は静かに頷いていた。
 そして、地の底から響く様な力強い声で老人は唱え始めた。

「我が臣下たちよ」

 老人の眼下の謁見の道程、そこに片膝を突いて控える6体に老人はあらためて視線を向けた。
 まずは左端の侍風の男――
 その腰には野太刀の如き巨大な剣をたばさみじっと目をつむっている。だが主人の言霊を耳にして刮目し、立ち上がり数歩引き下がると静かに抜刀する。その抜身の剣が虚空の中で冷酷な輝きを解き放っている。

「剣よ――」
 
 主人の言葉と同時に剣士は己れの剣を振りかざし横一閃になぎ払う。
 
――ブォッ!――

 重い風切音が鳴り響き光のしずくがほとばしった。そして、納刀すると速やかに踵を返して走り去る。
 
 残る臣下は5人。
 老人はさらに告げる。

「拳よ――」

 二人目に立ち上がったのは一人の女性だった。
 ブロンドのベリーショート。長身で骨格の頑丈さが目立ち、ギリシャ芸術の白磁の彫像の様な彼女は端正な肢体の彼女は、壇上の主君を見上げて右手を突き上げると力強く拳を握りしめる。
 さらに老人が告げる

「光よ――」

 ついで立ち上がったのは一人の小柄な少女だった。片膝を突いてうずくまっていたが眠り続ける黒豹の様なシルエットが立ち上がった。
 彼女は老人の言葉に覚醒させられると、気だるそうに、そして、面倒臭そうに口元を僅かに歪ませつつも静かに頷く。 

「炎よ――」

 光と呼ばれた女性の隣には、長い黒髪の麗女が控えている。じっと眼をつむり、何かをすくい取るような仕草で右の掌を広げている。そこに一つの炎が吹き上がり、それをしっかりと握りしめると彼女の五指の爪は真紅の光を放ち始める。そして、瞼を薄っすらと開いてそれを確認すると彼女は満面の笑みをたたえる。

「銀よ――」

 残る1人は、光り輝くプラチナブロンドの長い髪をなびかせた美女だ。主君の姿をじっと見つめていたが彼女のプラチナブロンドは一つの異なる生き物であるかのように脈打ち動き出し、うねりを見せた。そしてすぐに何も無かったかのように元の姿を取り戻し、彼女は再びその目を伏せる。

 老人は4人の姿を一瞥すると、微かに微笑んでみせた。だがそれは祝福と労いの微笑ではない。悪意と敵意で塗り固めた醜悪なる微笑である。

「行くが良い」
 
 その言葉を引き金にして4人の女たちのシルエットは速やかに消え失せた。後の残るはあのバイカー風の巨躯の男だ。

「お前も行くが良い。お前が欲するままに動くがいい。そして、立ちふさがる者たちをあまねく鏖殺するのだ!」

 それはまさに魔界の中心から吹き出す様な地獄の呼び声であった。
 
「あまねく全ての英国の民族の者は途絶えねばならんのだ」

 老人の狂気の言葉にバイカー風の巨躯の男は答えた。

「――御意のままに」

 その言葉を残して彼もまた歩み去る。一歩一歩踏みしめながら闇の彼方へと立ち去るのだ。

「全ての咎は、全てに英国の者の血で償われねばならん、この世界に理想の世界をもたらすために。全ては我が約束のケルト世界成就の為に!」

 今、悪意は結実する。報復と恩讐の成就を求めて。老人の言葉は虚しく響いていた。
 それらの言葉が始まりであった。老人の臣下たる6つの影は音もなく動き出す。瞬く間に姿を消し、それぞれの戦地へと向かう。残されたのは老人とメイドの2人だけである。
 寒々とした空気だけが残された空間で、老人は傍らのメイド――メリッサに声をかける。

「ときに、ガルディノはどうした?」

 ガルディノ――、メリッサと語らい合っていたあの少年だ。
 メリッサは主人たる老人の疑問にそっと耳打ちする。

「彼はすでに仕事に入っております。旦那様の宿願を完璧に形で実現するために必要な企みを――」

 メリッサはその右手を前方へと掲げる。

「――この大摩天楼に仕掛けるために全力を尽くしております。全ては――、そう、全ては旦那様――、ディンキー様の悲願を叶えるためにです」

 メリッサの言葉を受けて、その老人は満足げに頷いた。

「そうか、皆には苦労をかけるな。今少し、今少しだ、我の大願が叶うときがなぁ」

 そして老人は笑い声を忍ばせる。長い、長い旅路の果に約束の地へとたどり着いたかのようである。
 静寂の中メイドが老人の車椅子に手をかけながらそっと声をかける。
 
「ディンキー様、ここは寒うございます。階下に少々面白い施設を見つけました。すでにガルディノが掌握しておりますので誰にも見つからずにくつろげるはずです」
「ほう? それは楽しみだな。では、参ろうか」
「はい。ディンキー様」

 メイドの言葉にディンキーと呼ばれた老人がかすかに頷く。
 悪意と、敵意と、憎悪をもって、臣下たちを行動させた彼であったが、2人だけとなった謁見の間の中で再び浅い眠りにつくかのように、うつむき、沈黙を始めた。
 そして、車椅子をメイドに押されながら、その場から去っていく。静けさに包み込まれた謁見の間には、あとには誰も残っていなかった。
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