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第1章ルーキーPartⅠ『天空の未来都市』

第1話 50000m上空にて/ガドニック教授

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 濃紺の虚空を白銀の機体が行く。

 機内の窓には、太陽の光を浴びブルーサファイヤの様に光輝く地球の姿が映り込んでいる。

 大昔のコンコルドをもっと流麗に、かつ滑らかなシルエットに仕上げたその機体には、側面にブリティシュエアウェイズの印を刻みこまれていた。真空状態の機外には、大気圏内のような明るい自然光は皆無だ。代わりに機内は、エレクトロルミネッサンスのパネルライトで柔らかい光に満たされている。そして、ヒースロー空港を飛び立ち、成層圏の空を飛ぶその機内では、乗客へとフライト情報が伝えられていた。

「欧州科学アカデミー使節団の皆様にお伝え致します。当機は、現在ロシア領域内上空の成層圏を、高度50000m、マッハ3毎時にて東南方向へ順調に飛行中です。目的地、東京湾海上国際空港へは、現地時間午前7時48分に到着の予定です」

 機内には200席以上の乗客が乗りあわせていたが、そのうち60人程は特別な乗客であった。

 年齢は上が80から下が28、フランス、スイス、ドイツ、イタリア、スウェーデン、オランダ、そして、イギリス、その他、ヨーロッパの多彩な国々の代表たちが、その機の中に顔を並べている。
 使用される言葉も一つではなく、英、仏、独、伊とまとまりを得ない。
 都合上、共通言語は英語だが、学術的な専門分野の会話となると、独語になったり仏語に北欧語になったりと最も得意な自国語がかわされている。機内は静かだが、穏やかな会話が途絶える事はなかった。

 想像するよりも広く作られた機内に、窓側2列、中央3列の、8列並びで座席が並んでいる。

 エコノミー、ビジネス、ファーストの3クラスを仕切る3箇所の位置に巨大なスクリーンが設けられ、娯楽映画やニュース映像などが流されていた。その機体のファーストクラス60席、それまで娯楽映画を流されていたがスクリーンに変化が現れた。映しだされたのは“日本”であり“東京”だった。英語のアナウンスでこれから赴く『東京湾海上国際空港』と、その周辺の臨海都市群を映し出し、来日外国人向けのコマーシャル映像を流している。その映像の片隅には『日本政府提供』の表示がある。それは公式の広報用ビデオ映像である。
 機内に乗り合わせた人々はそれを眺めながら好き勝手な事を言い合うのだ。

「ほう、実にユニークな形状をしておりますな。あの空港といい、周辺の埋立土地と言い――」

 60歳位の白髪頭の老学者が機内のTVスクリーンに映った『東京湾海上国際空港』を評している。そして、その脇に座るスーツ姿の40歳過ぎの白人男性が、シートにもたれながら返答をする。
 その胸には透明なプラスティック製のネームプレートがある。ICチップと小型液晶が組み込まれたそれは、彼の顔写真と彼の名を映し出している。そこには『欧州科学アカデミー使節団』の但し書き付きで『C・ガドニック』と名が記されている。

「確かに、日本の地理条件で、しかも『あの東京』に24時間離発着の国際空港を造るのは容易な事ではないですからな」
「いやいや、彼ら日本人の発想力を侮ってはなりませんぞ。彼らは主体性に欠ける民族だが、それでも実にユニークな思考回路を有している。初期発想だけならば、日本人は非常に優秀な連中と言えるでしょうな」
「それはどうですかな、彼らの長所は発想だけではないと私は思いますがね」

 シートに寝ていた彼はやんわりと否定の意見を述べる。そして、着陸準備にシートを起こし、スクリーンの東京湾の姿を見ては言葉を続ける。

「発想だけの民族が、わずか1世紀たらずで世界の盟主の仲間入りを果たせるでしょうかね?」
「ほう? 随分と日本人の肩をお持ちですな?」
「そうおっしゃるあなたのお国はどちらで?」
「フランスです。それがなにか?」
「いえ別に」

 ガドニックはシートを起こし、かけていたトンボ眼鏡を外すと胸のハンカチーフで軽く拭いてふたたび装着する。その際に眼鏡に隠されていた、猛禽の様な鋭く威厳に満ちた力強い目が垣間見える。それに気づかず、隣のフランスの老学者は言葉を続ける。

「しかし、海を埋立てて国土を広げると言うのはオランダのお家芸ですが、それを日本民族がやるとこうなるのですなぁ。まるでタイルのモザイクかパズルのようですよ」
「そうですな、ちなみに東京の市街地の約三分の一は埋立地で、さらには残る土地も古くは広い湿地だったそうです。それを長い努力の末に、あの様な巨大都市群に造り替えたのですよ」
「確か、関東ローム層と称しましたかな? ここの土壌はひどく水ハケが悪く、しかも軟弱だと聞いていますが」
「えぇ、その通りです、我々のヨーロッパ大陸と違い、日本は堅い岩板がほとんど無い。しかも、その土壌の大部分は堆積岩からなっている。そして、世界でも有数の地震国です。彼らは、いやでも建築技術を磨かねばならなかった。そうせねば、近代的な都市群をこの国に造り上げる事は不可能でした」
「なるほど、日本人の知才の一つですな」

 その亜音速旅客機の小さな窓から眼下の東京湾が見降ろせている。機内ではコックピットから見た滑走路や空港のカメラ映像を流している。それを目にしている人々は好き勝手に「日本」について言い合っていた。もっとも、タイルかパズルのパネルを散りばめたよう、と言う表現は間違ってはいなかった。
 もともとが東京という都市は、近代都市として適切な基本計画が無いままに発展と増殖を続けた街である。その土地の状況や時代情勢あるいは民衆意見などの様々な要因によって計画の詳細は様々に転変し続けていた。結果として時間的に後に開発は、すでに先に造られた他の市街区の余白を埋め、こじつけるようにして造られていたのだ。
 
「それはそうと、今回のこの首都改造建築計画、その――正式名をなんと言いましたかなぁ?」
「〝東京アトランティス〟です」
「なんだか、そのうちに沈みそうだな」

 フランスの老学者はそれをジョークととらえて声を潜めて笑った。とは言え当事者にすれば『アトランティス』と言う理想境を目指してつけた名称なのだろう。だが、そう言った西洋の神話・伝承の本場の人々から見れば「アトランティス」と言うのは「海中に沈んだ大陸」のイメージの方が先に来ることもあるだろう。
 ガドニックは眼鏡ごしに、隣の老学者を見ながら言葉を継いだ。

「その東京アトランティスがどうか?」
「えぇ、なんでも、かなりの数のロボットやアンドロイドを投入して、労働力確保に充てているとか言うじゃないですか」
「そうですな、パーセンテージで言えば、今回の第1期工事の完成には総労働力数の八十二%はロボット化・アンドロイド化されているそうです。へたに人海戦術を導入するよりも計画性があり、ローコスト・安全・簡便ときている。『ロボット大国』の名を伊達に背負ってはいないと言う事です」
「なにもかも『ロボット』『アンドロイド』、本当に物好きな民族だ。そのうちに、この国は人間と機械とが入れ替わるのではないだろうな?」
「それはどう言う主旨の意見で?」
「日本人は新し物好きで好奇心が旺盛だ。そしてなにかと集団で事を起こす。個々人に独立心がないのですなぁ。〝ロボット〟〝アンドロイド〟が便利だとなれば、後先考えずにそれらを自らの社会の中に招き入れるだろう。自分たちの社会をそれらに依存し置き換えると言う事がいかなる意味をもつのか? 人間の立場を、安易に機械に委ねる事がどういう意味を持つのか、連中は何も判っちゃいない」
「日本人も、機械も、それほどには愚かで卑しい存在だとは思えませんが」

 ガドニックはじっと眉じりを釣り上げる。そして、穏やかそうな表情を保ちつつも、その声は心なしか苛立ちを含んでいる。
 隣席の初学者は、隣の人物の表情に気がつかぬまま軽い笑いの声を上げている。

「なにもそこまでは言いませんよ。だが、所詮、アンドロイドもロボットも機械です。そして、機械は道具。その道具を使うのは我々人間です。その人間が使う機械が、人間より便利になる事はあっても、人間を超えてしまう事はありえません。いや、あってはならない。人間は道具を使う存在であり、機械は人間に使われるべき道具だと言う事です。その程度の事ですよ」

 その言葉に、ガドニックは眉じりに力を込めると意識的に穏やかに相手に意見を述べる。

「私は、そうは思いませんな」
「それは何ゆえに?」
「人間はどんなに努力をしても間違いを犯す生き物、有史以来、人間が過ちを犯さなかった事はない。しかし、その一方で、人間は文明をそして文化を成長させるために人間自身の能力も発達させてきた事実がある。今以上の優れた文明・文化を生み出すためには、さらなる優れた能力を持った人間が姿を表わしても不思議ではない」

 ガドニックは軽く息を注ぐ。

「だが人間はやはり過ちを犯す。能力だけが優れても、精神が、そしてモラルが、それに伴わなければ何の意味もない。事実、人間たちは我欲を満たすために弱者を踏みにじり、隣人を襲い、破壊に明け暮れる。なによりも、人間は必ずしも『モラル』を有しているとは限らない」
「『戦争』の事をおっしゃいたいのですかな?」
「そう思って下さっても結構。ですが、それ以外の事も含んでいますがね」

 ガドニックはそこで、軽く横目で隣の老学者を見た。

「応々にして、今までの文明の多くは、人を豊かにするためだけでなく、他者から奪うためにも発達してきた。そして『道具』は、また『機械』は、そのための手段として生まれてきた側面もある。あるいはそう言った様に、他から奪うために生み出されたのでなかったとしても、それらを使う『人間』自身によって、いかようにでも姿を変えてしまう」
「人間は道具の使い方を選べるが、道具は自らの使われ方を選べませんからなぁ」

 老学者は、隣席のガドニックの言い分を聞いて「その通りだ」と言いたげな表情を浮かべる。ガドニックはなおも言葉を続ける。

「確かにその通り、だが」
「だが?」
「自らの使われ方を選べる『道具』が、存在するとしたらどうでしょうな」

 老学者の表情は裏がえった、眉じりが上がり隣の男を訝しげに見た。

「――――」

 老学者は言葉を出さない。ただ、隣の人物を見つめるだけだ。

「そして、それが『ロボット』であり『アンドロイド』だとしたならば?」
「なにをばか――」
「しかしそれが事実であり『ロボット』や『アンドロイド』の本来のありうべき姿のはず。それに何よりも『ロボット』や『アンドロイド』には『モラル』や『倫理』と行った価値観を、生まれ付いて与える事ができるのです」

 ガドニックはそう言い切った。穏和だが明確に言い切る語り口はその場の誰の耳にもはっきりと聞こえる物だ。

「確かに、社会の組織や立場をいたずらに『ロボット』や『アンドロイド』と言った『機械』に置き換える事は問題があるでしょう。人間のあるべき居場所を奪い、最悪、機械無しでは何もできなくなる可能性もある。ですが、彼ら日本人は、それほど愚かではない。むしろ、『ロボット』『アンドロイド』と言う存在を人間に比肩する同抱として考え、同抱たる機械にこそ相応しい職分・役割は率先して彼ら機械に任せる事ができる。つまらない『メンツ』や『誇り』などで、自らを上層階級に位置づけ、階級上淘汰されることに怯え続ける古い欧州人と較べれば、なんと才知に富んだユーモアの溢れる人種ではありませぬか」

 そう言い終えて、ガドニックは静かに笑みを浮かべる。それは隣の老科学者を教え諭すかのようだ。
 その時、ちょっとした機内アナウンスがされた。彼らには関係の無い個人的な緊急呼出しだが2人の会話に沈黙を与えた。
 その老学者は、沈黙して思案すると隣の彼に小声で問うた。

「失礼ですが、お住まいはどちらですかな?」
「英国です、今は、ケンブリッジ郊外の私設研究所で活動しています」
「ケンブリッジですか」
「えぇ」

 ガドニックは、そう言葉を残すと再びシートに深く身を納め目を閉じた。そのシートの前方のTVスクリーンには先程から『東京湾海上国際空港』が大映しになっている。

 隣の老学者は無言でなにやら考え込んでおり、数度、隣りの人物に目を配る。そしてややおいて片眉を痙攣させると、何かを思い出した。

「チャールズ――ガドニック」

 彼は、声に出さずに口の中でその人物名を反復する。そして、己の吐いた弁舌が、相手の人物にいかにそぐわぬ物だったのかをいささか後悔していた。老学者は、手元から細巻葉巻のケースを取り出す。それを目にしたスチュワーデスは、彼の元へと廊下を足早に歩いてきた。

「申し訳ございません、機内は禁煙となっております」

 男性は慌てて葉巻ケースを閉じるバツが悪そうに黙り込むのだった。
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