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第1章ルーキーPartⅠ『天空の未来都市』

第2話 頭脳は舞い降りる/人間に等しき者

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 ホプキンスの専門はロボティクス工学。彼などはウォルターの言葉に弾かれた様に、いまさらながらに彼女の顔を見つめる。いや、その場の皆が彼女の姿を見つめていた。
 皆の視線が集る中、彼女は静かに笑ったままである。それぞれが興味を示す中、タイムも問いかけてきた。

「信じられんな、人造の『顔』でそこまで自然な感情表現が可能だとは。おそるべき作製精度だ」

 タイムの顔がほころぶ。メイヤーが目をコインの様に広げて感嘆の声を上げる。

「わしゃてっきり、その頭のかぶり物は日本警察の何かの標準装備だと思ったんだが、まさか――いや、わしも信じられん!」

 タイムの本分は人体生理学だ、人間の構造については誰よりもよく知っている。人間の持つ全ての肉体動作――無論「表情」を含めて――その全てを再現する事は非常に難しい事は彼自身が熟知している。それは日英に限らず、この時代の普遍的な研究課題の一つ、言わば夢である。

 すなわちそれが【不気味の谷】と呼ばれる現象である。

 ロボットやCGなどで人間をリアルに描写した時、よりリアルに再現していけば行くほど、親近感と好感度は増していく。しかし、リアルさの度合いがある一点を超えた時、好感度は急速に下がり、非人間的なある種の不気味さを発露し始める。それがロボット開発における人間とのコミュニケーションの向上を妨げる最大の障害となっていた。
 なぜなら人間の肉体とは本来『あいまいさ』を多分に含んでいる。そんな『あいまいさ』は、機械のもつ数値などで容易に再現できるものではない。それは感情表現に関しても同じである。人工物と自然物の埋めきれない格差――それを超えるのは並大抵のことではないのだ。

 その彼女の頭部を見れば、彼女を人間としてみるのならば、頭部に被さったメット状のシェルから奇異な印象を受けざるを得ない。だが、その顔を見れば見るほど、その印象も不確かな物になって行く。彼らの前方で要人警護に従事している女性警官には少女にも似たあどけなさが残っている。それは人間の手による創造物だと言う。

 彼女は微笑む。ほほに力が入り目元が膨らむ。大きく開いた双眸には、麗しい虹を放つ輝きが宿っている。座の人々は返す返すその彼女の表情を確かめるが、その事実に確信が持てないでいる。
 だが、その一方で、先刻から黙して場の成り行きを見守っていた人物が居た。
 すなわち、ガドニック教授である。

「フィール、皆が驚いているのが楽しいのは解るが、そろそろ自己紹介したらどうだね?」

 ガドニックが言葉を発する。穏やかに彼女を諭すように。それを受けて、彼女も昨日今日の間柄であるかのごとく、親しげに返事を返した。

「はい、でも教授こそ黙ってらしてよろしいんですか? アカデミーの方々にないしょにしていらして?」
「私はあまり自分の仕事に関してはひけらかしたくないのでね」

 チャールズ=ガドニック教授は声を殺して笑っていた。それを受けて、ウォルター以下、アカデミーの面々が口々に教授に言葉を投げかけた。その最初は、ウォルターだ。

「おい、チャーリー、どう言う事だ?」
「どうもこうも見たまま聞いたままだよ。ウォル」

 するとホプキンスが後ろから呆れ顔でガドニック教授に問う。

「なんだ、彼女は君の作品かい。いつの間に日本で仕事をしてたんだね」
「いや、私が彼女を作ったんじゃないんだ。私は日本の技術者たちに力添えをしただけだよ」

 ガドニックの言葉に問いかけたのは若輩のトム・リーだ。

「その力添えってなんですか? 教授」

 リーも彼女を一瞥してガドニック教授に問う。

「ひょっとして、あの『マインドOS』の新型ですか?」

 ガドニック教授は黙ってうなずいた。

「君が作製に直接に手を貸してないと言うなら、誰の作だね? ぜひ聞きたいものだな」
「アルフ、それは、彼女に直接聞いた方が早いと言うものだよ」

 教授はアカデミーの朋友に伝える。それを聞きタイムもだまって頷く。そして、教授は目でフィールに促した。フィールは、全身でアカデミーの皆の方を向くと教授の無言の求めにうなずき、名乗り口上を切り出す。

「それでは、あらためて御挨拶させていただきます」

 抑揚を込めたリズミカルな口調でフィールは滔々と語りはじめる。

「わたくし、日本警察警視庁・捜査1課所属、武装アンドロイド警官『特攻装警』第6号機、個体名称『フィール』であります。作製部署は、日本警察庁管轄下機関『第2科学警察研究所』、作製責任者『フミオ シンタニ』、主任作製者『シノブ ヌノヒラ』。機能概要としてACMHFRPによる軽量・高剛性の外骨格型フレームを採用し、その他、刑事活動及び非常戦闘行動用の特殊装備を保有、中枢部に警察用途向けマインドOSを採用、そのマインドOSの開発に際し、人工頭脳学博士チャールズ=ガドニック氏の協力を得ております。通常、一般捜査活動に従事しておりますが、今回は特別に、皆様方欧州科学アカデミー使節団の皆様方の護衛に従事させて頂いております。どうかよろしくお願いしたします」

 フィールは、口上の全てを流暢な英国英語で一気にまくしたて、その場で軽く一礼をする。その場に居合せた者たちはあっけにとられているか、しきりに感心している。もっともよくよく考えれば、アンドロイドなのだから機械的に語学力はいくらでも付けられる。むしろできて当然なのだがその事を気にする者は居なかった。
 フィールが口上を切り終わると、教授――チャールズ=ガドニックは言葉を継いだ。

「みんな、改めて紹介しよう。彼女が日本の誇る刑事活動用のアンドロイド――、言わば『アンドロイド警官』、そのアンドロイド警官の一人、『フィール』だ」

 フィールは笑う。満面の笑みで。
 だれが始めるとなく拍手が静かに鳴る。それにつられて、英国の前の列のアカデミーからも視線や話し声が届き始めた。そして、使節団全体がざわめき出すまでいくらの時間もかからなかった。
 やがて螺旋エスカレーターは、地下4階の地下鉄道のホームへとたどり着く。
 そこには貸し切りの専用列車が待機している。来賓たちをサミット会場へと安全に送り届けるために設えられた7両編成の車輪式のリニアモーター列車だ。
 SPの警護に守られつつ、粛々と乗車手続きが進められている。
 英国アカデミーの面々が乗車する中、ガドニックは意図的に列から離れると、フィールに目線で合図をする。

 それが何を意図しているか、フィールもすぐに察した。他のSPに簡素に断りを入れるとその場から離れる。そして、フィールが駆け寄ってくるやいなや、ガドニックは彼女に抑揚を抑えた低い声で話しかけた。
 
「ときに、聞きたいことがあるんだが――」
 
 その時のガドニックの神妙な表情にフィールは彼が問おうとしていることの真意をすぐに察した。
 
「ドクター、〝人形遣い〟の事ですね?」
「判っていたか」
「はい」

 フィールはそれまでのアカデミーの面々を相手にしていた時とは打って変わった冷静な表情で、ガドニックの問いに答える。
 
「今回の護衛は実は私が志願したんです」
「やはりそうか。日本警察はセクション間の交流に壁がある。いくら君が実績ある特攻装警とはいえ、我々のSPにそうそう簡単に入れるとは疑問だったからな」
「はい、私も先日、人形遣いの人形たちと交戦しました。彼らの相手は生身の人間では太刀打ちできません」
「――だろうな」

 ガドニックはフィールの確信めいた視線に軽いため息をつきながら言葉を続けた。

「奴らには我が国のSASの対機械化戦闘部隊ですら手を焼いている。国際サミットと言う大舞台で我々ブリティッシュに恥をかかそうと付いてくる辺り本当に厭らしい連中だよ」

 フィールには、その時のガドニックの困惑顔に英国の著名人たちがマリオネット・ディンキーと言う人物にどれほど苦しめられているのかが浮かんでいるように見えていた。
 
「ご安心くださいドクター」

 フィールの問いかけにがドニックは顔を上げた。
 
「今回の件、我々特攻装警が全力で事にあたっています」
「全力?」
「はい!」

 フィールの言葉がガドニックの耳には妙に心地よく残っていた。そして、その言葉の裏に込められた意図を考えずには居られなかった。
 
「ではアトラスたちも?」
「もちろんです。エリオットもすでに警備体制に組み込まれています」
「そうか、それは頼もしい」
「無論です。ドクターは私達兄弟にとって親とも言えるお方ですから」
「そう言ってもらえると私としても嬉しいよ。君たちは私の最高傑作だからね」
「ありがとうございます」

 フィールの言葉にガドニックは漸くに安堵の表情を浮かべた。ただ、ジョーク交じりにガドニックは更に言葉を続けた。
 
「もっともセンチュリーだけは、どうしてああ言うパーソナリティになったのか未だに疑問ではあるのだが――」
「あ、ドクターもそう思われますか?」
「無論だ、英国にいても彼についての風評は聞こえてくるからね」
「あ、やっぱり」

 ガドニックの苦笑い混じりの言葉にフィールも苦笑せざるを得ない。

「まぁ、センチュリー兄さんは相変わらずではあるんですが――、今回はちょっと困ってまして」
「何かあったのかね?」
「はい、なんか変なこだわり方をしてるんです」
「彼も人形遣いの配下とやりあったのかね」
「片腕をやられました。それで相当プライドを傷つけられたみたいで――、本業そっちのけで動き回ってて」

 いくら兄弟とは言え、不手際の悪評は足を引っ張ることがある。フィールの困惑顔にガドニックは言葉をかける。

「まぁ、それが彼の良い所でもある。私はそう見ているがね」
「程度問題です! ドクター」

 ガドニックの皮肉めいたジョークにフィールは思わず不満の声を上げた。2人は笑い声を上げながら、列車の方へと戻っていった。
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