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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の洋上楼閣都市/潜入編

Part3 潜入調査海上ルート/金色の楼閣

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 そこは金色の楼閣である。
 ある人は強欲者の砂上の楼閣だと侮蔑し、また有るものは悪意の化身たちが住まう万魔殿だと畏怖する。
 人々が『ならず者の楽園』と呼び称する魔窟の街で支配階級構造の最高峰に位置する者たちだけが上り詰めることのできる選ばれし者の会堂であった。

――ゴールデンセントラル200――

 東京アバディーンの中央街区の中心地近くに在り、地下10階・地上36階の構造を持ち、金色に輝くガラス外壁は、その異形の街を昼夜に渡り照らし続けていた。その建築経緯には不明な点が多く、なぜ、公共埋立地の跡地である中央防波堤内域と言う辺鄙な場所に建ったのか、納得の行く説明をする者は皆無であり、その秘密を探ろうとする者を執拗に排除し続けていた。
 
 その最上階の36階はワンフロア全体が一つのオフィスである。一個人のための専用フロアであり、回廊の様なフロアは壁で仕切られることなく、ある人物たちのためのオフィスとして供されていたのだ。
 
 豪奢にして堅牢なエグゼクティブ用の大型木製デスクがあり、その他には秘書や数名の専属社員向けのデスクも数基存在していた。ビルの北側が執務用のエリアであり、ビルの南側には肉体鍛錬のためのワークマシンが立ち並び、中国武術を思わせる中華紋様の描かれた分厚い絨毯が敷かれてあった。
 
 その北側のオフィスエリアでエグゼクティブ向けデスクの席に座している一人の女性がいた。光り輝く純白の生地のチャイナドレス風のスカートビジネススーツを身にまとい、艶光する黒髪は頭のいただきにて一輪の花のように丁寧に巻き止められていた。その左右の耳元のもみあげ髪だけが長く垂れ下がって揺れている。
 端正で物静かな気配の美女であり、目元にたたえた視線は強く鋭いものがある。反抗する敵を一切許さない絶対強者としての視線であった。
 
 その傍ら、一人の女性秘書がデスクにて主人のために待機していたが、突如鳴り響いた電話の受話器を取ると電話の向こうの相手と会話のやり取りを始めた。
 
「――はい、はい――かしこまりました。リーシャ様にお伝えいたします。粗相のないように丁寧な対応をお願いします。はい――それでは」

 女性向けのビジネススーツ姿の女性秘書は受話器を元に戻すと、静かに立ち上がりエグゼクティブ向け大型デスクのもとへと、音もなく歩み寄っていく。

「リーシャ様」

 リーシャはソレまで、簡体中国語で記された書類をしたためていたが、部下たる秘書からの声に筆を止めて顔を上げる。女性秘書からの視線にリーシャが気づけば女性秘書は言葉をかけてきた。 

「今宵のご来賓の皆様方、主賓5名、ご到着との連絡が参りました。所定の手続きにて〝円卓〟にご会同なされるでしょう。リーシャ様もご準備のお時間となられます」

 流暢な日本語で告げれば、上司は美しくも鋭い視線で答えるとシンプルに言葉にする。
 
「謝々、老師様には私が伝えるわ。下がりなさい」

 その言葉を耳にして女性秘書は所定に自らのデスクへと戻っていく。それを尻目にリーシャと呼ばれた女性は立ち上がり、同一フロアの南側へと足を向けた。

「皆はそのまま執務に専念するように」

 シンプルな言葉をあとに残してリーシャは歩きだし、南側フロアへと向かう。
 中央部にそびえるエレベーターとその関連設備が北と南を遮る中で、リーシャは南側へと歩いて行く。
 濃茶柄のフロアカーペットの上に真紅のカーペットが敷かれてある。そして、その部屋の真ん中ほどに佇むのは、一見してかなりの高齢の一人の男性であり、白い髪と白い髭が似合う好々爺と言った風情であった。
 老人はマオカラー仕立ての純白のチャイナ服を身に着けており、その優雅な身のこなしや佇まいからはビジネスマンや企業経営者とはかけ離れた、まるで仙人の様な高貴な気配が感じられる。老人は周囲の気配や光景に心乱されることなく、優雅な身のこなしで中国武術の套路の動きをこなしていた。まるで禅僧の僧侶が座禅で瞑想して無我の境地に至るかのように、老人は没我を極めて、ひたすら静かに流れるようにその身を動かしていた。
 その老人にリーシャは歩み寄り、抑揚を抑えた淡々とした口調で話しかけていた。
 
「老師、之神老師、七審の主賓5名、到着いたしましてございます」

 リーシャの言葉に之神老師はその身の動きを止める。そして、リーシャに対して一瞥もする事なくこう述べたのだ。
 
「ご苦労。リーシャよ。お前も〝円卓〟に同行しなさい」
「はい、老師」

 之神老師の言葉を拒否も問い返しもすることなくリーシャは速やかに同意した。之神老師は言葉を続けた。

「今夜は非常に重要な夜会となるだろう。ゆめゆめ、油断は命取りとなると頃得なさい」
「ご教授、胸に刻みましてございます」
「よろしい」

 リーシャからの返答に、之神老師は満足したかのように返答する。そして、武術の動きを止めると静かにゆっくりと、そのフロアの数基あるエレベーターの中の一基へと向かっていた。リーシャは老師に遅れずに巧みにその後をついていく。
 二人がエレベーターへと近づけば、リーシャの女性秘書2名がすでにエレベーターの扉を開けて待機していたところであった。
 リーシャと之神老師が近づく前に二人はうやうやしく頭をたれて会釈するとこう告げるのだ。

「行ってらっしゃいませ」
 
 まるで女性歌手のユニゾンのように二人の声はシンクロしていた。それが当然であるかのように、リーシャも老師も気に留めた様子はまったくなかった。
 返答も労いもする事なく、リーシャと之神老師はエレベーターの中へと入っていく。そして、エレベーターの真ん中に之神老師が立ち、その斜め後方にリーシャが付き従うように佇んでいた。
 
「行け」
「はい、之神老師」

 之神老師が指示を出し、リーシャは粛々とそれを実行に移していた。
 今、エレベーターの扉は音もなく締まり、この金色のビルの二人の支配者を何処かへと運んでいくのだ。
 
 女性の名は王麗莎、老人の名は王之神、二人こそがこの金色の楼閣を所有する絶対者である。
 そして、彼らのもとへと今宵も異形の主賓たちが集まってくるのだ。彼らの存在をアトラスたちはまだ知る由も無かったのである。
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