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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の洋上楼閣都市/洋上スラム編

Part7 ――罪――/口は災いのもと

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 焦りを覚えると、人は適切な思考を維持できなくなる。不安を拭い去りたいために、自分が望みたい行動とは異なる選択をとりがちである。ローラはシェン・レイからもたらされたメッセージから強い不安を感じ取っていた。
 それは危機感である。それも平穏な日常生活の中には無い、ささくれだった剣呑な命の危険すら感じられるほどの痛みを伴う危機感だった。こんな事はこの東京アバディーンの片隅で子供らと暮らしてからは感じたことすら無かった。あるとすればそれは過去のテロリズム・アンドロイドとしての戦いと争いの日々の中で感じる〝奪うか奪われるか〟の弱肉強食の世界の中にのみ感じていたのあの感覚だった。
 
「ラフマニ――、お願い無事で居て!」

 2月末の頃としてはまだ肌寒い夜の海――、夕凪のときが終わり刺すような冷たい夜風が通り過ぎていく。ローラはその肩にショールを羽織りながら東京アバディーンの薄ら汚れた町並みの中を駆けていく。
 東京アバディーンのメインストリート――その南側に扇状に位置するのが比較的低産な階級の不法滞在者が多く住むエリアだ。まるで見えない力で壁で仕切ったかのように人種やソサエティ毎に別れているのが特徴でそれ故に派手な抗争にはなりにくいが、異人種が隣接している辺りは小競り合いが起きやすい。
 メインストリートに面した辺りは繁華街であり一般向けの店舗や飲食店が軒を並べ、その脇路地から一歩入ればまるで迷路のように建物が入り組んだ独特の様相を呈している。新宿歌舞伎町などでよく見られる、ペンシルビルと呼ばれる細い雑居ビルが並ぶその光景は退廃と欲望と悲劇と悪意が絡み合った現代のラビリンスである。
 緩やかにカーブしているメインストリート――その入り口周辺に陣取るのが黒人系の人種だった。アメリカやヨーロッパを出身とする勢力と、アフリカなどの発展途上国出身とでまず二分されている特徴がある。比較的に日本人社会に溶け込んでいる者が多く、東京アバディーンの入口近くという事もあり不良系の日本人青年たちが粋がって足を踏み入れていることもある。
 それに隣接するのがブラジルなどの南米系の住人たちだ。その隣にメキシコやプエルトリコ辺りの中米系の人種が集まっており、陽気で人懐っこそうな人柄の裏でMS13の様な剣呑な暴力ゲリラともつながりのある奴らが見え隠れしている。東京アバディーンに足を踏みれた一般人を襲って傷つけるのはまずこのエリアの連中であることが多かった。
 その隣に来るのがロシア系とスラブ系の連中だった。斜めに傾げた四角形の様な敷地の東京アバディーンの南端の尖った辺りを牛耳っている。湾岸に面したエリアが多く物資を集積できる比較的大きな建物が多いことも在りロシアンマフィアの息の掛かった密売ブローカーが闇で横流しされた銃器や武器類を取り扱っていることもあると言われる。そしてさらにその隣に来るのがトルコ系や中東系のムスリム人種で、シーア派とスンニー派の違いこそあるものの、比較的穏健に交流を保ちつつ毎日メッカに向かって祈りを捧げている。
 その隣に東南アジア系が控え、更にその隣に住んでいる中華系とムスリム系人種とが小競り合いを起こすことを防ぐクッションの役割を果たしてくれている。
 東京アバディーンの中でも最大勢力である中華系の人々が住むエリアは、東京アバディーンのメインストリートの南側エリア――弓状外部街区と呼ばれる地域の一番奥に近いところである。
 基本的に住民の居る市街区はそこで終りとなるが、そこからさらに南側へと足を踏みれていけば小規模な倉庫街へと変貌していく。その倉庫街の東の端近くにあるのがラフマニたちハイヘイズの子らが住む廃ビルであり、その位置関係からしても、いかにハイヘイズの子らが排斥されているかが分かろうというものである。
 余談だが、そこからさらに南東へと広がるのが開発中止となった未開発エリアであり、建設途中の建物や不法投棄された産廃物が並んでいるエリアである。汚染物質も確認されていると言われ社会問題化と化している。

 メインストリートへと向かい中華系のエリアへと進む。中華系のエリアは、大陸系、台湾系、香港系、華僑系とに分かれており、更にその出身地別によってより細かに別れていると言われる。ローラが向かったのは、非大陸系でも主に台湾系や香港系が多いエリアだ。
 中華系というと、つい皆同じだと考えがちだが、大陸中国と欧米社会の中の華僑とでは別民族と言って良いほどに文化や思考に違いがある。さらに国家と民族の成り立ちにより、台湾系が別派閥と成っており、これに加えて大陸中国出身と、独特の文化背景を持つ香港系がそれぞれに幅を利かせている。そして、それらに加えて、横浜中華街や新宿歌舞伎町などに根を張る在日華僑勢力の存在もある。東京アバディーンにおける中華系勢力は一見、一つにまとまっているようにみえるが、内情としては更に複雑に絡み合っているというのが実情である。
 
 そんな街なみの中、ローラは通い慣れた脇路地の一つへと足を踏み入れていく。そこは台湾系の人々が多く暮らすエリアであり、隣接する香港系エリアの人々ともローラは面識があった。見慣れた人々に声をかけられ挨拶を返しながらローラは必死に目的の場所へと向かう。向かうのは普段からハイヘイズの子供らにも好意的に接してくれている人物で、通り名を楊夫人と言う。
 間口3間半ほどの中華料理の飲食店を営んでおり、普段から店は界隈の大人たちでにぎわっている。無論、交わされている言葉は交わされる言葉は中国語の中でも英語や日本語の影響が取り入れられていると言われる台湾語が多く、これに中国語の公用語とされる北京語が入り混じる形となっている。
 ローラは、はやる気持ちを抑えながら楊夫人の店『天満菜館』に向かう。脇路地を入って最初の十字路の角を右に折れる。そしてそこから200mほど進んで左に折れた裏路地の先が楊夫人の店だ。ローラが最初の路地を右手に折れた――その時だった。
 
「えっ?」

 思わず声を出しそうになるのをこらえて足を止める。そして、十字路の角を通り過ぎ物陰に身を隠す。そっと顔を覗かせて様子をうかがえば、その脇路地の雑踏の中に佇む人々の中に特徴的な姿の三人を見かけたのだ。
 
「あのバイカー風の連中――変装しているけど三人のうち二人は見かけたことがある」

 一人はブラウン色の髪をしており頭部以外の部分の素肌は露出していない。衣装こそ異なるが、かつての仲間だったコナンと殺りあったアンドロイドポリスに似ている。もう一人は直接会ったことはないが、あのベルトコーネと戦ったあの男に似ている。ローラは、クラウンの所に身を寄せていた時に見せられたかつての仲間の戦いの有様の光景からそれを思い出していた。
 
「残る一人は知らないけど――アンドロイドポリスの仲間かしら?」

 物陰から見守れば、物売りの屋台や店が並ぶその通りの中で、安い衣料品を並べて売っている店の女将と一人が話し込んでいる。会話は流暢な台湾語でありそこだけ見れば若い台湾人に見えないことも無い。ローラは彼らの会話に聞き耳を立てた。
 
「はやく、その姪御さんが見つかると良いねぇ」
「はい、ありがとうございます」
「気落ちするんじゃないよ。ここいらは物騒な街だけどさ、それとなく子供たちの面倒を見てる奴は結構いるんだ。案外、なんとかなってるもんさ。諦めなければきっと見つかるよ」
「はい」

 若い男は屈託なく落ち着いた様子で女将と言葉をかわしていた。会話の内容からして人探しをしているようである。その嫌味のない笑顔に女将もなにか惹かれるものがあるのだろう。おせっかいと解っていてもついつい世話を焼いてしまうらしい。若者が話を終えて離れようとすると女将は手をたたきながら思い出したように話はじめた。
 
「あぁそうだ! 手がかりになるかもしれないからさ、あそこ行ってごらんよ、あそこ!」
「あそこ?」
「あぁ、ここいらで身寄りのない子が集まって暮らしてる家があるんだ。人通りが少ないから、ちょっと危ない場所だけどあんたらなら腕っ節がたちそうだからなんとかなるだろ」

 女将の言葉に若者は真剣味を増した表情で一歩身を乗り出す。それは本気で肉親の身を案じる者の姿であり事情を知らなければ誰もが騙されるだろう。その女将も人を疑うということが普段から無いのだろう。無邪気な世話焼きおばさんの様相でさらに話し始めた。
 
「そこの表通りを道なりに行き当たりまで行きな。そうすると右手に倉庫街へ通じる広い道路があるからそこを歩いていきな。雑居ビルと倉庫が一緒になった建物があるんだ。ちょっと脇道に入った辺りだけど元々が人っ気の少ない場所だからすぐに分かるよ。そこに身寄りのない子がたちが集まって一緒に暮らしてるんだ。もしかすっと何か手がかりが見つかるかもしれないよ」
「子どもたちだけでですか?」

 若者は流石に驚いている。だが成人にならない子供やティーンエイジャーが親もなく暮らしているのはこの街では決して珍しくない。
 
「昔はそうだったんだけどね、今は若い子が一人親代わりになって一緒に暮らしてるって話だね」
「その親代わりの人の名前は?」
「そうだね、たしか――〝ローラ〟とか言ったかねぇ」
「じゃあ、その人にも聞いてみることにします」
「そうだね、そうした方がいいよ」
「はい」
「姪御さん、見つかるように祈ってるよ」
「本当にありがとうございます」

 若者は丁寧に頭を下げて礼をするとその場から離れていく。若者の連れの二人も女将に礼をしている。三人は足早にその場から立ち去っていった。その三人の姿を、ローラは十字路の片隅で物陰に隠れてやり過ごす。そして、気づかれぬように十字路から離れて衣料品店の女将のところへと駆け寄るのだ。
 
ホァンおばさん!」

 慌てて駆け寄ってくるローラの姿を見て女将は驚いたように答え返してきた。
 
「おや、誰かと思えば! ローラ、あんたの事、今話してたんだよ」

 片手を振って陽気に答え返してくる黄女将だったが、深刻そうなローラの表情にようやく気付いたらしい。

「ちょいと。何かあったのかい?」
「おばさん、今の人と何を話してたの?」

 ローラは黄の言葉をさえぎり詰め寄る。その気迫と真剣さに世間話を挟む余地は一切ない。店の前で始まった騒動に店の周りの人々も視線を向けつつあった。戸惑いつつ黄女将はかいつまんで話し始めた。
 
「何って――、さっきの兄さん、何でも日本に出稼ぎに来ていたお姉さんが連れの娘と一緒に行方知れずになったんだってさ。それで自分も日本に来て探してたんだけど、なかなか見つからなくってせめて姪の女の子だけでも見つけたいって言うんだよそれで――」

 黄女将の語る言葉を聴きつつローラは右手で顔を覆いながら左右に振る。そして、困惑を隠さずにローラは苦しげに告げる。
 
「おばさんそれ違うよ!」
「えっ?」

 戸惑いと驚きが辺りに広がる。ローラは事実を告げるべきかどうか迷ったが、隠しだてても事態が好転するとは到底思えなかった。多少大事になるが意を決して事実を告げる覚悟を決めた。右手をおろして女将の顔を真剣に見つめながら自分の知る真実を告げる。
 
「あれ、日本の警察だよ! 前に見たことあるのよ!」
「え? で、でも――きれいな台湾華語使ってたし――」
「あれ、アンドロイドだよ! 知らない言葉でもデータさえあればすぐに使えるようになるんだよ。発音なんかもすぐに身につける。人間なんか簡単に騙せちゃうんだよ。まさかあんなのが、この街のこんなところまで入ってくるなんて――」

 ローラは、そこまで語って右手を額に当てて頭を振った。よりによってラフマニたちの事を一番知られたくない人種に知られたことになるのだ。だが、頭を抱えるローラ以上に黄女将は呆然としていた。普段なら絶対に打ち明けない仲間内の情報を軽々しく部外者――しかもこの国の警察の者に明かしてしまったことになるのだ。表社会と闇社会の間で隠れるようにして暮らしている彼らにとって身内や同族の秘密を守ることは絶対に守らねばならない仁義だ。黄はそれを破ってしまったことになるのだ。
 
「そんな――あたし――」

 顔面蒼白で立ちすくむ女将に、店の奥から現れた白髪頭の初老の男性が強い口調で問い詰め始めた。
 
「お前、またやらかしたのか! この王八蛋!」

 台湾系のイントネーションは大陸系の中国語よりイントネーションが柔らかいと言われる。だが、それでも男性の発する言葉は刺々しく怒りに満ちていた。
 
「だいたいお前はいつもいつも口が軽すぎるんだ! 初めて会ったばかりのやつに何でもぺらぺらと喋りすぎだ! 奥に引っ込んでろ! しばらく表に出るな!」

 ローラに指摘された事実が相当にショックだったのだろう。蒼白な顔を隠さぬまま号泣しながら店の奥へと引っ込んでしまう。その光景に心を痛めながらもローラは店主の男性に詫びの言葉をかけた。
 
「すいません。もっと早く気付いていれば――」

 だが男性はローラの告げる詫びの言葉を柔らかく否定しながらこう答えてきたのだ。
 
「いいやアンタのせいじゃない。うちのやつが馬鹿なんだ。こう言う街に住んでいるからには自分の身は自分で守らにゃならん。それがアイツには未だに解ってないんだ。それよりさっきの連中、アンタのねぐらに行くかもしれん。ここは早く帰ったほうがいい」

 男性は自分の妻は激しく罵ったにも関わらず、ローラのことはことのほか気遣うように優しく諭してきたのだ。その言葉を素直に受け入れるとローラは一礼しながら答えかえしたのだ。
 
「はい、そういたします」
「気をつけるんだよ。何かあったら街の連中に知らせなさい。さて――店を閉めて街の顔役の所にも行かんとな。どう詫びればいいのか――」

 男性は気遣いの言葉を投げかけつつ、これから先のことを思案していた。隣近所はもとより、この界隈でも噂の対象となってしまうだろう。村八分にされないようになんとか納得してもらわねばならない。腕を組んで思案げな顔のまま店の奥へと消えていくのだ。
 その男性の背中を見送りつつも当初の目的のところへと向かおうとする。そして歩き出したその時だ。
 
「ラフマニ?」

 通りの脇路地からひょっこりと顔を出したのは、ラフマニ本人である。手元には小さな酒のボトルがあり、楊夫人からの物であろう菓子でも入っていそうな小ぶりな紙包が握られていた。だが彼の無事に安堵するよりも先にラフマニへと叱責の言葉がつい口をついて出てしまう。
 
「ラフマニ! なにやってるのよ!」
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