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第二話 海とカメラ

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『ねえ、夏に海に飛行機って聞けば、沖縄だと勘違いしても仕方ないと思うわけ』

「文句があるなら帰れよ」

『悠馬がカメラ持ってるから無理でーす』

「ああ、もう! うるさいな。海、綺麗だろうが」

『うん、すっごく綺麗!』


 カメラを買った翌々朝、俺(たち)は、長崎の五島列島に到着した。



 ◇◇◇



 五島列島までは都内から飛行機とフェリーを乗り継いでようやく到着した。

 飛行機では、窓から雲の写真を撮ろうと首からカメラを下げていたので、終始はしゃぐ小鳥遊の声が聞こえていた。窓にカメラを向けてファインダーを覗けば、同じように窓の外を覗く小鳥遊が写り込んでくる。なんだか居心地が悪くて数枚シャッターを切った後はカメラを専用のカバンに突っ込んで目を閉じた。

 夏休みで機内はほぼ満席だ。けれど、偶然隣の席が空いていたので、きっと小鳥遊は我が物顔でそこに座っているのだろう。カメラに触れていると、一生話しかけられるので旅路をゆっくり満喫することも叶わない。

 どうやら小鳥遊は随分とおしゃべり好きらしい。些細な話題から生前の話まで、それはもう色々と語って聞かせてくれた。久しぶりの話し相手とあって、とても嬉しそうにする。
 俺もどちらかというと話し手よりも聞き手に回ることが多いタイプなので、聞き役に徹していたのだが、流石に疲れてしまった。

 幸い天気には恵まれた。夕方の便だったので、眩い茜色に染まっていた景色はすでに宵色が溶け込んでいる。

 地上で見るよりも少し早めの日の入りを不思議な気持ちで眺める。


 上空からだと地平線がよく見えるな。


 都心では見ることができない景色に、日常から離れた時間を過ごしていることが現実味を増す。

 飛行機を降りてからは、空港で夕飯を済ませておいた。コンビニで小腹が空いた時用の軽食やおやつ、それに水を買ってから港へと向かった。フェリーは深夜遅くに出港し、朝早くに到着する。フェリーで夜を明かすのは初めてなので、正直ウキウキと気持ちが浮き足立ってしまう。

 記念にフェリーも撮っておこうとカバンからカメラを取り出して首から下げる。途端にやかましい声が聞こえてきた。


『すっごーい! これってフェリー? もしかしてフェリーで一泊するの? うわっ、楽しそう!』

「そうだよ。まあ、楽しみなのは俺も一緒」


 そっとファインダーを覗くと、キラキラした眼で巨大なフェリーを仰ぐ小鳥遊の姿が見えた。『わー』とか『ほえー』とか『おっきいー』とか言っている。そりゃテンションも上がるよな、と密かに笑みを漏らす。

 一旦放っておくことにしてフェリーの全体が入るようにカメラの向きを調整する。

 暗い夜景を撮るときには、ISO感度とやらを上げればいいらしい。小鳥遊先生に教えてもらった。すでに設定は済んでいるので、何回かシャッターを押して液晶画面で撮れ高を確認する。


「うん。初めてにしては上出来」

『いいねいいね』


 闇夜に浮かぶ巨大なフェリーの姿をしっかりと写真に収めることができたようだ。小鳥遊先生からもお褒めの言葉を預かった。せっかく普段はできない旅をしているのだから、どんどん写真を撮っていきたい。

 やはりというか不思議とというか、画角に小鳥遊が写り込んでいても、実際に写真に姿が写ることはない。
 やっぱり幽霊だから、ファインダー越しに姿を見ることはできても、写真には残せないらしい。


 時間が来たのでフェリーに乗り込んだ俺たちは、二等自由室という言わば雑魚寝スペースに腰を下ろした。パラパラと目的地を同じとする同乗者がいる。


(流石にここではファインダーを覗けないな)


 カメラに触れているので、船内をキャッキャと駆け回っているだろう気配は感じる。犬か。

 移動ばかりで疲れたから、もうこのまま休んでしまおうとカメラを抱えて転がった。貴重品はコインロッカーに預けたけれど、カメラも一緒にあの狭い箱に押し込めるのは気が引ける。小鳥遊はカメラで写せる範囲しか自由に動けないようなので、小鳥遊も一緒に閉じ込める気分になるからだ。

 船の揺れは揺籠のように眠りを誘った。小鳥遊のはしゃぐ声を遠くに聞きながら、俺はゆっくりと眠りに落ちていった。



 ◇◇◇


『きゃーっ! 冷たいっ!』

「え、なに、冷たさ感じるの?」

『ううん、こういうのは気分の問題だから。冷たいと思ったら冷たくなってくるの』

「そういうもんか」


 翌朝、五島列島の港で無事に下船した俺たちは、うまくバスに乗り込むことができ、香珠子海水浴場に到着した。バスの本数も1日2本といいうことで、まあ、最悪歩けばいいかと思っていたが、運が良かった。

 朝早い時間ということで、海水浴客の姿はまばらだ。同じフェリーに乗ってきた観光客が数名いるぐらいか。


『きゃーっ! きゃーっ!』


 さっきから絶え間なく子供のような声が聞こえる。きっと波際で波を蹴ろうと足を振り上げているんだろうな。

 そっとファインダーを覗くと、案の定セーラー服の裾を膝上まで捲った小鳥遊が波打ち際で駆け回っていた。


「おい、海が初めての子供じゃあるまいし、はしゃぎすぎじゃないか?」


 俺はため息をつきながらシャッターを切った。液晶画面を確認するも、やはり小鳥遊は写っていない。透き通った水面が朝日を優しく反射してとても絵になるのに残念だ。


「ん? どうした?」


 数枚シャッターを切ったところで、俺は小鳥遊が静かになっていることに気がついた。

 ファインダーを覗きながら小鳥遊を探すと、いつの間にか波がギリギリ打ち寄せない場所を選んで砂浜に腰掛けていた。

 その目はじっとマリンブルーの名に相応しい海を見つめている。


『初めてだよ。海』

「え?」


 驚くほど静かな声がして、少し驚いた。

 カメラを掲げてまじまじと顔を見るのも失礼か、とカメラをそっと下ろす。そして、小鳥遊がいるであろう場所に躊躇いながらも腰掛けた。


 海に行ったことがない、というのは珍しくもないのか? 分からん。誰もが一度は見たことがあるものだと思っていた。


 もしかして、幼少期は身体が弱くてあまり外に連れ出してもらえなかったとか? この歳で亡くなったのも……いや、事故って言ってたか。


『うち、あんまり家族で出かけたことがなかったんだあ』


 ザザン、ザザン、と波がぶつかる音に紛れて、少し寂しげな声が美しい景色に溶け込んでいく。


「……そうか」


 こういうときになんと声をかけていいのか分からない。
 俺の家族は割と家族旅行を大事にしていたから少なくとも年に一回は国内旅行に行っていた。保険が満期になったからと海外旅行に連れて行ってもらったこともある。そのお金は養育費や老後の資金に取っておかなくてもいいのか? と気になったが、海外旅行は嬉しかったので気づかないふりをした。


『さ、そんなことより写真撮ろう! さっき何枚か撮ってたでしょ? 見せて見せて』

「ん? ああ……ほら」


 僅かに流れた沈黙を破ったのは、小鳥遊の努めて明るい声だった。過去の記憶にトリップしていた俺は、ハッと現実に引き戻された感覚に陥り、間の抜けた声を出してしまった。取り繕うように液晶画面に先ほどの写真を表示する。


『ふむふむ。普通だね』

「うるさいな。綺麗だろうが」

『海はね。でももっと工夫できるよ。とりあえずシャッタースピード落としてみよっか』

「シャッタースピード? よく聞くけどあんまり分からんやつか」

『あはは。んとね、ゆーっくりシャッターを切るんだけど、まあ1秒ぐらいで波が止まって見えるんじゃないかな。言う通り設定してみて』


 習うより慣れろだな。と思い、言われるがままに設定を進める。そして波が引いて、再び寄せたタイミングでシャッターを切った。


「おおお」

『うむ。いいんでない?』


 シャッタースピードを落とした写真は、明らかに先ほどのものとは違った。波の輪郭がはっきりしているというか、波飛沫がよく写っていた。


『露出を上げてみても綺麗かも』

「どうやるんだ?」


 その後も色々と指南を受けながら、俺たちは昼前までカメラに没頭した。
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