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01_最後のチャンス
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「アイビス、俺と結婚しよう」
「はいぃ!?」
幼馴染の急な求婚に、アイビスは目を瞬いた。
何がどうしてこうなったのか、時は数時間ほど遡る――
◇◇◇
「ふんっ!ふんっ!はあっ!やあっ!」
陽光差し込む道場に、ビュッ!ビュッ!と拳が空を切る音が響く。
しっかりと磨き上げられた床にはポタポタと汗が滴り、一人の女性の周辺にキラキラ光る水溜まりを作っていく。
「ふぅー…」
いつも通り一通りの型を終えると、ゆっくり拳を降ろして深く息を吐いた。
やっぱり身体を動かすのは気持ちがいいなと思いながら、手拭いで流れる汗を拭う。
「アイビス!!まだこんなところにいたのか!!」
「ぎゃっ!お父様っ!?」
道場の中心に立っていた女性――アイビスが程よい疲労感に浸っていると、ばん!と道場の入り口を開けて、父のデュークが肩を怒らせながら入って来た。
(お父様、呆れたような怒ったような顔をしているわね……また何かやらかしちゃったかしら?)
うーん、と指を顎に当てて、それなりに思い当たる心当たりを探していると、デュークはビシッと懐中時計を突き出してアイビスに時間を知らせた。
「馬鹿もん!いつまで鍛錬しているつもりだ!あと二時間もせずに先方がやって来るぞ!急いで汗を流して支度をして来い!」
「うそっ!?二時間!?大変だわっ!」
アイビスは父の言葉にギョッと目を見開いて、突き出された懐中時計に飛びついた。
随分稽古に夢中になってしまったらしい。確かに約束の時間まで、あと二時間を切っている。
急いでシャワーを浴びてドレスに着替えて化粧をしてもらって…ギリギリ間に合うかというところか。
「とにかくすぐ着替えなくっちゃ…お父様、また後でね!」
「あ、おい……!はぁ、今日の見合いもダメかもしれんな…」
慌てて道場を飛び出し、瞬く間に小さくなっていくアイビスを、デュークはため息をつきながら見送った。
◇◇◇
アイビスは全力疾走をして自室に戻ると、すぐさま浴室に飛び込んだ。
なんと湯船に湯が張ってある。きっと専属メイドのサラが用意してくれたのだろう。
後でお礼を言わなくては、と思いながら、ザブン!と半ば飛び込むように頭まで湯に浸かり、急いで頭と身体を洗って浴室を飛び出す。
「お疲れ様です。お嬢様」
「サラ!助かったわ!よろしくね!」
浴室から出ると、タオルを持ったサラが控えてくれていたので、アイビスはポタポタ濡れた髪のまま素早く鏡の前に座った。
「まったく、お転婆が過ぎますよ」
「えへへ…お見合いでは大人しくしてるから大丈夫よ」
へらりと笑うアイビスに呆れつつも、サラは丁寧に髪を乾かしてくれる。
ヘーゼルナッツ色のストレートヘアにオイルをつけ、ブラシで丁寧にといて艶を出し、いつもはポニーテールにまとめる髪を軽く編み込み後ろに流す。
慣れた手つきで化粧に移ったサラに、アイビスはちょっとした注文をしてみる。
「ねぇ、ちょっと儚げな感じでお願いできるかしら?」
「お任せください」
サラはふふんと鼻を鳴らして素早くアイビスの顔に粉を叩いていく。少しでもお上品に、ご令嬢らしく見えるように、と丁寧に化粧を施していく。
化粧が終わり、事前に準備していた淡い桃色のドレスに袖を通すと、サラが全体のバランスを整えてくれたことを確認してから鏡の前に仁王立ちをした。最後に、顔を左右に傾けて仕上がりを確認する。
(……よし、どこからどう見てもお淑やかなお嬢様に見えるわね!)
「上出来よ!最高!サラ大好き!」
「とんでもございません。さ、伯爵様がお待ちです。参りましょう」
「ええ、そうね」
アイビスは、よぉし!と拳を突き上げて気合を入れ、父のデュークが待つ談話室へと向かった。
その豪快な足取りは令嬢らしからぬものであったため、後をついてきたサラに鋭く指摘されてしまった。
◇◇◇
めかし込んで意気軒昂と談話室に向かっているのは、アイビス・アルファルーン。
伯爵家の娘として生まれ、今年二十一歳となるれっきとした貴族令嬢である。
サラリとしたヘーゼルナッツ色の髪を肩甲骨あたりまで伸ばし、普段は邪魔にならないように高い位置で一つに束ねている。
少し切長の瞳は菫色をしており、スラリと背が高く、女性らしい身体付きを維持しつつも程よく引き締まった体躯をしている。ヒラヒラしたドレスはあまり得意ではないので、屋敷内ではもっぱら動きやすいパンツスタイルで過ごしている。
そんなアイビスはちょっぴり腕っぷしが強く武術に秀でているため、この歳まで嫁の貰い手がなかった。
令嬢らしからぬ豪胆な性格ゆえか、そこらの男よりも腕が立つためか――学園時代から遠巻きにヒソヒソと噂話の的にされていたアイビスは、苦手な社交界からも離れて鍛錬に励んでいた。そして現在、護身術の道場を一人切り盛りしている。
そんな訳で、武闘派なお転婆娘で有名なアイビスには、この歳まで浮いた話はひとつもなかったのである。
当人はそのことを特に気にした様子はないのだが、一向にいい相手を連れてこない娘に痺れを切らしたのは、父のデュークであった。
アイビスの兄であるアイザックの結婚が決まってからというもの、そろそろお前も身を固めろとせっつかれている。
アイビスとしては最近ようやく軌道に乗り始めた護身術の道場の師範として、門下生を増やし、かねてよりの夢に向かって走り出したところである。
そのため、結婚というのは正直なところ煩わしかった。
そんなアイビスの性格や考えは父にお見通しだったようで、デュークは自らの伝手を存分に使ってお見合い相手をかき集めてきた。
アイビスは目の前に積み上げられた釣書にげんなりしつつも、自分の仕事や夢に理解ある夫を探すのもいいかと思い直して前向きにお見合いに励むこととした。
ちなみにアイビスが武術に長けているのは、軍部を率いるデュークが幼い頃より指導を重ねてきたからで、父としてはどこか引け目や責任を感じているのかもしれない。
こうしてお見合いや結婚に対して考えを改めたアイビスであるが、どうしても譲れない条件があった。
それゆえ、今日までお見合いは全敗。というより全てアイビスからお断りすることとなり、あんなに高く積まれていた釣書も今日の相手が最後の一人となっていた。
デュークに「もうあとはないぞ!見合いがうまくいかなければ一生結婚できないと思って臨め!」と凄まれたアイビスは、正に崖っぷちであった。
◇◇◇
「おお、アイビス!間に合ったようだな」
「ええ、サラのおかげでね」
談話室に到着すると、すでに準備万端な父のデュークと、母のアルドラの姿があった。
アルドラはいつもにこやかな笑みを携えているが、愛娘にいい相手を見つけたいという気合に関してはデューク以上のものがあり、アイビスには母の背から迸る闘志が透けて見えるようであった。
こほんと咳払いをしたアイビスは、ひらりと桃色の愛らしいドレスを翻して優雅にお辞儀をしてみせる。
デュークは満足げにうんうん頷いてくれたのだが、一転、表情を引き締めて背筋を伸ばした。
「さて、アイビス。もう何回目のお見合いか分からんが、いよいよ私の伝手で手配した最後の相手だ。分かっているな?」
「……はい。努力します」
頭では分かっていても、アイビスにだって譲れないものはある。
最低限、あの条件だけでも飲んでもらえればそれだけでいいのに――と密かにため息をついたタイミングで、談話室の扉がノックされた。先方が到着したらしい。
居住まいを正した両親にならい、アイビスもシャキッと背筋を伸ばしてお相手を待つ。
執事に案内されて談話室に入って来たのは、穏やかな表情をした、釣書よりもややふくよかな男性であった。
「はいぃ!?」
幼馴染の急な求婚に、アイビスは目を瞬いた。
何がどうしてこうなったのか、時は数時間ほど遡る――
◇◇◇
「ふんっ!ふんっ!はあっ!やあっ!」
陽光差し込む道場に、ビュッ!ビュッ!と拳が空を切る音が響く。
しっかりと磨き上げられた床にはポタポタと汗が滴り、一人の女性の周辺にキラキラ光る水溜まりを作っていく。
「ふぅー…」
いつも通り一通りの型を終えると、ゆっくり拳を降ろして深く息を吐いた。
やっぱり身体を動かすのは気持ちがいいなと思いながら、手拭いで流れる汗を拭う。
「アイビス!!まだこんなところにいたのか!!」
「ぎゃっ!お父様っ!?」
道場の中心に立っていた女性――アイビスが程よい疲労感に浸っていると、ばん!と道場の入り口を開けて、父のデュークが肩を怒らせながら入って来た。
(お父様、呆れたような怒ったような顔をしているわね……また何かやらかしちゃったかしら?)
うーん、と指を顎に当てて、それなりに思い当たる心当たりを探していると、デュークはビシッと懐中時計を突き出してアイビスに時間を知らせた。
「馬鹿もん!いつまで鍛錬しているつもりだ!あと二時間もせずに先方がやって来るぞ!急いで汗を流して支度をして来い!」
「うそっ!?二時間!?大変だわっ!」
アイビスは父の言葉にギョッと目を見開いて、突き出された懐中時計に飛びついた。
随分稽古に夢中になってしまったらしい。確かに約束の時間まで、あと二時間を切っている。
急いでシャワーを浴びてドレスに着替えて化粧をしてもらって…ギリギリ間に合うかというところか。
「とにかくすぐ着替えなくっちゃ…お父様、また後でね!」
「あ、おい……!はぁ、今日の見合いもダメかもしれんな…」
慌てて道場を飛び出し、瞬く間に小さくなっていくアイビスを、デュークはため息をつきながら見送った。
◇◇◇
アイビスは全力疾走をして自室に戻ると、すぐさま浴室に飛び込んだ。
なんと湯船に湯が張ってある。きっと専属メイドのサラが用意してくれたのだろう。
後でお礼を言わなくては、と思いながら、ザブン!と半ば飛び込むように頭まで湯に浸かり、急いで頭と身体を洗って浴室を飛び出す。
「お疲れ様です。お嬢様」
「サラ!助かったわ!よろしくね!」
浴室から出ると、タオルを持ったサラが控えてくれていたので、アイビスはポタポタ濡れた髪のまま素早く鏡の前に座った。
「まったく、お転婆が過ぎますよ」
「えへへ…お見合いでは大人しくしてるから大丈夫よ」
へらりと笑うアイビスに呆れつつも、サラは丁寧に髪を乾かしてくれる。
ヘーゼルナッツ色のストレートヘアにオイルをつけ、ブラシで丁寧にといて艶を出し、いつもはポニーテールにまとめる髪を軽く編み込み後ろに流す。
慣れた手つきで化粧に移ったサラに、アイビスはちょっとした注文をしてみる。
「ねぇ、ちょっと儚げな感じでお願いできるかしら?」
「お任せください」
サラはふふんと鼻を鳴らして素早くアイビスの顔に粉を叩いていく。少しでもお上品に、ご令嬢らしく見えるように、と丁寧に化粧を施していく。
化粧が終わり、事前に準備していた淡い桃色のドレスに袖を通すと、サラが全体のバランスを整えてくれたことを確認してから鏡の前に仁王立ちをした。最後に、顔を左右に傾けて仕上がりを確認する。
(……よし、どこからどう見てもお淑やかなお嬢様に見えるわね!)
「上出来よ!最高!サラ大好き!」
「とんでもございません。さ、伯爵様がお待ちです。参りましょう」
「ええ、そうね」
アイビスは、よぉし!と拳を突き上げて気合を入れ、父のデュークが待つ談話室へと向かった。
その豪快な足取りは令嬢らしからぬものであったため、後をついてきたサラに鋭く指摘されてしまった。
◇◇◇
めかし込んで意気軒昂と談話室に向かっているのは、アイビス・アルファルーン。
伯爵家の娘として生まれ、今年二十一歳となるれっきとした貴族令嬢である。
サラリとしたヘーゼルナッツ色の髪を肩甲骨あたりまで伸ばし、普段は邪魔にならないように高い位置で一つに束ねている。
少し切長の瞳は菫色をしており、スラリと背が高く、女性らしい身体付きを維持しつつも程よく引き締まった体躯をしている。ヒラヒラしたドレスはあまり得意ではないので、屋敷内ではもっぱら動きやすいパンツスタイルで過ごしている。
そんなアイビスはちょっぴり腕っぷしが強く武術に秀でているため、この歳まで嫁の貰い手がなかった。
令嬢らしからぬ豪胆な性格ゆえか、そこらの男よりも腕が立つためか――学園時代から遠巻きにヒソヒソと噂話の的にされていたアイビスは、苦手な社交界からも離れて鍛錬に励んでいた。そして現在、護身術の道場を一人切り盛りしている。
そんな訳で、武闘派なお転婆娘で有名なアイビスには、この歳まで浮いた話はひとつもなかったのである。
当人はそのことを特に気にした様子はないのだが、一向にいい相手を連れてこない娘に痺れを切らしたのは、父のデュークであった。
アイビスの兄であるアイザックの結婚が決まってからというもの、そろそろお前も身を固めろとせっつかれている。
アイビスとしては最近ようやく軌道に乗り始めた護身術の道場の師範として、門下生を増やし、かねてよりの夢に向かって走り出したところである。
そのため、結婚というのは正直なところ煩わしかった。
そんなアイビスの性格や考えは父にお見通しだったようで、デュークは自らの伝手を存分に使ってお見合い相手をかき集めてきた。
アイビスは目の前に積み上げられた釣書にげんなりしつつも、自分の仕事や夢に理解ある夫を探すのもいいかと思い直して前向きにお見合いに励むこととした。
ちなみにアイビスが武術に長けているのは、軍部を率いるデュークが幼い頃より指導を重ねてきたからで、父としてはどこか引け目や責任を感じているのかもしれない。
こうしてお見合いや結婚に対して考えを改めたアイビスであるが、どうしても譲れない条件があった。
それゆえ、今日までお見合いは全敗。というより全てアイビスからお断りすることとなり、あんなに高く積まれていた釣書も今日の相手が最後の一人となっていた。
デュークに「もうあとはないぞ!見合いがうまくいかなければ一生結婚できないと思って臨め!」と凄まれたアイビスは、正に崖っぷちであった。
◇◇◇
「おお、アイビス!間に合ったようだな」
「ええ、サラのおかげでね」
談話室に到着すると、すでに準備万端な父のデュークと、母のアルドラの姿があった。
アルドラはいつもにこやかな笑みを携えているが、愛娘にいい相手を見つけたいという気合に関してはデューク以上のものがあり、アイビスには母の背から迸る闘志が透けて見えるようであった。
こほんと咳払いをしたアイビスは、ひらりと桃色の愛らしいドレスを翻して優雅にお辞儀をしてみせる。
デュークは満足げにうんうん頷いてくれたのだが、一転、表情を引き締めて背筋を伸ばした。
「さて、アイビス。もう何回目のお見合いか分からんが、いよいよ私の伝手で手配した最後の相手だ。分かっているな?」
「……はい。努力します」
頭では分かっていても、アイビスにだって譲れないものはある。
最低限、あの条件だけでも飲んでもらえればそれだけでいいのに――と密かにため息をついたタイミングで、談話室の扉がノックされた。先方が到着したらしい。
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