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29_孤児院での出張稽古
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エリザベスとベティが訪れて二週間後、孤児院とアイビスの予定が合った日に、初回の訪問日が設定された。
この頃にはアイビスの足の傷も綺麗に治っていた。アイビスにとっては苦行の二週間であったが、傷跡一つ残らなかったのはヴェルナーの献身の賜物である。
今日は偶然ヴェルナーも休みであったため、二人で馬車に揺られて街外れの孤児院にやって来た。
「アイビス様、お待ちしておりました。私はこの孤児院の院長を勤めております、ロベルタと申します」
門の前で出迎えてくれたのは、たくさんの子供達に囲まれた中年女性であった。ふんわりとした茶色い癖っ毛には少しだけ白髪が混じり始めている。眼鏡を少しずらして鼻にかけ、柔らかな微笑を携えている友好的な女性だ。
子供たちは三者三様で、明るく元気に挨拶をする子、恥ずかしそうにロベルタの後ろに隠れてチラチラ顔を出している子、アイビスたちにはお構いなしに庭を走り回っている子などなど、総じて元気そうな子供たちである。
ここにいる皆が今日の生徒たちだ。
アイビスはそれぞれの顔を覚えるように辺りを見回した。
「では、施設の説明をしながら中を案内いたします」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
どうぞ、と手で指し示された先には、素朴ながらも温かみのある木造二階建ての建物が建っている。
ロベルタの案内で中を回ったが、階段の段差も子供たちに合わせて低めかつ幅広に作られ、手洗い場も幼い子でも使いやすい設計となっていた。
「とてもいい施設ですね。子供目線で作られていて過ごしやすそうだ」
「ええ、ええ!そうでしょう?ジェームズ殿下が視察にいらした際に色々とご指摘くださって…何年前になるかしら?その時に大幅な改築をして今の設備が整ったのですよ」
「ジェームズ殿下が?」
確かエリザベスも第一王子がよく孤児院に視察に出ていると言っていた。へぇ、とヴェルナーも感心した様子で施設の様子を観察している。
一国の王子が国の子供たちを気にかけることは当然と言えば当然である。むしろ喜ばしいことなのだが、なぜかそれだけじゃない気がして、アイビスの胸はざわついた。どうしても、獣のようなあの鋭い視線を思い起こしてしまうのだ。
特に確証はないが、アイビスの野生の勘が告げている。第一王子として多忙を極めるジェームズが時間を作って頻繁に通う理由があるのだろうか。
「そうですよ。婚約者であり孤児院の出資者でもあるエリザベス様ともよくいらっしゃいます」
「エリザベスと…そう、なるほど」
(そうか、婚約者のエリザベスと関わりがあるから、よくいらしているのね)
アイビスはそう自分に言い聞かせるようにして、深く考えることをやめた。今はそれよりも子供たちに護身術を教えることが重要である。
一向は再び外に出ると、ロベルタが子供たちを集めて庭の開けた場所に整列させた。
「みなさん、今日は特別にアイビス先生に来ていただきましたよ。先生は護身術の道場を経営されるすごい方です。今日はたくさん教えてもらいましょうね」
「はーい!」
(先生!)
そう言われるとむず痒いけれど、キラキラ目を輝かせた子供たちのためにもしっかり務めを果たさねばと気が引き締まる。
「みなさん、こんにちは。私はアイビス。今日はみなさんに自分の身を護る術を教えます」
「はーい!」
「アイビス先生、よろしくお願いします!」
孤児院の子供たちは皆、流行病で親を亡くしたり、事故や家庭の事情で生き別れたりして身寄りをなくしている。生い立ちを考えれば心が痛むが、子供たちの目に悲壮感は浮かんでいない。みんな真っ直ぐ前を見据えて健気に生きている。
きっとロベルタを始めとした大人たちが、彼らに十二分に愛情を注ぎ、必要な教育も受けさせているからなのだろう。
アイビスも子供たちの礎の一人となれるように、しっかりと向き合う。
「この国は平和で素敵な国よ。だけどね、いつどこで悪意ある手に襲われるか分からないわ。今日は少しでも自分の身を護る力をつけてちょうだい!」
「はーい!」
まずアイビスは、急に後ろから抱きつかれた時の対処法、抱え上げられた時にどうすればいいのか、人体における急所はどこかを身振り手振りで教え込んだ。
ヴェルナーにも犯人役として協力してもらい、実演してみせる。ヴェルナーはアイビスの思う通りに滑らかに無駄なく動いてくれるため、とても組みやすかった。
「よーし、じゃあ実践編ね。私が順番にあなたたちを捕まえるから、今教えた方法を活用して逃げ出してみて」
子供たちはキャーキャー言いながらも、真剣に取り組んでおり、アイビスは充実したひとときを過ごすことができた。
◇◇◇
「今日は本当にありがとうございました。子供たちもいい経験が積めたと思います」
「いえ、こちらこそ。みんな飲み込みが早くて驚きました」
「ふふ、子供の吸収力には目を見張るものがありますからね。私も毎日驚かされてばかりです」
子供たちに護身術の基礎を教え込んだアイビスは、充足感に満たされながら談話室でお茶をいただいていた。
「アイビス様さえよろしければ、定期的に指導をしてくださいませんか?子供たちの身にもなることですし、何より彼らがとても楽しそうにしておりましたもの」
「っ!ええ、是非!嬉しいです」
ロベルタからの提案に、パァッと表情を綻ばせたアイビスは思わず隣に座るヴェルナーを仰ぎ見た。彼は「良かったな」と優しく頭を撫でてくれる。そんな二人の様子をロベルタが微笑ましげに見つめていた。
「あら、リズベル…どうかしたの?」
キィ、と僅かに扉が開く音がして三人がそちらに視線を投げると、おずおずと一人の少女が顔を覗かせていた。
リズベルと呼ばれた少女は、ロベルタに向かって駆け出すと、ぎゅうっとその膝に抱きついた。まだ十歳にも満たない少女である。
「あらあら、甘えん坊さんだこと。チャーノたちが居なくなって以来、こうなんですよ」
「チャーノ……って、ロリスタン公爵様の養子の?」
不意に飛び出した名前に、驚いたアイビスが尋ねると、ロベルタはよいしょ、とリズベルを抱え上げてから笑みを深めた。
「ええ、さようです。彼女たちはつい先月、公爵様の養子としてこの施設を卒業していきました。ロリスタン公爵様は凄いお方です。里親探しにも積極的で、これまでも何人もの子供たちが公爵様の紹介で貴族のお屋敷に引き取られていきましたよ」
「そうなのですね」
ロベルタの様子から、ロリスタン公爵がこの施設と随分懇意にしている様子が見て取れる。
何故だか、あの日物言いたげだったチャーノの顔が浮かんでは消えていく。
――あの時、あの子は何を伝えたかったのだろうか。
「公爵様と言えば、今度、国交樹立十周年を祝して、アステラス帝国からいらっしゃる大公爵様ともお知り合いなのだとか。顔が広くて感服いたします」
「アステラス帝国の大公爵と!?」
突然飛び出した思わぬビッグネームに、今度はヴェルナーが目を見開いた。
「ええ、今度大公爵様がいらっしゃる際には特別な贈り物を用意されるのだと息巻いておりましたわ。また十年前のようにパレードが催されるのかしら?街を上げてのお祭りになるでしょうねえ。今から子供たちを連れて行くのが楽しみです」
じっと大人しくロベルタに抱かれていたリズベルが、街という単語にピクリと反応して顔を上げた。
「ねぇ、まちに行ったらチャーノおねえちゃんとティアおねえちゃんに会えるの?」
「あらあら、やっぱり二人がいなくて寂しいのねえ…会えたらいいわね」
ロベルタが宥めるように、よしよしとリズベルの頭を撫でる。
リズベルは気持ちよさそうに目を細めるも、その表情はやはり寂しそうである。
「ん?先程から二人とおっしゃっておりますが、同時期に二人の子供が身請けされたのですか?」
「え?ええ、そうですよ?チャーノと、妹のティアの二人がロリスタン公爵様の養女になったのですよ。歳の差は二つだったかしら」
さも当然とでも言うように、ロベルタはサラッと重大な話題を投下した。
「チャーノの妹!?」
「はい、とても仲の良い姉妹でしたから、二人一緒に迎えていただけて本当によかったです」
「そう、ですか……」
あの日ロリスタン公爵が連れていたのはチャーノだけだった。
妹のティアは?単純に幼いから留守番をさせていた?
あの時チャーノが不安がだったのは、もしかして妹が居なかったから?それとも……
思考の海に沈みかけたアイビスであったが、ヴェルナーに肘で小突かれてハッと意識を引き上げた。
「本日はありがとうございました。次回もどうぞよろしくお願いします」
胸に引っ掛かりを残しつつも、アイビスは無事に初めての孤児院訪問を終えたのであった。
この頃にはアイビスの足の傷も綺麗に治っていた。アイビスにとっては苦行の二週間であったが、傷跡一つ残らなかったのはヴェルナーの献身の賜物である。
今日は偶然ヴェルナーも休みであったため、二人で馬車に揺られて街外れの孤児院にやって来た。
「アイビス様、お待ちしておりました。私はこの孤児院の院長を勤めております、ロベルタと申します」
門の前で出迎えてくれたのは、たくさんの子供達に囲まれた中年女性であった。ふんわりとした茶色い癖っ毛には少しだけ白髪が混じり始めている。眼鏡を少しずらして鼻にかけ、柔らかな微笑を携えている友好的な女性だ。
子供たちは三者三様で、明るく元気に挨拶をする子、恥ずかしそうにロベルタの後ろに隠れてチラチラ顔を出している子、アイビスたちにはお構いなしに庭を走り回っている子などなど、総じて元気そうな子供たちである。
ここにいる皆が今日の生徒たちだ。
アイビスはそれぞれの顔を覚えるように辺りを見回した。
「では、施設の説明をしながら中を案内いたします」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
どうぞ、と手で指し示された先には、素朴ながらも温かみのある木造二階建ての建物が建っている。
ロベルタの案内で中を回ったが、階段の段差も子供たちに合わせて低めかつ幅広に作られ、手洗い場も幼い子でも使いやすい設計となっていた。
「とてもいい施設ですね。子供目線で作られていて過ごしやすそうだ」
「ええ、ええ!そうでしょう?ジェームズ殿下が視察にいらした際に色々とご指摘くださって…何年前になるかしら?その時に大幅な改築をして今の設備が整ったのですよ」
「ジェームズ殿下が?」
確かエリザベスも第一王子がよく孤児院に視察に出ていると言っていた。へぇ、とヴェルナーも感心した様子で施設の様子を観察している。
一国の王子が国の子供たちを気にかけることは当然と言えば当然である。むしろ喜ばしいことなのだが、なぜかそれだけじゃない気がして、アイビスの胸はざわついた。どうしても、獣のようなあの鋭い視線を思い起こしてしまうのだ。
特に確証はないが、アイビスの野生の勘が告げている。第一王子として多忙を極めるジェームズが時間を作って頻繁に通う理由があるのだろうか。
「そうですよ。婚約者であり孤児院の出資者でもあるエリザベス様ともよくいらっしゃいます」
「エリザベスと…そう、なるほど」
(そうか、婚約者のエリザベスと関わりがあるから、よくいらしているのね)
アイビスはそう自分に言い聞かせるようにして、深く考えることをやめた。今はそれよりも子供たちに護身術を教えることが重要である。
一向は再び外に出ると、ロベルタが子供たちを集めて庭の開けた場所に整列させた。
「みなさん、今日は特別にアイビス先生に来ていただきましたよ。先生は護身術の道場を経営されるすごい方です。今日はたくさん教えてもらいましょうね」
「はーい!」
(先生!)
そう言われるとむず痒いけれど、キラキラ目を輝かせた子供たちのためにもしっかり務めを果たさねばと気が引き締まる。
「みなさん、こんにちは。私はアイビス。今日はみなさんに自分の身を護る術を教えます」
「はーい!」
「アイビス先生、よろしくお願いします!」
孤児院の子供たちは皆、流行病で親を亡くしたり、事故や家庭の事情で生き別れたりして身寄りをなくしている。生い立ちを考えれば心が痛むが、子供たちの目に悲壮感は浮かんでいない。みんな真っ直ぐ前を見据えて健気に生きている。
きっとロベルタを始めとした大人たちが、彼らに十二分に愛情を注ぎ、必要な教育も受けさせているからなのだろう。
アイビスも子供たちの礎の一人となれるように、しっかりと向き合う。
「この国は平和で素敵な国よ。だけどね、いつどこで悪意ある手に襲われるか分からないわ。今日は少しでも自分の身を護る力をつけてちょうだい!」
「はーい!」
まずアイビスは、急に後ろから抱きつかれた時の対処法、抱え上げられた時にどうすればいいのか、人体における急所はどこかを身振り手振りで教え込んだ。
ヴェルナーにも犯人役として協力してもらい、実演してみせる。ヴェルナーはアイビスの思う通りに滑らかに無駄なく動いてくれるため、とても組みやすかった。
「よーし、じゃあ実践編ね。私が順番にあなたたちを捕まえるから、今教えた方法を活用して逃げ出してみて」
子供たちはキャーキャー言いながらも、真剣に取り組んでおり、アイビスは充実したひとときを過ごすことができた。
◇◇◇
「今日は本当にありがとうございました。子供たちもいい経験が積めたと思います」
「いえ、こちらこそ。みんな飲み込みが早くて驚きました」
「ふふ、子供の吸収力には目を見張るものがありますからね。私も毎日驚かされてばかりです」
子供たちに護身術の基礎を教え込んだアイビスは、充足感に満たされながら談話室でお茶をいただいていた。
「アイビス様さえよろしければ、定期的に指導をしてくださいませんか?子供たちの身にもなることですし、何より彼らがとても楽しそうにしておりましたもの」
「っ!ええ、是非!嬉しいです」
ロベルタからの提案に、パァッと表情を綻ばせたアイビスは思わず隣に座るヴェルナーを仰ぎ見た。彼は「良かったな」と優しく頭を撫でてくれる。そんな二人の様子をロベルタが微笑ましげに見つめていた。
「あら、リズベル…どうかしたの?」
キィ、と僅かに扉が開く音がして三人がそちらに視線を投げると、おずおずと一人の少女が顔を覗かせていた。
リズベルと呼ばれた少女は、ロベルタに向かって駆け出すと、ぎゅうっとその膝に抱きついた。まだ十歳にも満たない少女である。
「あらあら、甘えん坊さんだこと。チャーノたちが居なくなって以来、こうなんですよ」
「チャーノ……って、ロリスタン公爵様の養子の?」
不意に飛び出した名前に、驚いたアイビスが尋ねると、ロベルタはよいしょ、とリズベルを抱え上げてから笑みを深めた。
「ええ、さようです。彼女たちはつい先月、公爵様の養子としてこの施設を卒業していきました。ロリスタン公爵様は凄いお方です。里親探しにも積極的で、これまでも何人もの子供たちが公爵様の紹介で貴族のお屋敷に引き取られていきましたよ」
「そうなのですね」
ロベルタの様子から、ロリスタン公爵がこの施設と随分懇意にしている様子が見て取れる。
何故だか、あの日物言いたげだったチャーノの顔が浮かんでは消えていく。
――あの時、あの子は何を伝えたかったのだろうか。
「公爵様と言えば、今度、国交樹立十周年を祝して、アステラス帝国からいらっしゃる大公爵様ともお知り合いなのだとか。顔が広くて感服いたします」
「アステラス帝国の大公爵と!?」
突然飛び出した思わぬビッグネームに、今度はヴェルナーが目を見開いた。
「ええ、今度大公爵様がいらっしゃる際には特別な贈り物を用意されるのだと息巻いておりましたわ。また十年前のようにパレードが催されるのかしら?街を上げてのお祭りになるでしょうねえ。今から子供たちを連れて行くのが楽しみです」
じっと大人しくロベルタに抱かれていたリズベルが、街という単語にピクリと反応して顔を上げた。
「ねぇ、まちに行ったらチャーノおねえちゃんとティアおねえちゃんに会えるの?」
「あらあら、やっぱり二人がいなくて寂しいのねえ…会えたらいいわね」
ロベルタが宥めるように、よしよしとリズベルの頭を撫でる。
リズベルは気持ちよさそうに目を細めるも、その表情はやはり寂しそうである。
「ん?先程から二人とおっしゃっておりますが、同時期に二人の子供が身請けされたのですか?」
「え?ええ、そうですよ?チャーノと、妹のティアの二人がロリスタン公爵様の養女になったのですよ。歳の差は二つだったかしら」
さも当然とでも言うように、ロベルタはサラッと重大な話題を投下した。
「チャーノの妹!?」
「はい、とても仲の良い姉妹でしたから、二人一緒に迎えていただけて本当によかったです」
「そう、ですか……」
あの日ロリスタン公爵が連れていたのはチャーノだけだった。
妹のティアは?単純に幼いから留守番をさせていた?
あの時チャーノが不安がだったのは、もしかして妹が居なかったから?それとも……
思考の海に沈みかけたアイビスであったが、ヴェルナーに肘で小突かれてハッと意識を引き上げた。
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