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第一部 はじまりの物語

第三章 覚悟

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「王子様、もういってしまうの」

 日が開けてイリスに支度を整えてもらうと、旅立とうとしていた。かばんに追加されたのは、食器や器具。手当てするための薬箱。頭巾ケプヒェン付きの外套だ。寒さをしのぐのと、顔を隠す役割がある。

「イリス、世話になった。お主の兄を独り占めしてしまう形になってしまうがいいか」

 申し訳なさそうなマリアに、イリスは首を振ってみせる。

「王子様に必要とされているのなら良いのです。本当にこんな兄でいいのですか。さっきから、にたにたして気持ちの悪いこんな兄で!」

 後ろでニタニタ笑うレイヴァンに向かって、イリスが叫ぶ。

「お前が気にする必要はない。王子は命に代えても俺がお守りする」

「なんか恐いわ。王子様の貞操を汚すんじゃないわよ!」

「なっ! するわけないだろう」

 レイヴァンがあわててイリスに反論した。

「王子、俺はそんなことしませんからね」

 レイヴァンが念を押せば、マリアは首を傾げた。

「ていそうって、なんだ?」

 呆気にとられていたが、我に返ってマリアの肩に手を置いた。

「あなた様は知らなくて良いのです。汚されずに育ってくれれば」

 意味が分からないマリアは、あいまいにうなづく。

「汚そうとしているのは、兄貴でしょ。レイヴァンの不潔、変態!」

「お前が勝手に言っているだけだろう」

 言い合っている二人を、ほほえましく想いながらマリアは眺めていた。

「仲がよいのだな、二人は」

「よくない!」

 二人から同時に返答がきて苦笑いをする。レイヴァンは、はっとしてうやうやしくかしづいた。

「申し訳ございません。主に対してあのような口を」

「いいや、かまわない。それに何だか嬉しいんだ」

「嬉しい?」

「うん、いつもと違うレイヴァンが見られてちょっと嬉しい。同時に、ちょっとさみしい」

「え?」

 レイヴァンは驚きを隠せない。マリアの視線は、どこか一点に集中している。

 「レイヴァンが、どこか遠い世界の人に思えて。変だよね、レイヴァンはレイヴァンなのに」

 やわらかな頬に、レイヴァンの無骨な手が添えられた。青い瞳が見開かれる。

「レイヴァン?」

「王子、それは嫉妬ですか?」

 マリアの手が少し震えた。

「ち、ちがう」

 レイヴァンの真摯な目が「嫉妬だ」とでも言いたげに見つめる。マリアの顔との距離が近づいていく。

「なにやってんの、莫迦ばか兄貴!」

 イリスが二人の間に割って入ると、レイヴァンを突き飛ばしていた。

「大丈夫か?」
 
 マリアがレイヴァンに駆け寄ると、黒い瞳が熱い視線を送る。

「どこか打ったのか?」

「いいえ、打ってなどおりません。ただあまりにもあなた様が可愛らしくて」

 薄い金の髪が無骨な指に絡め取られた。その仕草に、マリアの胸が高鳴る。

(レイヴァンは女慣れしているのかな)

 思わざるを得ないほどにレイヴァンの手つきはしなやかで優しく慣れた手つきをしている。こんな手で撫でられれば女性なんて一発でころりと、“とりこ”にされてしまうであろう。もしかすると自分が知らないだけで、彼には女の一人や二人いるのかもしれない。
 手つきだけではない。いつも一緒にいるためにわかりにくいが、レイヴァンの闇夜を映し込んだ憂いを帯びた目は、世の女性達は放っておけなくするだろう。
 騎士は、戦場に立って戦うための技量が必要となる。外で鍛錬するのも多いから、よく日に焼けている。この男の場合、焼けた肌が男らしい色気を放っていた。
 日頃から鍛えているであろう筋肉は、しなやかな筋肉の付き方をしている。これで剣や槍などの武器を使いこなすのだから申し分ない。
 この上顔立ちがよいのだから、女性に人気がないはずがない。けれども、マリアはレイヴァンの艶聞は知らない。
 そんな風に思っていると、イリスが咳払いする。

「見つめ合ってる時間はないでしょう? 今、こうしている間もコーラル国がこの国を好き勝手やっているんだから」

「そうだな。では、そろそろ行くことにしよう。イリス、世話になった」

「いいえ」

 鞍にまたがって進み始めたとき。

「ごめん、ちょっと待ってて!」

 さけんでイリスは一度、家に戻ると飛び出してきた。

「どうかしたのか?」

「これ、もし何かあったらって父さんから手紙」

 イリスが手紙をマリアに渡した。受け取ると器用な手つきで手紙を開けた。レイヴァンも馬から下りて手紙の中身をのぞき込む。

『これから、どうすればよいのかおそらく悩んでいるだろう。そんなときは、オブシディアン共和国に住まう知人を訪ねよ。彼ならば、きっと知恵をかしてくれるだろう』

「オブシディアン共和国?」

 首を傾げるマリアに、レイヴァンが説明する。

「ここベスビアナイト国より、西方にある国です。しかし、そのような場所に知人がいたとは」

 手紙の二枚目には、地図と名前が記されている。

「オブシディアン共和国の首都デイサイトに住む、バートという方のようですね。どうしますか?」

 レイヴァンにマリアは、うなづいてみせる。

「会ってみよう。もしかしたら、我らに知恵をかしてくれるかもしれない」

 我が国は古くから交流があり、よく行商人が物資を運んできている。通行許可書もいらない。他の国に比べたら入りやすいと、レイヴァンはマリアに伝えた。

「では、行こう。少しでも早く、着くように」

 外套をひるがえして鞍に、ふたたびまたがった。

「ありがとう、イリス。お主に色々と助けられた」

 イリスはと微笑むと、赤い髪を整える。

「あたしは何もしていませんよ。ご武運をお祈り申し上げます」

 マリアがうなづくと、レイヴァンは手綱を引いた。レジーもイリスからもらった馬を走らせはじめる。馬に揺られながらマリアは、レイヴァンに。

「今まで聞いていなかったが、戦場は一体どうなっていたんだ?」

「どうやら伏兵がいたらしく、彼らに騎馬兵や歩兵がほとんどやられてしまいました」

 マリアが顔を伏せる。

「マリア様。王都は正騎士長の部下が護衛をしていたはずでしたが、一体何があったのですか。コーラル国の軍事力では、門を破れるとは思えないのですが」

「わからない。気がついたときは、すでにコーラル国の兵達であふれかえっていて。わたしはバルビナや母上に逃がされたから」

 うつむいた瞳に影が差す。気づきつつもレイヴァンは何も言えなかった。同時に頭の中に嫌な考えが浮かんでいた。

(まさか、正騎士長が裏切っていたのか)

 考えを振り切ってレイヴァンは、マリアに微笑んでみせる。

「マリア様、王様も王妃様も助けに参りましょう。あなた様が助けてくれたとわかれば、きっとお喜びになります」

「ありがとう、レイヴァン。けど、一度は王都へ行って国の状況を見ておきたいな」

 マリアにレイヴァンも肯定した。

「ですが、あなた様は行かせるわけには参りません。他の誰かを行かせましょう」

「うん」

 あいまいにうなづきながら、マリアは考え込む。

『たとえそうだとしても一国の王子』

 この一言が耳をついて離れない。

(わたしは、このまま守られるだけの無能な“王子”で良いのだろうか。結局、わたしはレイヴァンに守られてばかりで、知恵も回らない。誰かを頼ることしかできないなんて)

 考え出したら自分自身が空しくなってくる。何も出来ない。ただ守られるだけの王子なんて民が必要とするだろうか。いないほうがよいではないか。卑屈な思考におちいっていたとき。足音がひびいてきた。すさまじく、規則正しい音だった。

「軍人だな」

 レイヴァンの一言に、一気に青ざめる。

「追っ手!」

 声に出した瞬間、馬に向かって矢が放たれた。一啼きするとマリアとレイヴァンを宙へ放り出してしまう。少女の名を呼んでレイヴァンの無骨な手が、マリアの体を抱え込む。黒い騎士の体は重力によって地面に叩きつけられてしまう。
 目を見開いてマリアが名を呼ぶと、悲痛に満ちた表情が少しだけ和らいだ。あわてて処置をほどこそうとかばんの中をあさる。黒い騎士は手をつかんで、なんでもない表情を浮かべた。

「大丈夫ですよ、これくらい。戦場では日常茶飯事です」

「けど」

 泣き出しそうになる少女の髪をなでて、起き上がる。肩を抱き寄せて自分の体の中へ抱え込んだ、刹那。矢弾が雨となって降りそそいだ。レイヴァンは抜刀し、応戦する。レジーも短剣を手に、立ち向かっていた。
 やむと武装した男が現れる。胸に付けているのは、五芒星ペンタクルの形を象った勲章。コーラル国の貴族にのみ与えられるものだ。うしろには、十騎もの騎馬兵。

「貴様、何者だ」

「俺はコーラル国、随一の武人。そこにいる王子に用がある。いや、違うな。お姫様か」

 レイヴァンの体が一気に鳥肌が立つ。一瞬であったためマリアですら気づいたときには、黒い瞳に怒りが浮かんでいる。

「この方はこの国の王子だ。そんなを誰が言った?」

 男はガハガハと笑う。

「たわけだと、よくもまあそんなことが言える! これを教えてくれたのは、クリフォードだ」

 クリフォードは、この国の正騎士長でレイヴァンの育ての親だ。それにマリアが女性だと知っている数少ない人間だった。裏切り者だと聞いたとき、怒りよりも悲しみの方が勝っていた。これにより辻褄が合ってしまう。ほぼ全滅していた味方の部隊。王都を守っていたはずの正騎士長の部下。城はコーラル国の兵に襲撃された。

「そんな莫迦ばかな。正騎士長は王に忠義を誓っていたのだぞ」

 男の顔がこれほど面白いものはない、とでも言いたげに歪められる。

「忠義だと? 笑わせる。あの男は元々、コーラル国から入り込んだ間者スパイなのだからな」

 マリアが息を飲み、レイヴァンが冷や汗を浮かべた。二人が物思いにふける間はなく、男が指示を出す。

「ベスビアナイト国の王子を捕らえよ」

 一斉にマリア達へ向かってくる。レジーが矢をつがえて、十騎全てを横転させた。その隙にレイヴァンはマリアを連れて、向かってくる伏兵の矢を蹴散らしてゆく。

(恐い。王族というだけで命を狙われる。わたしは何もわかってはいなかった。専属護衛の意味も、武器を持つ意味も)

 たおれていた武装した男達が立ち上がる。剣を抜いて向かってきたが、レジーの短剣で刺殺されてゆく。男達は血を流して、動かなくなった。今度は歩兵が草むらから大勢あらわれた。レジーも倒していくが、あまりの人数に追いつかない。
 マリア達の所まで追いついたが、レイヴァンの剣裁きで一瞬にして何十人もの歩兵が地面に倒れて動かなくなる。
 弓兵の矢がふたたび降りそそぐ。レジーもマリア達に合流し、三人は男達の目に付かない場所へと移動していった。



 敵兵のいない場所に来て、マリアたちは小さく息を吐く。

「ここまで来れば、大丈夫だろうか」

「いいや、おそらく俺たちをさがしているだろう。いつ、ここがばれるか」

 マリアの考えはレイヴァンによって、ことごとく一蹴される。不安げな目をする王女にそっと笑いかけた。

「大丈夫です、ご心配なさらずとも俺がついています。専属護衛の俺がそこまで信用なりませんか?」

「いや、だって、もし何かあったら……」

 小さく息を吐き出して、ほほえみかける。

「“もし”なんてございませんよ。俺はあなたをお守りするため、何度だって舞い戻って見せますよ」

 青い金剛石ブルーダイヤモンドの瞳が涙でうるおう。まだ駄目かと苦笑いを浮かべると、マリアの首筋に唇を寄せて強く吸い込んだ。

「いたっ!」

 マリアが声をあげれば、首筋に噛み跡が付く。唇を離したレイヴァンがマリアに悲しげに微笑んで、髪をそっとなでた。

「お守りです」

 レジーに「マリア様を頼む」と、ほこらを出て敵兵がいる方へ駆けていった。その方向へ手を伸ばす。

「レイヴァン、待って」

 姿が遠くへ行ってしまった。見えなくなった姿に想いを馳せて、マリアは噛み跡をなでる。どこからか話し声が聞こえてきた。

「あの騎士、一体何者だ?」

「この人数をたった一人で相手するなんて」

(そうだよ、レイヴァンは強いんだ。わたしが心配するまでもない)

 兵がざわめく。レジーもそわそわと、風の声に耳を傾けているようだ。

「レジー、どうしたの?」

 刹那、外から声が聞こえてきた。

「よし、背後を取った。今なら毒矢で討てるぞ」

 ざわりと心が嫌な音を立ててざわめく。あまりに気持ち悪く、体中を駆けめぐった。

(大丈夫、レイヴァンなら矢くらいさけられる。私が出て行っても仕方ない。ただの足でまといになるだけ)

 思っても、体が勝手に動いていた。

「マリア、今出たら駄目だ」

 レジーの声すらも吹き抜ける風と同じに聞こえて、マリアには「守らなければ」と想いだけが支配していた。
 しばらく行くと男と二人ほどの弓兵が、草むらに隠れていた。レイヴァンは少し遠くにいた。

(守らなくちゃ)

 マリアは弓兵の一人に体当たりをして、枝を伸ばしている木の方へ押しやった。偶然にも男の体に、鋭い枝が突き刺さる。背後でレジーは、もう一人の弓兵を打ち抜いた。
 男はマリア達の方を向く。不気味なくらい笑みを浮かべた。

「まさか自ら出てくるとはな。さすが、世間知らずのお姫様。やることが無謀ですね」

 男をマリアは、にらみ付ける。男はマリアの首筋に、目をやった。

「傑作だ。騎士と姫君がそういう関係だったとはな。あんたの首筋、愛の噛み跡が付いてるぜ」

 マリアは耳を貸さない。

「みじめな娘だ。あんな騎士一人を頼りにしなければ、生きていけないなんてな」

「訂正しろ。わたしのことは何だって言え! けれど、彼を“あんな”騎士などと呼ぶな」

 マリアは近くに落ちていた剣を手に取る。ずんと重さが伝わってきた。

「剣もさわったことのない娘が思い上がるな!」

 さけんだ男は剣を抜き放って、マリアに向かって振り下ろす。レジーは助けようとしていたが、兵士があらわれたため叶わなかった。
 剣のぶつかる音が木霊する。違和感を感じてレイヴァンは、視線を草むらの方へやった。初めてマリアがいると知って、叫んだ。

「マリア様っ!」

 しかし答える声はなく、マリアは必死に剣を握っていた。足下のくぼみに気づかず、転んでしまう。

「これで終わりだ」

 男は剣を振り下ろそうとした。瞬間。男の動きが止まった。地面には赤い血だまりが出来ている。マリアが力を振り絞り、持ち直していたのだ。剣は偶然にも、男の体を貫通した。
 おびただしい量の返り血が付く。そんなものは気にならないほどに、青い目は血走って震えていた。男は地面に突っ伏した。まだ生き残っていた数人の兵士が、争うのを止めて逃げ去る。
 未だ呆然としているマリアに、レイヴァンは近寄る。

「大丈夫ですか」

 青い瞳に涙が浮かぶ。

「わたしは、今はじめて武器を持つ本当の意味を知った」

「はい」

「必死だった。レイヴァンが死んでしまうのではないかと思ったとき、体が勝手に動いていた」

「はい」

「お前を失いたくは、なかったんだ」

「はい」

 レイヴァンはマリアの体を抱きとめると、優しく髪をなでた。

(このまま、甘えていてはいけない。今日は偶然、こうなったもの本当ならばわたしは殺されていただろう)

 マリアの中で覚悟が決まる。レイヴァンから体を離すと、立ち上がった。

「レイヴァン、お願いがあるんだ。わたしにきちんとした武器の使い方を教えてほしい。出来れば稽古けいこも付けてほしい」

「あなたは、こりたわけじゃないのですか」

「いいや、前々から思っていた。レイヴァン、わたしに武器の使い方を教えてほしい」

 マリアが頭を下げると、黒い瞳が険しくなる。

「どうしても、ですか?」

「どうしてもだ。わたしはレイヴァンに甘えてばかりもいられない」

 ひとつレイヴァンが息を吐き出せば、マリアの体が強ばる。

「顔をおあげ下さい」

 マリアが顔を上げると、レイヴァンの表情は険しい。

「あなた様は、先ほど人を刺しました。武器を持つ意味を理解したはずです。ですが、あなたに武器の使い方をお教えするわけには参りません」

「何で」

 呆然とすれば、レイヴァンの瞳がいっそう険しくなる。

「これ以上、あなたの手を血で汚すわけには参りません。この手がけがれるのは俺だけでいいんです。なにより、王様も王妃様も悲しまれます」

 マリアは息を飲んで、ちらついていた両親の顔を脳裏に浮かべていた。
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