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第二部 ふたりの旅路

第十八章 嘆き

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 港へ行くというから、クサンサイトへ向けて行くのかとマリアは思った。どうやら違うらしく、メルヒェン街道を通りオブシディアン共和国の港から向かうのだという。なんでもベスビアナイト国では、カルセドニー国行きの船は出ていないらしい。

「レイヴァンとオブシディアン共和国へ向かった際には、山を登っていったが」

「シュヴァルツの森に覆われている山ですね。あのとき、姫様は追われる身でしたし、街道なんて通ったら居場所を教えているようなものですから」

 街道から離れた草原で地図を広げ、ソロモンがマリアにどの道を通るのかを説明していた。時刻は、ちょうど十二時でお昼時。レジーは魚釣りに行き、ダミアンが狩りに行き、エリスは昼食を作るための準備をしている。間に勉強がてら教えていたのだった。

「それと、シュヴァルツの森はトウヒの木が密集して生えており、暗く見えるため“黒い森”とも呼ばれています」

 はじめて聞く事ばかりで、どれも目新しい話ばかりだ。胸を高鳴らせながら、聞いていれば草木がざわりと音を立てる。木の上に昇っていたギルが降りてきて、マリアの隣に座った。どうやら、周囲の安全確認もしていたようだが暇になったらしい。口をあけて欠伸をした。
 クレアがここにいれば「緊張感が足りない」と叱責したであろうが、残念ながら今はエリスと共に昼食の準備中だ。ちなみにジュリアとクライドは、いつでも動き出せるよう後ろで控えている。

「やはり、ソロモンは何でも詳しいな」

「いえいえ、これもただの教養です。なんてことございません」

 まんざらでもなさそうに返して、今通っている街道の名をマリアに問いかけた。聞かれると思わなかったものだから、焦燥して固まってしまう。

「ロマンチック街道です。余談ですが、この道を少し進めば昔の町並みが残るローテンブルクに着きますよ。夜にはつけるでしょう」

 マリアは楽しげに目を輝かせてソロモンを見上げる。それを隣で見ていたギルは、何故か張り合う。

「さらに進めばヴュルツブルクで、そこまで続く街道がロマンチック街道なんですよ」

 街道を超えるとヴァイカースハイムという街があり、地主の住まう城があるという。ギルが得意げになったとき、レジーとダミアンが戻ってきてエリスに食材を渡せば器用な手つきでさばいてゆく。

「ギルも詳しいな」

 なんてことない顔になって謙遜するが、零れる嬉しさを隠しきれていない。表情筋がけいれんを起こしている。面白くて笑みを零すと、エリスが不機嫌そうにギルを睨み付けた。背筋がスッと伸びる。

「エリス、お前はいつからレイヴァンのようになったんだ。嫉妬の仕方があいつと同じだぞ」

 ギルではなく、ソロモンが口跡を紡いだ。エリスは不機嫌な表情で、「レイヴァン様と一緒にはしないでください」と返した。ソロモンとギルからすれば、同じようにしか見えない。もともとマリアに対して過保護であったが、嫉妬までするとは想定外だ。
 会話を交わしただけで嫉妬するレイヴァンは異常だと思っていたが、同じように嫉妬する者がまだいたかとソロモンは独りごちる。
 マリアを見れば困った表情を浮かべ、エリスとギルを交互に見つめていた。その視線がこちらへ向いた。少女らしい笑みを称えて肩をすくめるマリアにソロモンは、笑みを投げかけるといつもの調子で言葉を紡ぐ。

「困ったものですな」

 昼食ができてエリスは食事を皆に運び終わったあと、マリアとギルの間に割り込んで不機嫌そうにしながら食べ始めた。
 あたりはすっかり夏の陽気に満ちて、草の流れる音が心地よく響き渡る。草原を眺めて、マリアは笑みを浮かべると食事を頬張った。

***

 コーラル国に戻っていたアンドレアスは、王都ティールのアンベール城に戻っていた。だが、悩ましげな表情でペンを走らせていた。カルセドニー国の第一皇子、ジャハーンダールの行動が読めず困惑していたのだ。
 カルセドニー国から招待状は来たが、行くべきかどうか悩ましい。それにベスビアナイト国の王子が来るとも限らないと、考えていると臣下の一人が知らせを持ってきた。知らせには、ベスビアナイト国の王子も予定通り来るらしいことが書かれているではないか。
 ソロモンが上手いことをいい、ジャハーンダールを黙らせて王子を行かせないよう“はかりごと”を巡らせたのかと思ったが予想は外れた。否、国王オーガストに命じられれば彼とて逆らえないのだろう。それに“友好の証”と言われれば無下にも出来ないのかもしれない。
 ベスビアナイト国の王子が行くのであれば、向かうしかあるまい。せめて、ジャハーンダールの“たくらみ”さえ分かれば、こんなにも苦心しないのに。
 また書面に目を通していると今度は、ジョードがきたものだから驚いてしまう。

「ジョード殿、いかがなされた」

「お忙しいところ申し訳ございません、殿下。実は陛下がカルセドニー国へ行くと申しておりましておとめしても、聞き入れて下さらない様子で」

「わかった、わたしが説得する」

 ペンと書類を机上へ置き部屋を出て、幾何学文様を反復して作られたアラベスクの庭を横目に廊下を過ぎ去ろうとする。その足は止められた。

「何をなさっているのですか?」

「決まっている、ジョードとクリシュナから逃げている」

 アンドレアスが見つけたのは、身を隠しながら廊下を進むラースである。豪華な服を着ているため、とんでもなく目立っているが本人は気づいていない。さらに、アンドレアスに問いかけられ、自分で答えてしまっていることにも気づいていない。
 なんと間抜けな王だろう。息を吸い込むと、自らの兄を叱咤した。

「あなたは国王としての自覚が足りないのですか!」

 初めてラースはアンドレアスの存在に気づいたのか、助けを求めてすがりつく。

「ちょうど良かった、アンドレアス。お前からも言ってくれんか。おれがカルセドニー国へ行くといったら、皆が止めるのだ」

「当たり前でしょう! 国王が国を離れてどうします? カルセドニー国へはわたしが向かいますから」

 苛立ちを覚えるとアンドレアスは、ラースを引きずって一般謁見の間ディワニ・アームへ向かい半ば強引に椅子へ座らせる。

「王としての責務をちゃんと果たして下さいね?」

 アンドレアスが不気味な笑みを浮かべれば、ラースは青ざめてこくこくとうなづく。疑わしげに見つめていれば、ちょうどクリシュナが来た。王を見張っておくよう言い、自分は執務室へ戻る。
 深い息を吐いて椅子へ座れば目頭を押さえて何やらぶつぶつと呟く。まだ考えねばならないことが山ほどあった。
 コーラル国の王弟としての責務を背負ったことはもちろんであるが、国を平定し屈強な国へと成長させねばなるまい。はやく行わねば、いつまでも周辺諸国から攻め込まれるのではないかと怯えることになってしまう。それに、先王バルドルが行った暴政に不満を言い立てる民が多く、暴動が起こりかねない。民の不安を除くことが出来るのは、王しかいない。そのラースがカルセドニー国へ向かったりすれば、民の不安も増えて国が滅びかねない。

「いつになったら、あの国に近づけるのやら」

 アンドレアスの目標は、ベスビアナイト国の政治だ。他国のことをあまり知らないのもあるが、未だ残るにしても奴隷制度の廃止を行っているから余計に模範にしようと考えてしまう。
 国へ戻ってきてラースに演説を行わせると、国民に真実を告げて一番不満の多かった税のあり方を変えることを宣言した。民も少しは落ち着きを取り戻したが、長くは持たないだろう。
 今は一般謁見の間ディワニ・アームでラースに意見がある人を集め、意見を聞き国の方向性について考えているところだ。それでも、意見を言ってこない民が多いのは王侯・武士クシャトリヤの者が邪魔をしているからであろうか。奴隷《シュードラ》という身分が廃止されて困るのは、司祭《バラモン》や王侯・武士クシャトリヤの者達だ。今まで、無料同然で働かせてきた者達を同じ人として扱わねばならなくなる。
 普通のようだがコーラル国では、そちらのほうが異常だった。奴隷達《シュードラ》もまた隷属することに疑問を抱いていないのだから恐ろしい。
 奴隷売買も自然に行ってきた国だ。いまさら、「おかしい」と取り立てて思う者もいないのだろう。それでも、アンドレアスは“おかしい”と考え、実行しようとしている。
 ラースもベスビアナイト国に触れ、今までの考え方を改めようとしている。これは、国にとっても良いことだ。それでもやはり、司祭《バラモン》と王侯・武士クシャトリヤの者からの支援は望めないが。
 溜息ついたとき。こつんと何かが窓をたたく音がして、アンドレアスの視線を引きつける。慣れているのか。再度息を吐き出し、バルコニーへと出る。不躾にも手すりの上に、仮面をつけた男がいた。

「お久しぶりです、殿下」

 礼儀にかなっていない男をアンドレアスは一瞥する。いつも夜中に来るのに日も高い昼間に来るとは多少なりとも驚いていたが、仮面の男は気にもとめていないのか。普段と変わりなく報告してきた。

「“ティマイオス”の連中が本拠地のあるカルセドニー国へ戻りましたよ」

「そうか、報告感謝する」

 裏で暗躍している仮面の男は、素性のつかめない謎の男だった。どこの出身とも知れぬ、その男の噂を聞いてアンドレアスは金で雇い、謎の宗教団体“ティマイオス”について調べさせていた。彼が言うには“ティマイオス”の用心棒として組織に潜り込んでいるらしい。

「引き続き、頼めるだろうか」

「ええ、もちろん。金さえ払ってもらえれば」

 こくりと頷き、アンドレアスは100ルピー(通貨)の入った麻袋を渡せば仮面の男は、それを取ると中を開けて中身を確認する。1ルピー銀貨をひとつ手に取ると、指で弾いて落とさないように掴む。

「まいどあり」

 みせびらかすかの彼の行動も、いつものことであるのでアンドレアスは気にした素振りもない。それにコーラル国の存亡にも関わる、大切な情報をもたらす彼を優遇しないわけがない。

「食事の用意を――」

「いえいえ、殿下。すぐに戻らねばならぬので今日はもう戻ります。それから……」

 妙にあらたまって仮面の男が切り出したから、アンドレアスも神妙な面持ちで言葉を待った。次に男の口から出たのは予想できない言葉であった。

「ベスビアナイト国側も“ティマイオス”の存在に気づき、動き出しているようですよ。あなたが好いている王子様が“あの国”に行くことも関係しているんじゃないですかね」

 驚いて仮面の男に詰め寄ろうとしたが、男の姿が手すりから消えていた。バルコニーにぽつんと立っていたアンドレアスは、執務室へ戻った。そのまま激務に追われ、ある程度まで落ち着いたのは深夜を回ってからだった。
 執務室を出て自室のあるガネーシャ門に向かうため外出ると、静寂と月の気配が漂っている。いつまでも外にいるわけには行かないが、たまにはこうしてゆっくり歩いて向かうのも悪くない。視界の端に影がうごめいて見え、いぶかしげに眉を寄せると影に近寄り「何者だ」と問いかければ、寝間着をまとったラースが佇んでいた。

「あ、兄上! このようなところで一体、何を」

「いや、アンドレアスはまだ執務室かと思って様子を見に」

「今日はもう、これで終わりです。これから、浴場《ハマム》へ向かおうとしておりました」

 ラースはほっと息をついて、「良かった」と呟いていた。そんな風にいってもらえるとは思っていなくて、驚いていると視界が次第にぼやけていく。

「アンドレアス?」

 ラースの顔も闇に飲まれ、アンドレアスの意識がぷつりと消えた。


 目を覚ましたとき、傍らに臣下であるグスタフが覗き込んでおり安否を伺っていた。厳つそうな顔が和らいだ。

「殿下、お目覚めになられましたか」

「わたしは一体……」

 アンドレアスに医師が過労により倒れられたのだろうから、安静にするようにきつく言いつけて部屋を出て行った。

「医師の言うとおり、今日はお休みください。ここ最近、あまり休まれておられなかったでしょう」

 グスタフにそう諭されて窓を見れば、すでに太陽が天上に輝いており眩しい。

「わたしは、どれぐらい眠っていたんだ」

「十二時間ぐらいですよ」

 驚いて目を見開きベッドから降りようとしたが、めまいに襲われ床に座り込んでしまう。感嘆の息を漏らして、グスタフは手をかすとベッドに寝かした。休むよう言い、仕事があるからと出て行ってしまった。
 アンドレアスは「仕方ないか」と呟いて、目を閉じたが寝付けず本を開く。すると、先王の後宮《ハレム》の一人であるアーダが来たものだから少なからず驚いてしまう。
 コーラル国では王妃や側室、その侍女達は王以外の男性に姿を見られることを禁止されている。そのため、ゼナーナというアンベール城内にある宮殿から出てはいけなかった。
 アーダは先王の側室でアンドレアスの母親であるが、こうして部屋を訪れるのは本来ならば許されない。

「母上、ゼナーナを出てはいけないと言われているはずですが」

「あんな所もう、うんざりよ。それに先王はすでに崩御したのだからゼナーナにいる必要も無いでしょう」

 アーダの言葉も確かであった。母親と離れたくないというラースの言葉でラースの母とアーダは、後宮《ハレム》に残ったままだ。アーダは先王が生きていたときも、たまに抜け出してアンドレアスの元を訪れていた。なんでも国王よりも息子が大事らしい。
 幼い頃は、アーダが後宮《ハレム》を抜け出してくるのを楽しみにしていたが、抜け出す度にアーダの地位が危うくなっているのを聞いたときは本気で抜け出さないで欲しいと願ったものだ。
 アーダは平民《ヴァイシャ》の産まれゆえ、司祭《バラモン》や王侯・武士クシャトリヤばかりの後宮《ハレム》では、かなりいじめが酷かったらしい。それを持ち前の根性で乗り切ったのだから、我が母ながらたいしたものだとアンドレアスは思う。

「ですが……」

「それに、かわいい息子が困っているのよ。ゼナーナでじっとなんてしていられない。私の可愛い息子を悩ませているものはなんなのかしら? 教えてちょうだい」

 しぶっていたが、とうとう折れてカルセドニー国のことについて話した。静かにアーダは話を聞き、「そう」とたまに相づちを打つ。それが嬉しくて愚痴までこぼしてしまう。

「大変だったのね。けれど、私にはどうすることもできない。ごめんなさい」

「いえ、母上に話したらすっきりしました。ありがとうございます」

 言葉にしたことによって考えがまとまった感覚がして素直に礼を言えば、アーダは笑みを浮かべる。表情が真剣なものへと変わりアンドレアスに告げた。

「司祭《バラモン》たちにも気をつけてね。彼らはこの国の階級では、一番上位。かつて彼らがこの国の王になっていたこともあったのだから」

 宗教が根深いコーラル国では司祭階級《バラモン》が一番、上位である。アーダのいうとおり、王侯《クシャトリヤ》ではなく司祭《バラモン》が王となり“まつりごと”を行っていたときは珍しくない。いつ、彼らが動き出して玉座を狙うかわかったものではない。
 カルセドニー国や周辺諸国も脅威であるが、一番の脅威は国内にあった。

「はい、心得ております。彼らの動きにも目を光らせておりますが、いかんせん何人かはカルセドニー国へ渡っておりますし」

 仮面の男の話では、“ティマイオス”という宗教団体に属しているというのだから彼らの動きもよめない。元々、“ティマイオス”というのはベスビアナイト国で活動していた研究者集団らしい。国王の子を狙い、それがばれて断罪され、その生き残りがカルセドニー国で宗教団体として人を集めていたようだ。噂を聞きつけた司祭《バラモン》もカルセドニー国へ渡ったのだと男は言っていた。
 司祭《バラモン》が何かを行おうとしているのはわかるが、あまりに情報が少な過ぎるため仮面の男をアンドレアスは雇っているのだった。

「ねえ。男を雇って何か調べさせているようだけれど、信頼できるの?」

 アンドレアスは狼狽する。確かに信頼に足るかと言われれば難しいところだ。けれども、情報は必要であるので男にうんと褒美を与えて手厚く優遇し、情報をもらうほかない。

「こちらとしても、情報は必要なのです。そのために雇った男に褒美を取らせ、優遇しております。それでも裏切るというのであれば、別の者を雇うまでです」

 凛とした瞳でアンドレアスが言い切れば、アーダは驚いたようだけれどすぐに笑みを浮かべて愛おしげに髪を撫でる。

「あなたは私の自慢の息子よ。あなたの進むべき道をお進みなさい」

「ありがとうございます、母上」

 アンドレアスが答えたとき、扉の向こう側が慌ただしくなってバタンと大きな音を立てて扉が開け放たれる。そこには、現国王であり兄であるラースが立っていた。

「アンドレアス、無事か!」

 どうやら、アンドレアスが目覚めたことを聞きつけてわざわざ来てくれたらしい。後ろには臣下であるジョードが困惑した表情で立っていたので公務を放り出してきたのであろう。

「兄上、王としての仕事は……」

「仕事よりも、お前の方が大事だろう! どこか苦しいところは無いか、痛いところはないか。それから――」

「大丈夫ですよ、兄上」

 ラースは我が儘な所も多いが、人を思いやる気持ちは人一倍多かった。
 王と王妃の間に産まれた正式な跡取りであるから、周りからうんを甘やかされて育てられたゆえだろう。弟であるアンドレアスを、かわいがってくれたのも彼だけだった。平民《ヴァイシャ》の子であるアンドレアスは周りから酷い扱いを受けてきた。それをいつもかばってくれたのは、ラースだったのだ。周りからすれば、それは不愉快であったらしい。アンドレアスへの扱いのひどさには目に余る者があったほどだ。王はそれに気づき、二人を出来るだけ合わせないようにしてアンドレアスを城の一室に閉じこめた。
 何も事情を知らない者は、ラースがアンドレアスに酷いことをしたのだと勘違いしている者も多い。散々、我が儘をしてきた王子だからであろうか。
 右目が義眼であるのも、王侯・武士クシャトリヤの者に目をえぐられたからであるのに何も知らない者から見れば、ラースがしたように見えるらしい。それを聞いたとき、何度言い返したくなったか。

「兄上が助けてくれなければ、両方の目をえぐられていた」

 声を大にして言いたかった。それをおこなったところで、何もならないのはわかっていたから黙っているしかない。どんなに悔しかったか。

「そうか、良かった……」

 安堵の息をつくラースを見つめていると、隣にいたアーダがそっとアンドレアスから離れる。

「じゃあね、アンドレアス。私はもう戻るわ」

「はい」

 そこでアーダの存在に気づいてラースが頭を下げて挨拶をすれば、柔らかく微笑むとすれ違いざまにこう言った。

「アンドレアスをお願いね、お兄ちゃん」

 弾かれたように顔を上げれば、アーダはなんてこと無いような表情を浮かべると使用人と共に部屋を出て行く。
 それを見送った後、ラースはアンドレアスの傍らに来て問いかけてくる。

「本当に大丈夫なのか」

「大丈夫ですよ、兄上は心配しすぎです」

 自身も忙しいはずであるのにこうして来てくれるのは、正直嬉しかったりする。王としては未熟かもしれないが、そんなラースがアンドレアスは好きだ。先王に幽閉されたあとも、たまに訪れてくれたことを思い出し、笑みを零せばラースは不思議そうに覗き込む。

「どうかしたのか」

「いいえ、何でもございません。少し昔のことを思い出しただけです。兄上はいつもわたしのことを気にかけてくれたと思って」

 目を瞬かせていたラースであったが、すぐに柔らかく微笑むと王らしく言葉を紡いだ。

「それもいいが、早く体を治してくれよ。アンドレアスがいないと仕事が上手く運ばん」

「かしこまりました、陛下」

 ラースはジョードと共に部屋を出て行く。また一人となってしまい、つまらなそうにしていると今度は仮面の男が窓から部屋へ入ってきた。

「おやおや、殿下。体調が優れないのですか」

「ああ。けど、報告があるのであれば聞かせて欲しい」

 男はアンドレアスの傍らまで来るとベッドの上に座る。仮にも王侯《クシャトリヤ》のベッドの上に座るなど、本来であれば許されないことであるが“礼儀”の字も知らなそうな男であるので深くは突っ込まないことにした。

「今回はあまり情報は得られませんでしたが、彼らの目的はわかりましたよ」

「なんだ」

「ベスビアナイト国の王子様をとらえ、国王に復讐すること」

 ざわり、とアンドレアスの心がざわめく。それを悟られないように、「他には」と問いかければ次に司祭《バラモン》のことを口にする。

「司祭《バラモン》の目的は、ラース様を国王の座から引きずり下ろすこと。“ティマイオス”の力を借りて暴動を起こそうとしている」

 そんなことになれば、ひとたまりもないと思い心臓が嫌な音を立てた。思わず服の上から心臓のあたりを握り締めたアンドレアスを見つめて男は問いかける。

「どうする、殿下」

「暴動が起こる前に国を平定せねばならない。だが……」

 彼らはいつそれを行おうとしているかが分からないと口にすれば、男は仮面の下で笑みを浮かべるとずいと顔を近づけた。

「もちろん、力を付けたらですよ。彼らは力を蓄えながら機会をうかがっている」

「そうか。もしかして、わたしがカルセドニー国へいっている間に――」

 自分で口にしてゾッとする。国を開けている間に帰る場所が無くなっているなんて、考えるだけで恐ろしい。だが男は否定した。

「いいえ、彼らはまだそれだけの力をつけておりません」

「国民を味方につけ暴動を起こそうと考えているはずだろう。どうかんがえても、平民《ヴァイシャ》や奴隷《シュードラ》の方が人口は多い」

「ですが、彼らもまだ人数が少ないですし“ティマイオス”側と司祭《バラモン》側で意見が分かれることが多い。自軍がまだ整っていない状況で攻め入るとは考えられません」

 アンドレアスは納得する。手をくんでいるといっても派閥があるようだ。

「ならば良いのだが……」

「それから、殿下。カルセドニー国で会うことになるかもしれません」

「え?」

 “ティマイオス”がカルセドニー国の城へ潜り込み、ベスビアナイト国の王子をさらおうという計画が立っているらしい。

「金は別で出す。だから、もしベスビアナイト国の王子に何かあったときは助けて欲しい」

「御意」

 男はベッドから降りて、窓から姿を消す。アンドレアスは険しげに、どこまでも青い空を見上げていた。
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