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件の神託
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「おのれ……道鏡。生き延びよったか……」
九尾狐は諦めていなかった。自身にとっての幸いは、道鏡にまだ正体を見破られていないことである。そこで、妙案を思い付いた。本物の道鏡を亡き者にしたのち、自身が第二の道鏡に化け、国家の王の座に居座ろうとしたのである。しかし、そのためには二つの課題があった。一つは、現在の帝である、称徳天皇の存在。もう一つは、皇族以外のものが天皇の地位につくための具体的な筋道である。前者については、そう難しい課題ではない。帝の心を操ることは今にでも可能だ。問題は後者である。天皇は女帝であった。“今まで”のように、傾国の美女に化けるのも得策ではない。そこで、彼が目をつけたのは、“神託”であった。
「この頃の父はどうも忙しそうだった。実は、この頃になると、父の真意も、具体的に何をしていたかも、よく知らないの。なぜそこまで父はできたのかしら……。未だによくわからないわ」
「そこまで、というのは」
「いや、父は家族思いの人だったから、家族のためなら何でもできたはずだったのだけど……。どうもこの頃から、陛下が、陛下が、ってよく言うようになったのよ」
道鏡は子ども達を集めた。
「今日はお前達に伝えたいことがある。この都は我々にとって穏やかな安息の地ではなくなった。そこで、近々、この都を去ろうと思う。これまでの恵まれた環境ではなくなるだろうが、許してくれ」
「何をおっしゃいますか。お父様。都を去ることに依存など、一切ございません」
子ども達は体も心もかなり大きくなっていた。
「うむ。しかし、どうしても捨て置けぬことがある。あの怪しい狐……恐らく唐土の輩であろうが、奴をなんとかして追い払わねばならん。あと、最近の陛下は体調を崩しがちだ。なんとかせねば」
その頃、帝は熱病に侵されていた。その看病を申し出たのは、かの小手尼である。晩年の帝は彼女のみを自身の近くに置いたと伝わる。周囲のものはえらく不思議がったそうな。病床の帝はつぶやいた。
「朕の命も、じきに尽きるか……。ふん、死への恐ろしさなどという感情はない……」
「陛下。しっかりなされませ。我が秘術でいくらでも……」
「……。おぬし、いま秘術と言ったか……。その類にはもう飽きたのじゃ」
「飽きた……?それは、どう言う意味でしょう」
「ふ、おぬしは別に知らなくて良いことよ」
「ところで、陛下。次代の帝は、いかがなさるおつもりですか」
帝は不機嫌そうに答えた。
「ほう……。おぬし、医者のくせに余計なことを言いよるな……。今は考える気分ではない」
「左様でございますか。陛下」
小手尼は静かに部屋を後にした。
その明くる日のことである。道鏡の弟を名乗るものが、とある神託を奏上した。
その神託によれば、道鏡が帝についた暁には、天下泰平の世が約束されるという。神託は宇佐八幡宮によるものであるらしい。都は混乱に陥った。道鏡は、苛立ちと怒りを、隠すことはできなかった。
「くっ。先に動かれたか。弟を名乗るとは、わしも侮られたものよ……。しかし、奴の思惑が見えてきたぞ。奴はわしを亡き者にし、成り代わろうとしておるな。この神託をなんとかせねば。奴は必ずまた動く」
その頃、帝は宇佐八幡宮へと向かわせる者を決めかねていた。神託は国の一大事である。確認を取らねばならない。
「道鏡に限って、そのようなことをするはずはなかろう。では……側近の和気広虫(わけのひろむし)に向かわせるとしよう」
「お待ちくだされ!」
声を上げたのは道鏡である。
「広虫様は、尼僧であるゆえ、宇佐までの長旅に耐えられますまい。私はその弟君である、清麻呂殿を強く推薦いたします」
「ほう、清麻呂とな……」
「はい。彼しかいないかと」
「そこまで言うか」
「そうです……何卒」
「……おぬしのその目、何かを考えておるようじゃな。わかった。清麻呂を派遣することにしよう。しかし、おぬしも今は渦中の男。気をつけねばならぬぞ」
「覚悟はできておりまする。とにかく、清麻呂殿を早く八幡宮へ」
それはあまりにも直前の変更であり、九尾狐も予測できなかった。
「あの忌々しき臣が赴いたか……。さては道鏡め、奴が心を操れぬものであることを、利用しようとしているな……。そうはいかぬぞ」
どろん。
清麻呂はすぐさま宇佐へ派遣された。道中の清麻呂は、複雑な思いであった。
「あの道鏡様が、このような神託を……。いや、そもそもこのような神託が受け入れられて良いものなのだろうか……」
皇族以外が天皇の地位につくなど、前代未聞のことである。のちに歴史に語られる国家の危機であったが、その命運が、いま、彼の双肩にかかっているのである。
そこへ旅商人かと思われる男が近づいてきた。
「そこのお方。身なりからして民の類ではございますまい。どこへ行かれるおつもりで」
「勅命で、宇佐八幡宮へ」
「そうでございますか……。貴方様、今すぐお帰りになりなされ。悪いことは申しません。大きな凶兆が出ておりまするぞ」
「何をおっしゃる!帝の命ですぞ。そのようなこと、赦されるはずが……」
「帰れば、仕官が待っていたとしても?」
「どう言う意味じゃ」
「ふふふ……どうとでもなるということよ……!」
旅商人は一瞬の隙を突いて人差し指と中指を清麻呂の額に当てた。さすがの清麻呂も、足がすくんで動かない。
その瞬間である。道の木陰から、百数頭にも及ぶ猪がぞろぞろと現れたのである。鼻息を荒げ、敵意も剥き出しの様子。圧巻の景色、とでも言うべきか。
「何なんだこれは!こんなものは知らぬぞ!」
抵抗する暇さえ与えず、驚く旅商人に猪たちは襲い掛かった。これにはたまらず、旅商人も尻尾を巻いて逃げるしかない。気づけば木陰に消えてしまった。その一部始終を見て、清麻呂は呆気に取られていた。
「助かった、のか……」
旅商人を見事に追い払った猪たちは、清麻呂の足元近くに集まり、何やらお辞儀をするような仕草を見せた。どうやら彼らは、その背に清麻呂を乗せて、目的地まで運んでくれるという。清麻呂はそれに応じて乗りかかると、ふっと意識を失った。靄雲のかかった夢を見ているような感覚である。実に気持ちがよかった。母の胸に優しく抱かれる、赤子のような気分だった。
気がつけば、かの八幡宮の門前であり、あれほどにいた猪たちは一匹残らず忽然と消えていた。彼は後年、この不思議な話を身内によく語ったそうだが、誰にも信じてもらえなかったという。
九尾狐は諦めていなかった。自身にとっての幸いは、道鏡にまだ正体を見破られていないことである。そこで、妙案を思い付いた。本物の道鏡を亡き者にしたのち、自身が第二の道鏡に化け、国家の王の座に居座ろうとしたのである。しかし、そのためには二つの課題があった。一つは、現在の帝である、称徳天皇の存在。もう一つは、皇族以外のものが天皇の地位につくための具体的な筋道である。前者については、そう難しい課題ではない。帝の心を操ることは今にでも可能だ。問題は後者である。天皇は女帝であった。“今まで”のように、傾国の美女に化けるのも得策ではない。そこで、彼が目をつけたのは、“神託”であった。
「この頃の父はどうも忙しそうだった。実は、この頃になると、父の真意も、具体的に何をしていたかも、よく知らないの。なぜそこまで父はできたのかしら……。未だによくわからないわ」
「そこまで、というのは」
「いや、父は家族思いの人だったから、家族のためなら何でもできたはずだったのだけど……。どうもこの頃から、陛下が、陛下が、ってよく言うようになったのよ」
道鏡は子ども達を集めた。
「今日はお前達に伝えたいことがある。この都は我々にとって穏やかな安息の地ではなくなった。そこで、近々、この都を去ろうと思う。これまでの恵まれた環境ではなくなるだろうが、許してくれ」
「何をおっしゃいますか。お父様。都を去ることに依存など、一切ございません」
子ども達は体も心もかなり大きくなっていた。
「うむ。しかし、どうしても捨て置けぬことがある。あの怪しい狐……恐らく唐土の輩であろうが、奴をなんとかして追い払わねばならん。あと、最近の陛下は体調を崩しがちだ。なんとかせねば」
その頃、帝は熱病に侵されていた。その看病を申し出たのは、かの小手尼である。晩年の帝は彼女のみを自身の近くに置いたと伝わる。周囲のものはえらく不思議がったそうな。病床の帝はつぶやいた。
「朕の命も、じきに尽きるか……。ふん、死への恐ろしさなどという感情はない……」
「陛下。しっかりなされませ。我が秘術でいくらでも……」
「……。おぬし、いま秘術と言ったか……。その類にはもう飽きたのじゃ」
「飽きた……?それは、どう言う意味でしょう」
「ふ、おぬしは別に知らなくて良いことよ」
「ところで、陛下。次代の帝は、いかがなさるおつもりですか」
帝は不機嫌そうに答えた。
「ほう……。おぬし、医者のくせに余計なことを言いよるな……。今は考える気分ではない」
「左様でございますか。陛下」
小手尼は静かに部屋を後にした。
その明くる日のことである。道鏡の弟を名乗るものが、とある神託を奏上した。
その神託によれば、道鏡が帝についた暁には、天下泰平の世が約束されるという。神託は宇佐八幡宮によるものであるらしい。都は混乱に陥った。道鏡は、苛立ちと怒りを、隠すことはできなかった。
「くっ。先に動かれたか。弟を名乗るとは、わしも侮られたものよ……。しかし、奴の思惑が見えてきたぞ。奴はわしを亡き者にし、成り代わろうとしておるな。この神託をなんとかせねば。奴は必ずまた動く」
その頃、帝は宇佐八幡宮へと向かわせる者を決めかねていた。神託は国の一大事である。確認を取らねばならない。
「道鏡に限って、そのようなことをするはずはなかろう。では……側近の和気広虫(わけのひろむし)に向かわせるとしよう」
「お待ちくだされ!」
声を上げたのは道鏡である。
「広虫様は、尼僧であるゆえ、宇佐までの長旅に耐えられますまい。私はその弟君である、清麻呂殿を強く推薦いたします」
「ほう、清麻呂とな……」
「はい。彼しかいないかと」
「そこまで言うか」
「そうです……何卒」
「……おぬしのその目、何かを考えておるようじゃな。わかった。清麻呂を派遣することにしよう。しかし、おぬしも今は渦中の男。気をつけねばならぬぞ」
「覚悟はできておりまする。とにかく、清麻呂殿を早く八幡宮へ」
それはあまりにも直前の変更であり、九尾狐も予測できなかった。
「あの忌々しき臣が赴いたか……。さては道鏡め、奴が心を操れぬものであることを、利用しようとしているな……。そうはいかぬぞ」
どろん。
清麻呂はすぐさま宇佐へ派遣された。道中の清麻呂は、複雑な思いであった。
「あの道鏡様が、このような神託を……。いや、そもそもこのような神託が受け入れられて良いものなのだろうか……」
皇族以外が天皇の地位につくなど、前代未聞のことである。のちに歴史に語られる国家の危機であったが、その命運が、いま、彼の双肩にかかっているのである。
そこへ旅商人かと思われる男が近づいてきた。
「そこのお方。身なりからして民の類ではございますまい。どこへ行かれるおつもりで」
「勅命で、宇佐八幡宮へ」
「そうでございますか……。貴方様、今すぐお帰りになりなされ。悪いことは申しません。大きな凶兆が出ておりまするぞ」
「何をおっしゃる!帝の命ですぞ。そのようなこと、赦されるはずが……」
「帰れば、仕官が待っていたとしても?」
「どう言う意味じゃ」
「ふふふ……どうとでもなるということよ……!」
旅商人は一瞬の隙を突いて人差し指と中指を清麻呂の額に当てた。さすがの清麻呂も、足がすくんで動かない。
その瞬間である。道の木陰から、百数頭にも及ぶ猪がぞろぞろと現れたのである。鼻息を荒げ、敵意も剥き出しの様子。圧巻の景色、とでも言うべきか。
「何なんだこれは!こんなものは知らぬぞ!」
抵抗する暇さえ与えず、驚く旅商人に猪たちは襲い掛かった。これにはたまらず、旅商人も尻尾を巻いて逃げるしかない。気づけば木陰に消えてしまった。その一部始終を見て、清麻呂は呆気に取られていた。
「助かった、のか……」
旅商人を見事に追い払った猪たちは、清麻呂の足元近くに集まり、何やらお辞儀をするような仕草を見せた。どうやら彼らは、その背に清麻呂を乗せて、目的地まで運んでくれるという。清麻呂はそれに応じて乗りかかると、ふっと意識を失った。靄雲のかかった夢を見ているような感覚である。実に気持ちがよかった。母の胸に優しく抱かれる、赤子のような気分だった。
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それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
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