慟哭 ~あの時の気持ちは本気の気持ち、今でもそれは変わらない~

杉 孝子

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1‗プロローグ

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 新入社員たちが本社の研修を終えて帰ってきたのは7月の中旬だった。それから各部署を回っての研修が2週間続いた。

 私が初めて彼女を間近で見たのは、各部署の研修が終わり成果発表の席でだった。もちろん、彼女の名前や顔は、社内報で見て知っていた。新入社員たちが誰の部下につくのか、事前に配布されていた資料でわかっていたからだ。

 安井朱美、県内の大学を卒業した22歳。私の息子と同い年になる女子社員だと知って時代の流れを感じた。報告会は新入社員六名、男性社員四名、女性社員二名の報告が各15分当てられていた。課長の私は、他の管理職に混じり後方の席からその様子を見守った。
 
 朱美は、胸の辺りまでの長い髪をゴムで後に括り、ポニーテールにしていた。控えめなデザインのピアスをして、SNSでよく目にする『今どきの若い子』という印象そのものだ。緊張していたのか、発表が少し早口で、持ち時間より早く終わってしまった。それでも、何人かの管理職の質問に的確に答え、無事に彼女の報告は終わった。

 私が事務所に戻ってから少し経った頃、 管理部の社員に連れられて彼女が事務所に入ってきた。

 私の課は昨年入社した社員と二人だけの課である。工場設備に関する保証を担当する小さな課である。上の連中にどんな魂胆があるのか知らないが、事務専攻で入ってきた彼女を技術系の私の課に配属してきた。

 その日は、明日からの予定を少し説明していると5時の定時のチャイムが鳴った。

「安井さん、今日の説明はここまでにしておこう。明日からのことは向井が詳しく教えてくれるから、気軽に質問していいよ」
 私は、二年目の向井の方に顔を向けて彼に合図する。
「はい。ありがとうございます」

 朱美は背筋を伸ばし、私に一礼した。その仕草は丁寧だがどこかぎこちなく、まだこの場に慣れていない様子が伝わってくる。

「それと・・・もし不安なことがあったら、遠慮せずに言ってくれ。新人時代は誰だってわからないことだらけだから」
 私がそう付け加えると、朱美は少しだけ表情を和らげた。

「田村課長、そう言っていただけると安心します。でも、少しでも早くお役に立てるように頑張ります」

 その言葉には、自信と緊張が入り混じっているように感じられた。22歳、希望に溢れている年齢だ。だが、ふとした瞬間、その瞳に揺れる光が彼女を重ねて見せた。

 彼女・・・三十年前の、あの人を。

 翌日からは、昨年入社の向井辰典が彼女のOJT担当として、仕事内容から説明するよう計画していた。定年前のおじさんが教えるより、年齢の近い新人同士で教え合った方が気楽だろうと思ったからだ。当然のことだが、2年目の向井では、仕事の内容によっては教えられないことも多々ある。事ある毎に、二人揃った所で私が直接教える機会も自然と増えていった。

 朱美は、はっきりとYES、NOが言える地頭のいい社員だった。未経験の事でも自分で色々と調べ、必要に応じて質問しては吸収していった。

 説明している私が二人を見て話していると、新入社員らしく朱美は目を逸らすことなく、話している相手の目を真っすぐに見詰めてくる。朱美のくっきりと浮かび上がる二重瞼にラメがキラキラと煌めいている。長く艶やかな印象的なまつ毛にいつしか私も見つめ返していた。

「・・・何か、私、間違えてますか?」
 突然朱美が問いかけてきた。どうやら、私が黙ったまま視線を彼女に向けていたからだろう。
「いや、そういうわけじゃない。大丈夫だ。」
 慌ててそう答えたが、自分でも声が少し上擦っていたように思う。
 
 仕事の上での上司と部下。私は既婚者で、まして歳は親子位離れている。朱美の父親も今年定年だと何かの機会に聞いた。最近では、コンプライアンスが煩く部下とのプライベートなことを話す機会もめっきり少なくなった。新種の風邪の影響で飲み会なども規制がかかり、会社での親睦会も3年ほど催されてなかった。

「それじゃ、このやり方でデーターをまとめて、担当者にメールしておいて」
 私が朱美に指示する。席を移動しようと立ち上がった私に朱美が答える。

「はい、田村課長。あと、来週の英会話講習ですが、講師の方の都合が悪くなり、木曜日の九時からに変更になったのですが・・・」

「そうか。だったら、予定表に記入しておいて」
 朱美を見下ろす姿勢で答えると、彼女が上目づかいで、視線を合わしてくる。その瞬間、長い髪を束ねずに肩迄下ろし、顔を上げたその表情が、三十数年前の彼女と重なった。
 
 思い出したくもない記憶が、不意に胸を突いた。
 何故だろう。何故、今さら。
 顔も性格も違うのに、何故かデジャブを感じた。

 忘れたはずの想い。癒えたはずの傷。それらが再び、波のように押し寄せてくる。今さら若い時のように動揺を表には見せることは無いが、随分昔に忘れていた感情。なぜ三十年前の感情が襲ってくるのか。遠い記憶の彼方へと追いやったはずの想いが、朱美の存在によって目を覚ましたのだ。
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