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第六章 花びらひとつ
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侍女のノーラが最初に気づいた。
「奥様」
朝の支度をしながら、ノーラは鏡越しに言った。
「最近、夜のお庭散策が短くなっていらっしゃいますね」
「そう?」
エレナは答えた。
「はい。以前は閣下とご一緒に一時間ほどいらっしゃったのに、最近は……」
ノーラは言葉を切った。
「最近は、おひとりで少しいらして、すぐお戻りになる」
エレナは鏡の中の自分の顔を見た。
何も変わっていない。
完璧な顔が、そこにある。
「ヴィクトルが忙しいのよ」と言った。
「それだけのことよ、ノーラ」
ノーラは何も言わなかった。
ただ、髪を結う手が少しだけ優しくなった気がした。
その朝、庭に出ると、白薔薇の足元に花びらが散らばっていた。
昨夜の雨でやられたのだろう。
まだ若い花びらが、石畳の上でくたびれて横たわっていた。
エレナは一枚を拾い上げた。
踏まれてはいなかったが、もう元には戻らない形をしていた。
踏まれなくても、散ることはある。
ただそれだけのことなのに、エレナはしばらくその花びらを見つめて立っていた。
「奥様、お風邪を召されます」
ノーラの声に、エレナは花びらを地面に戻した。
踏んで行くことも、拾って行くこともしなかった。
ただそこに置いて、前を向いた。
それが彼女の流儀だった。
午後、王宮からヴィクトル宛の急ぎの書類が届いた。
届け先は執務室ではなく、会議室だという。
そこにはすでにランドール侯爵と、イザベルが待っているとのことだった。
エレナに関係のない話だった。
関係のない話なのに、なぜかその夕方、庭に行く気になれなかった。
サロンで本を開いたが、一ページも読めなかった。
文字が目に入らなかった。
窓の外を見ると、夕暮れの庭が茜に染まっていた。
薔薇の回廊のベンチが、遠くに見えた。
空のベンチが。
エレナは本を閉じた。
指先で表紙をそっと撫でた。
それから静かに息を吐いた。
――空のベンチに慣れることを、エレナは自分に禁じていた。
慣れてしまえば、何かが終わる気がして。
「奥様」
朝の支度をしながら、ノーラは鏡越しに言った。
「最近、夜のお庭散策が短くなっていらっしゃいますね」
「そう?」
エレナは答えた。
「はい。以前は閣下とご一緒に一時間ほどいらっしゃったのに、最近は……」
ノーラは言葉を切った。
「最近は、おひとりで少しいらして、すぐお戻りになる」
エレナは鏡の中の自分の顔を見た。
何も変わっていない。
完璧な顔が、そこにある。
「ヴィクトルが忙しいのよ」と言った。
「それだけのことよ、ノーラ」
ノーラは何も言わなかった。
ただ、髪を結う手が少しだけ優しくなった気がした。
その朝、庭に出ると、白薔薇の足元に花びらが散らばっていた。
昨夜の雨でやられたのだろう。
まだ若い花びらが、石畳の上でくたびれて横たわっていた。
エレナは一枚を拾い上げた。
踏まれてはいなかったが、もう元には戻らない形をしていた。
踏まれなくても、散ることはある。
ただそれだけのことなのに、エレナはしばらくその花びらを見つめて立っていた。
「奥様、お風邪を召されます」
ノーラの声に、エレナは花びらを地面に戻した。
踏んで行くことも、拾って行くこともしなかった。
ただそこに置いて、前を向いた。
それが彼女の流儀だった。
午後、王宮からヴィクトル宛の急ぎの書類が届いた。
届け先は執務室ではなく、会議室だという。
そこにはすでにランドール侯爵と、イザベルが待っているとのことだった。
エレナに関係のない話だった。
関係のない話なのに、なぜかその夕方、庭に行く気になれなかった。
サロンで本を開いたが、一ページも読めなかった。
文字が目に入らなかった。
窓の外を見ると、夕暮れの庭が茜に染まっていた。
薔薇の回廊のベンチが、遠くに見えた。
空のベンチが。
エレナは本を閉じた。
指先で表紙をそっと撫でた。
それから静かに息を吐いた。
――空のベンチに慣れることを、エレナは自分に禁じていた。
慣れてしまえば、何かが終わる気がして。
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