6 / 10
第5章:最初の行動
しおりを挟む
王宮の庭園は、雪が解け始めたとはいえ、まだ冬の冷たさを手放していなかった。澄み切った空気が、朝の静謐をいっそう際立たせている。
リリアナは散策を口実に、人影のまばらな南側の区画へ足を向けた。歴代の国王に仕えた名誉ある騎士たちの石像が並ぶこの場所に、彼女の今日の目的がいた。
老騎士ゼオン――。
アレスが幼い頃から仕えてきた護衛であり、今は王宮警備の総責任者。一度目の人生で、リリアナが断罪される直前、唯一アレスに進言しようと声を上げ、宰相ヴァイスに阻まれた男だ。正義と忠誠を体現する稀有な騎士である。
ゼオンは、一体の石像をまるで現役の主君であるかのように丁寧に磨いていた。その背筋は高齢とは思えぬほどまっすぐで、一本の剣のように凛としている。
リリアナは、優雅な歩みのまま彼に近づいた。
「ゼオン卿。ご熱心なのですね」
その静かな声に、ゼオンは一瞬だけ身を強張らせた。振り返って礼を取る彼の瞳には、隣国出身の王妃に対する警戒が露わだった。
アレスが深く愛し、しかし状況次第では処断すら命じる可能性のある存在――どう扱うべきか迷っているのだ。
「王妃様、ご散策中でしたか。この区画はまだ冷えます。お戻りになられた方がよろしいかと」
言葉は礼節を守っているものの、明らかに彼女を遠ざけようとしていた。
リリアナは微笑みを崩さず、磨かれた石像へ視線を移した。それはゼオンの祖先であり、王国の危機を救った名騎士の像。
「見事な像ですわ。騎士の名誉と忠誠が、この国をどれほど支えてきたか……学ぶべきことが多いと感じます」
優等生の答えのような言葉。しかし彼女が次に取った行動は、ひどく“意図的”だった。
雪解け水に濡れた地面から、白い椿の花を拾い上げ、そっと台座へ供えたのだ。
「私は異国から嫁いだ身。この国の歴史には疎いかもしれません。
ですが、王国の真の礎を成しているのは、国王陛下を支えるあなた方騎士の忠誠心であると理解しています」
ゼオンの眉がわずかに動く。
リリアナは一歩、彼の心へ踏み込んだ。
「だからこそ、お伺いしたいのです。
真の忠誠とは――
時に、主君の誤りを正す勇気を持つことではありませんか?」
王妃の美しさには動じずとも、“誤り”という一語、そして祖先への敬意を示す仕草は、彼の胸奥の最も古い痛みを突いた。
――一度目の人生。
アレスがリリアナの処断を決めたとき、止めようとしながら止めきれなかった自分。
「王妃様、それは……」
言葉が続かない。
追及するつもりはない。これはまだ序章――最初の揺らぎでいい。
リリアナは穏やかに微笑んだ。
「お答えは無用です。ただ、私のような異国の王妃が、この国の真の忠臣を求め、頼りにしていることだけ……覚えておいてください」
そう言い残し、彼女は静かに去った。
ゼオンは動けなかった。
台座に供えられた白い椿を見つめる。それは純白で、この庭には本来存在しない花――彼女がどこかからわざわざ持参した証だ。
(王妃様は……何を望んでおられる? 陛下への警告か、それとも――)
警戒は興味へ、興味はわずかな忠誠の予兆へ。
ゼオンの中で、王妃という謎が形を帯び始めていた。
宮廷へ戻る道すがら、リリアナは心の中で次の手を確認する。
(ゼオン卿は疑念を抱くでしょう。しかし、彼は“忠誠心”という鎖に縛られている。ならばその忠誠を、アレス様個人ではなく、王国の真の安寧へ振り向けさせればいい)
次の標的は――宰相ヴァイス。
彼の裏切りを暴く証拠を探りつつ、ゼオンを“静かな協力者”へと誘導するための決定的な布石を打つつもりだった。
運命の冬至まで、あと五ヶ月とわずか。
リリアナの孤独な戦いは、静かに、しかし確実に幕を開けていた。
リリアナは散策を口実に、人影のまばらな南側の区画へ足を向けた。歴代の国王に仕えた名誉ある騎士たちの石像が並ぶこの場所に、彼女の今日の目的がいた。
老騎士ゼオン――。
アレスが幼い頃から仕えてきた護衛であり、今は王宮警備の総責任者。一度目の人生で、リリアナが断罪される直前、唯一アレスに進言しようと声を上げ、宰相ヴァイスに阻まれた男だ。正義と忠誠を体現する稀有な騎士である。
ゼオンは、一体の石像をまるで現役の主君であるかのように丁寧に磨いていた。その背筋は高齢とは思えぬほどまっすぐで、一本の剣のように凛としている。
リリアナは、優雅な歩みのまま彼に近づいた。
「ゼオン卿。ご熱心なのですね」
その静かな声に、ゼオンは一瞬だけ身を強張らせた。振り返って礼を取る彼の瞳には、隣国出身の王妃に対する警戒が露わだった。
アレスが深く愛し、しかし状況次第では処断すら命じる可能性のある存在――どう扱うべきか迷っているのだ。
「王妃様、ご散策中でしたか。この区画はまだ冷えます。お戻りになられた方がよろしいかと」
言葉は礼節を守っているものの、明らかに彼女を遠ざけようとしていた。
リリアナは微笑みを崩さず、磨かれた石像へ視線を移した。それはゼオンの祖先であり、王国の危機を救った名騎士の像。
「見事な像ですわ。騎士の名誉と忠誠が、この国をどれほど支えてきたか……学ぶべきことが多いと感じます」
優等生の答えのような言葉。しかし彼女が次に取った行動は、ひどく“意図的”だった。
雪解け水に濡れた地面から、白い椿の花を拾い上げ、そっと台座へ供えたのだ。
「私は異国から嫁いだ身。この国の歴史には疎いかもしれません。
ですが、王国の真の礎を成しているのは、国王陛下を支えるあなた方騎士の忠誠心であると理解しています」
ゼオンの眉がわずかに動く。
リリアナは一歩、彼の心へ踏み込んだ。
「だからこそ、お伺いしたいのです。
真の忠誠とは――
時に、主君の誤りを正す勇気を持つことではありませんか?」
王妃の美しさには動じずとも、“誤り”という一語、そして祖先への敬意を示す仕草は、彼の胸奥の最も古い痛みを突いた。
――一度目の人生。
アレスがリリアナの処断を決めたとき、止めようとしながら止めきれなかった自分。
「王妃様、それは……」
言葉が続かない。
追及するつもりはない。これはまだ序章――最初の揺らぎでいい。
リリアナは穏やかに微笑んだ。
「お答えは無用です。ただ、私のような異国の王妃が、この国の真の忠臣を求め、頼りにしていることだけ……覚えておいてください」
そう言い残し、彼女は静かに去った。
ゼオンは動けなかった。
台座に供えられた白い椿を見つめる。それは純白で、この庭には本来存在しない花――彼女がどこかからわざわざ持参した証だ。
(王妃様は……何を望んでおられる? 陛下への警告か、それとも――)
警戒は興味へ、興味はわずかな忠誠の予兆へ。
ゼオンの中で、王妃という謎が形を帯び始めていた。
宮廷へ戻る道すがら、リリアナは心の中で次の手を確認する。
(ゼオン卿は疑念を抱くでしょう。しかし、彼は“忠誠心”という鎖に縛られている。ならばその忠誠を、アレス様個人ではなく、王国の真の安寧へ振り向けさせればいい)
次の標的は――宰相ヴァイス。
彼の裏切りを暴く証拠を探りつつ、ゼオンを“静かな協力者”へと誘導するための決定的な布石を打つつもりだった。
運命の冬至まで、あと五ヶ月とわずか。
リリアナの孤独な戦いは、静かに、しかし確実に幕を開けていた。
16
あなたにおすすめの小説
忖度令嬢、忖度やめて最強になる
ハートリオ
恋愛
エクアは13才の伯爵令嬢。
5才年上の婚約者アーテル侯爵令息とは上手くいっていない。
週末のお茶会を頑張ろうとは思うもののアーテルの態度はいつも上の空。
そんなある週末、エクアは自分が裏切られていることを知り――
忖度ばかりして来たエクアは忖度をやめ、思いをぶちまける。
そんなエクアをキラキラした瞳で見る人がいた。
中世風異世界でのお話です。
2話ずつ投稿していきたいですが途切れたらネット環境まごついていると思ってください。
(完結)私が貴方から卒業する時
青空一夏
恋愛
私はペシオ公爵家のソレンヌ。ランディ・ヴァレリアン第2王子は私の婚約者だ。彼に幼い頃慰めてもらった思い出がある私はずっと恋をしていたわ。
だから、ランディ様に相応しくなれるよう努力してきたの。でもね、彼は・・・・・・
※なんちゃって西洋風異世界。現代的な表現や機器、お料理などでてくる可能性あり。史実には全く基づいておりません。
私を忘れた貴方と、貴方を忘れた私の顛末
コツメカワウソ
恋愛
ローウェン王国西方騎士団で治癒師として働くソフィアには、魔導騎士の恋人アルフォンスがいる。
平民のソフィアと子爵家三男のアルフォンスは身分差があり、周囲には交際を気に入らない人間もいるが、それでも二人は幸せな生活をしていた。
そんな中、先見の家門魔法により今年が23年ぶりの厄災の年であると告げられる。
厄災に備えて準備を進めるが、そんな中アルフォンスは魔獣の呪いを受けてソフィアの事を忘れ、魔力を奪われてしまう。
完結まで予約投稿済み
世界観は緩めです。
ご都合主義な所があります。
誤字脱字は随時修正していきます。
貴方が私を嫌う理由
柴田はつみ
恋愛
リリー――本名リリアーヌは、夫であるカイル侯爵から公然と冷遇されていた。
その関係はすでに修復不能なほどに歪み、夫婦としての実態は完全に失われている。
カイルは、彼女の類まれな美貌と、完璧すぎる立ち居振る舞いを「傲慢さの表れ」と決めつけ、意図的に距離を取った。リリーが何を語ろうとも、その声が届くことはない。
――けれど、リリーの心が向いているのは、夫ではなかった。
幼馴染であり、次期公爵であるクリス。
二人は人目を忍び、密やかな逢瀬を重ねてきた。その愛情に、疑いの余地はなかった。少なくとも、リリーはそう信じていた。
長年にわたり、リリーはカイル侯爵家が抱える深刻な財政難を、誰にも気づかれぬよう支え続けていた。
実家の財力を水面下で用い、侯爵家の体裁と存続を守る――それはすべて、未来のクリスを守るためだった。
もし自分が、破綻した結婚を理由に離縁や醜聞を残せば。
クリスが公爵位を継ぐその時、彼の足を引く「過去」になってしまう。
だからリリーは、耐えた。
未亡人という立場に甘んじる未来すら覚悟しながら、沈黙を選んだ。
しかし、その献身は――最も愛する相手に、歪んだ形で届いてしまう。
クリスは、彼女の行動を別の意味で受け取っていた。
リリーが社交の場でカイルと並び、毅然とした態度を崩さぬ姿を見て、彼は思ってしまったのだ。
――それは、形式的な夫婦関係を「完璧に保つ」ための努力。
――愛する夫を守るための、健気な妻の姿なのだと。
真実を知らぬまま、クリスの胸に芽生えたのは、理解ではなく――諦めだった。
ガネス公爵令嬢の変身
くびのほきょう
恋愛
1年前に現れたお父様と同じ赤い目をした美しいご令嬢。その令嬢に夢中な幼なじみの王子様に恋をしていたのだと気づいた公爵令嬢のお話。
※「小説家になろう」へも投稿しています
陛下を捨てた理由
甘糖むい
恋愛
美しく才能あふれる侯爵令嬢ジェニエルは、幼い頃から王子セオドールの婚約者として約束され、完璧な王妃教育を受けてきた。20歳で結婚した二人だったが、3年経っても子供に恵まれず、彼女には「問題がある」という噂が広がりはじめる始末。
そんな中、セオドールが「オリヴィア」という女性を王宮に連れてきたことで、夫婦の関係は一変し始める。
※改定、追加や修正を予告なくする場合がございます。ご了承ください。
殿下!婚姻を無かった事にして下さい
ねむ太朗
恋愛
ミレリアが第一王子クロヴィスと結婚をして半年が経った。
最後に会ったのは二月前。今だに白い結婚のまま。
とうとうミレリアは婚姻の無効が成立するように奮闘することにした。
しかし、婚姻の無効が成立してから真実が明らかになり、ミレリアは後悔するのだった。
とある伯爵の憂鬱
如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる