王妃はただ、殺されないことを願う

柴田はつみ

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第5章:最初の行動

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王宮の庭園は、雪が解け始めたとはいえ、まだ冬の冷たさを手放していなかった。澄み切った空気が、朝の静謐をいっそう際立たせている。
リリアナは散策を口実に、人影のまばらな南側の区画へ足を向けた。歴代の国王に仕えた名誉ある騎士たちの石像が並ぶこの場所に、彼女の今日の目的がいた。

老騎士ゼオン――。
アレスが幼い頃から仕えてきた護衛であり、今は王宮警備の総責任者。一度目の人生で、リリアナが断罪される直前、唯一アレスに進言しようと声を上げ、宰相ヴァイスに阻まれた男だ。正義と忠誠を体現する稀有な騎士である。

ゼオンは、一体の石像をまるで現役の主君であるかのように丁寧に磨いていた。その背筋は高齢とは思えぬほどまっすぐで、一本の剣のように凛としている。

リリアナは、優雅な歩みのまま彼に近づいた。



「ゼオン卿。ご熱心なのですね」

その静かな声に、ゼオンは一瞬だけ身を強張らせた。振り返って礼を取る彼の瞳には、隣国出身の王妃に対する警戒が露わだった。
アレスが深く愛し、しかし状況次第では処断すら命じる可能性のある存在――どう扱うべきか迷っているのだ。

「王妃様、ご散策中でしたか。この区画はまだ冷えます。お戻りになられた方がよろしいかと」

言葉は礼節を守っているものの、明らかに彼女を遠ざけようとしていた。

リリアナは微笑みを崩さず、磨かれた石像へ視線を移した。それはゼオンの祖先であり、王国の危機を救った名騎士の像。

「見事な像ですわ。騎士の名誉と忠誠が、この国をどれほど支えてきたか……学ぶべきことが多いと感じます」

優等生の答えのような言葉。しかし彼女が次に取った行動は、ひどく“意図的”だった。

雪解け水に濡れた地面から、白い椿の花を拾い上げ、そっと台座へ供えたのだ。

「私は異国から嫁いだ身。この国の歴史には疎いかもしれません。
ですが、王国の真の礎を成しているのは、国王陛下を支えるあなた方騎士の忠誠心であると理解しています」

ゼオンの眉がわずかに動く。

リリアナは一歩、彼の心へ踏み込んだ。

「だからこそ、お伺いしたいのです。
真の忠誠とは――
時に、主君の誤りを正す勇気を持つことではありませんか?」



王妃の美しさには動じずとも、“誤り”という一語、そして祖先への敬意を示す仕草は、彼の胸奥の最も古い痛みを突いた。

――一度目の人生。
アレスがリリアナの処断を決めたとき、止めようとしながら止めきれなかった自分。

「王妃様、それは……」

言葉が続かない。

追及するつもりはない。これはまだ序章――最初の揺らぎでいい。
リリアナは穏やかに微笑んだ。

「お答えは無用です。ただ、私のような異国の王妃が、この国の真の忠臣を求め、頼りにしていることだけ……覚えておいてください」

そう言い残し、彼女は静かに去った。

ゼオンは動けなかった。
台座に供えられた白い椿を見つめる。それは純白で、この庭には本来存在しない花――彼女がどこかからわざわざ持参した証だ。

(王妃様は……何を望んでおられる? 陛下への警告か、それとも――)

警戒は興味へ、興味はわずかな忠誠の予兆へ。
ゼオンの中で、王妃という謎が形を帯び始めていた。



宮廷へ戻る道すがら、リリアナは心の中で次の手を確認する。

(ゼオン卿は疑念を抱くでしょう。しかし、彼は“忠誠心”という鎖に縛られている。ならばその忠誠を、アレス様個人ではなく、王国の真の安寧へ振り向けさせればいい)

次の標的は――宰相ヴァイス。
彼の裏切りを暴く証拠を探りつつ、ゼオンを“静かな協力者”へと誘導するための決定的な布石を打つつもりだった。

運命の冬至まで、あと五ヶ月とわずか。
リリアナの孤独な戦いは、静かに、しかし確実に幕を開けていた。
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