王妃はただ、殺されないことを願う

柴田はつみ

文字の大きさ
10 / 19

第9章:アレスの監視

しおりを挟む
深夜、アルカディア王宮・北塔。
国王アレスは、私的な書斎の窓辺に佇み、静まり返った王宮を見下ろしていた。王妃の居室から最も遠いこの棟は、王の孤独と義務を象徴するように、夜の冷気が淀んでいる。

アレスの面差しには、この数週間で刻まれた疲労の影があった。
政務によるものではない。
彼を蝕んでいるのは――妻を愛した男としての痛みと、王としての義務の狭間で揺れる葛藤だった。

宰相ヴァイスと警備隊から寄せられる報告は、いずれも同じ内容を示していた。
リリアナが禁書庫に出入りし、老騎士ゼオンに意味深な問いを投げ、人目を避けて庭園裏の鳥小屋を調べている――と。

アレスは悟っていた。
今の彼女は、かつて自分が愛し、守り抜こうと誓ったリリアナではない。
その瞳には、温かな愛情のかわりに、何かを秘め、何かを企む知性の光が宿っていた。

(私は……君を信じたい。
だが、君の行動はすべて、ヴァイスの「反逆の兆し」という進言を裏付けてしまう。)

一度目の人生、アレスはリリアナを愛しすぎたあまり判断を誤り、国を危険に晒した。
二度目の今こそ、王としての責務を最優先しなければならない――その覚悟が、彼の胸に重くのしかかっていた。

アレスは侍従を呼び、声を潜めて命じた。

「王妃の動向を密かに監視せよ。禁書庫と庭園の鳥小屋――彼女が関心を示した場所を徹底的に調べろ。
ただし……宰相ヴァイスには一切知らせるな」

ヴァイスを完全に疑っているわけではなかった。
だが、王妃に対してあまりに鋭い追及を続ける彼に、アレスは微かな違和感を覚えていた。

愛と義務に引き裂かれた王は、夜ごと王宮を徘徊し、リリアナの窓を遠くから見つめるようになっていた。

(なぜ、あの子は知識を求める?
なぜ、真実を語ろうとしない?)

その答えが欲しかった。
――自らの手で。

その夜。
リリアナは、“通信の断片”を王妃の居室で分析していた。

闇に沈む王宮。その外には、アレスの視線が確かに存在している――彼女は、皮膚感覚でそれを理解していた。

(陛下は、私を疑っている。
私の行動はすべて、“裏切り”の証拠として扱われてしまうでしょう。)

冷たく振る舞えば振る舞うほど、アレスは愛と義務の板挟みで苦しみ、いずれ義務」を選ぶ。
その未来を、リリアナは誰よりも知っている。

だからこそ、今の彼女に必要なのは愛の言葉ではない。
――動かぬ証拠。

断片の分析を終えると、リリアナはそれを先代王妃のノートの奥にひそかに挟み込んだ。
そして、何事もないかのように窓辺へ歩み出る。

監視されていると気づいている。
だからこそ――アレスの疑念を和らげるための演技を始めた。

リリアナは、静かに、優雅に、儀式で披露する舞踏を踊り始める。
それは何の害もない、絹のように柔らかな王妃の舞。

まるで、かつての“愛されるためだけに存在していたリリアナ”を再現するかのように。

北塔からその姿を目にした瞬間、アレスは息をのんだ。

(……なぜ、舞っている?
危険な知識を求める女が、なぜあのように無垢な表情で……)

舞うリリアナは、美しかった。
どこまでも繊細で、柔らかく、あの一度目の人生でアレスが愛してやまなかった姿そのものだった。

心が揺らぐ。

「ヴァイスは、彼女を“国を欺く者”と言う……
だが、あの舞のどこに裏切りの冷たさがある?」

愛の記憶と、王としての義務が、胸の内で衝突する。
リリアナは冷徹な行動でアレスを遠ざけながら、わずかに愛の残影を滲ませることで――
王の心を縛りつけ、「早まった処断」だけは防ごうとしていた。

運命の日――冬至の夜会までの時間は、静かに、しかし確実に、リリアナの側へと傾きつつあった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません~死に戻った嫌われ令嬢は幸せになりたい~

桜百合
恋愛
旧題:もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません〜死に戻りの人生は別の誰かと〜 ★第18回恋愛小説大賞で大賞を受賞しました。応援・投票してくださり、本当にありがとうございました! 10/24にレジーナブックス様より書籍が発売されました。 現在コミカライズも進行中です。 「もしも人生をやり直せるのなら……もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません」 コルドー公爵夫妻であるフローラとエドガーは、大恋愛の末に結ばれた相思相愛の二人であった。 しかしナターシャという子爵令嬢が現れた途端にエドガーは彼女を愛人として迎え、フローラの方には見向きもしなくなってしまう。 愛を失った人生を悲観したフローラは、ナターシャに毒を飲ませようとするが、逆に自分が毒を盛られて命を落とすことに。 だが死んだはずのフローラが目を覚ますとそこは実家の侯爵家。 どうやらエドガーと知り合う前に死に戻ったらしい。 もう二度とあのような辛い思いはしたくないフローラは、一度目の人生の失敗を生かしてエドガーとの結婚を避けようとする。 ※完結したので感想欄を開けてます(お返事はゆっくりになるかもです…!) 独自の世界観ですので、設定など大目に見ていただけると助かります。 ※誤字脱字報告もありがとうございます! こちらでまとめてのお礼とさせていただきます。

王女に夢中な婚約者様、さようなら 〜自分を取り戻したあとの学園生活は幸せです! 〜

鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
王立学園への入学をきっかけに、領地の屋敷から王都のタウンハウスへと引っ越した、ハートリー伯爵家の令嬢ロザリンド。婚約者ルパートとともに始まるはずの学園生活を楽しみにしていた。 けれど現実は、王女殿下のご機嫌を取るための、ルパートからの理不尽な命令の連続。 「かつらと黒縁眼鏡の着用必須」「王女殿下より目立つな」「見目の良い男性、高位貴族の子息らと会話をするな」……。 ルパートから渡された「禁止事項一覧表」に縛られ、ロザリンドは期待とは真逆の、暗黒の学園生活を送ることに。 そんな日々の中での唯一の救いとなったのは、友人となってくれた冷静で聡明な公爵令嬢、ノエリスの存在だった。 学期末、ロザリンドはついにルパートの怒りを買い、婚約破棄を言い渡される。 けれど、深く傷つきながら長期休暇を迎えたロザリンドのもとに届いたのは、兄の友人であり王国騎士団に属する公爵令息クライヴからの婚約の申し出だった。 暗黒の一学期が嘘のように、幸せな長期休暇を過ごしたロザリンド。けれど新学期を迎えると、エメライン王女が接触してきて……。 ※10万文字超えそうなので長編に変更します。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

どうかこの偽りがいつまでも続きますように…

矢野りと
恋愛
ある日突然『魅了』の罪で捕らえられてしまった。でも誤解はすぐに解けるはずと思っていた、だって私は魅了なんて使っていないのだから…。 それなのに真実は闇に葬り去られ、残ったのは周囲からの冷たい眼差しだけ。 もう誰も私を信じてはくれない。 昨日までは『絶対に君を信じている』と言っていた婚約者さえも憎悪を向けてくる。 まるで人が変わったかのように…。 *設定はゆるいです。

妹の方が大事だとおっしゃる旦那様。なら妹と婚約すればいいのでは??

睡蓮
恋愛
ロンベル伯爵とセレシアは婚約関係にあったものの、ロンベルには3人の妹がおり、彼はそちらの方にばかり気をかけていた。そんなある日の事、ロンベルは一方的な理由をつけてセレシアの事を婚約破棄してしまう。そこには妹に対するゆがんだ思いがあったのであろうが、彼は後にその感情によって自らを滅ぼすことになるのだった…。

【完結】伯爵令嬢の25通の手紙 ~この手紙たちが、わたしを支えてくれますように~

朝日みらい
恋愛
煌びやかな晩餐会。クラリッサは上品に振る舞おうと努めるが、周囲の貴族は彼女の地味な外見を笑う。 婚約者ルネがワインを掲げて笑う。「俺は華のある令嬢が好きなんだ。すまないが、君では退屈だ。」 静寂と嘲笑の中、クラリッサは微笑みを崩さずに頭を下げる。 夜、涙をこらえて母宛てに手紙を書く。 「恥をかいたけれど、泣かないことを誇りに思いたいです。」 彼女の最初の手紙が、物語の始まりになるように――。

【完結】二度目の恋はもう諦めたくない。

たろ
恋愛
セレンは15歳の時に16歳のスティーブ・ロセスと結婚した。いわゆる政略的な結婚で、幼馴染でいつも喧嘩ばかりの二人は歩み寄りもなく一年で離縁した。 その一年間をなかったものにするため、お互い全く別のところへ移り住んだ。 スティーブはアルク国に留学してしまった。 セレンは国の文官の試験を受けて働くことになった。配属は何故か騎士団の事務員。 本人は全く気がついていないが騎士団員の間では 『可愛い子兎』と呼ばれ、何かと理由をつけては事務室にみんな足を運ぶこととなる。 そんな騎士団に入隊してきたのが、スティーブ。 お互い結婚していたことはなかったことにしようと、話すこともなく目も合わせないで過ごした。 本当はお互い好き合っているのに素直になれない二人。 そして、少しずつお互いの誤解が解けてもう一度…… 始めの数話は幼い頃の出会い。 そして結婚1年間の話。 再会と続きます。

陛下を捨てた理由

甘糖むい
恋愛
美しく才能あふれる侯爵令嬢ジェニエルは、幼い頃から王子セオドールの婚約者として約束され、完璧な王妃教育を受けてきた。20歳で結婚した二人だったが、3年経っても子供に恵まれず、彼女には「問題がある」という噂が広がりはじめる始末。 そんな中、セオドールが「オリヴィア」という女性を王宮に連れてきたことで、夫婦の関係は一変し始める。 ※改定、追加や修正を予告なくする場合がございます。ご了承ください。

【本編完結】アルウェンの結婚

クマ三郎@書籍&コミカライズ3作配信中
恋愛
シャトレ侯爵家の嫡女として生まれ育ったアルウェンは、婚約者で初恋の相手でもある二歳年上のユランと、半年後に結婚を控え幸せの絶頂にいた。 しかし皇帝が突然の病に倒れ、生母の違う二人の皇子の対立を危惧した重臣たちは、帝国内で最も権勢を誇るシャトレ侯爵家から皇太子妃を迎えることで、内乱を未然に防ごうとした。 本来であれば、婚約者のいないアルウェンの妹が嫁ぐのに相応しい。 しかし、人々から恐れられる皇太子サリオンに嫁ぐことを拒否した妹シンシアは、アルウェンからユランを奪ってしまう。 失意の中、結婚式は執り行われ、皇太子との愛のない結婚生活が始まった。 孤独な日々を送るアルウェンだったが、サリオンの意外な過去を知り、ふたりは少しずつ距離を縮めて行く……。

処理中です...