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第九章 拗れた想い
二年の契約が終わる日まで、もう残りわずかとなった。
屋敷の中はいつも通り静かで、何も変わらない。
けれど私の心だけは、嵐の中にいるようだった。
ソフィアのあの言葉が、まだ耳にこびりついている。
――「彼は最後には私を選ぶ」
あの確信に満ちた笑み。
それを打ち消すようなことを、アランは一度も口にしてくれなかった。
ある日、書斎の前を通りかかったとき、中から声が聞こえた。
「……彼女はどうして、あんなにも自分を低く見てしまうのか」
アランの声だった。
足を止め、耳を澄ませる。
「エリシア様に、お気持ちを伝えられては?」
執事の声だ。
アランはしばらく黙り込み、低く答えた。
「……今はまだ、その時ではない」
胸が凍りついた。
“まだその時ではない”――それはつまり、彼の心が私ではなく、別の人に向いている証拠。
私は慌ててその場を立ち去った。
涙で視界が滲み、廊下の明かりが滲んで揺れる。
数日後、領地の祭りに同行した。
賑やかな人々の中で、アランは誰よりも凛としていて、領民から尊敬と憧れの眼差しを向けられていた。
そんな彼の隣に立つ私は、まるで借り物の影。
「素敵なお二人ですね」と言われても、胸に広がるのは痛みだけだった。
広場の中央で、ひとりの少女が花冠を差し出した。
「ご夫婦でどうぞ!」
無邪気な声に、周囲が沸く。
アランは迷わず花冠を受け取り、私の頭にそっと載せた。
「よく似合う」
その声はあまりにも優しくて
――だからこそ残酷だった。
――これも、契約のうちの演技。
本気ではない。
ソフィアに向けられる笑顔の方が、きっともっと深いはず。
「……ありがとうございます」
私は震える声で答えた。
夜、屋敷に戻ると、アランは書斎にこもったまま出てこなかった。
私は廊下に立ち尽くし、扉を見つめる。
――どうして、何も言ってくださらないのですか。
愛しているのか、いないのか。
その一言さえあれば、私はどんな未来でも受け入れられるのに。
やがて、部屋の中から紙を破る音が聞こえた。
続いて、低い声。
「……これでいい」
何を破ったのか分からない。
けれど私には、それがソフィアとの思い出の手紙を整理している音だとは思えなかった。
――彼女に繋がるものを、大切に抱えているのだと。
眠れぬまま迎えた朝。
机の上に置かれていたのは、アランからの短い手紙だった。
――「君の幸せを、誰よりも願っている」
その言葉は優しすぎて、かえって胸を切り裂いた。
“君の幸せを願う”
――それはつまり、彼の隣にいるべきは私ではないということ。
契約が終われば、私は彼のもとを去り、彼はソフィアと共に本当の幸せを手に入れるのだろう。
そう思った瞬間、涙が頬を伝い、私は紙を胸に抱きしめた。
――どうして、こんなにも好きになってしまったのだろう。
最初から、手の届かない人だと分かっていたのに。
庭に咲いた花々は、ちょうど蕾を開こうとしていた。
二年の契約が終わる頃、満開になるはずの花。
その美しさをアランと共に見られないのだと思うと、胸が痛んだ。
「私は、もう……ここにはいられない」
声に出した途端、現実が重くのしかかる。
私は知らなかった。
その花が咲く頃こそ、アランが告白を決意していたということを。
ただ、彼の沈黙を「別れの準備」だと信じ込んでしまった。
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