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第十章:地獄の幕開け
深夜。
しんしんと冷える屋敷の中で、リリアは一人、暗い寝室で横になっていた。
カイルはまだ戻らない。
書斎で寝ると言ったきり、彼の足音は聞こえてこなかった。
ふと、廊下から微かな、けれど確信に満ちた衣擦れの音がした。
リリアは導かれるようにベッドを抜け出し、音のする方へと向かった。
たどり着いたのは、かつて「おっとりした姉」として、妹を迎え入れた客間――エレナの部屋だった。
半開きになった扉の隙間から、漏れ出してきたのは、蝋燭の残り火のような、頽廃的な空気。
そして、耳を塞ぎたくなるほど生々しい、男と女の睦み言。
「……ねえ、カイル様。お姉様と私、どっちが心地いい? 本当のことを言って」
「そんなこと、聞かなくても分かっているだろう。
リリアは……あれは、ただの調度品だ。
そこにいてくれないと困るけれど、抱いても何のときめきもない。
君は、僕を芯から焦がしてくれる」
リリアは、指先が白くなるほど壁を掴んだ。
五年間の歳月。
彼の健康を思い、彼の虚栄心を傷つけないよう慎重に選び抜いてきた言葉。
そして彼が「美しい」と言ったこの体。
そのすべてが、今、カイル自身の口から「無価値な調度品」と定義されたのだ。
隙間から見えたのは、カイルの広い背中と、その首筋に白く細い腕を絡めるエレナの姿だった。
エレナは、リリアが扉の向こうにいることに、最初から気づいていたのだろう。
彼女はカイルの肩越しに、リリアと真っ直ぐに視線を合わせた。
そして、極上の獲物を仕留めた猟師のような、残酷で、艶やかな笑みを浮かべた。
声には出さない。
けれど、その唇ははっきりと動いた。
(――ご・ち・そ・う・さ・ま)
リリアの中で、何かが音を立てて砕け散った。
それは長年、彼女を縛り付けていた「良き妻」という名の鎖だった。
翌朝。
リリアはカイルに離婚届を突きつけた。
「君は……何を言っているんだ。
たかが一度の浮気で。
リリア、君は一人で生きていけるほど強くないだろう?」
カイルは、裏切った自覚すら薄い「甘い」顔で、信じられないような言葉を口にした。
「ええ。
私は一人では生きていけないかもしれない。
けれど、あなたという『腐った果実』を抱えたまま、この屋敷で窒息死するのは、もっと御免ですわ」
リリアは、宝石一つ、ドレス一着持たず、着慣れたネイビーの外出着一枚で屋敷を後にした。
背後でエレナが、まるで芝居の幕が上がったことを喜ぶ観客のように、高らかに笑い声を上げている。
しんしんと冷える屋敷の中で、リリアは一人、暗い寝室で横になっていた。
カイルはまだ戻らない。
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ふと、廊下から微かな、けれど確信に満ちた衣擦れの音がした。
リリアは導かれるようにベッドを抜け出し、音のする方へと向かった。
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そして、耳を塞ぎたくなるほど生々しい、男と女の睦み言。
「……ねえ、カイル様。お姉様と私、どっちが心地いい? 本当のことを言って」
「そんなこと、聞かなくても分かっているだろう。
リリアは……あれは、ただの調度品だ。
そこにいてくれないと困るけれど、抱いても何のときめきもない。
君は、僕を芯から焦がしてくれる」
リリアは、指先が白くなるほど壁を掴んだ。
五年間の歳月。
彼の健康を思い、彼の虚栄心を傷つけないよう慎重に選び抜いてきた言葉。
そして彼が「美しい」と言ったこの体。
そのすべてが、今、カイル自身の口から「無価値な調度品」と定義されたのだ。
隙間から見えたのは、カイルの広い背中と、その首筋に白く細い腕を絡めるエレナの姿だった。
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彼女はカイルの肩越しに、リリアと真っ直ぐに視線を合わせた。
そして、極上の獲物を仕留めた猟師のような、残酷で、艶やかな笑みを浮かべた。
声には出さない。
けれど、その唇ははっきりと動いた。
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けれど、あなたという『腐った果実』を抱えたまま、この屋敷で窒息死するのは、もっと御免ですわ」
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