幸せの賞味期限――妹が奪った夫は、甘く腐る

柴田はつみ

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第十六章:請求書の山

 その日の朝、カイルはひどい頭痛とともに目を覚ました。

 かつてなら、枕元には彼の体調に合わせたハーブティーと、糊のきいた清潔なリネンが用意されていたはずだ。
 しかし、今そこにあるのは、昨夜エレナが飲み散らかしたシャンパンの空瓶と、吸い殻の溜まった灰皿だけだった。

「……リリア、水を持ってきてくれ」

 無意識に口をついた名前に、自分でも驚く。
 返事はない。
 代わりに聞こえてきたのは、階下からの騒々しい怒鳴り声だった。

 カイルがガウンを羽織り、ふらつく足取りでリビングへ降りていくと、そこには異様な光景が広がっていた。

 長年この家に尽くしてきたベテランの執事が、銀のトレイいっぱいに載せられた「紙切れ」を前に、エレナと対峙していたのだ。

「これは何の騒ぎだ」

「カイル様! 聞いてちょうだい、この無礼な男を! 朝から私に、こんな汚らしい紙を見せつけるのよ」

 エレナは顔を真っ赤にして叫んだが、執事の顔は石のように冷たかった。

「……旦那様。これは『汚らしい紙』ではございません。食肉店、ワイン商、馬具屋、そして宝石商からの最終督促状でございます。リリア様が管理されていた頃は、一度として支払いが滞ることはございませんでしたが……現在は、半年分が未払いでございます」

 カイルは震える手でその一枚を手に取った。
 数字の末尾に並ぶゼロの数に、血の気が引く。

 リリアがいなくなった途端、屋敷という名の精緻な機械は、油を失ったように悲鳴を上げ始めたのだ。

 彼女がどれほど巧妙に、実家からの持参金と伯爵家の僅かな収入をやりくりし、カイルの体面を買い支えていたのか。
 その「魔法」のタネが、今さらながら露呈していた。

「払えばいいだろう、そんなもの! 私の書斎の金庫から……」

「金庫は、すでに空でございます。エレナ様が先週、新作の毛皮をお求めになった際に」

 執事の言葉に、カイルは愕然としてエレナを見た。

 エレナは気まずそうに視線を逸らし、わざとらしくハンカチを目元に当てた。

「だって、お姉様があんなに地味なものばかり残していくから、私が恥をかいていたのよ! カイル様、私のこと愛していないの?」

「愛の問題じゃない! 現実を見ろ!」

 初めてカイルが上げた怒声に、エレナは一瞬怯んだ。

 だが、本当の地獄はそこからだった。

 その日の午後、メイド長と三人の下男が「給金が支払われないのであれば、これ以上は働けません」と、リリアが大切にしていた銀食器を勝手に持ち出し、屋敷を去っていった。

 ゴミが溜まり、埃が舞い、主人の食事さえ用意されない。

 かつて「完璧な額縁」と謳われた伯爵邸は、リリアという魂を抜かれた瞬間から、急速に「ただの廃屋」へと成り下がり始めていた。

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