幸せの賞味期限――妹が奪った夫は、甘く腐る

柴田はつみ

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第二十一章:虚飾の終焉

 差し押さえのカウントダウンが始まったことも知らず、エレナは最後の手札を切った。

 社交界の隅で、彼女は必死に声を張り上げる。

「皆様、見てくださいませ! 姉はあんなに厚顔無恥に振る舞っておりますが、伯爵家の真の継承者は私です。この『王妃の涙』……我が家に伝わる至宝のサファイアが、その証拠ですわ!」

 エレナが首から下げているのは、深い青色をした巨大なサファイアのペンダント。

 かつてリリアが母から受け継ぎ、肌身離さず持っていたものだ。

 カイルがリリアを追い出す際、エレナが力ずくで奪い取った「戦利品」だった。

 その輝きに、周囲の貴族たちが足を止める。

 カイルもまた、藁にもすがる思いでエレナの隣に立った。

 この宝石を売れば、商会の負債の半分は返せるはずだ――そんな浅ましい計算が顔に透けている。

「あら、懐かしいものを持っていらっしゃるのね」

 背後から響いたのは、凛としたリリアの声だった。

 アルマードを伴い、ゆっくりと歩み寄る彼女の足音は、処刑台へ向かう軍靴のように静かで正確だ。

「お、お姉様……! 羨ましいでしょう? これは私に選ばれたもの。あなたがどれだけ公爵様に媚びを売っても、この歴史ある輝きだけは手に入らないわ!」

 エレナは勝ち誇ったように胸を張った。

 だが、リリアの隣に立つアルマードが、ふっと鼻で笑った。

「歴史、か。……君たちの言う歴史とは、いつからガラス細工の偽造から始まるようになったのだ?」

 会場が、ざわめきに包まれる。

「な、何をおっしゃるの! これは正真正銘、我が家の……」

「宝石はな、持ち主の格を映すものだ」

 アルマードは冷徹な手つきで、傍らの給仕から一本の鋭利なナイフを奪い取った。

 そして、驚く暇もなく、エレナの首元へその先を向けた。

「ひっ……!」

「安心しろ。女の首を撥ねるほど、私のナイフは安くない」

 アルマードが狙ったのは、サファイアの表面だった。

 キィ、という耳障りな音と共に、鋭い刃が石を撫でる。

 本来、ダイヤモンドに次ぐ硬度を持つサファイアに、鉄のナイフで傷がつくはずがない。

 しかし――。

 エレナの胸元で、美しい青色の石に、無惨な「白い傷」が刻まれた。

「……傷がついた? 嘘、そんな……」

「表面をコーティングしただけの鉛ガラスだ。本物は、カイル伯爵が三ヶ月前、ギャンブルの負債を埋めるためにとっくに闇市で売り払っている」

 アルマードの言葉に、会場から嘲笑の嵐が巻き起こる。

 リリアは絶望に目を見開くカイルを見つめ、静かに告げた。

「カイル様、あなたが私の大切にしていたものを、その手で汚し、売り飛ばしたこと……知らないとでもお思いでしたか?」

「リ、リリア……違うんだ、あれは商会の資金が一時的に……」

「その資金で、あなたはエレナに贅沢をさせ、私を『金のかかるだけの無能』と呼んだ。……皮肉なものですね。あなたが手放した『本物』は、今、私の指元にあるのですから」

 リリアが掲げた右手。

 そこには、かつて売り払われたはずの「王妃の涙」が、アルマードの手によって買い戻され、より精緻な細工を施されて輝いていた。

「なっ……! 返せ! それは俺の、伯爵家の金だ!」

 カイルがなりふり構わずリリアに飛びかかろうとした瞬間。

 アルマードの鋼のような腕が、カイルの胸元を突き飛ばした。

「汚い手で触れるな。……リリア、こいつらの顔を見ろ。これが、君を『味のないスープ』と切り捨てた男の、真実の姿だ」

 床に這いつくばるカイル。

 偽物の宝石を首から下げ、化粧が落ちるほど泣き喚くエレナ。

 二人の周りには、もはや誰も寄り付かない。

 そこにあるのは、賞味期限が切れて腐敗した「欲」の残骸だけだった。

「……ええ。本当に、滑稽ですわ」

 リリアは、かつての夫を憐れむことさえしなかった。

 彼女はアルマードの腕にそっと手を重ね、優雅に背を向ける。

「投資の成果を、今夜中にお見せいたします。……公爵様、次のダンスを。この汚らわしい空気、早く踊り子たちのステップで踏み潰してしまいたいわ」

 崩れ落ちる二人を置き去りにして、リリアとアルマードは光の渦へと戻っていく。

 それは、伯爵家の滅亡と、新たな「支配者」の誕生を告げる華やかなワルツの始まりだった。

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