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第1章「冷酷公爵との婚約」
しおりを挟む翌朝、リリアナは父に呼び出され、古びた書斎に足を踏み入れた。
壁にはひび割れた地図がかかり、机の上は使い古された羽ペンと帳簿の山。かつて隆盛を誇ったバルモント家の残滓を思わせる部屋だ。
父は緊張に満ちた声で言った。
「リリアナ。ついに、公爵家から正式な婚約の書状が届いた」
机の上に置かれた羊皮紙には、重厚な紋章が押されている。
アルベルト・フォン・グランツ公爵――王国で最も強大な魔力を持ち、冷酷無比と恐れられる男。その名がそこに刻まれていた。
「……婚約、ですか」
リリアナの喉から、乾いた声がこぼれ落ちる。
父は喜色を隠しきれない様子でうなずいた。
「我が家にとって、これ以上の縁談はない。領地の立て直しも、公爵家の後ろ盾があれば……」
(そう、これは没落寸前の家にとっては救い。でも、私にとっては破滅の始まり……)
胸の奥で苦々しい思いが渦を巻く。
ゲームの知識がなければ、ただ喜ぶだけだったのだろう。だが彼女は知っている。この婚約の行き着く先は――断罪と破滅。
拒絶の言葉を口にできるはずもなく、リリアナは静かにうなずくしかなかった。
数日後。
豪奢な馬車に揺られ、リリアナはグランツ公爵邸へと向かっていた。
石造りの城館が姿を現すと、思わず息をのむ。荘厳な塔、並び立つ衛兵たち。その空気は重く冷たく、近づくだけで身が縮こまる。
(ここが、アルベルト公爵のお屋敷……。まるで牢獄のように冷たい)
大広間の扉が開かれると、玉座のような椅子に銀糸の髪の青年が腰かけていた。
その視線が、リリアナを射抜く。
「……リリアナ・バルモントです」
震える声で名乗り、一礼する。
アルベルトは何も言わず、ただ冷たい瞳で彼女を見つめた。
噂通りの冷酷さ。感情を一切感じさせない無表情。
背筋に冷たいものが走り、リリアナは緊張で手を握りしめた。
そのとき、侍女が差し出した紅茶から湯気が立ち上った。
手を伸ばしかけたリリアナに、低い声が落ちてくる。
「冷めるまで待て。火傷する」
「え……?」
彼はすでに視線を逸らしていた。
注意とも、気遣いとも取れる言葉。だが口調はぶっきらぼうで、感情の色は読み取れない。
(いまの……優しさ? それともただの命令?)
戸惑いながらカップをそっと下ろす。
その後も、会話は途切れ途切れに続いた。
「……公爵様は、婚約についてどうお考えで?」
恐る恐る問いかける。
アルベルトは少しの沈黙ののち、淡々と告げた。
「契約だからな。お前が不満なら、今ここで言え」
その冷ややかな声音に、リリアナの胸が締めつけられる。
(……やっぱり、私なんてどうでもいいのよね。いずれヒロインに惹かれて、私は捨てられるんだわ)
唇をかみしめて俯いたその瞬間。
アルベルトが椅子から立ち上がり、歩み寄ってきた。
背筋が震える。逃げ場のない距離で、彼の低い声が落ちる。
「――だが勘違いするな。お前以外の女に、興味はない」
「っ……!」
リリアナは顔を上げ、思わず息を呑む。
無表情のままなのに、瞳の奥には確かな意志が宿っていた。
(な、なにそれ……ツンデレ!?)
鼓動が高鳴り、頬が熱くなる。けれどすぐに首を振る。
(いいえ、これはきっと……体裁を保つために言っただけ。本気にしちゃだめ)
彼女は必死に心を落ち着けた。
破滅を避けるためには、むしろ距離を取らなければならないのだ。
謁見を終え、屋敷を後にする馬車の中。
リリアナは窓の外に広がる冬空を見つめ、拳を握った。
(やっぱり、この婚約は危険すぎる。どうにかして……婚約解消を申し出なきゃ!)
凍える風が吹き込む中、彼女の決意は固まっていった。
――それが、アルベルト公爵とのすれ違いと恋の始まりになるとは、まだ知る由もなかった
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