悪役令嬢の許嫁はツンデレでした

第9章「距離を置く決意」

　学園生活が始まって三週間。
　リリアナの胸の内は、嵐のように揺れていた。

　ミリアは相変わらず輝く太陽。
　誰もが彼女に好意を抱き、教室にはいつも人の輪ができている。
　一方、リリアナは冷たい視線にさらされながら、ひとり静かに席に着く毎日だった。

（目立たないように……波風を立てないように……）

　そう自分に言い聞かせていたのに。
　嫌がらせから救ってくれたあの日のアルベルトの姿が、頭から離れない。
　インクの瓶を消し去り、マントを肩にかけてくれたときの温もり。

（あれは……優しさだった。だけど、信じちゃ駄目）

　破滅を避けるためには、彼に惹かれてはいけない。
　彼の言葉を信じてしまえば、きっとシナリオ通りの未来に飲み込まれる。

　

　昼休み。
　リリアナが廊下を歩いていると、背後から女子生徒の声がした。

「見た？　昨日の公爵様」
「リリアナ様を守ったんですって？　あの冷酷な方が！」
「やっぱり権力を使って無理やり気を引いてるのよ」

　嘲り混じりの囁きが、心を鋭く刺す。
　（……私が望んだわけじゃないのに）

　唇を噛み、早足で教室へ戻る。
　席に着くと、ミリアが笑顔で声をかけてきた。
「リリアナ様、今日はご一緒にお昼をいかがですか？」

　その瞳に敵意はない。
　むしろ純粋に心配しているのだろう。
　けれど周囲の視線が「悪役令嬢がヒロインを拒む瞬間」を期待しているのがわかった。

　リリアナは微笑み、首を横に振った。
「ご親切にありがとう。でも……今日は一人で大丈夫ですわ」

　ミリアは小さく瞬きをして、それ以上追及しなかった。
　だが周囲からは、また冷たい囁きが上がる。

「やっぱり……」
「ヒロインを遠ざけてる」

　胸がきしむ。
　（違う……これ以上彼女に近づけば、破滅フラグが加速するだけ）

　

　放課後。
　校門を出たところで、アルベルトが待っていた。

「遅い」
「……お待たせして、申し訳ございません」

　淡々とした声。
　けれどその瞳が、周囲の男子生徒を鋭く射抜いていることに気づく。
　――近づく者は許さない。そう告げているようだった。

「今日は馬車には乗らず、歩いて帰ります」
　思い切って口にすると、アルベルトの眉がわずかに動いた。
「……なぜだ」
「少し、考え事をしたくて」

　そう告げると、アルベルトは一歩踏み出し、低く言い放つ。
「馬鹿を言うな。夜の街を一人で歩く気か」

「では護衛をお連れします」
「……不要だ。俺が送る」

　強い声音に、リリアナの胸が揺れる。
　（どうして、そこまで……？　もし本当に私を想ってくださっているなら……）

　だがその思いをかき消し、首を振った。
「……お願いです。しばらくは距離を置かせてください」

　アルベルトの瞳が、わずかに揺らいだ。
「理由は」
「……わたくしは、公爵様に相応しくありませんから」

　静かな拒絶。
　沈黙が流れ、冷たい風が吹き抜ける。

　やがてアルベルトは目を伏せ、短く答えた。
「……好きにしろ。ただし、身の安全だけは守らせてもらう」

　その言葉に、リリアナの胸は複雑に震えた。
　彼の冷たい態度の裏に、不器用な優しさが潜んでいるのを感じてしまうから。

　

　夜。
　ベッドに身を横たえても、眠りは訪れなかった。

（距離を置く……それが最善。彼に惹かれれば、私は必ず破滅する）

　そう言い聞かせながらも、思い出すのは彼の横顔。
　冷たい声の奥に宿る、燃えるような嫉妬の炎。
　それを思い返すだけで、胸が熱を帯びる。

「……駄目。信じちゃいけないのに」

　枕を抱きしめ、リリアナは目を閉じた。
　――破滅を避けるための“距離”。
　だがその選択が、かえって二人の運命を大きく揺るがすことになるのだった