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第2章 婚約指輪を返す朝
夜会の翌朝、リリアベルは鏡台の前で、王家から贈られた婚約指輪を見つめていた。
窓の外では細かな雨が降っている。王都の屋根も、庭の薔薇も、馬車道の石畳も、朝の光を含んだ雨に濡れていた。昨夜の大広間に満ちていた音楽や香水の匂いが、今はひどく遠い出来事のように思えるのに、胸の奥にはまだあの時のざわめきが残っている。
王太子が聖女へ手を差し出した瞬間。
周囲の貴族たちが顔を見合わせた瞬間。
そして、カイル・ラングフォード公爵が自分へ手を差し出した瞬間。
そのすべてが、リリアベルの中で何度も繰り返されていた。
婚約指輪は、深い青の宝石を抱くように細工された美しい品だった。幼い頃、初めてこの指輪を受け取った時、リリアベルは胸がいっぱいになった。王太子の婚約者になることの重さも、王宮で生きることの難しさも、まだ本当には分かっていなかった。ただ、エドワードの隣で未来を迎えるのだと信じていた。
その指輪を、今朝は自分の手で小さな箱へ戻す。
侍女マリアは、少し離れた場所で朝の支度を整えていたが、指輪が箱に収められる音を聞くと、こらえきれないように顔を上げた。
「お嬢様……本当に、王宮へお持ちになるのですか」
「ええ」
「昨夜のことは、あまりにも殿下が……」
マリアは言葉を探すように唇を結んだ。長く仕えてくれている彼女は、主人の名誉を傷つける言葉を簡単には口にしない。けれど、その気遣いだけで十分だった。
「ありがとう、マリア。でも、私が昨夜受け取った答えは、たぶんずっと前から同じだったの」
リリアベルは箱の蓋に指を添えた。
「殿下は、聖女様を守りたい。私はそれを理解する婚約者でいてほしい。昨夜だけではなく、何度もそうだったわ」
「けれど、お嬢様はずっと努力なさいました。王妃教育も、外交の勉強も、王宮の行事も、誰より真面目に……」
「努力したから愛されるとは限らないのね」
そう言うと、自分の声が思っていたより穏やかで、リリアベルは少し驚いた。
昨夜は痛みが大きすぎて、自分の感情がどこに向かっているのか分からなかった。けれど朝になり、雨に濡れる庭を眺めているうちに、胸の奥の混乱が少しずつほどけていった。
悲しい、悔しい、惨めでもある。
それでも、もう戻りたいとは思えなかった。
エドワードのそばで、自分の気持ちを何度も後回しにする日々へ戻ることは、もうできない。
「お嬢様、旦那様と奥様には……」
「昨夜のうちに兄様が話してくれたわ。お父様もお母様も、王家に失礼のない形で進めるなら、私の意思を尊重するとおっしゃってくださった」
その言葉を思い出すと、リリアベルの胸は少し温かくなった。
父は、王家との婚約を軽く扱うべきではないと言いながらも、娘の顔を見てため息をつき、最後には「お前がこれ以上傷つく必要はない」と言ってくれた。母は何も責めず、リリアベルの髪を撫でてくれた。兄のセシルは、今日の王宮行きに同行すると強く言った。
ひとりで抱えなくていい。
それだけで、これまでどれほど自分が孤独だったのかを知った。
リリアベルは小箱を手に取り、机の上に置いてある封書へ視線を落とした。封書には、婚約解消の申し出と、王妃教育に関する記録の返還について丁寧に記してある。感情で書いたものではない。伯爵家の娘として、王太子の婚約者だった者として、誰に読まれても恥じない文面に整えた。
「マリア、出かける支度をお願い」
「はい。お嬢様」
マリアは目元をそっと押さえてから、深い青のドレスを用意した。
それは、かつてエドワードが褒めてくれた色だった。
リリアベルは一瞬だけ迷ったが、すぐに首を横に振った。
「今日は別のドレスにして」
「では、こちらはいかがでしょう。淡い菫色です。お嬢様によくお似合いになります」
「それにするわ」
リリアベルは、青を脱ぐことにした。
エドワードの瞳に似た色をまとい、彼の婚約者として王宮へ向かうのではない。今日は、自分の意思で終わらせるために行くのだ。
支度を終えて玄関ホールへ向かうと、兄のセシルがすでに待っていた。灰色の外套を腕にかけた兄は、リリアベルの姿を見て、少しだけ表情を和らげた。
「顔色は悪くないな」
「眠れなかったけれど、気持ちは決まっているわ」
「ならいい。馬車は用意できている」
「兄様、今日は私が話します。兄様は、私が困った時だけ助けてください」
「分かった。だが、殿下が昨日の件を軽く扱うなら、黙って聞いているつもりはない」
「ええ。その時は頼りにします」
セシルは短く頷き、妹に外套をかけた。
雨の王都を進む馬車の中で、リリアベルは窓の外を眺めた。街の人々は傘を差し、急ぎ足で店先を行き交っている。焼き菓子の店からは甘い匂いが流れ、新聞売りの少年が朝刊を掲げていた。
おそらく、昨夜の噂はすでに社交界へ広がり始めているだろう。
王太子は聖女と踊った。
婚約者の令嬢は公爵と踊った。
大広間で王太子と公爵が言葉を交わした。
噂は、真実よりも早く、真実よりも華やかに広がる。今日の午後には、リリアベルの名前は多くの貴族の口にのぼるはずだ。
怖くないと言えば嘘になる。
けれど、昨日までの恐れとは違う。昨日までのリリアベルは、婚約者として失敗することを恐れていた。王太子の隣にふさわしくないと言われることを恐れていた。
今は違う。
誰かにどう見られるかではなく、自分が自分を裏切り続けることの方が、ずっと怖い。
王宮へ到着すると、リリアベルとセシルはそのまま王太子の私的な応接室へ案内された。事前に使いを出していたため、エドワードには面会の知らせが届いているはずだった。
応接室には、昨夜の夜会とは違う重たい空気が漂っていた。
大きな窓の向こうには雨に濡れた庭が広がり、室内には温かな茶が用意されている。だが、リリアベルは椅子に深く腰を預ける気にはなれなかった。小箱と封書を膝の上に置き、扉へ視線を向ける。
やがて、エドワードが入ってきた。
昨夜より少し疲れた顔をしている。けれどリリアベルを見ると、彼は安堵したように息を吐いた。
「リリアベル。来てくれてよかった」
その声音に、リリアベルは小さく胸を締めつけられた。
彼はきっと、今日も話せば元に戻れると思っているのだろう。昨夜のことを少し説明し、リリアベルをなだめ、いつものように「分かってくれる」と言えば終わると思っている。
それが、何よりつらかった。
「殿下。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「そんな改まった言い方をしなくていい。昨日は誤解を招く形になった。だが、あれは君を軽んじたわけではない」
「存じております」
「オフィリアは王宮に慣れていない。民からの期待も大きい。彼女が倒れでもすれば、また余計な騒ぎになる。私は王太子として、彼女を気遣う必要があった」
エドワードの言葉は、どれも間違いではなかった。
聖女が民の希望であることも、王太子として彼女を守る必要があることも、理解できる。リリアベルは、その理由を否定したいわけではなかった。
「殿下のお考えは分かりました」
「なら、昨夜の態度は何だった。ラングフォード公爵と踊る必要があったのか」
その瞬間、リリアベルの指が小箱の上で止まった。
エドワードの声には、咎める響きがあった。自分が聖女を選んだことよりも、リリアベルが公爵と踊ったことの方が問題だと感じているのだろう。
隣にいたセシルの空気が変わったが、リリアベルは視線だけで兄を制した。
「殿下。私は昨夜、自分の誕生日の夜会で、最初のダンスを失いました」
「だからといって、他の男の手を取るのは軽率だ」
「他の男、ですか」
リリアベルは、その言葉を静かに繰り返した。
カイルは昨夜、リリアベルを噂の的から救ってくれた。誰にも選ばれなかった夜にしてはいけないと、まっすぐに彼女を見てくれた。その人を、エドワードはただの嫉妬の対象として語る。
「殿下は、聖女様に手を差し出す時、私がどのように見えるかお考えになりましたか」
「君は私の婚約者だ。私を信じてくれていると思っていた」
「信じることと、傷つかないことは同じではありません」
エドワードの表情が、初めて揺れた。
リリアベルは小箱を机の上へ置いた。小さな音が、応接室の空気に落ちる。
「殿下。私は今日、この指輪をお返しに参りました」
「何を言っている」
「婚約を解消していただきたいのです」
エドワードの顔から、先ほどまでの不満が消えた。
「リリアベル、昨日のことだけでそこまで言っているのか。感情的になっているなら、日を改めよう」
「昨日だけではありません」
「では何だ。私がオフィリアを気にかけたことが、そんなに許せないのか」
「許せないのではありません」
リリアベルは、背を伸ばし、エドワードを正面から見た。
「殿下が聖女様を大切になさるたび、私は理解を求められました。約束を後回しにされた時も、式典の席順が変わった時も、王宮で私と過ごすはずだった時間を聖女様に使われた時も、殿下はいつもおっしゃいました。私なら分かってくれる、と」
「それは、君を信頼していたからだ」
「私は、信頼されていたのではありません。都合よく傷つかない婚約者だと思われていただけです」
言葉にした瞬間、胸の奥が少し痛んだ。
本当は、こんなことを言いたくなかった。エドワードに嫌われたかったわけではない。責めて傷つけたかったわけでもない。ただ、彼に知ってほしかったのだ。リリアベルも痛みを覚える人間なのだと。
「リリアベル……」
「私は、殿下の隣で妃になるために学んできました。殿下のお役に立てるように、王妃様にも、礼法の先生方にも、外交官にも教えを受けました。殿下に恥をかかせないよう、誰より慎重に振る舞ってきたつもりです」
エドワードは何も言わなかった。
だが、その瞳にようやく戸惑いが浮かんだ。
「けれど、殿下が私に求めていらしたのは、隣で共に歩む婚約者ではなく、殿下の選択をいつでも受け入れる令嬢だったのだと思います」
「違う」
「そうでしょうか」
「違う。私は君を軽んじたつもりはない。君は特別だ。だからこそ、細かなことを説明しなくても分かってくれると思っていた」
「その特別が、私には苦しかったのです」
エドワードが息をのむ。
リリアベルは、ゆっくり小箱を彼の方へ押し出した。
「殿下が守りたい方は、聖女様です。昨夜、私はそれをはっきり知りました。ならば私は、殿下の未来から退きます」
「退くなどと簡単に言うな。これは王家とアシュフォード家の婚約だ。君ひとりの意思でどうにかなるものではない」
「分かっております。ですから正式な書面も用意いたしました。父の署名もございます」
リリアベルは封書を差し出した。
エドワードはそれを受け取ろうとしなかった。まるで受け取ってしまえば、婚約解消が現実になってしまうと恐れているようだった。
その時、扉の向こうから侍従の声が聞こえた。
「殿下。聖女オフィリア様がお見えです」
リリアベルの胸が、静かに冷えた。
この時間に、なぜ彼女が来るのか。
エドワードも驚いたようだったが、すぐに眉を寄せた。
「今は取り込み中だ。後にしてくれ」
「ですが、聖女様がどうしてもリリアベル様に謝罪をしたいと……」
セシルが低い声で告げる。
「殿下。これは婚約者同士、また王家と伯爵家の話です。聖女様が同席なさる内容ではありません」
「分かっている」
エドワードがそう答えるより早く、扉が外から開いた。
オフィリアが入ってきた。
淡い色のドレスに身を包み、昨夜よりも控えめな装いをしている。顔には申し訳なさそうな表情を浮かべていたが、その登場がこの場にどれほどの意味を持つか、分かっていないはずがない。
「殿下、失礼を承知で参りました。リリアベル様が昨日のことで傷ついていらっしゃると伺って……私、どうしても謝りたくて」
オフィリアは胸元に手を添え、リリアベルを見つめた。
「リリアベル様。すべて私が悪いのです。殿下は何も悪くありません。私が不慣れで、殿下に甘えてしまったばかりに……」
その声は震えていた。
室内の侍従や侍女が、気の毒そうに彼女を見る。おそらく外で待つ者たちにも、このやり取りの一部は伝わるだろう。オフィリアは、謝罪の形を取りながら、自分を責める可憐な聖女を演じている。
そして同時に、リリアベルを追い込んでいる。
ここでリリアベルが婚約解消を申し出れば、聖女を責める嫉妬深い令嬢に見える。オフィリアが謝れば謝るほど、リリアベルは何も言えなくなる。
昨夜までなら、きっとそうだった。
だが今朝のリリアベルは違った。
「聖女様。謝罪は受け取りました」
リリアベルは穏やかに答えた。
「リリアベル様……」
「ですが、これは聖女様の謝罪で終わる話ではありません。私は殿下に婚約解消をお願いしているのです」
オフィリアの表情が、わずかに変わった。
ほんの一瞬だった。けれどリリアベルには分かった。彼女は予想していなかったのだ。リリアベルが泣くか、怒るか、耐えるかのどれかだと思っていた。まさか本当に婚約を手放すとは考えていなかったのだろう。
「婚約解消……ですか?」
オフィリアは、小さく口元を押さえた。
「リリアベル様、そんなことをなさっては……私のせいで、おふたりの大切なご縁が……」
「聖女様のせいだけではありません」
「でも、私が殿下のおそばにいたからでしょう?」
その言葉に、リリアベルはオフィリアを静かに見た。
自分でそう言うのか、と思った。
殿下のおそばにいた。
その一言には、勝者のような響きが隠れている。
「ええ。それも理由のひとつです」
リリアベルが認めると、オフィリアの表情が揺らいだ。
責められたら泣く準備をしていたのだろう。否定されたら健気に振る舞う準備もできていたのだろう。だが、リリアベルは怒りをぶつけなかった。ただ、事実として受け止めた。
「私は、殿下が誰を大切になさるかを責めるつもりはありません。だからこそ、殿下が大切になさりたい方のおそばにいられるよう、婚約者の座をお返しするのです」
「違う、リリアベル」
エドワードがようやく声を発した。
「私はオフィリアを妃にしたいなどと言っていない」
その言葉に、オフィリアの指先が動いた。
リリアベルはそれを見逃さなかった。オフィリアはすぐに悲しげな顔に戻したが、ほんのわずかな動きに本音が混じっていた。
「そうなのですね」
リリアベルは静かに言った。
「ならば殿下は、私を妃にしたいとお考えですか」
「当然だ。君は私の婚約者だ」
「婚約者だから、ではなく、私だから望んでくださっているのですか」
エドワードはすぐに答えなかった。
そのわずかな間が、何よりの答えだった。
リリアベルは胸の奥に痛みを覚えたが、不思議と涙は出なかった。期待していた最後の言葉が得られないことを、どこかでもう分かっていたのだと思う。
「殿下、私は、役目として必要とされるのではなく、私自身を見ていただきたかったのです」
「リリアベル、私は……」
「ですが、それを殿下に求め続けるのは、もう終わりにいたします」
リリアベルは封書を机の上へ置いた。
「どうか国王陛下と王妃様へお取り次ぎください。正式なご判断は王家にお任せいたします。ただ、私の意思は変わりません」
オフィリアは目に涙を浮かべた。
「リリアベル様、私、そんなつもりでは……」
「聖女様」
リリアベルは、初めてオフィリアの言葉を遮った。
「あなたがどのようなおつもりだったかは、私には分かりません。ですが昨夜、殿下があなたを選ばれたことは事実です。そして今朝、この場にあなたがいらしたことも事実です」
「私は、ただ謝りたくて……」
「謝罪なら受け取りました。ですから、これ以上ご自分を責める言葉で、この場を覆わないでください」
オフィリアの頬から、涙がひと筋こぼれた。
侍女たちの間に戸惑いが広がる。だが、誰もリリアベルを責めることはできなかった。彼女は声を荒げていない。オフィリアを侮辱してもいない。ただ、謝罪を受け取り、話の中心を自分と王太子の婚約へ戻しただけだった。
エドワードは、初めてリリアベルを見失ったような顔をしていた。
彼の中のリリアベルは、いつも理解し、受け入れ、彼を待つ令嬢だったのだろう。けれど今、目の前にいるリリアベルは違う。泣いてすがることも、怒りに任せて責めることもなく、静かに彼の手の届かない場所へ向かおうとしている。
「リリアベル、待て」
彼は机を回り込もうとした。
その時、セシルがリリアベルの隣へ歩み寄った。
「殿下。妹は本日、意思をお伝えするために参りました。これ以上の話し合いは、王家から正式なお返事をいただいてからにしていただきたい」
「セシル、君まで」
「妹は昨夜、十分に傷つきました。今朝もまた聖女様を同席させられた。これ以上、何を理解しろとおっしゃるのですか」
エドワードは言葉を返せなかった。
リリアベルはセシルに小さく頷き、最後にもう一度エドワードへ礼をした。
「殿下。長い間、ありがとうございました」
それは、婚約者としての別れの言葉だった。
エドワードが顔を強張らせる。
「終わったように言うな。私は認めていない」
「認めていただけるよう、正式にお願い申し上げます」
「私は君を手放すつもりはない」
その言葉は、かつてのリリアベルなら待ち望んだものだったかもしれない。けれど今は、胸を揺らすほどの喜びにはならなかった。
なぜ、失いかけてからなのだろう。
なぜ、何度も隣にいた時には、その言葉をくれなかったのだろう。
リリアベルは、そう尋ねることさえやめた。
「それでも、私は殿下の婚約者ではいられません」
エドワードの瞳に、初めて明確な痛みが浮かんだ。
リリアベルはその顔を胸に刻み、応接室を後にした。
廊下へ出ると、雨音が先ほどより近く聞こえた。王宮の窓を伝う雨粒が、外の庭へ落ちていく。セシルは隣を歩きながら、しばらく何も言わなかった。けれど扉から十分に離れたところで、ようやく口を開いた。
「よく言った」
「震えなかったかしら」
「少しも。むしろ殿下の方がずっと動揺していた」
「そう……」
リリアベルは小さく息を吐いた。
指輪を返した手が軽い。軽すぎて、かえって心もとないほどだった。幼い頃からずっと自分の未来を示していたものがなくなったのだから、当然かもしれない。
けれど、その軽さの中には不思議な解放感もあった。
王宮の出口へ向かおうとした時、前方から侍従が急ぎ足でやって来た。
「アシュフォード嬢、セシル様」
「何か」
セシルが応じると、侍従は深く頭を下げた。
「王妃陛下が、リリアベル様にお会いになりたいとのことです」
リリアベルは一瞬、胸が詰まる思いがした。
王妃エレノア。
王妃教育を通じ、リリアベルに多くを教えてくれた人だった。厳しくも公平で、時に母のように見守ってくれた。その王妃に、婚約解消を申し出た自分はどう映るのだろう。
「分かりました。参ります」
リリアベルが答えると、侍従は少し言いにくそうに続けた。
「それと……ラングフォード公爵も、王妃陛下のもとにお呼びです」
「公爵が?」
「はい。昨夜の件について、陛下が直接お話をお聞きになりたいとのことです」
リリアベルの胸が、また静かに揺れた。
カイルまで巻き込んでしまったのだろうか。そう思った瞬間、廊下の向こうから低い声が聞こえた。
「私なら、すでに参っております」
振り向くと、カイル・ラングフォード公爵がそこにいた。
雨に濡れた外套を侍従に預けたばかりなのか、彼の髪にはわずかに水気が残っている。だが、その表情は昨夜と同じように落ち着いていた。
「アシュフォード嬢」
「公爵……なぜ王宮へ」
「昨夜、あなたをダンスに誘った者として、王妃陛下から話を求められました」
「ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません」
「迷惑だとは思っていません」
カイルは、はっきりと答えた。
その言葉のまっすぐさに、リリアベルは視線を伏せそうになった。けれど逃げずに彼を見返す。
「公爵は昨夜、私を助けてくださいました。けれどそのせいで、余計な噂に巻き込まれるかもしれません」
「噂なら、すでに広がっています」
リリアベルの胸が少し重くなった。
「やはり……」
「ですが、悪いものばかりではありません。少なくとも、昨夜あなたが惨めな令嬢として語られることは避けられた」
「公爵のおかげです」
「いいえ。あなたが私の手を取ったからです」
その言葉に、リリアベルは答えられなかった。
カイルは、ほんの少し表情を和らげた。
「指輪は返されたのですね」
「はい」
「殿下は、受け入れましたか」
「いいえ。ですが、私は意思を伝えました」
「なら、ここからが始まりです」
始まり。
終わりにするために来たはずなのに、カイルはそう言った。
リリアベルは不思議な気持ちで彼を見つめた。これまでの自分は、婚約解消をすれば何もかも失うと思っていた。王太子の婚約者ではなくなれば、未来は閉ざされ、社交界からも冷たい目を向けられるのだと。
けれどカイルの言葉は違った。
終わりではなく、始まり。
その響きは、雨に濡れた王宮の廊下で、リリアベルの胸に静かに差し込んできた。
「参りましょう」
カイルが言った。
リリアベルは頷き、兄と公爵とともに王妃の待つ部屋へ向かった。
扉の前に着くと、侍従が中へ声をかける。すぐに入室を許され、リリアベルは緊張を胸に部屋へ入った。
王妃エレノアは窓辺にいた。
深い緑のドレスをまとい、雨に濡れる庭を背にしている。その表情は穏やかだったが、目には王宮のすべてを見通すような鋭さがあった。
「リリアベル」
「王妃陛下」
リリアベルは深く礼をした。
「昨夜から今朝にかけて、あなたに大きな負担をかけましたね」
思いがけない言葉に、リリアベルは顔を上げた。
責められると思っていた。王家との婚約を軽く扱ったと叱られる覚悟もしていた。だが王妃の声には、リリアベルを案じる響きがあった。
「陛下……」
「まず確認します。あなたの意思は変わりませんか」
「はい。私は王太子殿下との婚約解消を望みます」
王妃はゆっくり頷いた。
「分かりました。正式な判断には陛下のお許しが必要です。ただ、私はあなたの申し出を無視するつもりはありません」
リリアベルの胸に、温かなものが広がった。
「ありがとうございます」
「そして、ラングフォード公爵」
「はい」
カイルが静かに応じる。
「昨夜、あなたはリリアベルをダンスに誘いましたね。それは一時の同情ですか」
「違います」
カイルの返事は迷いがなかった。
「では、なぜです」
「彼女が、誰より祝われるべき夜に、誰にも守られないまま噂の中心へ追いやられることを見過ごせなかったからです」
王妃の視線が、少し深くなった。
「それだけですか」
リリアベルは、思わずカイルを見た。
カイルは一度だけリリアベルへ視線を向け、それから王妃へ向き直った。
「いいえ」
胸が大きく鳴った。
「私は、アシュフォード嬢を以前から尊敬しておりました。昨夜のことがなくとも、王都へ戻ったら改めてご挨拶に伺うつもりでした」
「尊敬、ですか」
「彼女は、自分の痛みを騒ぎに変えず、それでも最後には自分で選びました。私はその方を、一時の同情で誘えるほど軽く見ておりません」
リリアベルは、頬が熱くなるのを感じた。
そんなふうに言われたことはなかった。王太子の婚約者として褒められることはあった。王妃教育の成果を評価されることもあった。けれど、リリアベル自身の選択を、ここまで大切に扱われたことはない。
王妃はしばらくカイルを見ていたが、やがて静かに告げた。
「では、はっきり聞きましょう。公爵。あなたは、リリアベルが王太子の婚約者でなくなった時、彼女を望む意思がありますか」
その場の空気が変わった。
リリアベルは息をのんだ。
セシルがわずかにカイルへ視線を向ける。王妃の問いは、単なる確認ではない。王家が婚約解消を検討する上で、リリアベルの今後をどう扱うかに関わる問いだった。
カイルは、逃げなかった。
「あります」
短く、しかし揺らがない声だった。
リリアベルの心臓が強く跳ねた。
「ただし、彼女が望まないなら、私は何も求めません。彼女の未来は、彼女自身が選ぶべきです」
リリアベルは、言葉を失った。
昨夜、エドワードは聖女を選んだ。今朝、リリアベルは婚約指輪を返した。そして今、カイルは王妃の前で、リリアベルを望むと告げた。
けれど彼は、同時にリリアベルの意思を最初に置いてくれた。
そのことが、何より胸に響いた。
王妃はリリアベルへ視線を移した。
「リリアベル。あなたは今すぐ答える必要はありません。ただ、覚えておきなさい。王太子の婚約者でなくなることは、あなたの価値を失うことではありません」
リリアベルの目の奥が熱くなった。
「はい、陛下」
王妃が何か言いかけた、その時だった。
廊下の向こうが慌ただしくなる。侍従の制止する声、急ぐ足音、そして聞き慣れた王太子の声。
「母上、リリアベルはそこにいるのですか」
扉の外で、エドワードが声を上げた。
「私は認めていません。リリアベルとの婚約を解消するつもりなどありません」
リリアベルの胸がまた波を打つ。
王妃は静かに目を伏せ、カイルはリリアベルの少し前へ出るように位置を変えた。セシルも妹の隣に寄る。
扉の向こうで、エドワードの声が続いた。
「彼女を、公爵に渡すつもりはありません」
その言葉に、リリアベルは指先を握りしめた。
昨夜まで、彼はリリアベルを見ていなかった。
けれど今、彼は初めて失うことを恐れている。
扉が開く。
エドワードが、雨の匂いをまとった廊下から部屋へ入ってきた。
彼の視線は、まっすぐリリアベルへ向いていた。
そして次の瞬間、カイルへ向かう。
王太子と公爵。
昨日まで交わることのなかった二人の男の感情が、リリアベルを挟んでぶつかろうとしていた。
王妃の部屋に、張りつめた空気が満ちる。
リリアベルはその中心で、初めて思った。
私はもう、誰かに選ばれるだけの令嬢ではいられない。
選ばれるのではなく、私が選ぶのだ。
窓の外では細かな雨が降っている。王都の屋根も、庭の薔薇も、馬車道の石畳も、朝の光を含んだ雨に濡れていた。昨夜の大広間に満ちていた音楽や香水の匂いが、今はひどく遠い出来事のように思えるのに、胸の奥にはまだあの時のざわめきが残っている。
王太子が聖女へ手を差し出した瞬間。
周囲の貴族たちが顔を見合わせた瞬間。
そして、カイル・ラングフォード公爵が自分へ手を差し出した瞬間。
そのすべてが、リリアベルの中で何度も繰り返されていた。
婚約指輪は、深い青の宝石を抱くように細工された美しい品だった。幼い頃、初めてこの指輪を受け取った時、リリアベルは胸がいっぱいになった。王太子の婚約者になることの重さも、王宮で生きることの難しさも、まだ本当には分かっていなかった。ただ、エドワードの隣で未来を迎えるのだと信じていた。
その指輪を、今朝は自分の手で小さな箱へ戻す。
侍女マリアは、少し離れた場所で朝の支度を整えていたが、指輪が箱に収められる音を聞くと、こらえきれないように顔を上げた。
「お嬢様……本当に、王宮へお持ちになるのですか」
「ええ」
「昨夜のことは、あまりにも殿下が……」
マリアは言葉を探すように唇を結んだ。長く仕えてくれている彼女は、主人の名誉を傷つける言葉を簡単には口にしない。けれど、その気遣いだけで十分だった。
「ありがとう、マリア。でも、私が昨夜受け取った答えは、たぶんずっと前から同じだったの」
リリアベルは箱の蓋に指を添えた。
「殿下は、聖女様を守りたい。私はそれを理解する婚約者でいてほしい。昨夜だけではなく、何度もそうだったわ」
「けれど、お嬢様はずっと努力なさいました。王妃教育も、外交の勉強も、王宮の行事も、誰より真面目に……」
「努力したから愛されるとは限らないのね」
そう言うと、自分の声が思っていたより穏やかで、リリアベルは少し驚いた。
昨夜は痛みが大きすぎて、自分の感情がどこに向かっているのか分からなかった。けれど朝になり、雨に濡れる庭を眺めているうちに、胸の奥の混乱が少しずつほどけていった。
悲しい、悔しい、惨めでもある。
それでも、もう戻りたいとは思えなかった。
エドワードのそばで、自分の気持ちを何度も後回しにする日々へ戻ることは、もうできない。
「お嬢様、旦那様と奥様には……」
「昨夜のうちに兄様が話してくれたわ。お父様もお母様も、王家に失礼のない形で進めるなら、私の意思を尊重するとおっしゃってくださった」
その言葉を思い出すと、リリアベルの胸は少し温かくなった。
父は、王家との婚約を軽く扱うべきではないと言いながらも、娘の顔を見てため息をつき、最後には「お前がこれ以上傷つく必要はない」と言ってくれた。母は何も責めず、リリアベルの髪を撫でてくれた。兄のセシルは、今日の王宮行きに同行すると強く言った。
ひとりで抱えなくていい。
それだけで、これまでどれほど自分が孤独だったのかを知った。
リリアベルは小箱を手に取り、机の上に置いてある封書へ視線を落とした。封書には、婚約解消の申し出と、王妃教育に関する記録の返還について丁寧に記してある。感情で書いたものではない。伯爵家の娘として、王太子の婚約者だった者として、誰に読まれても恥じない文面に整えた。
「マリア、出かける支度をお願い」
「はい。お嬢様」
マリアは目元をそっと押さえてから、深い青のドレスを用意した。
それは、かつてエドワードが褒めてくれた色だった。
リリアベルは一瞬だけ迷ったが、すぐに首を横に振った。
「今日は別のドレスにして」
「では、こちらはいかがでしょう。淡い菫色です。お嬢様によくお似合いになります」
「それにするわ」
リリアベルは、青を脱ぐことにした。
エドワードの瞳に似た色をまとい、彼の婚約者として王宮へ向かうのではない。今日は、自分の意思で終わらせるために行くのだ。
支度を終えて玄関ホールへ向かうと、兄のセシルがすでに待っていた。灰色の外套を腕にかけた兄は、リリアベルの姿を見て、少しだけ表情を和らげた。
「顔色は悪くないな」
「眠れなかったけれど、気持ちは決まっているわ」
「ならいい。馬車は用意できている」
「兄様、今日は私が話します。兄様は、私が困った時だけ助けてください」
「分かった。だが、殿下が昨日の件を軽く扱うなら、黙って聞いているつもりはない」
「ええ。その時は頼りにします」
セシルは短く頷き、妹に外套をかけた。
雨の王都を進む馬車の中で、リリアベルは窓の外を眺めた。街の人々は傘を差し、急ぎ足で店先を行き交っている。焼き菓子の店からは甘い匂いが流れ、新聞売りの少年が朝刊を掲げていた。
おそらく、昨夜の噂はすでに社交界へ広がり始めているだろう。
王太子は聖女と踊った。
婚約者の令嬢は公爵と踊った。
大広間で王太子と公爵が言葉を交わした。
噂は、真実よりも早く、真実よりも華やかに広がる。今日の午後には、リリアベルの名前は多くの貴族の口にのぼるはずだ。
怖くないと言えば嘘になる。
けれど、昨日までの恐れとは違う。昨日までのリリアベルは、婚約者として失敗することを恐れていた。王太子の隣にふさわしくないと言われることを恐れていた。
今は違う。
誰かにどう見られるかではなく、自分が自分を裏切り続けることの方が、ずっと怖い。
王宮へ到着すると、リリアベルとセシルはそのまま王太子の私的な応接室へ案内された。事前に使いを出していたため、エドワードには面会の知らせが届いているはずだった。
応接室には、昨夜の夜会とは違う重たい空気が漂っていた。
大きな窓の向こうには雨に濡れた庭が広がり、室内には温かな茶が用意されている。だが、リリアベルは椅子に深く腰を預ける気にはなれなかった。小箱と封書を膝の上に置き、扉へ視線を向ける。
やがて、エドワードが入ってきた。
昨夜より少し疲れた顔をしている。けれどリリアベルを見ると、彼は安堵したように息を吐いた。
「リリアベル。来てくれてよかった」
その声音に、リリアベルは小さく胸を締めつけられた。
彼はきっと、今日も話せば元に戻れると思っているのだろう。昨夜のことを少し説明し、リリアベルをなだめ、いつものように「分かってくれる」と言えば終わると思っている。
それが、何よりつらかった。
「殿下。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「そんな改まった言い方をしなくていい。昨日は誤解を招く形になった。だが、あれは君を軽んじたわけではない」
「存じております」
「オフィリアは王宮に慣れていない。民からの期待も大きい。彼女が倒れでもすれば、また余計な騒ぎになる。私は王太子として、彼女を気遣う必要があった」
エドワードの言葉は、どれも間違いではなかった。
聖女が民の希望であることも、王太子として彼女を守る必要があることも、理解できる。リリアベルは、その理由を否定したいわけではなかった。
「殿下のお考えは分かりました」
「なら、昨夜の態度は何だった。ラングフォード公爵と踊る必要があったのか」
その瞬間、リリアベルの指が小箱の上で止まった。
エドワードの声には、咎める響きがあった。自分が聖女を選んだことよりも、リリアベルが公爵と踊ったことの方が問題だと感じているのだろう。
隣にいたセシルの空気が変わったが、リリアベルは視線だけで兄を制した。
「殿下。私は昨夜、自分の誕生日の夜会で、最初のダンスを失いました」
「だからといって、他の男の手を取るのは軽率だ」
「他の男、ですか」
リリアベルは、その言葉を静かに繰り返した。
カイルは昨夜、リリアベルを噂の的から救ってくれた。誰にも選ばれなかった夜にしてはいけないと、まっすぐに彼女を見てくれた。その人を、エドワードはただの嫉妬の対象として語る。
「殿下は、聖女様に手を差し出す時、私がどのように見えるかお考えになりましたか」
「君は私の婚約者だ。私を信じてくれていると思っていた」
「信じることと、傷つかないことは同じではありません」
エドワードの表情が、初めて揺れた。
リリアベルは小箱を机の上へ置いた。小さな音が、応接室の空気に落ちる。
「殿下。私は今日、この指輪をお返しに参りました」
「何を言っている」
「婚約を解消していただきたいのです」
エドワードの顔から、先ほどまでの不満が消えた。
「リリアベル、昨日のことだけでそこまで言っているのか。感情的になっているなら、日を改めよう」
「昨日だけではありません」
「では何だ。私がオフィリアを気にかけたことが、そんなに許せないのか」
「許せないのではありません」
リリアベルは、背を伸ばし、エドワードを正面から見た。
「殿下が聖女様を大切になさるたび、私は理解を求められました。約束を後回しにされた時も、式典の席順が変わった時も、王宮で私と過ごすはずだった時間を聖女様に使われた時も、殿下はいつもおっしゃいました。私なら分かってくれる、と」
「それは、君を信頼していたからだ」
「私は、信頼されていたのではありません。都合よく傷つかない婚約者だと思われていただけです」
言葉にした瞬間、胸の奥が少し痛んだ。
本当は、こんなことを言いたくなかった。エドワードに嫌われたかったわけではない。責めて傷つけたかったわけでもない。ただ、彼に知ってほしかったのだ。リリアベルも痛みを覚える人間なのだと。
「リリアベル……」
「私は、殿下の隣で妃になるために学んできました。殿下のお役に立てるように、王妃様にも、礼法の先生方にも、外交官にも教えを受けました。殿下に恥をかかせないよう、誰より慎重に振る舞ってきたつもりです」
エドワードは何も言わなかった。
だが、その瞳にようやく戸惑いが浮かんだ。
「けれど、殿下が私に求めていらしたのは、隣で共に歩む婚約者ではなく、殿下の選択をいつでも受け入れる令嬢だったのだと思います」
「違う」
「そうでしょうか」
「違う。私は君を軽んじたつもりはない。君は特別だ。だからこそ、細かなことを説明しなくても分かってくれると思っていた」
「その特別が、私には苦しかったのです」
エドワードが息をのむ。
リリアベルは、ゆっくり小箱を彼の方へ押し出した。
「殿下が守りたい方は、聖女様です。昨夜、私はそれをはっきり知りました。ならば私は、殿下の未来から退きます」
「退くなどと簡単に言うな。これは王家とアシュフォード家の婚約だ。君ひとりの意思でどうにかなるものではない」
「分かっております。ですから正式な書面も用意いたしました。父の署名もございます」
リリアベルは封書を差し出した。
エドワードはそれを受け取ろうとしなかった。まるで受け取ってしまえば、婚約解消が現実になってしまうと恐れているようだった。
その時、扉の向こうから侍従の声が聞こえた。
「殿下。聖女オフィリア様がお見えです」
リリアベルの胸が、静かに冷えた。
この時間に、なぜ彼女が来るのか。
エドワードも驚いたようだったが、すぐに眉を寄せた。
「今は取り込み中だ。後にしてくれ」
「ですが、聖女様がどうしてもリリアベル様に謝罪をしたいと……」
セシルが低い声で告げる。
「殿下。これは婚約者同士、また王家と伯爵家の話です。聖女様が同席なさる内容ではありません」
「分かっている」
エドワードがそう答えるより早く、扉が外から開いた。
オフィリアが入ってきた。
淡い色のドレスに身を包み、昨夜よりも控えめな装いをしている。顔には申し訳なさそうな表情を浮かべていたが、その登場がこの場にどれほどの意味を持つか、分かっていないはずがない。
「殿下、失礼を承知で参りました。リリアベル様が昨日のことで傷ついていらっしゃると伺って……私、どうしても謝りたくて」
オフィリアは胸元に手を添え、リリアベルを見つめた。
「リリアベル様。すべて私が悪いのです。殿下は何も悪くありません。私が不慣れで、殿下に甘えてしまったばかりに……」
その声は震えていた。
室内の侍従や侍女が、気の毒そうに彼女を見る。おそらく外で待つ者たちにも、このやり取りの一部は伝わるだろう。オフィリアは、謝罪の形を取りながら、自分を責める可憐な聖女を演じている。
そして同時に、リリアベルを追い込んでいる。
ここでリリアベルが婚約解消を申し出れば、聖女を責める嫉妬深い令嬢に見える。オフィリアが謝れば謝るほど、リリアベルは何も言えなくなる。
昨夜までなら、きっとそうだった。
だが今朝のリリアベルは違った。
「聖女様。謝罪は受け取りました」
リリアベルは穏やかに答えた。
「リリアベル様……」
「ですが、これは聖女様の謝罪で終わる話ではありません。私は殿下に婚約解消をお願いしているのです」
オフィリアの表情が、わずかに変わった。
ほんの一瞬だった。けれどリリアベルには分かった。彼女は予想していなかったのだ。リリアベルが泣くか、怒るか、耐えるかのどれかだと思っていた。まさか本当に婚約を手放すとは考えていなかったのだろう。
「婚約解消……ですか?」
オフィリアは、小さく口元を押さえた。
「リリアベル様、そんなことをなさっては……私のせいで、おふたりの大切なご縁が……」
「聖女様のせいだけではありません」
「でも、私が殿下のおそばにいたからでしょう?」
その言葉に、リリアベルはオフィリアを静かに見た。
自分でそう言うのか、と思った。
殿下のおそばにいた。
その一言には、勝者のような響きが隠れている。
「ええ。それも理由のひとつです」
リリアベルが認めると、オフィリアの表情が揺らいだ。
責められたら泣く準備をしていたのだろう。否定されたら健気に振る舞う準備もできていたのだろう。だが、リリアベルは怒りをぶつけなかった。ただ、事実として受け止めた。
「私は、殿下が誰を大切になさるかを責めるつもりはありません。だからこそ、殿下が大切になさりたい方のおそばにいられるよう、婚約者の座をお返しするのです」
「違う、リリアベル」
エドワードがようやく声を発した。
「私はオフィリアを妃にしたいなどと言っていない」
その言葉に、オフィリアの指先が動いた。
リリアベルはそれを見逃さなかった。オフィリアはすぐに悲しげな顔に戻したが、ほんのわずかな動きに本音が混じっていた。
「そうなのですね」
リリアベルは静かに言った。
「ならば殿下は、私を妃にしたいとお考えですか」
「当然だ。君は私の婚約者だ」
「婚約者だから、ではなく、私だから望んでくださっているのですか」
エドワードはすぐに答えなかった。
そのわずかな間が、何よりの答えだった。
リリアベルは胸の奥に痛みを覚えたが、不思議と涙は出なかった。期待していた最後の言葉が得られないことを、どこかでもう分かっていたのだと思う。
「殿下、私は、役目として必要とされるのではなく、私自身を見ていただきたかったのです」
「リリアベル、私は……」
「ですが、それを殿下に求め続けるのは、もう終わりにいたします」
リリアベルは封書を机の上へ置いた。
「どうか国王陛下と王妃様へお取り次ぎください。正式なご判断は王家にお任せいたします。ただ、私の意思は変わりません」
オフィリアは目に涙を浮かべた。
「リリアベル様、私、そんなつもりでは……」
「聖女様」
リリアベルは、初めてオフィリアの言葉を遮った。
「あなたがどのようなおつもりだったかは、私には分かりません。ですが昨夜、殿下があなたを選ばれたことは事実です。そして今朝、この場にあなたがいらしたことも事実です」
「私は、ただ謝りたくて……」
「謝罪なら受け取りました。ですから、これ以上ご自分を責める言葉で、この場を覆わないでください」
オフィリアの頬から、涙がひと筋こぼれた。
侍女たちの間に戸惑いが広がる。だが、誰もリリアベルを責めることはできなかった。彼女は声を荒げていない。オフィリアを侮辱してもいない。ただ、謝罪を受け取り、話の中心を自分と王太子の婚約へ戻しただけだった。
エドワードは、初めてリリアベルを見失ったような顔をしていた。
彼の中のリリアベルは、いつも理解し、受け入れ、彼を待つ令嬢だったのだろう。けれど今、目の前にいるリリアベルは違う。泣いてすがることも、怒りに任せて責めることもなく、静かに彼の手の届かない場所へ向かおうとしている。
「リリアベル、待て」
彼は机を回り込もうとした。
その時、セシルがリリアベルの隣へ歩み寄った。
「殿下。妹は本日、意思をお伝えするために参りました。これ以上の話し合いは、王家から正式なお返事をいただいてからにしていただきたい」
「セシル、君まで」
「妹は昨夜、十分に傷つきました。今朝もまた聖女様を同席させられた。これ以上、何を理解しろとおっしゃるのですか」
エドワードは言葉を返せなかった。
リリアベルはセシルに小さく頷き、最後にもう一度エドワードへ礼をした。
「殿下。長い間、ありがとうございました」
それは、婚約者としての別れの言葉だった。
エドワードが顔を強張らせる。
「終わったように言うな。私は認めていない」
「認めていただけるよう、正式にお願い申し上げます」
「私は君を手放すつもりはない」
その言葉は、かつてのリリアベルなら待ち望んだものだったかもしれない。けれど今は、胸を揺らすほどの喜びにはならなかった。
なぜ、失いかけてからなのだろう。
なぜ、何度も隣にいた時には、その言葉をくれなかったのだろう。
リリアベルは、そう尋ねることさえやめた。
「それでも、私は殿下の婚約者ではいられません」
エドワードの瞳に、初めて明確な痛みが浮かんだ。
リリアベルはその顔を胸に刻み、応接室を後にした。
廊下へ出ると、雨音が先ほどより近く聞こえた。王宮の窓を伝う雨粒が、外の庭へ落ちていく。セシルは隣を歩きながら、しばらく何も言わなかった。けれど扉から十分に離れたところで、ようやく口を開いた。
「よく言った」
「震えなかったかしら」
「少しも。むしろ殿下の方がずっと動揺していた」
「そう……」
リリアベルは小さく息を吐いた。
指輪を返した手が軽い。軽すぎて、かえって心もとないほどだった。幼い頃からずっと自分の未来を示していたものがなくなったのだから、当然かもしれない。
けれど、その軽さの中には不思議な解放感もあった。
王宮の出口へ向かおうとした時、前方から侍従が急ぎ足でやって来た。
「アシュフォード嬢、セシル様」
「何か」
セシルが応じると、侍従は深く頭を下げた。
「王妃陛下が、リリアベル様にお会いになりたいとのことです」
リリアベルは一瞬、胸が詰まる思いがした。
王妃エレノア。
王妃教育を通じ、リリアベルに多くを教えてくれた人だった。厳しくも公平で、時に母のように見守ってくれた。その王妃に、婚約解消を申し出た自分はどう映るのだろう。
「分かりました。参ります」
リリアベルが答えると、侍従は少し言いにくそうに続けた。
「それと……ラングフォード公爵も、王妃陛下のもとにお呼びです」
「公爵が?」
「はい。昨夜の件について、陛下が直接お話をお聞きになりたいとのことです」
リリアベルの胸が、また静かに揺れた。
カイルまで巻き込んでしまったのだろうか。そう思った瞬間、廊下の向こうから低い声が聞こえた。
「私なら、すでに参っております」
振り向くと、カイル・ラングフォード公爵がそこにいた。
雨に濡れた外套を侍従に預けたばかりなのか、彼の髪にはわずかに水気が残っている。だが、その表情は昨夜と同じように落ち着いていた。
「アシュフォード嬢」
「公爵……なぜ王宮へ」
「昨夜、あなたをダンスに誘った者として、王妃陛下から話を求められました」
「ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません」
「迷惑だとは思っていません」
カイルは、はっきりと答えた。
その言葉のまっすぐさに、リリアベルは視線を伏せそうになった。けれど逃げずに彼を見返す。
「公爵は昨夜、私を助けてくださいました。けれどそのせいで、余計な噂に巻き込まれるかもしれません」
「噂なら、すでに広がっています」
リリアベルの胸が少し重くなった。
「やはり……」
「ですが、悪いものばかりではありません。少なくとも、昨夜あなたが惨めな令嬢として語られることは避けられた」
「公爵のおかげです」
「いいえ。あなたが私の手を取ったからです」
その言葉に、リリアベルは答えられなかった。
カイルは、ほんの少し表情を和らげた。
「指輪は返されたのですね」
「はい」
「殿下は、受け入れましたか」
「いいえ。ですが、私は意思を伝えました」
「なら、ここからが始まりです」
始まり。
終わりにするために来たはずなのに、カイルはそう言った。
リリアベルは不思議な気持ちで彼を見つめた。これまでの自分は、婚約解消をすれば何もかも失うと思っていた。王太子の婚約者ではなくなれば、未来は閉ざされ、社交界からも冷たい目を向けられるのだと。
けれどカイルの言葉は違った。
終わりではなく、始まり。
その響きは、雨に濡れた王宮の廊下で、リリアベルの胸に静かに差し込んできた。
「参りましょう」
カイルが言った。
リリアベルは頷き、兄と公爵とともに王妃の待つ部屋へ向かった。
扉の前に着くと、侍従が中へ声をかける。すぐに入室を許され、リリアベルは緊張を胸に部屋へ入った。
王妃エレノアは窓辺にいた。
深い緑のドレスをまとい、雨に濡れる庭を背にしている。その表情は穏やかだったが、目には王宮のすべてを見通すような鋭さがあった。
「リリアベル」
「王妃陛下」
リリアベルは深く礼をした。
「昨夜から今朝にかけて、あなたに大きな負担をかけましたね」
思いがけない言葉に、リリアベルは顔を上げた。
責められると思っていた。王家との婚約を軽く扱ったと叱られる覚悟もしていた。だが王妃の声には、リリアベルを案じる響きがあった。
「陛下……」
「まず確認します。あなたの意思は変わりませんか」
「はい。私は王太子殿下との婚約解消を望みます」
王妃はゆっくり頷いた。
「分かりました。正式な判断には陛下のお許しが必要です。ただ、私はあなたの申し出を無視するつもりはありません」
リリアベルの胸に、温かなものが広がった。
「ありがとうございます」
「そして、ラングフォード公爵」
「はい」
カイルが静かに応じる。
「昨夜、あなたはリリアベルをダンスに誘いましたね。それは一時の同情ですか」
「違います」
カイルの返事は迷いがなかった。
「では、なぜです」
「彼女が、誰より祝われるべき夜に、誰にも守られないまま噂の中心へ追いやられることを見過ごせなかったからです」
王妃の視線が、少し深くなった。
「それだけですか」
リリアベルは、思わずカイルを見た。
カイルは一度だけリリアベルへ視線を向け、それから王妃へ向き直った。
「いいえ」
胸が大きく鳴った。
「私は、アシュフォード嬢を以前から尊敬しておりました。昨夜のことがなくとも、王都へ戻ったら改めてご挨拶に伺うつもりでした」
「尊敬、ですか」
「彼女は、自分の痛みを騒ぎに変えず、それでも最後には自分で選びました。私はその方を、一時の同情で誘えるほど軽く見ておりません」
リリアベルは、頬が熱くなるのを感じた。
そんなふうに言われたことはなかった。王太子の婚約者として褒められることはあった。王妃教育の成果を評価されることもあった。けれど、リリアベル自身の選択を、ここまで大切に扱われたことはない。
王妃はしばらくカイルを見ていたが、やがて静かに告げた。
「では、はっきり聞きましょう。公爵。あなたは、リリアベルが王太子の婚約者でなくなった時、彼女を望む意思がありますか」
その場の空気が変わった。
リリアベルは息をのんだ。
セシルがわずかにカイルへ視線を向ける。王妃の問いは、単なる確認ではない。王家が婚約解消を検討する上で、リリアベルの今後をどう扱うかに関わる問いだった。
カイルは、逃げなかった。
「あります」
短く、しかし揺らがない声だった。
リリアベルの心臓が強く跳ねた。
「ただし、彼女が望まないなら、私は何も求めません。彼女の未来は、彼女自身が選ぶべきです」
リリアベルは、言葉を失った。
昨夜、エドワードは聖女を選んだ。今朝、リリアベルは婚約指輪を返した。そして今、カイルは王妃の前で、リリアベルを望むと告げた。
けれど彼は、同時にリリアベルの意思を最初に置いてくれた。
そのことが、何より胸に響いた。
王妃はリリアベルへ視線を移した。
「リリアベル。あなたは今すぐ答える必要はありません。ただ、覚えておきなさい。王太子の婚約者でなくなることは、あなたの価値を失うことではありません」
リリアベルの目の奥が熱くなった。
「はい、陛下」
王妃が何か言いかけた、その時だった。
廊下の向こうが慌ただしくなる。侍従の制止する声、急ぐ足音、そして聞き慣れた王太子の声。
「母上、リリアベルはそこにいるのですか」
扉の外で、エドワードが声を上げた。
「私は認めていません。リリアベルとの婚約を解消するつもりなどありません」
リリアベルの胸がまた波を打つ。
王妃は静かに目を伏せ、カイルはリリアベルの少し前へ出るように位置を変えた。セシルも妹の隣に寄る。
扉の向こうで、エドワードの声が続いた。
「彼女を、公爵に渡すつもりはありません」
その言葉に、リリアベルは指先を握りしめた。
昨夜まで、彼はリリアベルを見ていなかった。
けれど今、彼は初めて失うことを恐れている。
扉が開く。
エドワードが、雨の匂いをまとった廊下から部屋へ入ってきた。
彼の視線は、まっすぐリリアベルへ向いていた。
そして次の瞬間、カイルへ向かう。
王太子と公爵。
昨日まで交わることのなかった二人の男の感情が、リリアベルを挟んでぶつかろうとしていた。
王妃の部屋に、張りつめた空気が満ちる。
リリアベルはその中心で、初めて思った。
私はもう、誰かに選ばれるだけの令嬢ではいられない。
選ばれるのではなく、私が選ぶのだ。
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