『すり替えられた婚約、薔薇園の告白

柴田はつみ

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第二十九章「疑念の始まり(カルロス × クリス)」

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 舞踏会の騒ぎから少し離れた王城の訓練場。
 夜会の喧騒が嘘のように静まり、
 月光だけが冷たく地面を照らしている。

 カルロスは、ゆっくりと深呼吸をした。
 胸に残る怒りと焦りを、どうにか押し込めるように。

(……シャーロットを、あんな目に……)

 握った拳に力が入る。
 外套越しに抱いた彼女の震えが、まだ離れなかった。

 そんな彼の前に、
 一人の影が現れた。

「……カルロス公爵」

 クリス・グレイ。
 夜会の警護を終え、鎧の肩についた埃を払いながら歩み寄る。

 カルロスは振り返ったが、すぐには口を開かなかった。

 クリスもまた、言葉を探していた。

 沈黙が数秒――その後、先に口を開いたのはクリスだった。

「……あれは、事故ではありません」

 カルロスの瞳が鋭く揺れた。

「どういう意味だ?」

「ドレスの縫い目の“切れ方”が不自然でした。
 負荷のかかり方が一点に集中していた。
 自然な裂け方ではありません」

「……意図的に、ということか」

「はい。
 仕立ての者か、手を加えた者がいる。
 どちらにせよ、淑女の衣服を壊すのは“攻撃”です」

 淡々と話すクリスの声に、
 怒りを押し殺した気配が滲む。

 彼もまた、シャーロットが傷つくのを黙って見ていられなかったのだ。



 カルロスは、ゆっくりと歩き出した。
 訓練場の中央まで進み、夜空を見上げる。

「……お前が気づいたのは、ドレスだけか?」

「いえ。
 他にも不自然があります」

「言え」

 クリスは躊躇わず答える。

「破れた裾の付近に、同じ布地の“偽の破片”が落ちていました。
 裁断の角度が違う。
 織りの密度もわずかに違う」

 カルロスの喉がかすかに鳴った。

「偽の……破片?」

「はい。
 “粗悪品だった”という噂を作るための、仕込みの可能性が高い」

(……そこまでして、シャーロットを……)

 怒りが胸を焼いた。

「さらに――」

 クリスは続ける。

「予備ドレスの部屋の鍵が“偽物”にすり替えられていました。
 侍女が開けようとしても開かない。
 初めから、そのように計算されていたとしか思えません」

 カルロスは息を飲んだ。

「計算……周到な罠、ということだな」

「ええ。
 おそらく“複数人”で動いています」

 シャーロットがひとりで立ち向かえる相手ではない。

(許せるわけがない)



 カルロスはクリスへ歩み寄り、低い声で問う。

「……お前は、シャーロットをどう思っている?」

 唐突な問いにも、クリスは動じなかった。

「敬意を抱いています。
 彼女は礼節を守り、誰に対しても優しい。
 だからこそ、守る価値がある」

「……恋愛感情は?」

「ありません」

 その答えは即答だった。

「私は“騎士”です。
 貴族令嬢に対し、越えてはならない一線があります」

 静かだが、揺るがぬ声。

 カルロスはほんの僅かに息を吐いた。
 ほっとしたような、悔しいような、複雑な息。

(……なら、なぜ彼女をここまで庇う?)

 その疑問は、クリスが先に言葉にした。

「カルロス公爵。
 あなたは――彼女をどう思っているのですか?」

 胸の奥に、鋭い一撃が入った。

 カルロスは目を逸らさなかった。

「……守りたいと思っている」

「それだけですか?」

 射抜くような瞳。

「――彼女を、好きなのでは?」

 風が止まった。

 胸の奥が、痛くなるほど熱くなる。

 カルロスは歯を食いしばり、
 ゆっくりと言った。

「……ああ。
 好きだ。
 幼い頃からずっと……
 誰よりも、大切に思っている」

 言葉にすると、胸が震えた。
 逃げ場がなくなる。
 だがそれが――どこか心地よかった。

 クリスは静かに頷いた。

「では、急ぐべきです」

「……何を?」

「彼女を守ること。
 そして、“すり替えられた婚約”を正すことです」

 その言葉が、
 カルロスの胸の奥に強く響いた。

「あなたはようやく……言葉を選ばずに動く覚悟ができた。
 ならば、この陰謀は必ず暴けます」

 クリスは一歩下がり、
 右手を胸に当て、礼を取る。

「カルロス公爵。
 私はあなたと協力するつもりです。
 ――シャーロット様を守るために」

 その瞬間、二人の間にあった微妙な距離が
 ほんのわずか縮まった。

(……彼女を守るためなら、手を組む価値はある)

 カルロスはうなずいた。

「協力してもらう。
 この手で……シャーロットを傷つけた者を暴いてやる」

 夜空の下、
 二人の誓いが静かに重なった。

 これが――
 “偽りの婚約”を打ち破る第一歩となることを、
 まだ誰も知らない。
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