39 / 51
裏章「マリナの疑念(追い詰められる伯爵令嬢)」
しおりを挟む伯爵家ロズモンド邸の私室。
レースを透かした夕陽が、
床の上に淡い金色の模様を落としていた。
マリナは鏡台の前に座り、
緩やかに髪を梳いている。
その手の動きは優雅そのもの――
だが、その瞳の奥は落ち着かない光で揺れていた。
(……おかしいわね。
何か、流れが変わっている)
昨日の舞踏会以来、
宮廷の空気がどこか「整いすぎて」いた。
(噂は広がっている。
“密会図版”も刷られた。
シャーロットは世間の標的になるはず。
なのに――)
噂が、妙に静かだった。
「……変ね」
呟いた声が、髪の間に吸い込まれる。
控えめなノックが聞こえた。
「お嬢さま……侍女頭ヨランダが……
“王城の侍医が、舞踏会の件を調べている”と……」
「侍医が?」
マリナの手が止まる。
「……どうして、侍医が出てくるの?」
「そ、それが……裂けたドレスに“粉香”が……」
「粉香?」
マリナは少し眉をあげた。
「うちの粉香なんて、珍しくもないわ。
ヴァレンタイン家のものと違うのは当然でしょう?」
「ですが……侍医様は“意図的な損壊の疑い”と……」
鏡に映るマリナの瞳が、細く鋭くなった。
(……侍医。
あの老医は、ただの薬草家ではない。
王妃様の“白薔薇の眼”と呼ばれる人物……
彼が出てくるということは――
“王家が気付いた”ということ)
胸の奥が、微かに疼いた。
「……リディアは?」
「そ、それが……
今日は全く落ち着かず……
どこかに……近衛の方と……」
「近衛?」
マリナの指先が、櫛を落としそうになる。
(まさか……
クリス・グレイ?
シャーロットと“構図を作る相手”として
最も都合がよかったはずの彼が――
わたくしの侍女と話す?)
胸の奥に、冷たい線が走った。
「……どこで、誰と、何を話したの?」
「し、知りません……ただ……
リディアが“泣いて”いたと……」
鏡の中のマリナの表情が、凍りつく。
「泣いて?」
(泣いた?
リディアが――?)
胸の奥で、ざわり、と何かが揺れた。
侍女頭が続ける。
「それと……お嬢さま……
これは、お見せすべきか迷ったのですが……」
小さな箱を差し出した。
「舞踏会の後、控室の片隅で見つかったとのことで……
“弱糸の束”です」
マリナは顔色を失いかけた。
(……弱糸?
なんでそんなものが残っているの?
あれは、会場に“痕跡を残さないよう”に……
わたくしが指示出したはず……)
自分の指示が、
“完璧ではなかった”ことに気づいた。
それが――怖かった。
侍女頭が、さらに低い声で言った。
「……お嬢さま。
王子殿下が“鏡の配置”について
再検証を始めたそうです」
マリナは目を閉じる。
(王子……?
近衛ではなく、王子殿下が自ら?)
胸の奥に、冷たい汗が滲む。
ゆっくりと、マリナは立ち上がった。
鏡の前に立ち、その姿を見つめる。
完璧なはずの姿が――
ほんのわずかに揺らいで見えた。
(……誰かが、
わたくしの“構図”に気づきはじめている)
その“誰か”の影が、ゆっくりと形を成す。
王城の侍医。
王子殿下。
そして――クリス・グレイ。
(……厄介ね)
マリナは、微笑んだ。
けれど、鏡の奥のその笑みは、いつものように美しくなかった。
(でも――引き返せない。
だって、わたくしは“ここまで来てしまった”)
指先が、鏡の縁を強く掴む。
(この手を離したら、すべて終わる。
わたくしの未来も、公爵様との道も。
だから――)
瞳に、強い光が宿った。
(――まだ、もっと“綺麗な構図”を作ればいい)
恐れが、狡さへと変わる。
マリナの中で、
“疑念”は確信に変わり、
そして新しい“策略”へと化けていくのだった。
47
あなたにおすすめの小説
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
【本編完結・番外編不定期更新】
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
旦那様に学園時代の隠し子!? 娘のためフローレンスは笑う-昔の女は引っ込んでなさい!
恋せよ恋
恋愛
結婚五年目。
誰もが羨む夫婦──フローレンスとジョシュアの平穏は、
三歳の娘がつぶやいた“たった一言”で崩れ落ちた。
「キャ...ス...といっしょ?」
キャス……?
その名を知るはずのない我が子が、どうして?
胸騒ぎはやがて確信へと変わる。
夫が隠し続けていた“女の影”が、
じわりと家族の中に染み出していた。
だがそれは、いま目の前の裏切りではない。
学園卒業の夜──婚約前の学園時代の“あの過ち”。
その一夜の結果は、静かに、確実に、
フローレンスの家族を壊しはじめていた。
愛しているのに疑ってしまう。
信じたいのに、信じられない。
夫は嘘をつき続け、女は影のように
フローレンスの生活に忍び寄る。
──私は、この結婚を守れるの?
──それとも、すべてを捨ててしまうべきなの?
秘密、裏切り、嫉妬、そして母としての戦い。
真実が暴かれたとき、愛は修復か、崩壊か──。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 いいね❤️励みになります!ありがとうございます!
好きでした、婚約破棄を受け入れます
たぬきち25番
恋愛
シャルロッテ子爵令嬢には、幼い頃から愛し合っている婚約者がいた。優しくて自分を大切にしてくれる婚約者のハンス。彼と結婚できる幸せな未来を、心待ちにして努力していた。ところがそんな未来に暗雲が立ち込める。永遠の愛を信じて、傷つき、涙するシャルロッテの運命はいかに……?
※十章を改稿しました。エンディングが変わりました。
氷の騎士と契約結婚したのですが、愛することはないと言われたので契約通り離縁します!
柚屋志宇
恋愛
「お前を愛することはない」
『氷の騎士』侯爵令息ライナスは、伯爵令嬢セルマに白い結婚を宣言した。
セルマは家同士の政略による契約結婚と割り切ってライナスの妻となり、二年後の離縁の日を待つ。
しかし結婚すると、最初は冷たかったライナスだが次第にセルマに好意的になる。
だがセルマは離縁の日が待ち遠しい。
※小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
幼馴染の許嫁
山見月 あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。
彼は、私の許嫁だ。
___あの日までは
その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった
連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった
連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった
女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース
誰が見ても、愛らしいと思う子だった。
それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡
どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服
どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう
「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」
可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる
「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」
例のってことは、前から私のことを話していたのか。
それだけでも、ショックだった。
その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした
「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」
頭を殴られた感覚だった。
いや、それ以上だったかもしれない。
「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」
受け入れたくない。
けど、これが連の本心なんだ。
受け入れるしかない
一つだけ、わかったことがある
私は、連に
「許嫁、やめますっ」
選ばれなかったんだ…
八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる