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第三十三章「揺れる侍女(リディア × クリス)」
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王城の裏庭は、昼を過ぎると静かになる。
白壁に沿って植えられた若木が、
まだ細い枝を風に揺らしていた。
リディアは、その枝の影の下で立ち尽くしていた。
胸の奥がざわざわと波立つ。
手の中の小包――薄い麻布で包まれた“弱糸の布片”が重い。
(……もう、耐えられない……
でも……でも……)
迷いが、心を締めつける。
「――侍女殿」
静かな声が背後から落ちた。
肩が跳ねる。
振り返ると、
クリス・グレイが立っていた。
日差しに透ける銀の髪。
整った騎士礼装のまま、
彼は気配を押し殺すように近づいてきた。
「驚かせて申し訳ない」
「い、いえ……近衛騎士様……」
リディアは慌てて小包を背に隠す。
だが、震える指先は隠しきれない。
クリスは優しく首を横に振った。
「侍女殿。
あなたに、お話があります」
「……お話……?」
「ええ。
あなたは――昨日の舞踏会に、
“居合わせた”方ですよね」
リディアは息を詰める。
(……気づかれた?
わたし……何か……)
「怯えなくていい」
クリスは、一歩だけ近づいた。
その距離は、騎士としての“礼の半歩”をきちんと守りつつ、
“寄り添うための半歩”がそっと重なる位置だった。
「私はあなたを責めに来たのではありません。
――守りたいのです」
「ま、守る……?」
「ええ。
あなたの手が震えている。
それは“罪”の震えではなく、“恐れ”の震えです」
リディアの目から、
こぼれそうな涙が溢れそうになる。
「わたし……わたしは……」
声が震える。
クリスは視線を落とし、
手袋を外して掌を見せた。
「人は、恐れた時、手が冷える。
でも――誰かと話せば、少しあたたかくなる」
その静かな言葉に、
リディアの喉がひくりと動いた。
「……わたし……お嬢さまを裏切れません……
マリナ様は……
わたしをずっと信じてくださった方……
だから……」
「それでも、シャーロット様の涙を見た」
「っ……!」
言い当てられ、
リディアの膝がわずかに折れる。
クリスは、
彼女が倒れないよう距離を保ちつつ、声を落とした。
「あなたは優しい侍女だ。
――優しい者は、“二人を同時に守ること”などできない」
「……そんな……」
「だから苦しんでいる。
あなたは、“命じられた行動”と“心”のあいだで裂かれている」
リディアは口元を押さえる。
「……わ、わたし……もう……
自分が何に触れたのか……
何を、運んでしまったのか……
わからなくなってしまって……」
その指先が震える。
そして背中に隠していた麻布の小包が、
ひょい、と前に落ちた。
布片が、砂の上にこぼれる。
クリスは目を細めた。
「……それは?」
「み、見ないでください……!
これ以上、わたし……」
「侍女殿」
クリスはそっとしゃがみ、
拾い上げた弱糸の布片を掌に乗せた。
「これは――“故意の縫い目”だ」
リディアの表情が、
絶望の色で揺れる。
「ごめんなさい……
わたし……知らなかったんです……
ただ、“お嬢さまのお願い”で……
言われた通り布を預かって……
それで……」
「責めません。
あなたの指は傷ついていない。
あなたは“縫って”いない。
あなたは“作って”いない」
クリスは視線を上げ、まっすぐに言った。
「――あなたは、巻き込まれただけだ」
「……っ……!」
胸に刺さっていた痛みが、
涙になって溢れた。
「侍女殿。
私が知りたいのは“ひとつだけ”です」
クリスの声は静かで、
けれど深く響いた。
「あなたは――
その布片が“誰の指示”だったか、
知っていますか?」
リディアは唇を震わせ、
沈黙の中で答えを探す。
そして――
ゆっくりと、頭を下げた。
「……伯爵令嬢……
マリナ様です」
風が止まった。
クリスの目に、
揺るがぬ“確信”が灯る。
「……ありがとう」
「わたし……罪を……」
「違う。
あなたは“鍵”を手に入れたのです。
――真実へ通じる、大切な鍵を」
リディアは涙を拭い、
震える声で言った。
「わたし……どうすれば……?」
クリスは静かに答えた。
「これからは、私のそばで話してください。
あなたを責める者から、
必ず守ると誓います」
「……っ……」
その言葉に、
心の奥の氷が少し溶けた。
(この人は……叱らない……
責めない……
聞いてくれる……)
リディアは小さく頷いた。
「……はい……
わたし……話します……
全部……怖いけど……
でも……」
「大丈夫です」
クリスは、騎士としての誓いを込めて言った。
「――あなたの恐れは、私が受け止めます」
陽が差し込み、
白い木立が風に揺れる。
侍女の小さな決意が、
この日、静かに芽生えた。
これは“逆転劇”のはじまりだった。
白壁に沿って植えられた若木が、
まだ細い枝を風に揺らしていた。
リディアは、その枝の影の下で立ち尽くしていた。
胸の奥がざわざわと波立つ。
手の中の小包――薄い麻布で包まれた“弱糸の布片”が重い。
(……もう、耐えられない……
でも……でも……)
迷いが、心を締めつける。
「――侍女殿」
静かな声が背後から落ちた。
肩が跳ねる。
振り返ると、
クリス・グレイが立っていた。
日差しに透ける銀の髪。
整った騎士礼装のまま、
彼は気配を押し殺すように近づいてきた。
「驚かせて申し訳ない」
「い、いえ……近衛騎士様……」
リディアは慌てて小包を背に隠す。
だが、震える指先は隠しきれない。
クリスは優しく首を横に振った。
「侍女殿。
あなたに、お話があります」
「……お話……?」
「ええ。
あなたは――昨日の舞踏会に、
“居合わせた”方ですよね」
リディアは息を詰める。
(……気づかれた?
わたし……何か……)
「怯えなくていい」
クリスは、一歩だけ近づいた。
その距離は、騎士としての“礼の半歩”をきちんと守りつつ、
“寄り添うための半歩”がそっと重なる位置だった。
「私はあなたを責めに来たのではありません。
――守りたいのです」
「ま、守る……?」
「ええ。
あなたの手が震えている。
それは“罪”の震えではなく、“恐れ”の震えです」
リディアの目から、
こぼれそうな涙が溢れそうになる。
「わたし……わたしは……」
声が震える。
クリスは視線を落とし、
手袋を外して掌を見せた。
「人は、恐れた時、手が冷える。
でも――誰かと話せば、少しあたたかくなる」
その静かな言葉に、
リディアの喉がひくりと動いた。
「……わたし……お嬢さまを裏切れません……
マリナ様は……
わたしをずっと信じてくださった方……
だから……」
「それでも、シャーロット様の涙を見た」
「っ……!」
言い当てられ、
リディアの膝がわずかに折れる。
クリスは、
彼女が倒れないよう距離を保ちつつ、声を落とした。
「あなたは優しい侍女だ。
――優しい者は、“二人を同時に守ること”などできない」
「……そんな……」
「だから苦しんでいる。
あなたは、“命じられた行動”と“心”のあいだで裂かれている」
リディアは口元を押さえる。
「……わ、わたし……もう……
自分が何に触れたのか……
何を、運んでしまったのか……
わからなくなってしまって……」
その指先が震える。
そして背中に隠していた麻布の小包が、
ひょい、と前に落ちた。
布片が、砂の上にこぼれる。
クリスは目を細めた。
「……それは?」
「み、見ないでください……!
これ以上、わたし……」
「侍女殿」
クリスはそっとしゃがみ、
拾い上げた弱糸の布片を掌に乗せた。
「これは――“故意の縫い目”だ」
リディアの表情が、
絶望の色で揺れる。
「ごめんなさい……
わたし……知らなかったんです……
ただ、“お嬢さまのお願い”で……
言われた通り布を預かって……
それで……」
「責めません。
あなたの指は傷ついていない。
あなたは“縫って”いない。
あなたは“作って”いない」
クリスは視線を上げ、まっすぐに言った。
「――あなたは、巻き込まれただけだ」
「……っ……!」
胸に刺さっていた痛みが、
涙になって溢れた。
「侍女殿。
私が知りたいのは“ひとつだけ”です」
クリスの声は静かで、
けれど深く響いた。
「あなたは――
その布片が“誰の指示”だったか、
知っていますか?」
リディアは唇を震わせ、
沈黙の中で答えを探す。
そして――
ゆっくりと、頭を下げた。
「……伯爵令嬢……
マリナ様です」
風が止まった。
クリスの目に、
揺るがぬ“確信”が灯る。
「……ありがとう」
「わたし……罪を……」
「違う。
あなたは“鍵”を手に入れたのです。
――真実へ通じる、大切な鍵を」
リディアは涙を拭い、
震える声で言った。
「わたし……どうすれば……?」
クリスは静かに答えた。
「これからは、私のそばで話してください。
あなたを責める者から、
必ず守ると誓います」
「……っ……」
その言葉に、
心の奥の氷が少し溶けた。
(この人は……叱らない……
責めない……
聞いてくれる……)
リディアは小さく頷いた。
「……はい……
わたし……話します……
全部……怖いけど……
でも……」
「大丈夫です」
クリスは、騎士としての誓いを込めて言った。
「――あなたの恐れは、私が受け止めます」
陽が差し込み、
白い木立が風に揺れる。
侍女の小さな決意が、
この日、静かに芽生えた。
これは“逆転劇”のはじまりだった。
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