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第三十二章「ひび割れる友情(マリナ × リディア)」
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伯爵家ロズモンド邸の侍女控室は、
午後になると決まって静まる。
陽光が淡く差し込み、
磨かれた床に影の縞が落ちていた。
その静けさに似つかわしくなく、
控室の奥からは小さな衝突音が響いた。
「違うわ。これは“間違い”じゃない。
“必要な調整”よ」
マリナの声だった。
机に積まれた帳簿の角を、
苛立ったようにトントンと揃えている。
背筋は完璧に伸び、
美しい立ち姿のまま――
その目だけが、静かに揺れていた。
「お嬢さま……」
リディアが小さな声を落とす。
「昨日の……舞踏会の件。
侍医様が“意図的な損壊”と……
その、伯爵家の粉香が……」
「だから何?」
マリナは机上の羽根ペンを摘み上げ、乾いた音で置いた。
「粉香は伯爵家のものよ。
うちの侍女が使うのは普通でしょう?」
「ですが……“弱糸”まで一致して……
まるで……シャーロット様を狙ったみたいに……」
「“みたいに”じゃなくて、“そう見えるように”よ」
マリナの声は柔らかかった。
しかし、その柔らかさが――
かえってリディアの胸を苦しくする。
「お嬢さま……それは……」
「あなた、わかっているでしょう?
これは“悪意”じゃないわ。
“秩序”よ」
リディアの指が震えた。
「……シャーロット様は……泣いておられました」
「泣くのは、弱い者よ」
マリナは微笑んだ。
その笑顔は、綺麗で、完璧で、そして――怖かった。
「わたくしは、公爵家を守っているの。
公爵閣下は、あの方と結ばれるべきではないわ。
だって――」
マリナは、リディアの耳元に近づき、そっと囁いた。
「閣下が“本当に”幸せになれる相手は、わたくしだけ。
……そう思わない?」
リディアは、返事ができなかった。
マリナは続ける。
「あなたは昔から、わたくしに忠実ね。
だからこそ、頼むの。
“彼女に触れた香りの布”のことも、
“身上書の花押”のことも――
誰にも言わないで」
「……でも……侍医様が……
王妃様に報告を……」
「大丈夫よ」
マリナはゆっくりと微笑む。
「“本物の悪意”は、もっと上手く隠れるものだわ。
王家の方々とて、所詮は人間。
信じたい“絵”を見るのよ」
絵――
そう言うマリナの瞳には、
もはや迷いなどひとつもなかった。
リディアは震える手で、
机の端に置かれた“弱糸入りの布片”に目を落とした。
昨日、マリナから渡されたものだ。
(これが……わたしの手を通った証拠……
お嬢さまのためだと思って……
でも……)
胸の奥で、痛みが広がる。
リディアの沈黙を見て、
マリナは小さく息をついた。
「リディア。
あなたは賢い娘よ。
でも――“迷い”は醜いわ」
「……お嬢さま……」
「わたくしたちは幼いころから一緒。
あなたは、わたくしを裏切らない。
そうでしょう?」
マリナは穏やかに微笑む。
その微笑みに、甘い毒が混じっている。
「あなたは“わたくしの侍女”。
……ねえ、忘れていないでしょうね?」
その瞬間――
リディアの胸の奥で、
小さな音がした。
“ぱきり”――
そんな、ひび割れるような音。
「……はい。
忘れておりません……」
リディアは答えた。
けれどその声は震え、
マリナは一瞬眉をひそめる。
「その言い方、気になるわね。
……何か隠しているの?」
「――っ、い……いえ……」
リディアは視線を逸らす。
(言えない……
シャーロット様の泣き顔を見たなんて……
王子殿下が調査を始めたと……
言ったら、お嬢さまは……)
胸の中の不安が、
ゆっくりと形を成し始めていた。
マリナはリディアをじっと見つめ、
その横顔にわずかな“ほころび”を見つける。
(……あら。
忠実なわたくしの侍女が、揺れている?)
その気づきに、
一瞬だけマリナの瞳が鋭くなる。
「リディア。
あなた――どこまで聞いたの?」
「……っ……な、何も……」
「あなた。嘘をついている時は、
指先がかすかに震えるのよ」
リディアの手を、マリナがそっと取る。
震えていた。
「……やっぱり」
マリナの微笑が、
一瞬で冷たいものに変わった。
「――あなた、誰と話した?」
部屋の空気が、一気に冷えた。
リディアの胸に走るのは、
“初めての恐怖”だった。
(どうしよう……
お嬢さまの目……優しくない……
わたし、本当に……どうしたら……)
その震えを、
マリナは逃さなかった。
「ねえ……リディア。
裏切らないわよね?」
静かな声。
けれど、その優しさの形は――
刃のように細かった。
その瞬間――
侍女の胸で、
“ふたりの絆”にひびが入った。
それはまだ、
誰も知らない小さな音だったが。
後の“決定的証拠”になる裂け目の始まりだった。
午後になると決まって静まる。
陽光が淡く差し込み、
磨かれた床に影の縞が落ちていた。
その静けさに似つかわしくなく、
控室の奥からは小さな衝突音が響いた。
「違うわ。これは“間違い”じゃない。
“必要な調整”よ」
マリナの声だった。
机に積まれた帳簿の角を、
苛立ったようにトントンと揃えている。
背筋は完璧に伸び、
美しい立ち姿のまま――
その目だけが、静かに揺れていた。
「お嬢さま……」
リディアが小さな声を落とす。
「昨日の……舞踏会の件。
侍医様が“意図的な損壊”と……
その、伯爵家の粉香が……」
「だから何?」
マリナは机上の羽根ペンを摘み上げ、乾いた音で置いた。
「粉香は伯爵家のものよ。
うちの侍女が使うのは普通でしょう?」
「ですが……“弱糸”まで一致して……
まるで……シャーロット様を狙ったみたいに……」
「“みたいに”じゃなくて、“そう見えるように”よ」
マリナの声は柔らかかった。
しかし、その柔らかさが――
かえってリディアの胸を苦しくする。
「お嬢さま……それは……」
「あなた、わかっているでしょう?
これは“悪意”じゃないわ。
“秩序”よ」
リディアの指が震えた。
「……シャーロット様は……泣いておられました」
「泣くのは、弱い者よ」
マリナは微笑んだ。
その笑顔は、綺麗で、完璧で、そして――怖かった。
「わたくしは、公爵家を守っているの。
公爵閣下は、あの方と結ばれるべきではないわ。
だって――」
マリナは、リディアの耳元に近づき、そっと囁いた。
「閣下が“本当に”幸せになれる相手は、わたくしだけ。
……そう思わない?」
リディアは、返事ができなかった。
マリナは続ける。
「あなたは昔から、わたくしに忠実ね。
だからこそ、頼むの。
“彼女に触れた香りの布”のことも、
“身上書の花押”のことも――
誰にも言わないで」
「……でも……侍医様が……
王妃様に報告を……」
「大丈夫よ」
マリナはゆっくりと微笑む。
「“本物の悪意”は、もっと上手く隠れるものだわ。
王家の方々とて、所詮は人間。
信じたい“絵”を見るのよ」
絵――
そう言うマリナの瞳には、
もはや迷いなどひとつもなかった。
リディアは震える手で、
机の端に置かれた“弱糸入りの布片”に目を落とした。
昨日、マリナから渡されたものだ。
(これが……わたしの手を通った証拠……
お嬢さまのためだと思って……
でも……)
胸の奥で、痛みが広がる。
リディアの沈黙を見て、
マリナは小さく息をついた。
「リディア。
あなたは賢い娘よ。
でも――“迷い”は醜いわ」
「……お嬢さま……」
「わたくしたちは幼いころから一緒。
あなたは、わたくしを裏切らない。
そうでしょう?」
マリナは穏やかに微笑む。
その微笑みに、甘い毒が混じっている。
「あなたは“わたくしの侍女”。
……ねえ、忘れていないでしょうね?」
その瞬間――
リディアの胸の奥で、
小さな音がした。
“ぱきり”――
そんな、ひび割れるような音。
「……はい。
忘れておりません……」
リディアは答えた。
けれどその声は震え、
マリナは一瞬眉をひそめる。
「その言い方、気になるわね。
……何か隠しているの?」
「――っ、い……いえ……」
リディアは視線を逸らす。
(言えない……
シャーロット様の泣き顔を見たなんて……
王子殿下が調査を始めたと……
言ったら、お嬢さまは……)
胸の中の不安が、
ゆっくりと形を成し始めていた。
マリナはリディアをじっと見つめ、
その横顔にわずかな“ほころび”を見つける。
(……あら。
忠実なわたくしの侍女が、揺れている?)
その気づきに、
一瞬だけマリナの瞳が鋭くなる。
「リディア。
あなた――どこまで聞いたの?」
「……っ……な、何も……」
「あなた。嘘をついている時は、
指先がかすかに震えるのよ」
リディアの手を、マリナがそっと取る。
震えていた。
「……やっぱり」
マリナの微笑が、
一瞬で冷たいものに変わった。
「――あなた、誰と話した?」
部屋の空気が、一気に冷えた。
リディアの胸に走るのは、
“初めての恐怖”だった。
(どうしよう……
お嬢さまの目……優しくない……
わたし、本当に……どうしたら……)
その震えを、
マリナは逃さなかった。
「ねえ……リディア。
裏切らないわよね?」
静かな声。
けれど、その優しさの形は――
刃のように細かった。
その瞬間――
侍女の胸で、
“ふたりの絆”にひびが入った。
それはまだ、
誰も知らない小さな音だったが。
後の“決定的証拠”になる裂け目の始まりだった。
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