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第三十七章「婚約報道の影(宮廷新聞 × 号外準備)」
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王都レリシアの東区――印刷街。
朝の空気はまだ冷え、屋根の上に白い煙が立ちのぼる。
新聞社〈宮廷通信社〉の編集室では、
小さな活版印刷機の音が、
早朝からリズムを刻んでいた。
編集長のバーナードは、
机の上に積まれた原稿を前に眉をしかめる。
「……また“公爵家の影”の記事か。
このままでは、憶測が憶測を呼ぶぞ」
記者ロランが、軽く肩をすくめた。
「ですが、編集長。
“材料”がこれだけ揃っていれば、
紙面にしないほうが不自然でしょう?」
ロランの声には、
隠しきれない興奮と、
“何かを掴んだ”記者特有の確信があった。
机の上には、以下の物が並ぶ。
・白いドレスの裂けたサンプル
・淡いアイリス香の付いた糸
・伯爵家から届けられた“慈善夜会記録”
・そして――“身上書”の写し(二枚)
すべて、マリナの手が
絶妙に影を落とした材料たちだ。
「ロラン。
この“身上書”……
花押の筆圧が違うな」
編集長がルーペで覗き込む。
「ええ。
しかし“似ている”ことは確かです。
王妃侍女長の花押と“ほぼ一致”。
違うのは……末端の払いが深い程度」
「疑わしい、というだけだ」
「疑わしいからこそ記事になるんです」
ロランは机に肘をつき、
声を潜めた。
「……それに。
伯爵家の者が“善意の寄付”の名で、
複数の新聞社に資料を回しています。
ここだけで握りつぶしても、
他紙が書いてしまう」
編集長は沈黙した。
(伯爵家……
マリナ嬢か。
彼女が“情報を握っている”という噂は本当らしい)
「それで、肝心の“婚約内定”だが――」
バーナードが原稿の見出しに目を落とした。
そこには、
ロランの字でこう書かれていた。
《公爵家後継者、護衛騎士家系と縁談か
――慈善夜会で“親密な影”を確認》
「……ロラン。
証拠と言えるのは、“影”だけだぞ。
当人の言葉は一切ない」
「影は影でも、
“二人が寄り添っているように見える影”です」
ロランは例の“夜会記録”を取り出した。
ガラス板写しの、淡い輪郭。
「編集長。
これは――
“読者が信じたがる絵”です」
その一言が、
編集室の空気を決定づけた。
そのとき、
印刷室から駆け込んできた若い職人が叫んだ。
「編集長! 急ぎの配達です、伯爵家から!」
机に置かれた封筒。
封蝋はアイリスの香りを纏い、
伯爵家ロズモンドの紋章。
編集長は眉を寄せつつ開封した。
中には、
丁寧な筆致の短い依頼文。
――“慈善夜会の記録につきまして、
公爵家後継者カルロス様、
および近衛騎士クリス殿の
『共演』を美しく残してほしい”
そして、
小さな銀貨が数枚。
「……“美しく残してほしい”、か」
編集長はロランを見た。
ロランは、
何も言わずに微笑んだ。
「……号外を作るか、編集長?」
ロランの問いに、
編集長は深い息をつく。
「……書け。
だが“断言”はするな。
“噂の形”にとどめろ」
「承知しました」
ロランは筆を走らせる。
その筆音と同時に、
印刷機が唸りを上げ始めた。
活字が並べられ、
金属の匂いが立ちこめていく。
――こうして、その日の夕刻。
王都の通りには、
早刷りの号外が配られた。
「公爵家の縁談ですって!?」
「え、相手はあの近衛騎士のクリス殿?
まさか……」
「いえ、ほら。
“花束を受け取った令嬢”という噂も……!」
人々の声が、線となって広がっていく。
その“線”はやがて――
シャーロットのもとへ、
カルロスのもとへ、
そして王家の耳へも届くことになる。
印刷室の窓辺。
夕陽に染まる街を見下ろしながら、
ロランは呟いた。
「……さて、
“真実”は誰が決めるんでしょうね」
答える者はいない。
ただ、
アイリスの香りだけが静かに漂っていた。
朝の空気はまだ冷え、屋根の上に白い煙が立ちのぼる。
新聞社〈宮廷通信社〉の編集室では、
小さな活版印刷機の音が、
早朝からリズムを刻んでいた。
編集長のバーナードは、
机の上に積まれた原稿を前に眉をしかめる。
「……また“公爵家の影”の記事か。
このままでは、憶測が憶測を呼ぶぞ」
記者ロランが、軽く肩をすくめた。
「ですが、編集長。
“材料”がこれだけ揃っていれば、
紙面にしないほうが不自然でしょう?」
ロランの声には、
隠しきれない興奮と、
“何かを掴んだ”記者特有の確信があった。
机の上には、以下の物が並ぶ。
・白いドレスの裂けたサンプル
・淡いアイリス香の付いた糸
・伯爵家から届けられた“慈善夜会記録”
・そして――“身上書”の写し(二枚)
すべて、マリナの手が
絶妙に影を落とした材料たちだ。
「ロラン。
この“身上書”……
花押の筆圧が違うな」
編集長がルーペで覗き込む。
「ええ。
しかし“似ている”ことは確かです。
王妃侍女長の花押と“ほぼ一致”。
違うのは……末端の払いが深い程度」
「疑わしい、というだけだ」
「疑わしいからこそ記事になるんです」
ロランは机に肘をつき、
声を潜めた。
「……それに。
伯爵家の者が“善意の寄付”の名で、
複数の新聞社に資料を回しています。
ここだけで握りつぶしても、
他紙が書いてしまう」
編集長は沈黙した。
(伯爵家……
マリナ嬢か。
彼女が“情報を握っている”という噂は本当らしい)
「それで、肝心の“婚約内定”だが――」
バーナードが原稿の見出しに目を落とした。
そこには、
ロランの字でこう書かれていた。
《公爵家後継者、護衛騎士家系と縁談か
――慈善夜会で“親密な影”を確認》
「……ロラン。
証拠と言えるのは、“影”だけだぞ。
当人の言葉は一切ない」
「影は影でも、
“二人が寄り添っているように見える影”です」
ロランは例の“夜会記録”を取り出した。
ガラス板写しの、淡い輪郭。
「編集長。
これは――
“読者が信じたがる絵”です」
その一言が、
編集室の空気を決定づけた。
そのとき、
印刷室から駆け込んできた若い職人が叫んだ。
「編集長! 急ぎの配達です、伯爵家から!」
机に置かれた封筒。
封蝋はアイリスの香りを纏い、
伯爵家ロズモンドの紋章。
編集長は眉を寄せつつ開封した。
中には、
丁寧な筆致の短い依頼文。
――“慈善夜会の記録につきまして、
公爵家後継者カルロス様、
および近衛騎士クリス殿の
『共演』を美しく残してほしい”
そして、
小さな銀貨が数枚。
「……“美しく残してほしい”、か」
編集長はロランを見た。
ロランは、
何も言わずに微笑んだ。
「……号外を作るか、編集長?」
ロランの問いに、
編集長は深い息をつく。
「……書け。
だが“断言”はするな。
“噂の形”にとどめろ」
「承知しました」
ロランは筆を走らせる。
その筆音と同時に、
印刷機が唸りを上げ始めた。
活字が並べられ、
金属の匂いが立ちこめていく。
――こうして、その日の夕刻。
王都の通りには、
早刷りの号外が配られた。
「公爵家の縁談ですって!?」
「え、相手はあの近衛騎士のクリス殿?
まさか……」
「いえ、ほら。
“花束を受け取った令嬢”という噂も……!」
人々の声が、線となって広がっていく。
その“線”はやがて――
シャーロットのもとへ、
カルロスのもとへ、
そして王家の耳へも届くことになる。
印刷室の窓辺。
夕陽に染まる街を見下ろしながら、
ロランは呟いた。
「……さて、
“真実”は誰が決めるんでしょうね」
答える者はいない。
ただ、
アイリスの香りだけが静かに漂っていた。
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