『すり替えられた婚約、薔薇園の告白

柴田はつみ

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「第四十章:伯爵家への乗り込み(カルロス × マリナ)」

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 伯爵家ロズモンド邸の門が、
 重い音を立てて開いた。

 夕陽の赤が、
 カルロスの黒い外套を細く縁取る。

 門番は蒼白になり、
 ただ頭を下げるしかなかった。

「――公爵カルロス殿下、お越しです」

 その声が邸内に響き、
 侍女たちの気配がざわつく。

 だが――
 邸の奥から歩み出た女は、
 一歩たりとも怯んでいなかった。

「まあ……ようこそお越しくださいました、
 カルロス様」

 伯爵令嬢マリナ。
 紫のドレス、揺れるアイリス香。
 扇を胸元に添え、静かな笑み。

 嵐の中心に立つ女の顔だった。



「……話がある」

 カルロスは余計な挨拶をすべて切り捨て、
 まっすぐにマリナを見据えた。

 その瞳は、
 沈黙ではなく“怒り”を湛えている。

「ええ、承っておりますわ。
 どうぞこちらへ。
 客間の灯りを少し落としておりますの」

 落とした照明。
 影のゆらぎ。
 恐怖を薄め、感情の輪郭を曖昧にする光。

(――迎え撃つ準備をしていた)
クリスは背後で息を飲んだ。



 客間に入り、
 扉が閉じられた瞬間。

 カルロスは低い声で切り込んだ。

「――騎士クリスとの“影の密会”。
 あれは貴女が作ったものか、マリナ嬢」

 扇がわずかに止まる。
 しかしマリナは、表情を変えない。

「影……というのは、
 慈善夜会での“映り込み”のことかしら?」

「ごまかすな」

 カルロスの声は鋭い刃だった。

「シャーロットは泣いていた。
 その理由を、私は確かめに来た」

「泣かれるなんて……
 心の弱い方ね」

 淡い笑み。
 その笑みの裏にある軽い嘲りが、
 房の先で揺れる。



「マリナ嬢。
 貴女が、
 “身上書を偽造”したのではないかと
 王家が確認している」

 扇の動きが一瞬止まる。

「まあ。
 それは困りましたわね」

「困っているのは私だ」

 カルロスは一歩、
 彼女の前に踏み出した。

 マリナの瞳に
 彼の影が落ちる。

「貴女が何を企んでいようと、
 シャーロットを巻き込んだ時点で――
 私は黙っていられない」

 沈黙が部屋を満たす。

 緊張が張りつめた。



「……カルロス様。
 お言葉ですが――」

 マリナはゆっくりと扇を閉じた。

「巻き込んだのは、
 わたくしではありませんわ」

 カルロスの眉がわずかに動く。

「巻き込んだのは、
 “シャーロット様の沈黙”でしょう?」

「……何?」

「沈黙は、
 本当に守るべき方にしか守られませんの。
 けれど――」

 マリナはカルロスを見上げ、
 瞳だけで勝負を挑むように言った。

「彼女はあなたに、
 守られたかったのではなくて?」

 空気が震えた。

(……言葉で刺した)
クリスは気づいた。
彼女は“カルロス自身の後悔”を狙っている。



「噂なんて、
 誰にでも起きるもの。
 でも――」

 マリナはすっと距離を縮め、
 ほとんど囁くように続けた。

「噂が“本物”になるのは、
 貴方が沈黙していたからですわ」

 その一言。

 カルロスの拳が、
 ぎゅっと震えた。

(――マリナ嬢。
 貴女は、カルロスの最も痛いところを……)

「もし、あなたが彼女に想いを伝えていたなら。
 もし、誰より先に彼女を迎えに行っていたなら。
 もし、“影”より先に“言葉”を出していたなら――」

 扇がカルロスの胸に触れそうな距離で止まる。

「泣くことなど、
 なかったのでしょうね」



「……黙れ」

 カルロスの声は低く、
 怒気を押し殺していた。

「貴女に、
 シャーロットの涙を語る資格はない」

「涙なんて……
 弱い人のものよ」

 マリナは優雅に微笑む。

「でも――
 弱い涙が流れれば流れるほど、
 “わたくしの立場”が強くなるのですもの。
 皮肉ですわね?」

 クリスが踏み出しかける。

「伯爵令嬢……!」

「クリス、下がれ」

 カルロスの声は氷のように冷たかった。



「マリナ嬢。
 私は、貴女を告発に来たのではない」

「では――
 何を求めに?」

「一つだけだ」

 カルロスは彼女を真っ直ぐ見据えた。

「シャーロットの名誉に
 二度と触れるな」

 マリナの瞳が細くなる。

「それは……
 “あなたの花嫁にする”という意味ではなくて?」

「……!」

 カルロスの胸の奥に鋭い痛みが走った。

「違うのですね?
 では――」

 マリナは一歩後ろへ下がり、
 優雅に礼を取った。

「あなたに“止める資格”など、
 本当はありませんわ」



 その瞬間、
 客間の空気が完全に崩れた。

 カルロスは深く息を吸い、
 静かに告げた。

「……貴女は、
 危険な女だ」

「光を愛しすぎた女ですのよ」

 マリナの笑みは、
 ひどく美しく、ひどく冷たかった。

「どうぞ、ご自由に。
 わたくしは――
 まだ“終わり”だとは思っておりませんから」

 扇が閉じる音だけが、
 部屋に鋭く響いた。
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