9 / 44
第8章「涙の独白」
王宮の夜は深く静かだった。
昼間は人々の声と足音に満ちている広大な廊下も、月明かりだけに照らされると別の世界のように見える。
その静けさは、セレーネにとっては安らぎではなく、むしろ孤独の影をいっそう濃くするものだった。
——お前ではないことだけは確かだ。
冷酷な声が耳の奥で繰り返される。
あの瞬間の痛みはまだ胸を突き刺したまま、何度も心をえぐっていた。
寝室のベッドに身を投げ出したセレーネは、枕を抱きしめ、堪えきれず嗚咽を漏らした。
誰にも聞かれたくない涙。
けれど、こらえきれるものではなかった。
「……どうして……どうして……」
枕に押し当てた声は震え、涙に濡れて滲んだ。
妃として務めを果たす覚悟はある。
愛を求めてはならないと理解している。
それでも、心は理屈に逆らって叫んでいた。
——愛してほしい。たとえ一瞬でも。
その願いを口にしてはいけないとわかっている。
けれど胸の奥で抑えきれない。
「殿下……私は……」
言葉の続きを紡げないまま、嗚咽がそれをかき消した。
翌日。
庭園の東屋で、セレーネは侍女クラリッサと共に控えていた。
花々が咲き乱れるはずの場所も、彼女には色を失って見える。
「セレーネ様……お顔色が優れません」
「……大丈夫。少し眠れなかっただけ」
無理に微笑を作る。だが声はかすれていた。
「もし殿下に心を打ち明けられれば……」
クラリッサの言葉に、セレーネは首を横に振った。
「いいえ……。あの方は、はっきりと拒絶なさったわ。私の心は不要だと」
侍女は何も言えなくなり、沈黙が落ちた。
夕刻。
広間での公式な晩餐会を終え、自室に戻ったセレーネは、またも涙を流していた。
鏡の前に座り、宝石で飾られた首飾りを外す。
虚ろな瞳が鏡に映り、自分自身を見つめ返す。
「……私は……何のためにここにいるの」
誰に答えを求めるわけでもなく、声がこぼれる。
涙が頬を伝い、鏡の表面に落ちた。
その雫は、彼女の問いがいかに孤独であるかを示していた。
深夜。
セレーネは寝台の端に腰を下ろし、月に向かって小さく語りかけた。
それは誰にも届かない、彼女だけの独白だった。
「殿下……私、役目を果たします。妃としての務めも、笑顔も……。でも、心まで捨てられるわけではないのです」
涙で霞む視界の中、月が揺れて見える。
「あなたに愛されたい……。望んではいけないとわかっていても……」
声が途切れ、嗚咽に変わる。
けれど、誰もいないこの部屋なら許される気がした。
——本当は愛してほしい。
——けれど、拒絶されるだけ。
心の矛盾を抱えたまま、セレーネは静かに泣き続けた。
そのとき、扉の向こうでかすかな足音がした。
はっとして振り返る。
だが足音は遠ざかり、やがて消えていった。
——まさか、殿下……?
確かめることはできなかった。
もし本当に彼だったなら、今の自分の独白を聞かれたのだろうか。
胸が早鐘のように鳴る。
けれど次の瞬間、セレーネは深い絶望に囚われた。
たとえ聞かれていたとしても、彼が答えをくれることはないだろう、と。
その夜、枕を濡らした涙は、朝まで乾くことがなかった。
冷酷な拒絶の痛みと、報われぬ想いを抱えたまま、セレーネは孤独に閉ざされた籠の中で震えていた。
昼間は人々の声と足音に満ちている広大な廊下も、月明かりだけに照らされると別の世界のように見える。
その静けさは、セレーネにとっては安らぎではなく、むしろ孤独の影をいっそう濃くするものだった。
——お前ではないことだけは確かだ。
冷酷な声が耳の奥で繰り返される。
あの瞬間の痛みはまだ胸を突き刺したまま、何度も心をえぐっていた。
寝室のベッドに身を投げ出したセレーネは、枕を抱きしめ、堪えきれず嗚咽を漏らした。
誰にも聞かれたくない涙。
けれど、こらえきれるものではなかった。
「……どうして……どうして……」
枕に押し当てた声は震え、涙に濡れて滲んだ。
妃として務めを果たす覚悟はある。
愛を求めてはならないと理解している。
それでも、心は理屈に逆らって叫んでいた。
——愛してほしい。たとえ一瞬でも。
その願いを口にしてはいけないとわかっている。
けれど胸の奥で抑えきれない。
「殿下……私は……」
言葉の続きを紡げないまま、嗚咽がそれをかき消した。
翌日。
庭園の東屋で、セレーネは侍女クラリッサと共に控えていた。
花々が咲き乱れるはずの場所も、彼女には色を失って見える。
「セレーネ様……お顔色が優れません」
「……大丈夫。少し眠れなかっただけ」
無理に微笑を作る。だが声はかすれていた。
「もし殿下に心を打ち明けられれば……」
クラリッサの言葉に、セレーネは首を横に振った。
「いいえ……。あの方は、はっきりと拒絶なさったわ。私の心は不要だと」
侍女は何も言えなくなり、沈黙が落ちた。
夕刻。
広間での公式な晩餐会を終え、自室に戻ったセレーネは、またも涙を流していた。
鏡の前に座り、宝石で飾られた首飾りを外す。
虚ろな瞳が鏡に映り、自分自身を見つめ返す。
「……私は……何のためにここにいるの」
誰に答えを求めるわけでもなく、声がこぼれる。
涙が頬を伝い、鏡の表面に落ちた。
その雫は、彼女の問いがいかに孤独であるかを示していた。
深夜。
セレーネは寝台の端に腰を下ろし、月に向かって小さく語りかけた。
それは誰にも届かない、彼女だけの独白だった。
「殿下……私、役目を果たします。妃としての務めも、笑顔も……。でも、心まで捨てられるわけではないのです」
涙で霞む視界の中、月が揺れて見える。
「あなたに愛されたい……。望んではいけないとわかっていても……」
声が途切れ、嗚咽に変わる。
けれど、誰もいないこの部屋なら許される気がした。
——本当は愛してほしい。
——けれど、拒絶されるだけ。
心の矛盾を抱えたまま、セレーネは静かに泣き続けた。
そのとき、扉の向こうでかすかな足音がした。
はっとして振り返る。
だが足音は遠ざかり、やがて消えていった。
——まさか、殿下……?
確かめることはできなかった。
もし本当に彼だったなら、今の自分の独白を聞かれたのだろうか。
胸が早鐘のように鳴る。
けれど次の瞬間、セレーネは深い絶望に囚われた。
たとえ聞かれていたとしても、彼が答えをくれることはないだろう、と。
その夜、枕を濡らした涙は、朝まで乾くことがなかった。
冷酷な拒絶の痛みと、報われぬ想いを抱えたまま、セレーネは孤独に閉ざされた籠の中で震えていた。
あなたにおすすめの小説
沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―
柴田はつみ
恋愛
公爵家の令嬢シャルロッテは、政略結婚で財閥御曹司カリウスと結ばれた。
最初は形式だけの結婚だったが、優しく包み込むような夫の愛情に、彼女の心は次第に解けていく。
しかし、蜜月のあと訪れたのは小さな誤解の連鎖だった。
カリウスの秘書との噂、消えた指輪、隠された手紙――そして「君を幸せにできない」という冷たい言葉。
離婚届の上に、涙が落ちる。
それでもシャルロッテは信じたい。
あの日、薔薇の庭で誓った“永遠”を。
すれ違いと沈黙の夜を越えて、二人の愛はもう一度咲くのだろうか。
【本編完結】初恋のその先で、私は母になる
妄夢【ピッコマノベルズ連載中】
恋愛
第19回恋愛小説大賞にて、奨励賞を受賞いたしました。読者の皆様のおかげです!本当ありがとうございます。
王宮で12年働き、気づけば28歳。
恋も結婚も遠いものだと思っていたオリビアの人生は、憧れの年下公爵と一夜を共にしたことで大きく動き出す。
優しく守ろうとする彼。
けれどオリビアは、誰かに選ばれるだけの人生を終わらせたいと思っていた。
揺れる想いの中で、彼女が選んだのは――
自分の足で立ち、自分の未来を選ぶこと。
これは、一人の女性が恋を通して自分を取り戻し、母として、そして一人の人間として強くなっていく物語。
※表紙画像はAI生成イラストをつかっています。
恋は、母をやめてから始まる――正体を隠したまま、仮の婚約者になりました
あい
恋愛
両親を失ったあの日、
赤子の弟を抱いて家を出た少女がいた。
それが、アリア。
世間からは「若い母」と呼ばれながらも、
彼女は否定しなかった。
十六年間、弟を守るためだけに生きてきたから。
恋も未来も、すべて後回し。
けれど弟は成長し、ついに巣立つ。
「今度は、自分の人生を生きて」
その一言が、
止まっていた時間を動かした。
役目を終えた夜。
アリアは初めて、自分のために扉を開く。
向かった先は、婚姻仲介所。
愛を求めたわけではない。
ただ、このまま立ち止まりたくなかった。
――けれどその名前は、
結婚を急かされていた若き当主のもとへと届く。
これは、
十六年“母”だった女性が、
もう一度“ひとりの女”として歩き出す物語。
殿下に寵愛されてませんが別にかまいません!!!!!
さら
恋愛
王太子アルベルト殿下の婚約者であった令嬢リリアナ。けれど、ある日突然「裏切り者」の汚名を着せられ、殿下の寵愛を失い、婚約を破棄されてしまう。
――でも、リリアナは泣き崩れなかった。
「殿下に愛されなくても、私には花と薬草がある。健気? 別に演じてないですけど?」
庶民の村で暮らし始めた彼女は、花畑を育て、子どもたちに薬草茶を振る舞い、村人から慕われていく。だが、そんな彼女を放っておけないのが、執着心に囚われた殿下。噂を流し、畑を焼き払い、ついには刺客を放ち……。
「どこまで私を追い詰めたいのですか、殿下」
絶望の淵に立たされたリリアナを守ろうとするのは、騎士団長セドリック。冷徹で寡黙な男は、彼女の誠実さに心を動かされ、やがて命を懸けて庇う。
「俺は、君を守るために剣を振るう」
寵愛などなくても構わない。けれど、守ってくれる人がいる――。
灰の大地に芽吹く新しい絆が、彼女を強く、美しく咲かせていく。
大嫌いな従兄と結婚するぐらいなら…
みみぢあん
恋愛
子供の頃、両親を亡くしたベレニスは伯父のロンヴィル侯爵に引き取られた。 隣国の宣戦布告で戦争が始まり、伯父の頼みでベレニスは病弱な従妹のかわりに、側妃候補とは名ばかりの人質として、後宮へ入ることになった。 戦争が終わりベレニスが人質生活から解放されたら、伯父は後継者の従兄ジャコブと結婚させると約束する。 だがベレニスはジャコブが大嫌いなうえ、密かに思いを寄せる騎士フェルナンがいた。
離婚を望む悪女は、冷酷夫の執愛から逃げられない
柴田はつみ
恋愛
目が覚めた瞬間、そこは自分が読み終えたばかりの恋愛小説の世界だった——しかも転生したのは、後に夫カルロスに殺される悪女・アイリス。
バッドエンドを避けるため、アイリスは結婚早々に離婚を申し出る。だが、冷たく突き放すカルロスの真意は読めず、街では彼と寄り添う美貌の令嬢カミラの姿が頻繁に目撃され、噂は瞬く間に広まる。
カミラは男心を弄ぶ意地悪な女。わざと二人の関係を深い仲であるかのように吹聴し、アイリスの心をかき乱す。
そんな中、幼馴染クリスが現れ、アイリスを庇い続ける。だがその優しさは、カルロスの嫉妬と誤解を一層深めていき……。
愛しているのに素直になれない夫と、彼を信じられない妻。三角関係が燃え上がる中、アイリスは自分の運命を書き換えるため、最後の選択を迫られる。
突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。
橘ハルシ
恋愛
ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!
リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。
怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。
しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。
全21話(本編20話+番外編1話)です。
離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています
腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。
「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」
そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった!
今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。
冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。
彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――