『影の夫人とガラスの花嫁』

柴田はつみ

文字の大きさ
11 / 49

第10章「噂の火種(前妻の手紙)」

しおりを挟む
雨が降り始めた午後、
公爵邸の北棟はしんと静まり返っていた。

シャルロットは自室の窓辺に立ち、
庭に落ちる雨筋をぼんやりと眺めていた。

(……“影”なんて呼ばれていても、
 わたくしは……平気なふりをするしかない)

心は泣いているのに、
涙は落とせなかった。

すると、扉を叩く音がした。

「奥さま、郵便が一通……屋敷宛に届いております」

シャルロットは振り返った。

「わたくし宛て、ですか?」

「いえ……公爵さま宛てですが、
 “奥さまにお渡しください”と書かれております」

妙な指示。
胸がざわめく。

封筒は薄いクリーム色で、
古い香水の匂いがわずかに残っていた。

封を切る手が震える。

中には、一枚の手紙。

そして──
花弁の押し花。

白百合。

エリザベラがもっとも愛した花。

胸が凍る。

手紙には、
優雅な筆致でこう書かれていた。

「あなたの夫が愛したのは
  ただひとり、私だけ。
 どうか“影の夫人”として
  静かにその席を守っていてね──エリザベラ」

シャルロットは息を呑んだ。

紙が手の中で震える。

(……エリザベラ様からの……手紙?
 でも……亡くなったはずの……)

信じたくない。
しかし押し花の香水も筆跡も、
噂通りの“前妻”そのままだった。

胸が壊れそうだった。

「どうした?」

背後から静かな声がした。

振り向くと、カルロスが立っていた。
雨に濡れた黒いコートを脱ぎながら、
疲れた表情をしている。

シャルロットは、
手紙を隠すように握りしめた。

だがカルロスの視線は鋭く、それを見逃さなかった。

「……何を持っている?」

「い、いえ……ただの……」

「シャルロット」

静かな声に呼ばれ、
シャルロットは震える手で手紙を差し出した。

カルロスはそれを見た瞬間、
明らかに表情が変わった。

驚き、恐れ、怒り。
そして、深い苦悩。

「……誰が、……誰がこれを渡した?」

「郵便だと……侍女が……」

カルロスは紙をぐしゃ、と握りつぶした。

こんな感情的な仕草を見るのは初めてだった。

「これは……捨てろ」

「え……?」

「いますぐだ。
 こんなもの、見る必要はない」

声が震えている。

シャルロットは、胸がひどくざわついた。

「……前妻様の……
 エリザベラ様からの手紙、ですよね……?」

カルロスは顔を上げた。

「違う。違うんだ、シャルロット。
 これは……エリザベラが書いたものではない」

「でも……筆跡も……押し花も……」

カルロスは息を飲み、
言葉を選ぶように目を伏せた。

「君には……
 まだ知らないほうがいい」

また沈黙。
また“言えない理由”。

(どうして……どうしていつも……
 わたくしには“知らない方がいい”の……?)

シャルロットの胸に、
つらい痛みが溢れてくる。

「わたくし、影の夫人だから……ですか?」

カルロスは目を見開いた。

「違う!」

シャルロットは小さく息を呑む。

「そんな名前で……君を呼ばせない。
 君を影にするつもりなど、
 俺は……一度も……」

最後の言葉は、
雨音にかき消された。

カルロスはシャルロットの手に触れようとした。
だが、また寸前で止まる。

(どうして……触れてくれないの……
 理由があると言いながら、
 理由を言わないなんて……)

シャルロットの胸が静かに崩れた。

「……公爵さま。
 わたくしに言えないことばかりなのに、
 “信じろ”なんて……無理です」

その声は、
雨より静かだった。

カルロスは痛むように瞳を閉じた。

「……シャルロット。それでも……
 君を守りたいんだ」

「守りたいと言いながら、
 わたくしの側には来てくださらない……。」

カルロスの呼吸が止まる。

シャルロットは、
崩れそうな心を抱えながら言った。

「わたくしは……
 本当に“影”なの……?」

カルロスは、手紙を握りしめたまま、
ただ雨の匂いを背負って俯いた。

そして。

ただだまっているカルロスを、
シャルロットには“答え”にしか聞こえなかった。

雨が静かに降り続ける中、
**前妻の手紙という“火種”**が
ふたりの距離を決定的に揺らしていった。

その火種が、
やがて屋敷全体を巻き込む“炎”に変わることを、
ふたりはまだ知らない──。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私と幼馴染と十年間の婚約者

川村 あかり
恋愛
公爵令嬢ロゼリアは、王子アルベルトとの婚約を結んでいるが、彼の心は無自覚に幼馴染のミナに奪われていた。ミナの魔法【魅了】が無意識に周りの男性を狂わせ、アルベルトもその例外ではない。 それぞれが生まれつき得意な魔法があり、ロゼリアは見たものや聞いたものを完璧に記録できる【記録・再生】の魔法を持ち、二人の関係に耐えきれず胃の痛みに悩む日々。そんな中、彼女の唯一の理解者の冷静沈着なキースや毒舌のマリーが心の支えとなる。 アルベルトの側近であるガストンは、魔法【増幅】で騒動を盛り上げる一方、ミナの友人リリィは【幻影】の魔法を使ってロゼリアを貶めようと画策する。 婚約者と幼馴染の行動に振り回されるロゼリア。魔法が絡んだ恋愛模様の中で、彼女は本当の愛を見つけられるのか?

さようなら、私の初恋

しょくぱん
恋愛
「さよなら、私の初恋。……もう、全部お返しします」 物心ついた時から、彼だけが世界のすべてだった。 幼馴染の騎士団長・レオンに捧げた、十数年の純粋な初恋。 彼が「無敵」でいられたのは、アリアが無自覚に与え続けた『治癒の加護』があったから。 だが婚約直前、アリアは知ってしまう。 彼にとって自分は、仲間内で競い合う「賭けの対象」でしかなかったことを。 「あんな女、落とすまでのゲームだよ」

悪女の最後の手紙

新川 さとし
恋愛
王国を揺るがす地震が続く中、王子の隣に立っていたのは、婚約者ではなかった。 人々から「悪女」と呼ばれた、ひとりの少女。 彼女は笑い、奪い、好き勝手に振る舞っているように見えた。 婚約者である令嬢は、ただ黙って、その光景を見つめるしかなかった。 理由も知らされないまま、少しずつ立場を奪われ、周囲の視線と噂に耐えながら。 やがて地震は収まり、王国には安堵が訪れる。 ――その直後、一通の手紙が届く。 それは、世界の見え方を、静かに反転させる手紙だった。 悪女と呼ばれた少女が、誰にも知られぬまま選び取った「最後の選択」を描いた物語。 表紙の作成と、文章の校正にAIを利用しています。

白い結婚は終わりました。――崩れない家を築くまで

しおしお
恋愛
「干渉しないでくださいませ。その代わり、私も干渉いたしません」 崩れかけた侯爵家に嫁いだ私は、夫と“白い結婚”を結んだ。 助けない。口を出さない。責任は当主が負う――それが条件。 焦りと慢心から無謀な契約を重ね、家を傾かせていく夫。 私は隣に立ちながら、ただ見ているだけ。 放置された結果、彼は初めて自分の判断と向き合うことになる。 そして―― 一度崩れかけた侯爵家は、「選び直す力」を手に入れた。 無理な拡張はしない。 甘い条件には飛びつかない。 不利な契約は、きっぱり拒絶する。 やがてその姿勢は王宮にも波及し、 高利契約に歪められた制度そのものを立て直すことに――。 ざまあは派手ではない。 けれど確実。 焦らせた者も、慢心した者も、 気づけば“選ばれない側”になっている。 これは、干渉しない約束から始まる静かな逆転劇。 そして、白い結婚を終え、信頼で立つ家へと変わっていく物語。 隣に立つという選択こそが、最大のざまあでした。

「貴女じゃ彼に不釣りあいだから別れて」と言われたので別れたのですが、呪われた上に子供まで出来てて一大事です!?

綾織季蝶
恋愛
「貴女じゃ彼に不釣りあいだから別れて」そう告げられたのは孤児から魔法省の自然管理科の大臣にまで上り詰めたカナリア・スタインベック。 相手はとある貴族のご令嬢。 確かに公爵の彼とは釣り合うだろう、そう諦めきった心で承諾してしまう。 別れる際に大臣も辞め、実家の誰も寄り付かない禁断の森に身を潜めたが…。 何故か呪われた上に子供まで出来てしまった事が発覚して…!?

七年目の裏切り 〜赴任先の夫から届く愛の手紙は、愛人の代筆でした〜

恋せよ恋
恋愛
「君は僕の最愛だ。もう二度と、君を危険に晒したくない」 命懸けの出産後、涙を流して私を抱きしめた夫ジュリアン。 その言葉通り、彼は「私を大切にするため」に夜の営みを断った。 私は、女としての寂しさを「愛されている誇り」に変え、 隣国へ赴任した夫を信じて二人の子供と家を守り続けていた。 毎週届く、情熱的な愛の手紙。タイプライターで綴られた その愛の言葉を、私は宝物のように抱きしめていた。 ……しかし、その手紙は「裏切り」だった。 夫が異国の地で、愛人と肌を重ねながら綴らせていた「偽りの愛」。 身分を隠して夫の赴任先の隣国へと向かった私が見たのは……。 果たして、貞淑な妻・メラニアが選んだ結論は……。 子供たちのため結婚生活の継続か、それとも……。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

恋は、母をやめてから始まる――正体を隠したまま、仮の婚約者になりました

あい
恋愛
両親を失ったあの日、 赤子の弟を抱いて家を出た少女がいた。 それが、アリア。 世間からは「若い母」と呼ばれながらも、 彼女は否定しなかった。 十六年間、弟を守るためだけに生きてきたから。 恋も未来も、すべて後回し。 けれど弟は成長し、ついに巣立つ。 「今度は、自分の人生を生きて」 その一言が、 止まっていた時間を動かした。 役目を終えた夜。 アリアは初めて、自分のために扉を開く。 向かった先は、婚姻仲介所。 愛を求めたわけではない。 ただ、このまま立ち止まりたくなかった。 ――けれどその名前は、 結婚を急かされていた若き当主のもとへと届く。 これは、 十六年“母”だった女性が、 もう一度“ひとりの女”として歩き出す物語。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

処理中です...